- 156 名前:人間七七四年 [2016/10/05(水) 07:57:16.26 ID:5J8+ztnF.net]
- 妙玖の方、吉川家臣を説得
1550年、毛利元就の命令で布川(現広島市安佐北区深川)に隠居していた吉川興経は謀反の疑いを受け天野、熊谷率いる手勢により殺害された。 この報を受けた吉川家重臣、吉川伊豆守(吉川経世?)と森脇和泉守は直ぐさま郡山の城へ駆け付け、2人は元就に涙を流し抗議し 「興経を討ち果たすのであればどうしてお知らせくださらなかったのですか。 隠居蟄居の身となったのですから、どうして反逆など企てられましょう。 こうして誅罰なさるとは、なんともお情けのないことです。 私たちも、興経に対して私怨があってこのように(興経から元春への家督相続)したわけではありません。 吉川の家のことを考えたからこそ、一旦は主従の間を乱すような振る舞いをしたのです。 確かに興経に楯突いたと同じようなものですが、本当は家のためを思い、 それに興経の不義を正すために行ったのです。 こうなったら私たちも、縁側の片端を汚して自害させていただきます」と大騒ぎした。 元就はあれこれとなだめたものの、二人はまったくおさまらない。 その騒ぎを聞きつけたのか、元就の北の方が姿を現し、 「伊豆守殿にとって興経は甥ですが、わたしにとってもまた甥です。 甥を殺されたのが無念だといって自害なさるのなら、私も女の身ではありますが自害すべきでしょう。 伊豆守殿、どうか私に免じて自害を思いとどまってください」と、 一度は怒り、一度は涙を流して説得した。 吉川伊豆守はこれにしぶしぶ自害を思いとどまったので、森脇和泉守も強行することができずに涙を抑えて自害をやめた。 (陰徳記) ちょっとツッコミどころの有る逸話なので悪い話に持って来ました。
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