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■〜天理教・教理と要理の解説スレッド〜■



1 名前:゚ 。(*′∇`)。 ゚ 希美ちゃん ◆1XjRibJyX. mailto:nozomi.@xxne.jp [2011/12/19(月) 12:09:24.99 ID:4NUM3YJJ]
天理教の要理と教理の専用スレッドです。
それらに関する質問、解説などにご利用ください。

天理教組織については他の天理教スレでお願いします。

40 名前:基本。 [2011/12/27(火) 03:03:35.54 ID:sdniNgY0]
おふでさきには、
「一けふまでは」と、いう文字があります。
第13号 1

一けふまでわなにかしんばいしたなれど
あすにちからわをふくハんのみち

Kyomade wa nanika shinpai shita naredo
Asunichi kara wa okwan no michi

Until today, you have worried about many things. But from tomorrow, a broad path will open.
今日まで、この道は細道であって、種々と苦労したけれども、これからは、いよいよ確かな往還道に出る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「一けふ」も「けふ」も、音では「今日」です。

「今日」にも「一今日」「二今日」があると思案するのが基本です。
おふでさき13号の五月五日は、「一今日」ではなく「今日です。

五月五日
第13号 9
けふまでわなにもしらすににんけんの 心ばかりでしんはいをした

Kyomade wa nanimo shirazu ni ningen no
Kokoro bakari de shinpai o shita

Until today, being aware of nothing, you have used only the human mind and worried yourselves.

41 名前:基本。 [2011/12/27(火) 10:54:04.74 ID:sdniNgY0]
>>40
「一けふ」には、「あすにちからわをふくわんのみち」になると言う予言でありますが、
明日日というのは、一今日に対しては、仮に言うなら、「二今日」と理解されます。
あるいは、「一けふ」とは、始め(一)においての今日という理解で読み取るべきです。
つまり、13号には、二つの「けふ」がある。
と言う事は、十三号の五月五日けふと、四号の五月五日けふは、四号は「一けふまで」、十三号は「一けふまの明日日のおいてのけふ」と
このような時間経過があるという事になります。

さて、これは全く独自の基本的な見かたですが、「一けふまで」のおふでさきは、「13号にて完結している」と、このように見立てます。
「十三とは、十分身につく」で、教えが、十分身につく。
そして、四つは、「世の中」「世直り」ですから、
十三号までで、お筆先の教えが十分身についた。→十四号からは「十分世の中・十分世直り・十分幸せ」と、そういう構造と理解されます。

その区切りをお示し頂いたのが、「一けふ」という文字であり、
「一つは正月」。
正月二十六日を待つ。
その、正月には、「一けふ」いごの、道の容態になるという予言になっております。

42 名前:基本。 [2011/12/27(火) 11:14:30.41 ID:sdniNgY0]
「三つ身につく」。
       三下り目
一ッ 日の本庄屋敷の 勤め場所は世の元や
二ッ 不思議な勤め場所は 誰に頼みはかけねども
三ッ 皆世界が寄り合うて 出来立ち来るがこれ不思議
四ッ よう/\ここ迄付いて来た 実のたすけはこれからや
五ッ 何時も笑われ謗るられて 珍したすけをする程に
六ッ 無理な願いはしてくれな 一筋心になりて来い
七ッ 何んでもこれから一筋に 神にもたれて行きまする
八ッ 病む程辛い事は無い わしもこれから日の寄進
九ッ ここ迄信心したけれど 元の神とは知らなんだ
十ド この度現れた 実の神には相違無い
/////////////////////////////////////////////////////////////////////
十二下りでは、三下り目の十ドになって、元の神実の神と納得しています。
>>25
十二下り出て居る。
この事情からはい/\、この事情から聞き分け。
たゞ一度の道じゃあろまい。
//////////////////////////////////////////////////////////
天理教の信仰をしていても、元の神、実の神と相違ないと納得は、「三つ身につく」ことです。

43 名前:基本。 [2011/12/27(火) 12:27:04.80 ID:sdniNgY0]
天理教団は、天理教会一つ始まりの当初において、大きな理の間違いをしました。
現在の組織においての大教会というものは、教会・講の開始は初代講元の三日・三年千日の事を理では三日と言うのですが、三日の苦労で出来たものでした。
それは、十二下りの三下り目に、到達さえしていない、おやさまを「元の神・実の神」と一瞬は感じたかもしれませんが、後は闇夜のような、あざない道でした。
三ッ 皆世界が寄り合うて 出来立ち来るがこれ不思議
という姿を、扉開いた直後には、見せて頂けた。感じていた。
しかし、三から四へと進行するにおいて、
四ッ よう/\ここ迄付いて来た 実のたすけはこれからや
と、口で唱えて踊りながらも、「四つ世の中、四つよんなか、四つ世直り」に進もうとするより、
教会大切という、宗教大切と言う、宗教高山因縁の道にはまり混みました。
「みにふろ・過去ログ」の「天理教団」に整理して述べてあります。
zulu.jog.buttobi.net/bbs/psy/1098683582.html
7 名前:基本 :2004/10/25(月) 17:45
・・・中山みきは、そうした方針に断固と妥協しない為に、政府からは、何度も拘引投獄という弾圧を受けました。
が、監獄から出るたびに、出迎えの信者は増えていくと言う、「節から芽が出る」という姿にて分かるように、各地域での布教成果は上がり続けていて、それは、権力との上手な妥協をしていた弟子たちの功績なのです。
そこで、神道の組織に参入する道を選んだ、初代真柱は、時の神道管長を招いて、政府の方針に従うと誓書を差し出します。
これが、応法の道と言われる天理教会の道の始まりです。
教祖が、邪魔だ。教祖を黙らせろと言うのが、神道の幹部の意見でした。


44 名前:基本。 [2011/12/27(火) 12:40:34.26 ID:sdniNgY0]
四ッ よう/\ここ迄付いて来た 実のたすけはこれからや

実のたすけとは、「世直り」「よんなか」(豊年の意味)「幸せ」「陽気」・・四の理。
四の理とは、資産、資本。社会資産と社会予算の、柱の理。
「家業第一」の基本を貫かず、いつも豊年教えたいおやさまの「四の理」。
そういう四の理の「四つ」に入って行こうとしないで、
「三つ身につく」で、三年の苦労で初代が身につけたものを、教会の財産資産を「私物化」し、世直しに向かおうともしなかった。
天理教団の四の理の間違いは、「四つ夜の中」。
四は戦争の闘いの、腹立ちの埃。

実のたすけは、いまだ行われず、三つ身につくことばかり求めての、元の神実の神とも得心しない天理教団、開始から、ずっとそうでした。

45 名前:基本。 [2011/12/27(火) 12:48:55.02 ID:sdniNgY0]
zulu.jog.buttobi.net/bbs/psy/1098683582.html
8 名前:基本 :2004/10/25(月) 18:02
・・・信者たちは、有力な講元が、公認を得る為の方策に動いていて、教祖の、「慎みがおふかん」とは程遠い、派手で活発な活動でした。
ここに、お屋敷では、ひっそにしたい。
講元たちは堂々と表を通りたいという事情が立てあいました。
115歳の定命の教祖は、そこで、皆に尋ねました。
「扉開いてぢをならそうか、扉をしまりて地をならそうか」と。
皆は、扉を開いた方が宜しいと答えました。
「堂々」と「ひっそ」のどちらを選ぶかを尋ねた時、子供たちは、「堂々」を選びました。
教祖は、そこで、25年の命を縮めました。
政府に、地方権力に迎合した、堂々の道を求める心は、慎みを忘れた手がけの大道でした。
戦争協力の道は、この時、選ばれていました。

18 名前:基本 :2004/10/28(木) 17:43
ひながた時代のお助けというのは、非営利であり、かつ持ち出しでした。
初期の講元さんが素晴らしかったのは、お助けが上がればあがるほど、貧乏し、生活に支障をきたしても、それを続けていた事です。
それは、ひながた時代の、結構源さんはその代表でした。
山名の諸井国三郎さんもその代表でした。
郡山の楢蔵さんもそうでした。
施す一方のお助け人たちが、教祖の道具でした。
そのときには、皆、「私ほど因縁の悪い者は無い」と、口々にそういいました。
支配するもされるも無い、「因縁が悪いから人を助けるのだ」「人助けてわが身助かるのだ」
おふでさきを持ち出して示すまでも無く、「わが身に悪事を自覚して」いました。


46 名前:基本。 [2011/12/27(火) 13:08:05.75 ID:sdniNgY0]
おやさまは、その「三」から「四」に入れない成人の状態の原因は、日の本初屋敷が世の元だと、神に諭せない軟弱な精神にあるとご承知でした。
そして、それでは。身につかないことも天の理です。
明治二十年三月十一日(陰暦二月十七日)午後十二時
刻限御話
内も世界も十分と思うであろう。さあ/\始め掛ける/\。どえらい山がある。ろくぢ/\という事も聞かせてある。山を刳り抜かねばろくぢでない。さあ/\刳り抜くで/\。それ/\へも伝えて置かねばならん。よう聞き分けて、じいとして見て居るがよい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分が身について三つ、他人が身について三つ。自他共に身につくと「六つ」。ろくぢ。
親神自らの守護により山を刳り貫くとの御宣言・予告の刻限は、「陰暦十分八方」の一日前の17日予言されました。
仮に、その日、高弟たちが、「日の本初屋敷の元の神の宣言」と理解していたら、新暦の三月は、「三つ身につく」「十分始まり」の3・11の昼の理にて推移したでしょう。
しかし、その頃、もう汚染されていた泥水交じりの彼らは、陰/心の闇路。だから「陰暦」。
このおやさまの残念は、切ないものと、思慮されます。
yoru

47 名前:基本。 [2011/12/27(火) 16:40:52.90 ID:sdniNgY0]
>>46
>神に諭せない
訂正します。上に諭せない。です。
それは、今現在の天理教においても同じ事情です。
「天理の原則は、知らしたら出る」、です。知らせないと言う事は、神は働かない。つまり理の発動は無い。
 しらしたらあらハれでるハきのどくや いかなやまいも心からとて 第1号 24
これは、お筆先一号にあります。
15号には、こうあります。
なにもかもとのよな事もゆてをいて それからをやがはたらきをする 36

はたらきもとんな事やらしろまいな せかいちうハをやのからだや 37
いまゝてのをやのざんねんしらしたさ そこでこのたびみなしてみせる 38
とのよふな事をするやらしれんてな みな一れつハしよちしていよ 39
このたびのさねんくときのこのはなし みな一れつわなんとをもてる 40

このもとわ四十三ねんいせんから ゑらいためしがかけてあるぞや 41

これさいかしいかりしよちしたならば とんな事をがかなわんでなし 42
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「この四十三ねんいせん」のためしについては、既に投稿してありますように、
「しん」の理、「震災の数理」として、歴史に出現しています。
第15号 36
 なにもかもとのよな事もゆてをいて それからをやがはたらきをする
これが、現実の「大震災」にて出現することに、思い至らなかったのは、初代たちは、天理教を甘く見ていた、みき母をなめていた。
お上の方が、強いと、「上に諭せぬ」ふがいなさだったからです。

48 名前:基本。 [2011/12/27(火) 16:58:08.66 ID:sdniNgY0]
基本は、43年の数理について、「知らして」おきました。
zulu.jog.buttobi.net/bbs/psy/1098683582.html
77 名前:神様の見せてくれた事 :2005/02/02(水) 14:45
フリーフォーラムからの私の投稿の引用です。
yousun.s82.xrea.com/cgi-bin/patio2/patio.cgi?mode=view&no=66&p=2
> 1875年 12月27日内外隔てなく、掃除する予言。
> 43年後 天理教青年会設立。
> 43年後 かなめ会第一回会合。
> 43年後 天理教の名称は占有物でないとの司法判断。
> このように、神様の見せて下さった事を整理しましたが、このかなめ会の43年事情の元というのは、1875年のお筆先です。




49 名前:基本。 [2011/12/27(火) 16:59:31.27 ID:sdniNgY0]
> 神様は、お筆先に於いて、
> 1874年には、天火火の海、海は津波やと予言されています。
> 1875年には、雷地震大風水つきと予言されています。
> 1874年と1875年には、かやしについては、まだ刻限が来ていないと告げています。
> 神のかやしというのは、刻限が来たらという予言だということでした。
> 1880年に、神様は、明日からはかやしをすると告げていますが、43年以前からと、数を示しています。
> 1880年に、明日から、と、言う予告は、神の一日は人の一年ですから、1881年からと言う意味です。
> 1881年から数え始めて43年後、1923年に、関東大震災が起きています。
> 1951年4月に、ぢばにて、ひながた甘露台の据え換えが行われました。
> 1951年4月から数えて、43年後の1995年に、阪神大震災が起きています。
> お筆先で、海は津波やの予言がなされた1874年から、43年を三回数えた、129年後、
> 2004年12月の大津波が起きています。
> 神の残念としての地震が、43年という理で現れると言う事、
> かなめ会の43年は、1875年からの43事情と見せて下さいました。
> 1875年ぢば定めの時からのもので、かなめ会は、ぢばに対して、国のしんとして、揺らいでいる事を見せています。
> ぢば以外の場所でのおつとめも、教祖が許していたのだという、山名の諸井国三郎先生の、龍頭の狂いが、「しん」の狂いといて、「一人狂えば万人狂う」事情と、神様は見せてくれました。
> 基本さんの言う、山名系の教義の間違いが、狂った姿です。
お筆先は、天理教のプロ中のプロのための理の責めの書物です。
そこに知らされた掃除の対象が、実は、天理教青年会であり、かなめ会であった。
神様の見せてくれた事でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目的は、ちゃんと書きました。


50 名前:基本。 [2011/12/27(火) 17:14:29.26 ID:sdniNgY0]
31 名前:基本 :2004/10/29(金) 09:22
・・・この、天理教団スレッドは、八島の「天理王の神名」への攻撃と、それを幇助する教団内部の権力者「上」の嘘を暴く目的が一つ、天理教団の正当を示す目的が一つ、あわせて、胸の掃除のお手伝いです。
知らしたら働くおやさまのお手伝いとして、
> 1880年に、神様は、明日からはかやしをすると告げていますが、43年以前からと、数を示しています。
ちゃんと震災の数理を、明記して、おきました。

天理教団2、に継続しましたが、基本の数理について抗議がありました。

162 名前:宗教を考える名無しさん :2005/12/14(水) 16:05
12月11日の基本さん・・・・というHPに変な解釈が掲載された。
書いた人の意図が知りたい。
・・・ある特定の事柄を述べるために、つまり12という数字
に象徴的な意味(基本の言う処の)を持たせたいがために、太陽暦の用いられていなかった
1838年の出来事にまで太陽暦での月日を当てはめる事が天理教の基本だとしたら、
天理教とはあまりにも姑息な考え方の人達ではないかと思います。
それはこの基本さんという人がそうなのでしょうかね。
・・・基本さんとやら、お答え下さい。


51 名前:基本。 [2011/12/27(火) 17:20:24.15 ID:sdniNgY0]
対する回答は、このようなものでした。
167 名前:基本 ◆./kJ00CA :2005/12/14(水) 21:39
116さんは、理の意味を知らないので、そうした愚問をなさるのですが、「表守護と」「裏守護」というものについて、ご存知でしょうか。
それは、神が表に現れる以前と神が表に現れる前の、守護の理の事です。
理には、表で説く、裏で説く、二種類の説き方があるのが基本です。

次に、二十六日と言う日についてですが、教祖のひな型は新暦においての26日に一つのイベントをなさっています。
165さんは、基礎的な事ですが、それをご存知でしょうか。
理の構成の基本については、フリーフォーラムの頃より既に丁寧に解説が済んでいますが、まだそれが理解できていないのか、或いは、突然に、ネットに来られたのか、分かりませんが、
理の構造の、123123123<これを、考察下さい。
つまり、太陰暦も太陽暦も、親神様の教えられた知恵の仕込みの賜物です。
暦のなかでも、易は太陰暦が用いられます。
易というのは、裏守護の、国常立命さまの、月様のご守護の理です。

ご理解できますか。
これが理解できなければ、あなたには、基本以前に、入信する事をおすすめします。
入信して、天理教のイロハから学ばれるべきです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このとき、>>48>>49 の震災の数理を「敢えて再掲」しました。
これも、神の掃除のお手伝いのつもりでした事です。
震災の数理を知らしたら、震災が来るというのは、天理の基本であり、基本のHPに訪問して下さった、海外の研究機関に理をお知らせできると、判断しての事です。


52 名前:基本。 [2011/12/27(火) 17:37:20.56 ID:sdniNgY0]
> 1874年には、天火火の海、海は津波やと予言されています。
第6号 116
このはなしなんとをもふてきいている てんび火のあめうみわつなみや
> 1875年には、雷地震大風水つきと予言されています。
第8号 58
かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく
> 1874年と1875年には、かやしについては、まだ刻限が来ていないと告げています。
月日よりをしゑる事ハみなけして あとハにんけん心ばかりで 123
いまゝでもこのよはじめたしんぢつを をしへてをことをもたなれども 124
月日よりにち/\心せきこめど こくけんまちているとをもゑよ 125

第12号 52
けふまでわひがらこくけんきたらんで なにかちがいもありたなれとも

53 名前:基本。 [2011/12/27(火) 17:58:20.22 ID:sdniNgY0]
>>52 
↑このように、きちんと参照して頂けたかどうかはともかく、地震が刻限の理で発生すると、お筆先には書いてあるわけですから、それを、お知らせすることは、おやさまの掃除のお手伝いのほんの僅かではあっても気持ち、お手伝いで、なしたことです。
> 1880年に、神様は、明日からはかやしをすると告げていますが、43年以前からと、数を示しています。
あすからハをやがはたらきするほとにどんなものでもそむきでけまい 10
 いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
 けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12
 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 13
> 1880年に、明日から、と、言う予告は、神の一日は人の一年ですから、1881年からと言う意味です。
> 1881年から数え始めて43年後、1923年に、関東大震災が起きています。

教理の基本は、一二三一二三、三段一つです。ひな型にもあり、あさしづにもあり、今のわれわれにもある。
基本には、これだけで十分だったのですが、疑い深い人たちは、「43」の数理の実現例を、もっと見せなければ納得しないと言う状態でした。
そして、詳しく書くことは、おやの頼みでもありますから、
天理教・天日火の雨という、スレを立ち上げて、間違いなく「月日の残念」が返されると、その時に、理について少しでもあらかじめ語っておかなければならないと、それが、本音でした。


54 名前:基本。 [2011/12/27(火) 18:03:29.95 ID:sdniNgY0]
1.基本。 ◆XE./kJ00CA :2007/07/28(土) 01:16:42 ID:3Sm7zXhB 天理教の原典には、天災が、神の残念であると、知らされている。
地震、大水、津波、旱魃、天日(太陽)の火の海、・・
それらは、地球環境を直接的に、人間に不便なものと、変えてしまう。

人間の肉体で言えば、大病。
それが、天災であり、天災は、神からの「残念の返し」である。

それでは何が残念か、何が神の残念か。
「大社・高山」が、谷底をままにすること、そのものである。
人が病から、その人の心得違いを悟るように、
人類は、天災から、この世の構造の間違いに目覚めるようにと、親神様は、災害にて返しをされる。
それは、心の鏡である。
この話題を、論じ合おう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おふでさきは、一言百巻、とも一言万巻とも、教えられています。
現実の神。
これを、きちんと踏まえないと、天理教の教理は研究できません。

55 名前:神も仏も名無しさん [2011/12/28(水) 23:55:12.26 ID:Wobi8W9r]
甘露台の取り払いが一の残念なんじゃないか?

56 名前:基本。 [2011/12/29(木) 00:35:07.07 ID:QnEsPWQn]
稿本教祖伝から引用します。
かんろだいの石取払い:
 五月十二日(陰暦三月二十五日)、突然、大阪府警部奈良警察署長上村行業が、数名の警官を率いて出張して、二段迄出来て居たかんろだいの石を取り払うて、これを没収し、更に、教祖の衣類など十四点の物品をも、併せて没収した。

         差押物件目録(註一)
一 石造甘露台                一個
   但二層ニシテ其形六角
    上石径二尺四寸下石径三尺二寸厚サ八寸
(略)
 こうして、親神の多年待ち望まれた、かんろだいの石普請は、頓挫に次いで取り払われた。

  それをばななにもしらさるこ共にな
  とりはらハれたこのさねんわな        一七 38
  このざねんなにの事やとをもうかな
  かんろふ大が一のざんねん          一七 58
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

57 名前:基本。 [2011/12/29(木) 00:53:57.20 ID:QnEsPWQn]
>>55
ご指摘の「甘露台の取払い」は、明治十五年。この年の初めから、教祖は、
「合図立合い、/\。」 と、屡々仰せられた。
とあります。
第十七号は、明治15年頃 75首 85歳頃の執筆ですから、それ以前のお筆先に書かれてある「返し」とは、「甘露台取払い」に対する神に残念があってと言う事にはなりません。
すでに、説明したように、「高山」「大社高山」への残念が原因で、天災の返しがある事を告げられていて、明治十四年以前に、しらされてあります。

「一の残念」の「一」、これが示すものが何かという思案が大切です。




58 名前:基本。 [2011/12/29(木) 11:15:38.23 ID:QnEsPWQn]
基本的な数理は、「一つはじまり」です。
「一の道具」というのは、人間の始まりのための道具で「男女一の道具」。
つまり、一の残念とは、「開始、始まりの残念」ということになります。

また、「かんろふ台」ではなく「かんろふ大」ですから、一の残念の対象は、「台」にあるのではなく、「大」にあると思慮されます。
二段で取り払われた。「だんだん」「段々」「段がふたつ」。
「さあさあだんだんの席、返す返すの席をして」の「だんだん」です。
「一つはじまり」「二つたっぷり」「三つ身につく」。
二段で取り払われた、その段数の示すのは、教えが身についていないということです。
そこで、神様が残念といわれているのは、当時の信者のふがいなさだと分かります。



59 名前:基本。 [2011/12/30(金) 12:53:30.38 ID:BhfhTshb]
親神様の十全のご守護の理というのは、人間の元始まりの「男女一の道具」の月読命と国狭土命様の二人の柱の神様。
手の指では、人差し指。一を示すときに立てる指。
人間の成長成育のための「立毛の一の道具」の雲読命様と大戸辺命様のお二人の神様。
手の指では、中指。指の中では一番長い指。
人間の生命の生存そのものの守護の理である、呼吸と生死の道具である尊根命と大食天命様。
手の指では薬指。
この、道具の神が、お役に立ってくれたたと言う事は、やがて神として拝をさせると元の約束がありますから、各々の神を神として拝するのは理です。

天理教では、道に引き寄せられた人材を「道具衆」と呼び、その道具衆の「魂の者」が、神楽をつとめると、そういう説かれ方がされています。
最も神に近い人が道具衆であり、お勤め人衆であると言う言われ方もしますが、ひな型の示す史実は違っています。
それは、道具衆といえど、神の仰せに従わなかった者、一筋心で無くなった者、泥の中にいて泥を食ってしまった者。これらは、役立たずとなっています。

道具衆の魂ともなんとも言われていない、大工の伊蔵、そして、取次ぎ人の増野正兵衛。こう言う方がいるわけで、
魂の因縁というのは、「大食天命さま」の場合なら、「ふぐが、本質」。切る神というのは、月日のお力を得てのものであり、「神」と呼ばれている場合の本質は「月日」。
もともとの道具としての「役」の本質は、泥海の生物に過ぎないわけです。
問題は、月日がお入り込みくださるかどうかです。

おやさまのたすけ一条は、ひな型そのものの示す如く、「一日といって、これはという日は無かった」。
つまり、戦場です。

戦場にいない戦士は、道具として、何の役にもたっていない。
魂がなにであれ、心の据わらない者は、「しょうもない金」とふるいにかけられて、おしまいです。


60 名前:基本。 [2011/12/30(金) 13:22:22.00 ID:BhfhTshb]
>>57
> ご指摘の「甘露台の取払い」は、明治十五年。
この時おやさまは、>>59 しょうもない金  これを吹き分けたと言われています。
そのような者に、造られては、しょうもない甘露台になってしまう。
その者の精神を見澄まされている月日。

一の残念。
甘露台というのは、人間始めかけた証拠。
第17号 9
にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや
そして、かぐらとは、この世始まり。
第16号 3
このもとハかぐらりよにんつとめハな これがしんぢつこのよはしまり

その「はじまり」の、「一」の理に対する、甘露台取り払いは、しょうもない信仰者への、ふるいわけであったと言う事です。

61 名前:基本。 [2011/12/31(土) 01:10:31.01 ID:ZARyT66L]
天理教談話室12で、教義的問題が生じていますので、こちらに投稿します。
日本の大震災は、東北大震災。神戸淡路大震災。関東大震災。
基本は、常々こう語っていました。
初代真柱が中山家に入る   → 43年    関東大震災。
真柱継承者・かぐら初の勤め → 43年    阪神大震災。
三代真柱の真柱職に就任   → 43年    東北大震災。

じつは、125の数理がありまして、この事の、過去の投稿には、当時の基本のレベルゆえの字なさがありまして、正確さに欠けていました。
ここで、訂正し、整理しつつ、神の残念とその返しの問題を、解説続けます。

寛政10年 1798 6月2日、教祖誕生。
125年 (と3月)後 1923年9月1日 関東地震

明治二年二月 1869年陰暦3月新暦(1月19日〜2月○日) おやさま甘露台の予言。 
めつらしいこのよはじめのかんろたい
これがにほんのをさまりとなる 39
125年 (と11月)後 1995年(平成7年)1月17日(火) 阪神・淡路大震災。

明治19年1886年1月おやさま最後のご苦労。
125年 (と2月)後2011年(平成23年)3月11日 東北地方太平洋沖地震(とうほくちほうたいへいようおきじしん)


こういう紛れも無い事実に、目をつぶるのは、濁りの水です。

62 名前:基本。 [2011/12/31(土) 01:25:39.50 ID:ZARyT66L]
この投稿以前の数の数え方を吟味しまして、訂正とします。

おやさまは、おふでさき17号にて、甘露台は一の残念と示されました。
そして、明治18年の最後のご苦労のきっかけとなった、「おつとめしたーい」の心勇講には、

「心勇講は一の筆」というお言葉がありました。

整理しますと、
真柱の真柱職の開始(開始は始まり・一つはじまり)から、43年で、三大、大震災。

この道の、開始で、見ますと
教祖の誕生。(神が表に現れた・肉体としての親神の一つはじまり).
甘露台のこのよはじめの甘露台予言(陽気遊山の道の一つ始まり)
一の筆の(反対攻撃を呼び込むつとめの一つはじまり)
このように、始まりの理に対する「125」であると、分かります。

63 名前:基本。 [2011/12/31(土) 12:35:36.66 ID:ZARyT66L]
明治15年に、大きな掃除がなされています。
それは、このようなものとして、稿本教祖伝には記録されています。
まつゑ出直:
 この少し前から身上勝れなかったまつゑは、教祖お帰りの直後、十一月十日(陰暦九月三十日)、三十二歳を一期として出直した。
 又、この年四月一日以降、飯降おさとの名義になって居た蒸風呂は、悪企みされたのを機に、即日廃業した。
同じく宿屋業も、十一月十四日(陰暦十月四日)頃廃業した。
 教祖は、廃業については、
「親神が、むさくろしいて/\ならんから取り払わした。」
と、仰せられ、又、拘留については、
「連れに来るのも親神なら、呼びに来るのも親神や。ふしから大きいなるのやで。」
と、仰せられ、
・・取払いと同時に、今迄ほこりを重ねて来た人々は皆、身上にお障りを頂いた。
それを見て、人々は、成程、これが合図立合いと、かね/\仰せられて居た事であるなあ、
屋敷の掃除とはこの事か。と、感じ入った。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
十五という数理は、十分理を吹くという数理であり、五つ理を吹くの数理は神の残念立腹の、数理です。
おやさまのお年も、85才、明治15年。
この時のおやさまへの弾圧の開始の前、
お屋敷では、十月二十六日(陰暦九月十五日)のおつとめの際、ふとした機みで、つとめ人衆の一人前川半三郎が、辻とめぎくの琴の上に躓いて倒れ、
山本利三郎は、お供えの餅米を間違えて飯に炊いた。
人々は、何となく、変った事が起らねばよいがなあ、と思って居た
と、あります。
ようするに、前川半三郎さんは、女鳴り物を蹴飛ばし、山本利三郎さんは神へのお供えを人間が食べてしまった。
そういう、男尊女卑と宗教で飯を食うと言う、そういう埃があったよという史実そのものです。



64 名前:基本。 [2011/12/31(土) 13:00:11.02 ID:ZARyT66L]
おふでさき七号には、このようにあります。
 いまゝでハ月日いかほどをもふても
 そばの心にわかりないので 104
> 今迄ほこりを重ねて来た人々は皆、身上にお障りを頂いた。
これは、そばの者の事でもあります。
七号は明治八年、十七号は明治十五年。
七号執筆年においては、小寒さまが出直ししています。
十七号執筆年においては、まつえ様が出直ししています。
このお二人は、
第9号 5
月日よりやしろとなるを二人とも べつまへだてゝをいてもろたら
Tsukihi yori yashiro to naru o futari tomo Betsuma hedatete oite morotara
I desire that the two persons received as shrines by Tsukihi each be given a separate room.
,6 親神がやしろとしてもらい受けている者を一人とも、別間に置いてもろうたならば、
何を願うて来ても、それから先は必ず請け合うて、たすけするから、これから先をしっかり見ていよ。 註 二人ともは、教祖様とこかん様を指して仰せられている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑これは、間違いです。
もらうのは親神・みき様で、二名とは小寒とまつえさん。
そのお二人とも掃除されています。
おやさま、おそばのお二人でした。



65 名前:基本。 [2011/12/31(土) 15:17:55.48 ID:ZARyT66L]
小寒様とまつえ様には、赤衣を用意して、別間隔てて、神の道具として用意がなされた。
しかし、お二人は、神から掃除されています。
その、お二人を掃除に至らしめたものは、なんであったでしょうか。
それは、例えば小寒様に、今風に言えば真柱のような巫女、それも、口寄せをさせようかという神意に対して、
人間は、事実として若き神小寒と、見せられても、小寒様を「かんなぎ・巫」のつかせず、
普通に結婚させようと言う、真にまるで無視のそばの者の姿だった。
それが、原因です。

66 名前:基本。 [2012/01/01(日) 12:42:49.16 ID:yAgpg/tH]
おふでさき七号には、親神の心配が語られています。
月日にハたん/\みへるみちすぢに こわきあふなきみちがあるので 7
月日よりそのみちはやくしらそふと をもてしんバいしているとこそ 8

人間の将来には、怖い危ない道筋がある。それを知らせたい親神様。


67 名前:基本。 [2012/01/01(日) 12:47:05.63 ID:yAgpg/tH]
それは、おやさまのそばの者には、理解されないものでした。
そばなるにいかほど月日たのんでも きゝわけがないなんとさんねん 第9号 41

とのよふな事をゆうにもみな月日 そばなるものハまねをしてみよ 第11号 74

68 名前:基本。 [2012/01/01(日) 16:15:29.76 ID:ShM1TIb1]
小寒様は、おやさまのように月日の言葉を語れる。
しかし側の者は、出来ません。
でも、扇の伺いなどで、真似していた記録は残っていますが、出来ない物はできない。
おやさまの教えの聞き分けが出来ない側の者。それが、女性二人の出直しの原因とは、思いつきもしない側なものでした。



69 名前:基本。 [2012/01/01(日) 17:03:19.15 ID:ShM1TIb1]
この場合、小寒・まつえは責任者、引責出直しと、見れば分かることです。
 月日よりやしろとなるを二人とも べつまへだてゝをいてもろたら 5
なにゆうもそれよりしかとうけよふて たすけするぞやしかとみていよ 6
 このさきハどのよなたすけするのもな うけやうのもとであるから 7
 どのよふな事をゆうてもけさんよふ たしかきゝすみしよちしてくれ 8

70 名前:基本。 [2012/01/01(日) 17:08:46.13 ID:ShM1TIb1]
「中山家の女」の、「巫」(かんなぎ)を承知しなかったのは「側の者」。
たすけ請合う元を、「消した」彼らは、今の山名系にその悪因縁を伝承しています。
小寒が消え、まつえが消えて、「甘露台は一列澄ます」では無くなった。
石造りは、取り払われた。このオカルト、重大なひな型です。




71 名前:基本。 [2012/01/01(日) 17:48:12.02 ID:ShM1TIb1]
「鎮め石」(地震を鎮める石)たる、甘露台はなぜ消えたか。
それは、「社」となる女二人を承知しなかった間違いで、「たすけ請け負う」は無理。
月日より三十八ねんいぜんにて あまくだりたる元のいんねん 七号1
震災の数理、38。に知らされた理から、立教以来、「女」は「認めないという、
宗教高山因縁に、震災の原因があったとオカルトです。



72 名前:基本。 [2012/01/02(月) 11:43:20.87 ID:imlzeOzP]
「鎮め石」とは、お筆先に「これで証拠の大神宮なり」とある、伊勢神宮や高千穂神社にある、地震治めの鎮め石です。
普請の時には地鎮祭をしますが、仏教においての地鎮祭でも鎮石と呼ばれる平らな石を置きます。
関西などの特定の地方によっては伊勢神宮近隣の浜から砂または塩を取り寄せ、四隅に置く場合もあるとのことで、古神道の常識としての地震対策といえます。
伊勢のご神木の土台に水晶は、以前に紹介しました。災害対策でした。
「天理2」「284」「285」参照下さい。
unkar.org/r/psy/1273405833

73 名前:基本。 [2012/01/02(月) 16:43:29.56 ID:imlzeOzP]
明治15年までの取次ぎ人らは、多くの講元は以後「道具は破損中」状態となり、真柱が芯だとお手入れなどで知らされた神明、明神の講元が残る程度になりました。
取次ぎ人、増野正兵衛先生は、その以後の登場です。
「模様替え」と呼ばれた、事情は、明治七年の「中山家の女」の事情を経て、なるべきしてなった事態でした。
「女は道の台」なのに、甘露台の「台」の理を粗末にした姿が、女鳴り物蹴っ飛ばした、山本利三郎さんの心であることは、明白なものです。

74 名前:神も仏も名無しさん [2012/01/02(月) 21:09:10.17 ID:yYKx8fj/]
>73
女鳴り物蹴っ飛ばしたのは前川半三郎さんですよ〜

75 名前:基本。 [2012/01/03(火) 06:11:20.27 ID:mw5Rzee2]
はい。
ご指摘有難うございました。瞬間の間違いでした。
「屋形取り払え」とのご神言により巽の角より瓦をおろしかけた史実の方、おやさまの実家の弟さんですね。
訂正します。

76 名前:基本。 [2012/01/03(火) 06:48:29.39 ID:mw5Rzee2]
お屋敷においての、心の成人の鈍さとは、「側」の濁りとして、諭されてあります。
甘露台の石が取り払われた事情については、教祖伝には、こう記されています。
こうして、親神の多年待ち望まれた、かんろだいの石普請は、頓挫に次いで取り払われた。
  それをばななにもしらさるこ共にな
  とりはらハれたこのさねんわな        一七 38
  このざねんなにの事やとをもうかな
  かんろふ大が一のざんねん          一七 58
このように、親神の意図を悟り得ぬ者により、かんろだいの石を取り払われたのは、子供である一列人間の心の成人が、余りにも鈍く、その胸に、余りにもほこりが積もって居るからである。とて、
  このさきハせかへぢううハとこまでも
  高山にてもたにそこまでも          一七 61
  これからハせかい一れつたん/\と
  むねのそふちをするとをもへよ        一七 62
これから先は、世界中悉く、地位身分の高低に拘らず、次々と、一列人間の胸の掃除をする、と、強く警告して、切に、人々の心の成人を促された。
 これと立て合うて、「いちれつすまして」の歌を教え、一列人間の心のふしんを急込まれた。
 二段迄出来たかんろだいの石が取り払われた後は、小石が積まれてあった。
人々は、綺麗に洗い浄めた小石を持って来ては、積んである石の一つを頂いて戻り、痛む所、悩む所をさすって、数々の珍らしい守護を頂いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
子供である一列人間の心の成人が、余りにも鈍く →それはつまり、取り次ぐ人たちの成人の鈍さです。
「一列人間の心のふしん」を急き込まれる神意は、側の者には、教祖の死のあとの組織維持問題の案じ心の濁りでしかありませんでした。
何も知らざる子供に、教えを取り次がない、取次ぎ人のていたらく。
さんげです。

77 名前:基本。 [2012/01/03(火) 07:27:46.54 ID:mw5Rzee2]
関連で、地震の数理については、おさしづにあります「濃尾地震」に関して、以前の投稿を紹介させて頂きます。
きたろうさんのブログでした。「あったかい」に、おさしづが引用されていて、コメントしました。
blog.goo.ne.jp/atutakai/e/52b94fbec867566d8e486c0353d90c4d
Unknown (基本。)
2011-04-08 03:30:06
特に、初代真柱様の前生にあたる「亀蔵」さんは、出生から43年の数理、出直しから43年の数理とに、きちんと、震災がリンクしています。
これは、初代真柱はご自分の出生の因縁話ですから、当然ご承知だったと、思慮されます。

雛型かんろだい据えかえの儀。から、きちんと43年後に震災。
こんな芸当は、世界をふさめる、富さめる、真柱の理にしか許されないと、思います。

78 名前:基本。 [2012/01/03(火) 07:29:51.40 ID:mw5Rzee2]
引用です。
blog.goo.ne.jp/atutakai/e/52b94fbec867566d8e486c0353d90c4d#comment-list
43の教理。 (基本。)
2011-04-08 03:31:28
toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1278326308/
856 :基本。:2011/03/28(月) 17:44:07.26 ID:89PbMkzB
予言の書としてのおふでさきは、音と文字の二通りにて告げられています。
文字としては、
この神の残念と発生の43年の数理は、以下の15号の和歌に書かれています。

あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 10
いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12

さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 13
857 :基本。:2011/03/28(月) 18:10:26.52 ID:89PbMkzB
紹介しました、15号のおふでさきには、
 10番のお歌で、「明日から働く」とありますね。
 13番のお歌で、「さあ今日は」とありますね。
 これが、何時の事かと言いますと、これが書かれたのは、第十五号 明治13年1月より 90首 83歳
1880年の1月。
 あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 10
 いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
 けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12

つまり、10番と12番までの間に、43年がある。
そして、13番に、「さあけふハ月日のはらがはぢけたで」とありますから、
神は立腹なのだが「控えていた」「ぢいとしていた」1880年の、翌年1881年から一年、二年と数えて、
その43年後が、
 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 13
と、腹がはじける事態となるとの予言です。確認します。




79 名前:基本。 [2012/01/03(火) 07:36:43.56 ID:mw5Rzee2]
引用です。
blog.goo.ne.jp/atutakai/e/52b94fbec867566d8e486c0353d90c4d#comment-list

おさしづの中の刻限とは、これも示している。 (基本。)
2011-04-08 03:44:10
toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1273405833/
>>290
>> 刻限
>> 明治二十年八月二十五日(陰暦七月七日)夜十一時
> 時刻「夜十一時」に、「刻限」の理があります。 子   午後11時〜午前 1時 子の刻、です。
> (陰暦七月七日)は、・・教祖七十七歳の時に、を陰暦にて示していると理解します。
> 教祖77才の時のおふでさきには、「しん」の理がきちんと知らされています。お筆先3号です。
お筆先(予言)→刻限(予言)ですから、最初の教祖77才1874年→13年 の刻限1887年ですから、
・・ この刻限は1987年8月25日。
→4年2ヶ月3日後、4年3月目に、大震災でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
43の数理は、43年と、4年3カ月とで発現しています。
13年とは、4年×3。+3月×3で、12年9月は、13年目ですから、三段重ねかも知れませんね。
いずれにしても、おやさまは、丁寧です。


80 名前:基本。 [2012/01/03(火) 12:08:57.19 ID:bM7bWQQE]
38の数理は、「天理教団2」より、再掲しますと、zulu.jog.buttobi.net/bbs/psy/1130979257.html「172」
> 38の数理は、
> 1885年11月 公認運動の中心に初代真柱が入る。
> 38年後、関東大震災の復興支援。
> 1908年11月 初代真柱が管長の公務開始。
> 38年後、敗戦後の復興支援。
> 1915年11月 二代真柱が天理教の真柱の公務開始。
> 38年後、九州地方風水害に対策本部。慰問使派遣。紀州風水害に慰問使派遣。
> 1967年11月 三代真柱が天理教の真柱に。
> 38年後、スマトラ沖地震復興支援。
> このように、神様は見せてくれております。
> 同様に、
> 1854年12月 初代真柱前生の梶本亀蔵出産。
> 38年後、濃尾平野震災への復興支援。
> これも、神様の見せてくれた事です。

81 名前:基本。 [2012/01/03(火) 12:28:08.46 ID:bM7bWQQE]
立教から三十八年、そこに何がおきたのか、地場定め。
教祖伝本文から、引用しよう。
第九号には、
  月日よりとびでた事をきいたなら
  かんろふだいをばやくだすよふ         九 18
  かんろたいすへるところをしいかりと
  ぢばのところを心づもりを           九 19
  これさいかたしかさだめてをいたなら
  とんな事でもあふなきハない          九 20
とて、世界治めに大切な、かんろだいの据わるべきぢばを、定めて置く事が肝腎である。これさえ定めて置けば、どんな事が起って来ても一寸も心配はない、と教えられた。
 かくて、明治八年六月、かんろだいのぢば定めが行われた。

82 名前:基本。 [2012/01/03(火) 12:43:02.87 ID:bM7bWQQE]
otasuke-tai.net/tenri_oya9.html から、引用します。
明治六年、教祖は本席さんに、かんろだいのひな型の製作を命じられています。
現在の十三段のかんろだいではなく、直径(さしわたし)約三寸、長さ六尺の六角の棒の上下に、直径約一尺二寸、厚さ三寸の六角の板のついたもので、
しばらく倉に納められますが、ぢば定めの後、こかん様の身上お願いづとめに当たり、「ぢば」に据えられ、
以後それまでの御幣にかわる礼拝の目標(めど)にはじめて定められます。

立教以来、三十八年、地場は定まった。それは、道が、八方に開くはずの旬。
しかし、八方に開くほどの霊験は高弟に高慢心を、八柱大戸辺命さまの、お嫌いな高慢心を埃としてみます。
そのターゲットは、中山家の女たちに向けられて、いたと、悟れます。


83 名前:基本。 [2012/01/03(火) 12:47:42.31 ID:bM7bWQQE]
教祖伝より、中山家の内の者の事情は伺えます。
魂のいんねんにより、親神は、こかんを、いつ/\迄も元のやしきに置いて、神一条の任に就かせようと思召されて居た。しかし、人間の目から見れば、一人の女性である。人々が、縁付くようにと勧めたのも、無理はなかった。こかんは、この理と情との間に悩んだ。
 第十一号前半から中頃に亙り、この身上の障りを台として、人間思案に流れる事なく、どこ/\迄も親神の言葉に添い切り、親神に凭れ切って通り抜けよ、と懇々と諭されて居る。
 更に、第十一号後半には、秀司夫妻に対して、
  ことしから七十ねんハふう/\とも
  やまずよハらすくらす事なら         一一 59
  それよりのたのしみなるハあるまいな
  これをまことにたのしゆんでいよ       一一 60

小寒は、周囲が嫁がせようとしています。
月日の代理という、赤衣の小寒とまつえ、その実現を、妨げる周囲の側の者の意図を感じます。

84 名前:基本。 [2012/01/03(火) 13:00:39.97 ID:bM7bWQQE]
小寒と、梶本の縁談を、おやさまは、許さなかったのではない。
梶本は、お屋敷に来なければならない。
小寒がお屋敷出ることを許さなかったという事は、再婚するなら梶本はお屋敷に入らなくてはならないという事。
「とのよふな事をゆうにもみな月日 そばなるものハまねをしてみよ 74」
これは、おやさまからの、側な者へのきつい、一言。お屋敷内に対するお側の無礼へのお叱り以外の何物でもない。



そのうちになかやまうぢとゆうやしき にんけんはじめどふくみへるで70
このどふぐいざなぎいゝといざなみと くにさづちいと月よみとなり 71
月日よりそれをみすましあまくたり なにかよろづをしこむもよふを 72
このところなにをするにもとのよふな 事をするのもみな月日なり 73

とのよふな事をゆうにもみな月日
そばなるものハまねをしてみよ 74

小寒は、出直すしかなかった。側のものは、小寒・まつえはいらなかった。

85 名前:神も仏も名無しさん [2012/01/03(火) 22:31:22.84 ID:W8nI1QXB]
結局地場やしきの神屋敷化は百年間以上も中断していたという事か?

86 名前:基本。 [2012/01/06(金) 14:12:49.26 ID:jisGMXll]
それが、天然でしょう。
人は嫉妬深く、おやさまが親神であるということさえも、側近者も含めた信者自らが、否定する側に回った。
真柱が芯であると言う事も、高弟たちは、認めようとしなかった。
すべて人の嫉妬です。
パワーで、押さえ込むには、人間は未熟すぎて、親神はほんの百日、お待ちになっただけの事でしょう。
「九拾九年たって、皆出直し」、は、人間始まりだしの元の理です。

87 名前:基本。 [2012/01/06(金) 14:27:36.75 ID:jisGMXll]
17号 
いまゝでハなんのみちやらしれなんだ けふからさきハみちがわかるで (17-1)
このみちハどふゆう事にをもうかな かんろふたいのいちじよの事 (17-2)

おふでさきでは、17号になって、「かんろふたいのいちじよ」と、この道について説かれました。
17号以前にも、かんろふたいについては、記されてあります。
8号では、おやさまとの関係について書かれています。

しかときけをなじにんけんなるよふに をもているのハこれハちがうで 72

どのよふな事をふしへてかゝるのも もとなるをやてなくばいかんで 73

いまゝてもなにをふしへてきたるのも みなこのどふりはじめかけたで 74

にんけんをはじめたをやがも一にん どこにあるならたつねいてみよ 75
このよふなしらぬ事をばだん/\と ゆうていれどもこれがまことや 76
にち/\にしらぬ事をやない事を これをしへるが月日たのしみ 77

このよふのにんけんはじめをやなるに 天のあたゑハあるときけども 78

このはなしなにの事やら一寸しれん 月日ぢきもつやろとゆうのや 79
このはなしどふゆう事であろをなら かんろふたいにひらばちをのせ 80

88 名前:基本。 [2012/01/06(金) 14:49:16.00 ID:jisGMXll]
ついこの間まで、おやさまは、おんなじ人間で、月日の社役しただけだと言う、
そういう、教理を信じていた。説いていた。

これは、間違いでした。
これ一つ、百年たって、わかったでしょうか。





89 名前:基本。 [2012/01/06(金) 15:20:10.70 ID:jisGMXll]
「かんろふ」・・ 「ふ」。
「よふき」・・  「ふ」。
「こふき」・・  「ふ」。
「このよふ」・・ 「ふ」。
「しよこふ」・・ 「ふ」。
文字と音では、
「かんろふだい」
「かんろふたい」
「かんろふ大」

残念に関しては、「だい」。濁点、濁りがあります。
いまゝでハしよこためしとゆへあれど かんろふだいもなんの事やら 第3号 108

「かんろふ大」とは、「台ではない」大です。サイズの問題と分かります。
神社などには御神体という、言葉がありますが、「かんろふたい」の「たい」は、御神体そのものですから、「体」との文字が当てられます。
人間は、神の体、すなわち「御神体」ですから、「かんろう」を受け取る「たい」とは人の事でもあるわけです。
「だい」は、ストレートに「台」と文字が当てられます。

そふぢしたところをあるきたちとまり そのところよりかんろふだいを 第8号 83
これは、台です。「たい」ではありません。

90 名前:基本。 [2012/01/06(金) 15:24:18.29 ID:jisGMXll]
明治八年、これからハと、話を開始されたのは、「台」の話です。
 これからハなにのはなしをするならば かんろふだいのはなし一ぢよ 第9号 44
これからハだん/\しかとゆてきかす
かんろふだいのもよふばかりを 第9号 46

このはなしなにをゆうやとをもうなよ かんろふだいのもよふ一ぢよ 第9号 58

91 名前:基本。 [2012/01/06(金) 15:40:49.06 ID:jisGMXll]
明治十五年、お筆先17号の話題は、「たい」と「だい」の話です。
17号 
いまゝでハなんのみちやらしれなんだ けふからさきハみちがわかるで (17-1)
このみちハどふゆう事にをもうかな かんろふたいのいちじよの事 (17-2)
このだいをどふゆう事にをもている これハにほんの一のたからや (17-3)

神様は「かんろふたい」と「甘露台」の二つについて語っておられます。
この道は「かんろふたい一条」であり、この台は、日本の一の柱であると知らされています。

にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや (17-9)
ここには、「台」となっていません。「体」となっています。


92 名前:基本。 [2012/01/06(金) 15:41:34.90 ID:jisGMXll]
そして、

このたいがみなそろいさいしたならば
どんな事をがかなハんでなし (17-10)

皆そろうということは、「台」なら、一個ですから、皆も何もない。
「体」だから、「皆そろう」なのです。そして、それは、世界一列に話題はつながります。

それまでにせかいぢううをとこまでも むねのそふぢをせねばならんで (17-11)
このそふぢとこにへだてハないほとに 月日みハけているとをもゑよ (17-12)
月日にハどんなところにいるものも 心しだいにみなうけとるで (17-13)

世界中の子供が、「かんろふ」を受ける、「たい」になる。
その事こそ、「かんろふたい」の一条の道である、この道。
そこが分からないと、「大が、一の残念」のままです。
地場の屋敷に「たい」がいても仕方ないわけで、世界中に「たい」がいなくては、サイズが違いすぎる事、分からなくては、恥です。


93 名前:基本。 [2012/01/06(金) 15:54:18.04 ID:jisGMXll]
みき姉さんは、数理と言う誰でも数えられるもので、天理の厳密さを明示し、
一年は12月、音階は、白黒鍵盤で一オクターブ12音。四三、十二で、
四十三で、震災の数理。
そして、一日は二十四時間。三八二十四、38年は復興の数理。
お筆先は、かな文字。音と、文字で、判別させて、理を知らす。
遊び心のお姉さんだから、人は、ただの百姓女と、無学な女と誤解する。
誰にもわかるかな文字と、指折り数えられる一二三の数理で、「ふ」「普遍」の真理を諭す。
こんな、姉さん。
大好きになりますよね。
神名は、天理王命。中山みきさまと申し上げます。
同じ人間ではありません。

94 名前:基本。 [2012/01/06(金) 15:56:31.72 ID:jisGMXll]
にんけんをはじめかけたるしよこふに
かんろふたいをすゑてをくぞや (17-9)

このたいがみなそろいさいしたならば
どんな事をがかなハんでなし (17-10)

それまでにせかいぢううをとこまでも
むねのそふぢをせねばならんで (17-11)

このそふぢとこにへだてハないほとに
月日みハけているとをもゑよ (17-12)

月日にハどんなところにいるものも
心しだいにみなうけとるで (17-13)

いまゝでハとんな心でいたるとも
いちやのまにも心いれかゑ (17-14)

しんぢつに心すきやかいれかゑば
それも月日がすぐにうけとる (17-15)

月日にハせかいぢううハみなわが子
かハいいゝばいこれが一ちよ (17-16)

95 名前:ぼちぼち [2012/01/06(金) 18:57:32.74 ID:Dhf5TEyT]
拝見して最初は、大、台、体と分けて考えるのは面白いかも知れないなあと思いました。

それならば、下記のさねん、ざねん、ざんねんの違いもあるのでしょうか?

それをばななにもしらさるこ共にな
とりはらハれたこのさねんわな一七 38
このざねんなにの事やとをもうかな
かんろふ大が一のざんねん一七 58

……………………………

このたいがみなそろいさいしたならば
どんな事をがかなハんでなし 十七 10


取り払われた十三段の石のかんろだいが揃いえば、完成すれば、どんなことも叶うようになる。

順番は違いますが、普通に拝読しますと、こうなります。

大、台、体に対して、さねん、ざねん、ざんねんの違いを教えて下さい。

言葉を追いかけ過ぎますと、どっかおかしくなりませんか?


96 名前:蛇足 [2012/01/06(金) 20:18:16.48 ID:6y7yt6Sm]
過ぎたるは及ばざる?


97 名前:基本。 [2012/01/06(金) 20:53:19.51 ID:aS5U2e3E]
ぼちぼちさんは、楽しい方です。
肩というのは、大戸辺命様の「戸」と、月読命様の「月」の文字の組み合わせです。
五十肩というのは、年齢の数理で言うと、秋です。つまり大戸辺命様の守護の理の季節。
お分かりのように、埃は「高慢」です。
直接の対話ですので、先ず一言、。。。

98 名前:基本。 [2012/01/06(金) 20:58:53.27 ID:aS5U2e3E]
ご質問の内容ですが、
> 取り払われた十三段の石のかんろだいが揃いえば
これは、間違っています。教祖伝には、こう書かれています。
かんろだいの石取払い:
 五月十二日(陰暦三月二十五日)、突然、大阪府警部奈良警察署長上村行業が、数名の警官を率いて出張して、二段迄出来て居たかんろだいの石を取り払うて、これを没収し、更に、教祖の衣類など十四点の物品をも、併せて没収した。


         差押物件目録(註一)
一 石造甘露台                一個
   但二層ニシテ其形六角
    上石径二尺四寸下石径三尺二寸厚サ八寸
一 唐縮緬綿入                一枚
一 唐金巾綿入                一枚
一 唐縮緬袷                 一枚
一 仝単物                  弐枚
一 仝襦袢                  弐枚
一 唐金巾単物                一枚
一 縮緬帯                  一枚
一 寝台                   一個
一 夜具                   一通
   但 金巾ノ更紗大小貮枚
一 敷蒲団 但坐蒲団ヲ云           一枚

この事は、談話室12にも、引用して書いておきました。
あなたは、知らぬことを知ったかぶりして、「取り払われた十三段の石のかんろだいが」と、書いた。

知らぬことを知ったかぶりするのは高慢です。





99 名前:基本。 [2012/01/06(金) 21:08:09.04 ID:aS5U2e3E]
さて、私は、「普通に拝読していない」、教会長でありながら教祖伝での確認もしない、と言う事は、
ほとんど無知な人に、解説しなければならないわけで、わくわくします。

ぼちぼちさんの「質問の趣旨」は、次の@、Aと受け止めました。
@ 「ざねん」と「ざんねん」の違いもあるのかということと、それが「大 台 体」に対しての違いの内容は?
A 言葉を追いかけ過ぎますと、どっかおかしくなりませんか?

先ずAからお答えします。
言葉は、お筆先にきちんと書かれていて逃げません。逃げないので追っかけません。
お言葉は、一言万巻、「根をほれ」と言われているので、一言づつにこだわって、研究するのは、基本の普通なので、それがおかしいといえばまるでおかしい私の研究です。


100 名前:ダソク2号 [2012/01/06(金) 21:27:07.00 ID:6Weyv/wU]
こじつけ考え中 チョッと待ってね

101 名前:基本。 [2012/01/06(金) 21:31:40.24 ID:aS5U2e3E]
「ざねん」と「ざんねん」の相違は、誰が見てもわかるように、「ん」があるかないかです。
二代真柱の英訳で確かめますと、先ずざねんは、このように英訳されています。

My regret 17号25。「ざねん」
After the regret and anger of Tsukihi  第13号 36 「ざねん」。

the regret from the mind of Tsukihi. 第6号 75 「ざんねん」。
the regret in the mind of Tsukihi!  第12号 26 「ざんねん」。
all the mind's regret  第12号 63 「ざんねん」
the greatest regret. 第13号 16 「ざんねん」
the greatest regret 第13号 67 「ざんねん」

さすがに、二代真柱様は、「ざんねん」と「ざねん」の違いをきちんと、英訳で、使い分けています。

102 名前:神も仏も名無しさん [2012/01/06(金) 21:41:54.29 ID:Dhf5TEyT]
>>98
>ご質問の内容ですが、
> 取り払われた十三段の石のかんろだいが揃いえば
これは、間違っています。教祖伝には、こう書かれています…。

それは存じております。アホなもんで、文書表現がまずいだけのことです。
「(完成途中のかんろだい)取り払われた」が、「十三段の石のかんろだいが揃えば…。」と言えば良かったですね。

余談ですが…。

二段のかんろだいは、現在真柱宅の庭にありました。
これは専修科の時に目撃しました。
30年ほど前の話ですが、奈良の誰かさんから買い戻したとか言われてました。


103 名前:基本 [2012/01/06(金) 21:45:52.96 ID:aS5U2e3E]
問題は、ぼちぼちさんの、英語力と、国語力になっています。
基本には、基本的な解説は、直ぐ出来ますが、ぼちぼちさんに、真柱の恐るべき能力を知って欲しくて、
期待して、真柱の英訳で、違いを示すことにしました。
「ざねん」は、ダイレクト、直接月日。
「ざんねん」は、幾つも幾種類もある。一番のとか二番のとか、そういうざんねんのレベルの違いがある。
月日の心からfromの残念もある。
月日の心の in the mind of の残念もある。
the greatest regret.もある。
つまり、「ざんねん」には「ん」がある。「ん」の本字は「无」であり、意味は「無」。
「ん」=「无」=無がつけば消せるもの、そう簡単に消せないものは「ざねん」。
そのように二代真柱は、英訳時に使い分けておられる。

恐るべしは、巫女・真柱である。


104 名前:ぼちぼち [2012/01/06(金) 21:48:12.81 ID:Dhf5TEyT]
あんまり優秀ではありませんが、教祖100年祭当時、専修科で学んでいました。

それこそ蛇足ですが…。
野良さんのちょっと先輩になります。


105 名前:基本 [2012/01/06(金) 21:52:34.51 ID:aS5U2e3E]
>>102
甘露台の石を、警察から戻したのは、競艇の創始者・笹川さんです。
カチカチ用心の、CMしていた、爺さんです。

> 、「十三段の石のかんろだいが揃えば…。」と言えば良かったですね。
では、13段の石の甘露台が揃えば、という日本語、変だと思いませんか。
13段は、積み上げるもので、一段二段と、積まれた。
十三段なら、石が積まれたらとなります。

今から仕事で、カラオケ教えますので、「揃える」とは、「台か体か」、
言葉としての自然、不自然、よくよくご思案下さい。

106 名前:ぼちぼち [2012/01/06(金) 22:00:20.73 ID:Dhf5TEyT]
>>103
ありがとうございます。

日本語は聞き取れるレベルですが、英語はサッパリ解りません。
が、訳し方に違いがあることは解りました。

また、屁理屈に挑んでみます。


107 名前:神も仏も名無しさん [2012/01/06(金) 22:32:44.22 ID:jebd5yHj]
英訳したのは真柱ですか?井上昭夫さんでは?

108 名前:神も仏も名無しさん [2012/01/06(金) 23:21:23.74 ID:F5MZ7tTl]
井上昭夫が巫女なん?



109 名前:ぼちぼち [2012/01/06(金) 23:47:31.93 ID:Dhf5TEyT]
>>107
それはそれで善いんじゃない?
まあ…その…あれや。

井上昭夫さんを見込んで仕込まれたのが二代さんなんやから。

「さねん」「ざねん」「ざんねん」を直訳したのではなく、全体の流れから訳されたとは思うけどね。

気になったのは good better best みたいになってるのかな?ってことやけど、英訳羅列されても解らんわ…。

それと、英訳したおふでさきをもう一度和訳したらどうなるんかも気になります。
おふでさきの内容とは違ってたりして…。

アホは神の望みとか申しますが、こんなアホはあかんみたいやね(笑)

110 名前:基本 [2012/01/07(土) 00:48:53.96 ID:fsb6PJbm]
ぼちぼちさんらしい反応ですね。
> 英訳したおふでさきをもう一度和訳したらどうなるんかも気になります。おふでさきの内容とは違ってたりして…。
道友社では、参考書として、
「おふでさき 英訳・研究」(井上昭夫、マッシュー・アイナン 著)を売っているようですよ。
こんな感想もありました。blog.goo.ne.jp/goo19481214_2008/e/40694749382fe146124f173364bc80b4
『おふでさきを日本語だけで読むと、結構難しいのです。ですが、少し英語がわかったこともあって、私が参考にした「おふでさき 英訳・研究」(井上昭夫、マッシュー・アイナン 著)のおかげで、この難解と思われた「おふでさき」が読めたのです。
その時の感激が私のこのblog を書かせました。書き始めたのが昨年の1月ですから、ちょうど約1年と10月位の時間が経ちました。』

> アホは神の望みとか申しますが、こんなアホはあかんみたいやね(笑)
いいえ、良いんじゃないですか。人が好けば神も好くのですから。
だって、ぼちぼちさんは、突っ込んでくれるから、書かないことまで書けるわけで、ありがたい事です。
基本にすれば、こんなこと書いても分からないだろうなと、余分には書かないわけで、
それを、書けば、皆が読むわけで、突っ込んだぼちぼちさんには、分からなくても、中には分かる人も、大勢いるわけで、

「たい」を揃えるには、一列を澄まして行くしかない。「一列澄まして甘露体」という人間になるのは、必要なことは、胸の掃除であり、親神様を信じることと言う、当たり前が、きちんと位置づけられるわけです。
今までは、十三段の石を積んでくれない、真柱に、作業開始は何時なんだと文句たらたら。
これからは、一列を澄ますために、自分が、悪しき払いをする事の、自己責任に目覚める人が、ゼロではなくなる、
良い事です。


111 名前:基本 [2012/01/07(土) 01:30:54.49 ID:fsb6PJbm]
ぼちぼちさんへ。「たい」「だい」の濁点の関連ですが、
たてぬいの先生は教義学の先生です。TATENUI にて、例を示し基本的理解の根拠とします。
第3号 7
これからハ水にたとゑてはなしするすむとにごりでさとりとるなり

From now on, I shall speak in the metaphor of water. Be enlightened by the words “clear” and “muddy.”

これからは水を例にとって教えを説き諭しするが、水が澄んであるとは、人々の心にほこりが無くて奇麗な事であり、濁ってあるとは、人々の心にほこりが積もっている事であるから、それによって各々に悟るがよい。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「すむとにごりでさとりとるなり」この事は、山名系教義では、
「人々の心にほこりが積もっている事であるから、それによって各々に悟るがよい。」と訳しています。
つまり、「すむとにごりで」は、心の埃の事と山名系の理解ですが、大間違いです。
それを、きちんとご理解くださるよう説明します。
(続きます)

112 名前:基本 [2012/01/07(土) 02:04:09.09 ID:fsb6PJbm]
「すむとにごりでさとりとるなり」の英文です。
Be enlightened by the words “clear” and “muddy.”

ネット上の翻訳を利用します。
Be enlightened 翻訳→啓発される。(.google) 
Be enlightened 翻訳→教化されてください。(yahoo.)
Be enlightened 翻訳→啓発されてください。@nifty翻訳
 ↓
つまり、悟りとるなりとは、「啓発される」「教化される」行為と言うことです。

by the words  翻訳→言葉で(.google)
by the words  翻訳→語によって(yahoo.)
by the words  翻訳→その単語で@nifty翻訳

by the words “clear” and “muddy.”"クリア"と"濁った。(.google)
by the words “clear” and “muddy.”「すっきりさせて」、「泥で汚してください」。(yahoo.)
by the words “clear” and “muddy.”「クリアしてください」と「泥だらけになってください。」@nifty翻訳
Be enlightened by the words “clear” and “muddy.”「オフ」と「泥だらけ」「(bing)
//////////////////////////////////////

by the words つまり、語によってとはありますが、心の埃とか書いてない。出てきていません。

113 名前:基本 [2012/01/07(土) 02:11:33.81 ID:fsb6PJbm]
以前に、おふでさきの読み方の基本として、「澄む」と「濁る」は、書いてあります。
「濁点があると濁る」→「だい」 「濁点なしは澄んでいる」→「たい」
こう言うように、言語という記号を用いてある、「澄む」と「濁る」で、悟りとってくれと、
お筆先には書いてあって、二代真柱は、「口でも言わん筆先の責め」ですから、全く解説しないで、英文の筆先公刊されています。

「ご神体」の「たい」は、澄んであるもの。
土に立てられる「甘露台」は、土がついていて汚れがあるもので、「だい」。
それを、悟りつつ読むのが、お筆先に知らされた基本です。

114 名前:基本 [2012/01/07(土) 02:31:10.54 ID:fsb6PJbm]
これを、応用した場合のお筆先解釈の実例を、紹介、引用します。
天理教を語る!!4
bbs.thebbs.jp/religion/1163859118/251[248] 基本。 2006/12/07 09:08
[251] 基本。 2006/12/07 16:03
> 明治2年に、教祖はお筆先一号を書かれて、知らされた。
> このたびハはやくてをどりはじめかけ これがあいずのふしきなるそや 一号15
> このあいずふしぎとゆうてみへてない そのひきたればたしかハかるぞ 一号16
> そのひきてなにかハかりがついたなら いかなものてもみながかんしん 一号17
> みへてから説いてかかるハせかいなみ みへんさきからといてをくそや 一号18
> このさきハ上たる心たんたんと 心しづめてハぶくなるよふ 一号19
> このハほくむつかしよふにあるけれと だんだん神がしゆこするなり 一号20
>
> このよふハりいでせめたるせかいなり なにかよろづを歌のりでせめ 一号21

昭和3年当時の解釈は、>>250 明治政府よりのもので勤皇思想まじりでした。

それでは、「書き文字であるおふでさき」の、一語一語に留意して、澄むと濁るを思案して、
ひながたに明示された、明治政府の「王政復古」とは、「祭政一致」の提唱であり、皇上への人民総奴隷化計画とも言える「大教の詔」こそ、維新の目指したものであった事実を踏まえて、一号の15から20の解釈の基本を述べてみる。
(引用続きます)

115 名前:基本 [2012/01/07(土) 02:33:11.33 ID:fsb6PJbm]
(引用続きです)
『このたび、慶応3年にお払いさんが降るとの情報戦略の行われた、人為工作による「偽世直し」のあった、この時に、親神は十二下りを教えはじめる。
 明治3年には「よろづよ八首」を序として加えて、てをどりをきちんと教えるので、この重大な旬に、よろづよと十二下りの、つとめ、手踊りを急いで開始するようにせよ。』
『慶応3年のお払いさんが降るという事情に対して、てをどりの勤めを開始するのは、これが合図となって、「節が来る」、と言う不思議となる。』

『このてをどりの開始の事は、てをどりにて病人が助かる、おつとめの不思議な事を、「不思議だ、不思議だ」と言って、「節が来ると言う事が」見えていない。』
『大きな節が来て、明治政府の立役者たち、上の者の実態が見えたときに、確かに分かるのである。』

『お筆先に知らされた、「早く手踊り始めかけ」と言う合図の予言が、その日が来て、ああ、この事を予言していたのか、と分かる時には、皆が感心するであろう。』

『この先、将来は、上たる心はだんだんと、心の乱れを鎮めて、悪事の元を省いて、和睦が出来るように、』

『この高山の上のものの和睦は、難しいような状態にあるが、だんだん、神が守護する。』

このよふハりいでせめたるせかいなりなにかよろづを歌のりでせめ 一号21

このように、解釈されます。

明治維新の当時に、教祖は、慶応3年には、高山の情報操作を、「念がいったら肉が下る」と言われていました。

身の内にての、「肉」→「にく」、とは、世界にての、「くに」→「国」という理の事。
情報操作も念が入ったら、肉が下るとは、つまり、国が下る、「敗戦」と言う事を、予言されていました。
///////////////////////////////


116 名前:基本 [2012/01/07(土) 02:45:59.70 ID:fsb6PJbm]
(引用の続き)
明治維新の当時に、教祖は、慶応3年には、高山の情報操作を、「念がいったら肉が下る」と言われていました。

身の内にての、「肉」→「にく」、とは、世界にての、「くに」→「国」という理の事。
情報操作も念が入ったら、肉が下るとは、つまり、国が下る、「敗戦」と言う事を、予言されていました。

このおふでさきの執筆された明治2年には、
明治2年に、教祖は38日間の断食をしています。

明治2年の、38年後、明治41年に天理教は一派独立しました。
明治41年の、38年を経て、昭和20年に天理教は、終戦奉告祭をしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
終戦奉告祭 つまり敗戦です。国が下った。
おやさまの数理は、ここでも予言として、38年、38日の断食と理は一つに、予言が実現していますが、
澄むと濁るで悟らないと、きちんとおふでさきは、読めるものでは無いと思います。

117 名前:基本 [2012/01/07(土) 09:00:20.32 ID:fsb6PJbm]
38年以前にて立教した。
しかし、その親神の教えは、内からしても疑うばかりであった。
それが、38年の数理です。
大震災、敗戦。これらは、おやさまによって予言されていながら、天理教の内側の人間の誰一人も、真剣に教えの根を掘ってこなかったと言う事です。

ただ、真柱のみは、その意味、数理を承知していた。
そして、二代真柱は、英訳お筆先ではなく、「英文おふでさき」を公刊されて、世界の人に、正しい教えを伝え残されています。
二代真柱は、海外、世界の人々に正しくお筆先を伝えなければならないと、そう、周辺には常々に語られていた。
その言葉通りに、正しいお筆先の意味を書くと、
>>111
第3号 7
これからハ水にたとゑてはなしするすむとにごりでさとりとるなり
は、「語句の清音」「語句の濁音」で、悟るようにという、「英文になる」。
真柱の能力を、理解できない山名系の学者、天理教おやさと研究所の学者では、何も分からないのです。

そこを、きちんと分かって、山名系の学者の洗脳を解かねば、ガラパゴスの化石教理です。


118 名前:基本 [2012/01/07(土) 09:07:01.49 ID:fsb6PJbm]
89 :基本。:2012/01/06(金) 15:20:10.70 ID:jisGMXll
「かんろふ」・・ 「ふ」。 「よふき」・・  「ふ」。 「こふき」・・  「ふ」。 「このよふ」・・ 「ふ」。 「しよこふ」・・ 「ふ」。
文字と音では、 「かんろふだい」 「かんろふたい」 「かんろふ大」

これに関しては、過去の投稿も、参照下さい。ザ掲示板・天理教4bbs.thebbs.jp/religion/1163859118/
[32] アルテミス 2006/11/19 12:02
『このよふのはじまり』と『このよふの元はじまり』とは違うととらえていいのでしょうか?
『このよふ』は苺のショートケーキのどこを食べても、形や割合は違うけど苺のショートケーキと認識するように、いつでも『このよふ』ということなんでしょうけれども。
『はじまり』と『元はじまり』とは、なんて言うか、理は同じ、理は一つだけれど、時間的な差はあるのでしょうか?

[36] 基本。 2006/11/19 12:59
アルテミスさん。お久しぶりです。
>>32
「ふ」、この文字と「Fu」の音。
それが、とても深い意味を持っているのではないかと、いつも思案しています。
「ふうふう」「なむなむ」

「よふき」の、ここにも「ふ」があります。
「ようき」とは、どう違うのか。
「ふ」なら、風の神と云う、理に直結しています。

「てふてふ」と書いて「ちょうちょう」と読むのが、文語です。
文語の「ふ」は口語の「う」だと、それは、普通の国語ですが、おふでさきでは、きちんと使い分けられています。
話は、予断しますが、子供向けの物理学のサイトを紹介して、馬鹿にしてると叱られた事が在ります。
あそこに、三原色のはなしがあって、素粒子の三原色の。
そこに、「白」が出てきます。
つまり、「ふ」が出来る瞬間を説明してくれています。
3×3なのに、=9にならないで、8になると云うのです。
それは、「しろ」が出来ると言う事、無色と言う事ですか、・・
覗いて見ておいて下さい。
(引用続きます)



119 名前:基本 [2012/01/07(土) 09:12:24.65 ID:fsb6PJbm]
本題に戻りますと、
> 『このよふのはじまり』と『このよふの元はじまり』とは違うととらえていいのでしょうか?
と、云う事ですが、おふでさきには、複数の表記がありますよね。

「もとはじまり」と「このよふのはぢまりだし」の、「じ」と「ぢ」の相違については、過去に申し上げた事がありますが、
「始まり」と「初まり」、つまり、開始はサ行、初は、タ行。
この意味が相違します。

「このよふのはぢまりだしハとろのうみ そのなかよりもどちよばかりや」 4豪122
このおうたの場合には、どろうみからの初まりですから、「ぢ」、なのですが、・・・
実は、
「このよふを初めた」は、なぜ「はぢめた」ではないのか、思案中です。
それは、一二三、の理ではないかと、思案しています。
もう少し、精査します。

> 『このよふのはじまり』と『このよふの元はじまり』とは違うととらえていいのでしょうか?
基本的には、違うものととらえています。
一つは傍陽気さんが言われているように、自分自身と云う個々の人間においての、元始まりがあるからです。

たぶん、古い順に並べると、三者の関係は、
元はぢまり → 元はじまり→ はじまり。
この様になると思います。
/////////////////////////////////////////////
こういう、お筆先の理解の仕方は、私は、二代真柱様に手本をみて、そのように読ませて頂いています。
能力者の真柱様には、象とアリ以上の差がありますので、到底及びませんが、おふでさきは平かな、私の程度でも、ある程度までは、掘ることもできますので、少しづつ、深めて行っています。

120 名前:基本 [2012/01/07(土) 09:15:24.75 ID:fsb6PJbm]
ぼちぼちさん。
井上先生では、何も分からないのです。
その前提で、学ばれたら、すべてが参考書になると思います。

121 名前:基本 [2012/01/07(土) 09:43:00.15 ID:fsb6PJbm]
天理教を語る4を見て思いましたが、基本て、嫌な奴ですね。
折角、アルテミスさんが質問してるのに、あれ、無視してね、無視してるんですよ。
[41] アルテミス 2006/11/19 13:59
・・『はじまり』『はぢまり』『はしまり』ですか。
おふでさきでは、『はじまり』が先に出てきますね。『そふじ』『そふぢ』も『じ』が先ですね。
『しんぢつ』『しんじつ』『しんしつ』は『ぢ』が先ですね。
『元』も『もと』もありますね。
『元はじまり』において、
月→日 相談

相談しまりついたり

ぢとてんとをかたどりて
しまりついたから『はじまり』なのかと思ったりしてました。

そして『このもとハかぐらりよにんつとめハな これがしんぢつこのよはしまり』
[42] アルテミス 2006/11/19 14:03
最後は『はしまり』ですがこれは、『いちれつすましてかんろだい』
澄ましてなので、『はしまり』
なのかなあと?
[44] アルテミス 2006/11/19 14:40
最後は『はしまり』ですがこれは、『いちれつすましてかんろだい』
澄ましてなので、『はしまり』
なのかなあと?
[45] 基本。 2006/11/19 14:43
>>44
澄むと濁るで悟りとると言う事は、そのようなものだと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

122 名前:基本 [2012/01/07(土) 09:44:09.51 ID:fsb6PJbm]
そっけないでしょう。
アルテミスさん、もし読んでたら、ごめんね。
今回のぼちぼちさんへの回答が、ご質問への回答を含んでいます。お分かりですよね。
「澄まして」「たい」→「はしまり」。
ですよね。

さて、昭和50年5月24日 ひながた甘露台据えかえの儀。立教138年です。
その西暦1975年を1と数えて、38年は、2012年。今年です。

おやさまが、お風呂を出てひょろめかれた、「世界のよろめき、世界のひな型」といわれたのは明治20年1月1日。(陰暦12月8日).
明治20年から起算すると、1887年を1として、125年は、2012年今年です。

そして、二代真柱が、英文の筆先の教えを、英語で、世界宗教者会議にて、お話したのは、昭和45年10月16日。
その年、西暦1970年を1として、数えると43年は、2012年、今年。

みなが、真柱を馬鹿にして、「インポ」だとか、「不能」だとか。
教えを、功績を、能力を、役に立てていないのは、全天理教幹部と教会長。

TATENUIの先生は、世に示して下さっているだけでも、すばらしい。
ありがたさに涙が出ます。芯を見失っては、心の闇路です。


123 名前:神も仏も名無しさん [2012/01/07(土) 10:32:42.10 ID:CNTwrDRK]
□町の芯は初代の豊松さんでしょうね。?

124 名前:神も仏も名無しさん [2012/01/07(土) 14:56:41.27 ID:yaCuAFNW]
地場やしきを神屋敷化する為の教祖のご苦労だったはずが、今では宗教を利用して弱いものイジメの不動産取得業に成り下がった訳だ。
お徳ある現四代真柱を中心にして、1から出直すには、教祖や本席様やこかん様のような方々をお招きし、お住まい頂くしか、
神屋敷化はありえない訳だが。




125 名前:神も仏も名無しさん [2012/01/07(土) 16:03:54.56 ID:CNTwrDRK]
グローバルとローカルが共に栄えて行くの良いので、中心部だけが栄えるのには疑問が残る気がします。
地方(枝先も入れて)が栄えての本部だと思うのだが?

126 名前:ダソク2号 mailto:sage [2012/01/07(土) 16:17:59.57 ID:tla/lEFi]
>>124
>教祖や本席様やこかん様のような方々をお招きし・・・・

天啓者待望論か 
異端工作お疲れな 
てかおまえ神屋敷化、神屋敷化ってウザ杉www

127 名前:基本 [2012/01/08(日) 05:38:07.58 ID:Fbt7vK0f]
地場は、独り立ちしてある。と、言われています。
つまり、神屋敷に既になって、百年は経過していると言う事です。
> 地場やしきを神屋敷化する為の教祖のご苦労だったはず
そんなはずは無いのです。教祖の苦労は、人間子供の、「神の子」として成人を促されてです。

先ず、自分が、神の子だと言う自覚から、開始したらどうでしょうか。


128 名前:普通の天理教徒 [2012/01/08(日) 05:53:25.57 ID:Fbt7vK0f]
基本さん。「たい」は「ご神体」の体という解説は、分かりましたが、tatennuiさんで、確認しますと、
第17号 10
このたいがみなそろいさいしたならば どんな事をがかなハんでなし
If only this Stand comes to completion, there will be nothing that cannot be realized.

,11 このかんろだいが親神の教通り建て上ったならば、親神の理想通り自由自在の陽気づくめの世界が来るのであるから、
それまでに、どこどこまでも世界中の人の心を掃除せねばならぬ。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「このたいがみなそろいしたならば→」If only this Stand comes to completion, と、なってますよ。
このたいと言うのは、only this Stand と英文ですから、「たい」は「ご神体の体」は、1個だけで、地場の甘露台と、真柱様は、示されているんじゃないですか?



129 名前:普通の天理教徒 [2012/01/08(日) 06:17:08.90 ID:Fbt7vK0f]
つまり、基本さんは、「みなそろい」と書かれてあるので、揃うと言う事は一つじゃない、だから、これは「台」ではなく、「体・人体」の事だと、解説しましたが、
only が、そして、this が、単数を意味しているのだから、英文では「たい」は、清音表記ですから「清らかな台」「ご神体としての甘露台」と、それを示していることになると、思うのですが、
それは、どうなんでしょう。
お尋ねします?

130 名前:基本。 [2012/01/08(日) 06:34:05.30 ID:Fbt7vK0f]
普通の天理教徒さん。お久しぶりです。あなたが来てくれないと話が深まらなくて、あなたには重宝しています。
山名系の解説では、「このかんろだいが親神の教通り建て上ったならば」となっていますが、
「これは、台が13段に揃いしたら」と、解釈しているわけですね。
ところが、英文では、
If only this Stand comes to completion
つまり、13段という複数が、揃うともなっていないわけです。
「研究社 新英和辞典」では、comes to は、どういう説明かといいますと  ejje.weblio.jp/content/come+to
(1) 意識を回復する, 正気づく.
(2) 【航海, 海語】 船を風上に向ける.
日本語WordNet(英和)では、comes to は、
1意識がもどる、正気づく、我に返る
(return to consciousness)
The patient came to quickly 患者はすばやく意識を取り戻した
2突然体験するようにする

(cause to experience suddenly)
A thought came to me 私に、考えが浮かんだ
3達する
(attain)
4関連している
(be relevant to)
こんな風になっています。ご確認頂けますよね、普通の天理教徒さん。

131 名前:基本。 [2012/01/08(日) 06:42:47.57 ID:Fbt7vK0f]
completion これも、確かめましょうか。

「研究社 新英和辞典」では、【名詞】【不可算名詞】
完成,完了; 修了,卒業; 満了,満期.
JST科学技術用語日英対訳辞書では、
履修; 落成; 修了; 完了; 完工; 竣功; 完成; 成就; 全通; 完; 竣工; しゅん功

すると、comes to completion
これは、「台が完成する」と、そういう意味だと、示されていることになります。
でも、日本語おふでさきには、「みなそろい」とあるのです。
英文お筆先と、かな文字お筆先は、果たして不一致なのでしょうか。
いえいえ、能力者の真柱です。そんな次元をはるかに超えているのです。

132 名前:神も仏も名無しさん [2012/01/08(日) 13:04:03.57 ID:9ZsMTU76]
体も台も簡単な漢字なんだから解釈に誤解を招くようなら最初から漢字でかくやろ。
神と上みたいにな。


133 名前:基本。 [2012/01/08(日) 15:06:54.88 ID:emU9nArG]
>>132
> 解釈に誤解を招くようなら最初から漢字でかくやろ
解釈に人の悟りの範囲があるように、意味が単純に分からないように、そういう構造が用いられています。
おやさまは「判じ物」がお好きだった。
普通に言う、パズル・なぞなぞの類ですね。
その意味は、お筆先が、「わかる人にしかわからないように」という、心しだいの理の書物であるからです。

お筆先には「根を掘る模様、何でして出ん」とありますが、表面に見えていない、表面ではわからない、地下に根がある。
それを掘り出すようにと言うことで、言葉のなぞ、言葉の奥、その奥の奥を掘り起こさないと理解は、薄い山名系の上っ面の教義になります。
「秘伝」「家伝」を教えようと言うのですから、誤解のわなは、しっかりしかけられています。

はや/\としやんしてみてせきこめよ ねへほるもよふなんでしてでん
第5号 64

第5号 85
このよふのもとはじまりのねをほらそ
ちからあるならほりきりてみよ
Kono yo no moto hajimari no ne o horaso
Chikara aru nara horikirite miyo
I shall let you dig up the root of this world's origin. If you have the strength, do your best to dig it up.
この世の元初まりの根本を了解させよう。力の限りやってみるがよい。

134 名前:基本。 [2012/01/08(日) 15:35:01.11 ID:emU9nArG]
おふでさきは、「理」の書物ですから、「論理学・理科・数学」で言うところの、「用語の定義・語句の用法の定義」をきちんと示して、その意味で誤解はきちんと排除しています。
それは、お指図でも、同様です。
人間の歴史では「音」が先にありました。生まれた赤子は、「音」であり文字ではなく、言語を習得します。
つまり、「ローマ字お筆先」は、音です。音としてのお筆先の読み方の記録ですから、
これが、「定義の基準」になるのは、人類史の普通です。
第3号 108 では、甘露台と音は示しています。
いまゝでハしよこためしとゆへあれど かんろふだいもなんの事やら
Imamade wa shoko tameshi to yue aredo 「Kanrodai」 mo nanno koto yara
第17号 58 でも、
このざねんなにの事やとをもうかな かんろふ大が一のざんねん
Kono zanen nanino koto ya to omou kana 「Kanrodai」 ga ichi no zannen

このように、「Kanrodai」と音で聞いて「甘露台」と理解するのは、可愛い赤ちゃんの時代には、あって当然のことで、
定義として、甘露台とはぢばに立つ、甘露を受ける台と言うことです。

それならば、どうしておやさまは、それを文字にするとき、表記を変えたかです。
すでに3号7について書きましたが、「澄む」「濁る」の「語句の表記の清濁」で、悟れと言う、真意がある。

From now on, I shall speak in the metaphor of water. Be enlightened by the words “clear” and “muddy.”
そういう解釈は、かな文字お筆先本では、土に埋められている。
かな文字お筆先の「注釈」は、当時の史実伝承の記録と、当時の高弟たちの悟り違いの記録です。

判じ物を根を掘るには、力が要ります。と筆先はみき姉の力自慢です。
立ち向かう勇気、赤子のレベルでは、力が足りません。


135 名前:基本。 [2012/01/08(日) 15:50:50.43 ID:emU9nArG]
「かんろふたい」「かんろふだい」「かんろふ大」。
例えば、「大」の用法です。おふでさきでは、これが「初出」。基準となる用法です。
第1号 71 これからハせかいの人ハをかしがる なんぼハろてもこれが大一
「it is of prime importance.」これが「大一」。

英和和英辞典では、こんな用例があります。 ejje.weblio.jp/content/of+prime+importance.
「of prime importance.」を含む例文の一部を表示しています
It's of prime importance.
それが最も重要だ. - 研究社 新英和中辞典
Safety is a matter of Prime importance.
安全が最も重要な事である。 - Tanaka Corpus
That's a matter of prime importance.
それは最も重要な問題だ。 - Tanaka Corpus
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二代真柱の、解釈は、「大」は、「重大」の大と解釈であったと理解されます。

17号の「かんろふ大が一のざんねん 」とは、甘露台の「重大性を理解していない事への残念」と、「大の定義」から理解できます。




136 名前:神も仏も名無しさん [2012/01/08(日) 20:48:28.93 ID:DV03K8Iy]
甘露台の勤めというのは超健康人間の雛形を表現しているんじゃないか?
一連の戦争は、西欧列強の植民地支配に対して、世界に自立の尊さと共に、支配欲の増長の残酷さをも教えた。
日本人は自立心を養い、支配欲を払拭する事に美徳を感じる稀に見る民族だが、その中心に元の理健康文明の中心地たる地場やしきがあるのを知る人はいなかったんだろう。
地場やしきの浮上は、個々の日本人に魂の結晶化を促しているのではないか?その行く手にある超常現象までは知らないが、天理の祈りも人間の健康や国家の安寧や世界平和に見えない形で貢献しているのかも知れないとは想像するが。



137 名前:基本。 [2012/01/08(日) 23:56:25.58 ID:Fbt7vK0f]
>>136
> 「その行く手にある超常現象」
というのは、一番重大な問題です。
それは、「不思議」と言う事で、不思議は神と、教えられています。
> 「超健康人間」
これは、病まず死なずに、弱り無きように、という、お筆先に知らされた理を、悟られたと思いますが、
「身上手入れや、神の返し」は、そこに無くなるわけではありません。
この事、考え違いしていませんか。
高熱や、手足の不自由や痛み、不眠やノイローゼが、無くなる事は無い。
逆に、神と人との交流が盛んになっていますから、お手入れはより厳しく、神の残念は、より残酷に返されるものです。

甘露台信仰者の誤解は、定番になっていて、それは「お勤めが完成すると不老長寿に無病息災」だと、言うのです。
お勤めしてれば東大に合格するとか、五輪の金メダルはお勤めの完成で頂けると言う様なもので、無理。天理に反します。
神楽勤めが完成したって、人間は「股の間」から生まれるし、性行為しないと生まれないし、
勉強しないとさせないと、知恵の仕込み出来ないし、文字の仕込み出来ないし、心は「成人・人に成る」しないし、
だから、学校もいるし、図書館もいるし、病院だって、無いと、困るでしょ。

つまり、今より、神のお手入れが厳しくなるだけで、
今までは「知らんのやから」で、許されたものが、びしびし、厳しくなるだけで、そんな、残酷な未来に期待するより、
今の中で、陽気に暮らす事です。

138 名前:基本。 [2012/01/09(月) 00:10:50.56 ID:clQmYKJd]
>>136
基本の書き込みと貴殿の書き込みを隣から覗き込んでた人が、言いました。
お勤めで祈るなら、他人の無病息災で、自分の無病息災じゃ無いでしょう!
雨乞いの為に、「人身御供」で生き埋めになって祈った坊さんの事、知らないんでしょ。
全く、自分の事ばっかり、考えて、天理教って、こんな人ばっかりか!!



139 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2012/01/10(火) 08:55:12.36 ID:cCaKypLf]
「から・にほん、とふぢん・とふじん」関連の質問です。
確か基本。さんは、ひながたの史実から「とふぢん」とはアメリカ人というような解説をされていたと思うんですが、

shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/499
>つまり、ひながたの史実においては、「ユダヤ」ではなく「アメリカ」が、「とふじん」でした。
shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/500
shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/501

それだと、おふでさき第2号31のお歌がどうも引っかかると感じるのです。
まず、ご存知のように、おふでさき第2号は明治2年(1869年)からの執筆です。
そして、ウィキペディアによると、ペリーの乗った黒船来航は嘉永6年(1853年)で、それ以前には、寛政3年(1791年)に初めてアメリカ人が
訪れたとあります。(訪れた時の意図は違うでしょうが、まあとりあえず。)

となると、おふでさき第2号執筆当時のお屋敷や周辺の人の中には、黒船来航を知っていた人がいてもおかしくはないと思うのです。
そして、おふでさき第2号31のお歌「これからハからとにほんのはなしする なにをゆうともハかりあるまい」
なにをゆうともハかりあるまい・・・これはなにがハかりあるまいなのでしょうか?




140 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2012/01/10(火) 21:26:30.59 ID:78zGuWHr]
ついに明日から、世界の大掃除か・・・・






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