- 18 名前:人間七七四年 mailto:sage [2016/08/18(木) 19:30:48.20 ID:zWB+z/Fv.net]
- これはたいへん申し上げにくいことなのですか、世の中では殿(井伊直政)のことを、人を斬る人物だと
沙汰しています。私達においても、よその知人から、『未だ生害にあわず、存命でしょうか?』と、 生存を確認する書状が来る始末です。 殿におかれては、大方の科は御堪忍なされ、処刑に値する罪でも、五度に二度は命を助けられ追放に とどめ、罪のある中でも忠功のある者には、前の科を捨てられることこそ、誠の大将というものなのです。 殺害の多い大名は良い家臣を持てません。先年、当家(井伊家)は、美濃輪、橋田、秋山、戸倉、勝野の 五人、彼らは上方で名のある武士であったので、それぞれに千石づつ宛てがい召し抱えたいと伝えました。 彼ら五人は、その前は織田源之丞に仕え、五百貫を知行していました。そんな彼らに千石づつという 非常に高い条件で召されたというのに、彼らは「上方にて望む所があるので:と、断ってきました。 しかし、断った彼らの本音は、「井伊家はキツイ」という判断なのです。 その後千五百石まで条件を上げても参りませんでした。近頃聞いた所によると、彼らは本多平八殿の所に、 わずか八百貫で五人全員が参ったそうです。実に惜しき事です。 家臣が当家長久、子孫・武勇繁盛と祈るのも、それは長命を前提としているのですよ。 殿は六年ほど前からお心がけが変わり、物荒くなられました。 家康公の仰せにも、「何であっても三度家臣と相談して決定するように。」と有るではないですか。 これはしっかりと自覚すべきです。 (松のさかへ) 井伊直政への重臣よりの諫言書より。 直政の重臣たちにはよその知り合いから「まだ生きてる?」という書状が届くような状況だったらしい。
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