- 1 名前:1の代理 mailto:sage [2007/05/09(水) 22:37:26 ID:dQd+G39R]
- 高橋信次とGLAを語るスレは多々あれど、その殆どが批判スレッドに終始する。だから今回は、
高橋信次氏を肯定するスレッドとします。 高橋信次とその教えが大好きという方、皆様語り合いませんか?高橋信次関連の肯定レスでしたら、 何でもOKです。ただし、高橋信次氏からあんまり 逸脱するのは止めてください。あくまでも高橋信次氏の教えを語り合うスレという事で。。。 (過去スレ) 高橋信次肯定スレ makimo.to/2ch/life7_psy/1124/1124820998.html 高橋信次肯定スレPART2 makimo.to/2ch/life7_psy/1129/1129075137.html 高橋信次肯定スレPART3 makimo.to/2ch/life7_psy/1145/1145176962.html 高橋信次肯定スレPART4 life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1162903729/
- 201 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:sage破壊カルト創価とGLA狂信者は自ら撒いた悪の種で裁かれる [2007/06/27(水) 01:17:23 ID:dg4zcsq7]
-
>>200 お前が一番の馬鹿カルトアタマな無能であることは分かったよ
- 202 名前:神も仏も名無しさん [2007/06/27(水) 07:42:14 ID:+AoyWiif]
- >>201
ハンター高橋佳子反対! エルカン賢者大川隆法反対!
- 203 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:sage破壊カルト創価とGLA狂信者は自ら撒いた悪の種で裁かれる [2007/07/06(金) 03:03:32 ID:VHk37uTS]
- 破壊活動犯罪カルトの幸福の馬鹿ルト出身なのがオウムなお前なんだろなwwwwww
池田本仏論(池田は、釈迦や日蓮より上だとの異常な教義)を調べて参りました。 池田犬猿は下品極まりない殺人犯罪者であるチョンカルト教祖だが、コイツの馬鹿アタマから出て来た『池田本仏論なるチン説』を理解するのは、実に大変な作業である!(大笑い) 【結論】 やはり、創価は傲岸不遜な池田犬猿本仏論を、今日もなお執着し続け、なんら降ろしてはいない。 池田本仏論は、巧妙に姿や実態を隠しながら、今は口外されていない。だが、巧妙にすり込みは続けられ、執拗に反復し洗脳をして来た。これが、池田本仏論の常態なのだ。 それは池田本仏論が『創価にとって、致命的な悪因悪果となってしまったヤバイ創り話し』だからである! 水面下で推進して来たくせに、至上命題である池田本仏論は、事実上公言できる筈がない。なぜなら、カルトならではの異常な放言であり、陰謀なのだから! 日顕さんが、池田犬猿が立てた本堂を撤去した英断と、池田創価自らの三宝破戒に因り、馬鹿な池田犬猿の創価は、池田本仏論と仏教自称団体としては、宗教上の根拠を完全に喪失したのである。 だが、仮にも、『無知と傲岸不遜から三法破壊をした第六天魔王の邪鬼・仏敵こと、池田犬猿』が、 「はい、そうですか」などと池田本仏論を降ろすことはない!w 表彰集めの破壊カルトだけあって、池田犬猿本仏論は、決して、降ろしたりはしないのだ! ところで、 創価チョン犯罪者の池田犬猿は、戸田城聖、北条浩と暗殺したと思われるが、 日蓮正宗僧侶66世の日達も、暗殺したのかなあ?w ∧_,,∧ ウェーハッハッハ < `∀´ > ( ) し―-J
- 204 名前:神も仏も名無しさん [2007/07/06(金) 18:47:13 ID:rQpTPhmW]
- いつもながらのカルトハンターの造詣の深さには脱帽しました。
ところで最近はボサGO氏が疎遠になているようですが、日々精進を極めているのかな? ハンターは芯から創価が嫌いと云うより、憎悪すら感じるのだが・・・・・ と云うこの俺も焼きホッケなど好まんけどね。
- 205 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:破壊カルト創価とGLA狂信者は自分で撒いた悪の種で裁かれる [2007/07/07(土) 23:20:48 ID:33qD3/Ma]
-
私は立ち寄れなかった間に、門外漢だった複数分野の新技術習得に精進してたのだがな。 アッと言う間に、今や2流レベルにまで各々の新技術身に付けてしまったが。 だから、GO!!!!!!のことは知らぬ。 さて、地下鉄に毒ガスバラ撒いた創価と消防、自民、チョン鮮創連らは、殺人を殺り過ぎたのだから、社会から抹殺するのは当然のことさ。
- 206 名前:神も仏も名無しさん [2007/07/08(日) 12:46:53 ID:uu6EJTDC]
-
ila.blog.ocn.ne.jp/lifeislight/ 私が行うときは「“ILA”である」と言われました。 高橋信次先生の原稿用紙は最初から『(ILA)高橋信次事務所』で、 “GLA”の文字は使われませんでした。 先生は天に帰られる直前に、「GLAはダメになる…」と言われたこともあります。 どのような意味なのか、私たちには理解できませんでした。 以下は、それを証明する信次先生の肉筆の原稿用紙の画像の一部です。 コピーなどではありません。
- 207 名前:神も仏も名無しさん [2007/07/11(水) 23:34:58 ID:0I/WZP5i]
- ハンター先生が無視したからage
- 208 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/07/13(金) 13:48:04 ID:gtlVyqUq]
- こうなることは、本人の希望だったんだろうね。
書かなくてもいいことを書いてんだから。 www.eco-z.com/president.html 柳建築事務所 代表取締役 紹介 [ 創 業 者 ] 柳 雄 一 1948年:新潟県十日町に生まれる。PL高校建築工業科を卒業後、 今井研究室にて、建築、空調工学を学ぶ。 大阪市中之島の(株)三座設計事務所(当時社員800名)勤務。 大規模建築物の設計、 デザイン担当。 1973年:GLA創設者の故・高橋信次氏に迎えられて、東京大田区大森の 高電工業(株)開発課に勤務。 電子、機械工学を学び、大手PCメーカー5社と開発競争し、 トップ技術を獲得。月産50.000台のヒット商品を開発。 1977年: GLAと高電工業を辞めて、帰郷する。
- 209 名前:神も仏も名無しさん [2007/07/16(月) 18:54:14 ID:s3U/Zb73]
- 不調和な想念帯が多いと地震が起こる・・・と。
それなのに、何故新潟ばかりに。 さ、さ、3年前にも・・・ あぁ・・・・明日は雨か。 泣きっ面にハチだもんなァ。
- 210 名前:神も仏も名無しさん [2007/07/16(月) 19:04:25 ID:CwHMW+fz]
- 地震は不調和想念帯が曇りを作り・・・ああ・・・高橋さんや。
新潟はそういう人が 多いと言う理屈になるけど・・・なんか空恐ろしい理論だね。
- 211 名前:波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆qz6MxwopJw [2007/07/17(火) 20:51:59 ID:48b7raS6]
- 高橋って長野出身だろ?
今回長野の一部も被害あるんだけど?
- 212 名前:神も仏も名無しさん [2007/07/17(火) 21:32:03 ID:bSshGdMI]
- ↑
それなら日蓮に縁のある柏崎が一番のダメージ。
- 213 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:破壊カルト創価とGLA狂信者は自分で撒いた悪の種で裁かれる [2007/07/19(木) 23:57:35 ID:CEFx4PsO]
-
【八百長選挙でズブズブの悪政自民創価党と、利権がらみの実質賄賂である不正資金と、腐敗テレビの問題】 今では虚偽や捏造を、あたかも真実であるかに装い、不正な腐敗与党の選挙に悪用することは、禁止されているんですよ〜っ! 柏崎の地震は虚偽や捏造ばかりでズブズブなんですね。 まず、初日の映像だ。 電車の一両目だけがひっくり返っていた、あの映像はヤラセでした! 人為で故意に電車の一両目だけを、横転させたわけさ! 今日も新潟県の柏崎市は、実に平穏でしたからなあwwwwww アレじゃあ、避難するに値する住民は90人すらもいないでしょうな!wwwwww なお、水の供給が現地で問題になっているなどと、虚偽だけがまかり通ってますが(冷笑)、 『現実には、現地で十二分に供給、調達できる状況』なんですよ〜!wwwwww
- 214 名前:エロ姦とも夜るバレタ性者=本物 [2007/07/20(金) 02:30:57 ID:jNAXIN14]
- んじゃさ、なんで体育館に何百人もいるの? ? ?!
瓦屋根の家が倒壊しているのもやらせ? あんたの頭の方がM7.6の直下型でグチョグチョ陥没みたいWWWWWWwwwwwww ∧_,,∧ ウェーハッハッハ < `∀´ > ( * ) し―-J びょ〜ん・・・! ペッ!
- 215 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/07/20(金) 10:53:30 ID:o1Z5PWbV]
- 創価学会を誹謗する連中というのは、人間のクズだな。
日顕に脳梅毒でももらって、 頭がとち狂ったんじゃないの?
- 216 名前:北欧閣下 [2007/07/20(金) 12:18:38 ID:MCzkuzwF]
- そーですね
- 217 名前:神も仏も名無しさん [2007/07/20(金) 15:37:33 ID:jNAXIN14]
- んなこたない。
貧困層から集めた金を勲章欲しさに各国で撒き散らしているチョン公.犬作が狂っている。 日蓮なんて釈迦の教義を伝承する一修行僧に過ぎないが、天地創造神のごとく崇拝しているソーカが狂っているわわわわわ。
- 218 名前:神も仏も名無しさん [2007/07/21(土) 08:57:06 ID:E4IZNBln]
- 小判鮫政党.公明党を操る掛け軸崇拝愚教の創価ですから・・・・
どんどこタイコ叩いて願望を叶えようとしているチョン助愚民集団ですから・・・・
- 219 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:破壊カルト創価とGLA狂信者は自分で撒いた悪の種で裁かれる [2007/07/21(土) 23:48:22 ID:HebigNWR]
-
>>214 ヤラセだね、相変わらずの知恵遅れの精神患者だな、創価カルトなお前は! 【八百長選挙でズブズブの悪政自民創価党と、利権がらみの実質賄賂である不正資金と、腐敗テレビの問題】 今では虚偽や捏造を、あたかも真実であるかに装い、不正な腐敗与党の選挙に悪用することは、禁止されているんですよ〜っ! 柏崎の地震は虚偽や捏造ばかりでズブズブなんですね。 まず、初日の映像だ。 電車の一両目だけがひっくり返っていた、あの映像はヤラセでした! 人為で故意に電車の一両目だけを、横転させたわけさ! 今日も新潟県の柏崎市は、実に平穏でしたからなあwwwwww アレじゃあ、避難するに値する住民は90人すらもいないでしょうな!wwwwww なお、水の供給が現地で問題になっているなどと、 度重なる悪質な虚偽だけがまかり通ってますが(冷笑)、 『現実には、現地で十二分に供給、調達できる状況』なんですよ〜!wwwwww
- 220 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:破壊カルト創価とGLA狂信者は自分で撒いた悪の種で裁かれる [2007/07/21(土) 23:50:58 ID:HebigNWR]
-
>>215-216 連続殺人犯罪を完全犯罪にして来たオウム創価凶の破壊活動犯罪は現実だけに、たまらないよな!wwwwww 【八百長選挙でズブズブの悪政自民創価党と、利権がらみの実質賄賂である不正資金と、腐敗テレビの問題】 今では虚偽や捏造を、あたかも真実であるかに装い、不正な腐敗与党の選挙に悪用することは、禁止されているんですよ〜っ! 柏崎の地震は虚偽や捏造ばかりでズブズブなんですね。 まず、初日の映像だ。 電車の一両目だけがひっくり返っていた、あの映像はヤラセでした! 人為で故意に電車の一両目だけを、横転させたわけさ! 今日も新潟県の柏崎市は、実に平穏でしたからなあwwwwww アレじゃあ、避難するに値する住民は90人すらもいないでしょうな!wwwwww なお、水の供給が現地で問題になっているなどと、 度重なる悪質な虚偽だけがまかり通ってますが(冷笑)、 『現実には、現地で十二分に供給、調達できる状況』なんですよ〜!wwwwww
- 221 名前:神も仏も名無しさん [2007/07/23(月) 22:29:40 ID:kig/YVhT]
- ↑
エロ姦性者はテレビも新聞もないのか? くまっちぅなー。 味噌も糞もごつちゃ混ぜに当たり散らしていると、性者の人格と信憑性に関わるぜ。 もう既に、多少なりとも回復し病状が和らいだと思っていたのに、またベッドに縛り付けられる運命か?
- 222 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:破壊カルト創価とGLA狂信者は自分で撒いた悪の種で裁かれる [2007/07/23(月) 23:16:41 ID:h8mSazI2]
-
連続殺人の完全犯罪をした殺人犯罪者が池田犬猿チョン穢多であるとの揺るがぬ現実は、 虚偽捏造利権腐敗マスゴミでは、そりゃ流れ難いわな!wwwwww 【八百長選挙でズブズブの悪政自民創価党と、利権がらみの実質賄賂である不正資金と、腐敗テレビの問題】 今では虚偽や捏造を、あたかも真実であるかに装い、不正な腐敗与党の選挙に悪用することは、禁止されているんですよ〜っ! 柏崎の地震は虚偽や捏造ばかりでズブズブなんですね。 まず、初日の映像だ。 電車の一両目だけがひっくり返っていた、あの映像はヤラセでした! 人為で故意に電車の一両目だけを、横転させたわけさ! 今日も新潟県の柏崎市は、実に平穏でしたからなあwwwwww アレじゃあ、避難するに値する住民は90人すらもいないでしょうな!wwwwww なお、水の供給が現地で問題になっているなどと、 度重なる悪質な虚偽だけがまかり通ってますが(冷笑)、 『現実には、現地で十二分に供給、調達できる状況』なんですよ〜!wwwwww
- 223 名前:神も仏も名無しさん [2007/07/24(火) 01:16:14 ID:6ofSVQhU]
- エロカンとやら、コピペばかりするな!
支離滅裂なことばかり訴求しないで何を告知したいのか、 整理してからカキコを求む・・・・以上でつ。
- 224 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:破壊カルト創価 [2007/07/26(木) 22:58:17 ID:8aFayKO4]
-
お前らオウム創価狂SGIの現実を見やがれよ!、この完全犯罪の連続殺人完全犯罪破壊活動犯罪カルト創価ゴキブリめが! 被害もないのに、募金を集めるなんて、池すかないね!wwwwww
- 225 名前:神も仏も名無しさん [2007/08/02(木) 21:43:15 ID:4YgiNPoG]
- ♪ わけの〜わからんカキコは左にうけながそ〜ぅ ♪
- 226 名前:神も仏も名無しさん mailto:age [2007/08/02(木) 23:46:08 ID:0Ghw0VTM]
-
おい、溝口! お前、ここで治療してもらえや。(爆笑 www.hachiyokai.or.jp/oishi-kinen-hospital/ =========/ ̄ ̄ ̄ ̄\ ←バレバレズラ ======== ( 人____) ハァハァ ======== |./ ー◎-◎-) ======== (6 (_ _) ) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ======== | .∴ ノ 3 ノ < 俺は清和源氏の末裔、波木井坊竜尊なるぞ! =========ゝ ノ \______________ ========/ 溝口浩 \ =======(_ノヽ ノ\_) =アナルにゴーヤ→ ( ⌒ヽ´ ==========ヽ ヘ ) ずんずんずんずん ==========ノノ `J
- 227 名前:神も仏も名無しさん [2007/08/03(金) 00:53:47 ID:FBMvTy0K]
- ↑
お〜い! オマエはこれ眺めてろい。 www.99bb.com/
- 228 名前:1 [2007/08/03(金) 10:36:07 ID:UVhy+ZkQ]
- 以前、>>19氏のレスにある「講義スレ」「紹介スレ」にして欲しいという意見がありましたので、
これから高橋信次先生語録のようなものを 作って行きたいと思います。つまり、高橋信次先生の著作シリーズからの本文の紹介ですね。 (高橋信次著・「悪霊」第二巻p60−p63より抜粋 原文ママ) 「怒り」について 「なぜ短気になるのか。自分の思う通りに物事がゆかないから短気になる。短気は怒りに変わり、怒りは心に曇りをつくってしまう。 したがって怒りの心がひどければひどいほど、その曇りは広がり、広がった分量だけ苦しむことになるわけです。怒りに心が揺れていると、 君自身はもとより、周囲にもその怒りの毒をまき散らし、周囲の人たちに、林という男はいやな奴だと、毒を食べさせてしまう。ますます貴美は、 周囲の人たちから離れ、孤独になってしまう。怒りを発すると、肉体的にも障害が出てくる。 血液は酸性になり、身体に抵抗力がなくなり、病気になりやすくなる。胃や腸には、この怒りの精神作用は敏感に響いてくる。君はやせてゴツゴツしている。 胃や、腸もよくない。それは短気という怒りの感情が、心のサビとして、抜けきれず、子供の頃からずうっと持ち続けられてきているからです。まず、怒りの心が出てきたら、 なぜ、どうして出てくるのか。それを冷静に反省してみることです。するとその原因が必ずわかります。また、もし不調和な言動に心が混乱したならば、自分の感情を静め、 一歩下がって理性の力を借りることです。理性というものは、心が平安のときに良心といった形で働いてくるものです。ものの道理を判断する能力ですから、この能力を思いだし、 どうして今の自分は感情が激しく動くのだろうと考えるのです。私たちの感情というものは、たいていは自分の都合で波打つものです。自分の都合とは、自己保存のことです。 第三者の立場で、理性の力で判断しているときは、自分の都合などは考えないものです。もし相手からいわれるだけのものが自分にあるならば、素直に詫びることです。 なければ、怒りでものをいわず、静かに話し合うことです。 自分に落度がなく、いわれる筋合いでないのにいわれ、こちらがそれを説明しても相手が聞き入れない場合は、それでも決して怒らず、相手の心が冷静になるように、 それこそ祈ってやることです。
- 229 名前:1 [2007/08/03(金) 10:36:41 ID:UVhy+ZkQ]
- どんな恥ずかしめを受けても怒ってはなりません。忍辱、耐え忍ぶということは大事なことであり、それは周囲を明るくするばかりか、
自分の心も乱さないですみます。いつの日か必ずこちらの気持ちが通じて、和解するものです。よくいわれることですが、我慢と忍辱はちがいます。 我慢は、怒りの想いを心の中に押し込んでしまう。押し込められたものはいずれは外に出るようになります。そのときは双方に傷がつきます。忍辱とは我慢ではなく、 冷静な心で、物事を心に溜めず、不必要なものは外に流してしまう。必要なものは自分の心の糧とするために、チェックしておくことです。相手を恨まず、むしろ相手を許し、 自分にとって必要なことを他山の石として活用してゆくことです。自分以外のものは、すべて、自分にとっての心の糧、心の材料です。この原則を持して行きますと、 人と争うこともなく、いわんや怒りに心がふるえることもなくなります。怒りは闘争につながり、破壊につながります。反省は盲目の人生を渡ってゆく人間に与えられた神の慈悲と考えてください。 事実、神の慈悲なのです。だから人間は、宇宙のような広い心を持つこともできるし、反対に、反省を怠ると、魔王のようになり、地獄で苦しむことになってゆきます。心の中を分けてみますと、 偽我と善我に分かれ、偽我が強くなると苦悩し、善我が偽我を克服すると平安になります」 人間の感情の一つである「怒り」についての高橋信次先生の教えです。怒りというものは、仏教の中に「心の三毒」という教えがあり、 これは信次先生も説かれているのですが、「怒り・愚痴・足る事を知らぬ欲望」の一つであります。 これらは心の三毒と言いまして、人間の心を最も不安定にする想念であります。怒りは、闘争と破壊を意味し、愚痴は人間疎外感と孤独を生み、足る事を知らぬ欲望は、自分の 心を失わせる最たる物であると言えるでしょう。と、信次先生は自著・「心眼を開く」の中で述べられています。その中の一つである 怒りについての詳しい説明が以上なのです。信次先生もおっしゃるように、「怒り」は、どんな辱めを受けても持ってはいけない想念なのです。 勿論、一足跳びには中々難しい境涯だとは思いますが、正法を実践する過程の中で心に留めておきたい言葉ですね。
- 230 名前:1 [2007/08/03(金) 15:07:03 ID:UVhy+ZkQ]
- 「人生の目的と使命」について
(高橋信次著・心の指針(三宝出版社刊) 第三章 人間の精神構造とその機能 p136−p138 原文ママ) 人間の地上における目的は、各人の心の調和と、地上の楽園、つまり仏国土、ユートピアの建設にあります。この目的は、人間自身が神仏の子であるからです。 神と人間を切り離すこれまでの思想では、こうした目的に異和感が伴います。けれども神と人間を切り離したところに、人間の迷信があったのです。 人間は神仏の子である以上、神仏の心に帰らなければなりません。それは人間自身の責任であるからです。神仏の子である人間は、 なぜ動物のようになり下がったか。それは長い地上での生活にふり回された結果です。オギャーとこの世に出た途端、人間はあの世での生活を忘れます。 忘れる理由は、前世、過去世のおさらい、償い、そうして、あの世での生活の経験を、どう生かせるかの心の修行があるからです。覚えていては、その修行の目的は、 なかば失われます。試験にカンニングはいけないように・・・。ではなぜこのような仕組みがあるかといえば、それは長い人間の歴史、転生輪廻の過程に重ねた諸々の罪、 キリスト教でいういわゆる人間の原罪、これの清算のためです。
- 231 名前:1 [2007/08/03(金) 15:11:04 ID:UVhy+ZkQ]
- 人間の歴史は、今から二億年前に、さかのぼります。人類はすべて他の天体から、この地上に降り立ったのです。当時の人びとは調和がとれ、地上は仏国土そのままでした。人びとの年齢は五百才、千才を保ち、年もとらずに、
あの世とこの世を自由に、行ったり来たりしたものです。その当時は、人間には原罪というものはありません。結婚して子供が出来ても、その子はあの世の生活を知っていました。ところが子孫が子孫を生むようになり、 地上の生活になれた人類は、次第にあの世との交通が途絶え、五官、六根にふり回されるようになったのです。つまり罪をつくりはじめた。罪をつくれば、当然、その罪のつぐないをしなければなりません。まいた種を刈り取ることは、 自然の法則だからです。人間は神仏の子であり、自然の法則にそって、生きるように出来ているからです。かくして、人間は、あの世からこの世に、生まれ出るときに、あの世の生活、前世、過去世を忘れるようになったのです。 つまり己自身の修行が目的となったのです。修行とは、心の調和、神仏の心に帰る修行です。同時に、二億年前の仏国土、神の国を再びつくること、地上に降りたったその目的を果たすためでもあるわけなのです。この二つの目的、 これが人間の使命であり、責任であるわけです。人類にこの二つの目的を自覚させ、果たさせるために、光の天使がこの世にあらわれたのです。それは神仏の命によって・・・・・。イエス・キリストが天なる父の命によって、愛を説かれたように、 光の天使は、宇宙の原理、人間の在り方、慈悲と愛の神理を説くために・・・・・・。釈迦の正法は、宇宙の原理、慈悲と愛であります。 人間が小宇宙であることの自覚、小宇宙であればこそ、大宇宙と一体となり、一切の事実を認知できるのです。それは心という一点で大宇宙と結ばれているからです。 心を通じて、小宇宙と大宇宙は、通い合えるのです。人びとは神仏の子であり、宇宙は神仏そのものであるからです。現象界における光の天使は、神仏の命によって、 各人の心の眼をひらかせる役目を担っています。
- 232 名前:1 [2007/08/03(金) 15:23:38 ID:UVhy+ZkQ]
- 人間の本質は、魂であって肉体ではありません。肉体は人生航路という一つの道を
歩む為の舟であり、仮の宿であって、人間の本質は魂であります。その魂の中心が心であって、 その心は自他一体の神の心であります。神とは大宇宙に遍満するエネルギーであり、法であり、無限の 意思であり、また、大宇宙に遍満する大意識であり、その法なり、意思に触れて神の意を現実にいかしていく人間、 神の心と表裏一体の心境となった悟った人間を指して仏と言い、如来というと信次先生は説かれています。 人間は誰彼の区別なく、皆、神仏の子なのです。私もそうですし、高橋信次先生もそうですし、これを見ているあなたもそうです。 神仏の子である人間の本質が魂であり、その魂はこの世とあの世を永遠に転生輪廻する存在であります。 その魂とは、不生不滅(生まれず滅せず)、不垢不浄(垢付かず、浄らかならず)、不増不減(増える事もなければ減る事もない) と言いまして、永遠にして不滅であります。 その永遠不滅の魂が人間の本質であり、肉体は仮の宿なわけです。 この考えを理解した上で読まれると理解されやすいと思います。
- 233 名前:1 [2007/08/03(金) 15:29:11 ID:UVhy+ZkQ]
- 肉体(原子体と言う)は第三次元現世物質界という現世の人生航路を歩む為に神と両親から与えらた舟です。
そして、この世(第三次元現世物質界、又は現象界と言う)は、諸行無常と言いまして、皆流れ去っていくわけです。 生あるものは滅します。肉体は生まれてから諸行無常の法則に則り老いて行きます。そして死を迎えます。しかし、あくまでも 人間の本質は肉体ではなく、魂であり、死はこの世からあの世への旅立ちなのです。死という事をことさらに悲しがる必要はないのです。 あの世からこの世に生まれる出る時も、あの世から見ればそれは死なのです。生と死というのは、このように出来ているのです。 人生の目的と使命、また、人間の構造、宇宙の原理を真に理解するのではあれば、このような生死についても理解出来ると思われます。
- 234 名前:神も仏も名無しさん [2007/08/03(金) 15:40:26 ID:fh2DEucF]
- 五井先生ありがとうございます
- 235 名前:1 [2007/08/03(金) 21:42:34 ID:UVhy+ZkQ]
- 題目や念仏・他力について (悪霊第二巻p65―
質問者:「題目や念仏は念仏はどうしていけないのですか」 信次:「お経は人間の正しい生き方を教えているものです。唱えるものではないのです。あなたは考えたことがありませんか。 仏像や曼荼羅に向かって、その教えを唱えるということは、不自然であるということを。お釈迦様の仏像の前で、般若心経や、法華経を上げたら、 お釈迦様はどう思うでしょうね。 くすぐったく思うでしょう。般若心経や、法華経は、お釈迦様が教えた人間としての生き方が書かれたものです。 その教えをお釈迦様の前で上げる。もしお釈迦様が生きていたら、『お経を上げるよりそれを実行しなさい』と、いうでしょう。 ところが今日では、これが当たり前のようになり、お経は仏像の前で上げるものというようになっています。お話になりません。 曼荼羅にいたっては、まったく、無知の行為といえましょう」(拙著、『人間・釈迦』第一〜四部、『心眼を開く』、『心の発見』などを参照にされたい) 質問者:「やはり他力によっては心の歪みを修正することはできませんね」
- 236 名前:1 [2007/08/03(金) 21:46:02 ID:UVhy+ZkQ]
- 南無阿弥陀仏について(高橋信次著・悪霊第二巻 原文ママ p66−p68)
「公害のスモッグにしても、人びとが欲望中心に動いてきたから起きたもので、これを綺麗にしようと思うなら、 スモッグを出さないようにすることです。欲望中心の経済の歯車を修正することです。そうすれば昔のように、空も河川も、 元の美しい自然にかえることができます。人の心もまったく同じ。いくらお経を上げても幸せにはなりません。人をうらむ、愚痴、そねみ、 増上慢、虚栄心、こうした心を中道にもどすことです。 そうした心が湧いてこないように反省することです。南無阿弥陀仏という念仏があります。これなど、皆さんはどう考えているのでしょう。 南無(ナム)とはインドの古代語でナーモということです。ナーモとは帰依するということです。阿弥(アミ)とは、今から四千数百年前、 アフリカで道を説いた光の大指導霊の名前で、その当時はアーモンと呼ばれていたファラオ(帝王)のことです。アーモンは、 大自然のルールこそ人間の道であり、太陽のように、万物に、平等に熱、光を与えている姿こそ、神の心の現われであり、人の道だと教えたものです。 太陽の無償の行為に感謝し、その感謝の心は報恩という行為によって正しく循環されます。正しい循環、つまり、正法こそ私たち人間の生き方であると説いたわけです。 その後、エジプトではアーメンと呼ばれ、ソロモンに入ってアミーの神と言われるようになった。さらに、ギリシャに伝わり、インドにきてバラモン教の神に変わり、 ヴェーダや、ウパニシャードの教典に見られるようになっていったのです。インドでは陀仏(ダブツ)をダボーといい、悟られた方を指したわけです。以上を直訳すると、 ;アミーの悟られた仏に帰依する;と、いうことです。ブッダは、ビンビサラ夫人が王によって幽閉されていたときに、西方浄土にアミと呼ばれる仏がいると説きました。 インドから西方とは、エジプト、イスラエル方面の、次元の異なった世界の天国を指したわけです。中国や日本でも、西方浄土といっています。アミダは架空の仏ではなく、 現在でも如来であるということです。念仏は、このアミダの法に帰依するという信仰であり、唱えるものではないのです。法に帰依するとは、法を実行することです。」
- 237 名前:1 [2007/08/03(金) 21:48:22 ID:UVhy+ZkQ]
- 悪霊A巻p64−p65
「そうです。人生航路という道においても守るべき交通法規があります。ところが、 人びとは、その人生航路という道に“法“があるにもかかわらず、それを守らず、勝手な行動をとってしまうのです。 国の法律は社会秩序を保つために人間の知によってつくられたものですが、人生航路には大自然という永遠に変わらない法が存在するのです。 インドの釈迦はそれを教えたのです。イスラエルのイエスもそれを教えたのです。 釈迦もイエスも、大自然の調和という法を、誰にもわかりやすく教えたものです。その法が、いつの間にか人びとから忘れられてしまい、 神は祈るもの、祭るものに変わり、他力信仰へと変わっていきました。法が守られてこそ秩序が保たれ、調和されてくるのです。 それが守られず、実行されず、拝めばこと足りるとしてきたところに、その混乱、不幸の原因があるわけです」
- 238 名前:1 [2007/08/03(金) 21:51:27 ID:UVhy+ZkQ]
- 釈迦もイエス・キリストも人生の正しい在り方、人生の正しい生き方を説いたにも関わらず、いつのまにか神格化されてしまい、他力信仰となってしまいました。
しかし、釈迦もイエスも他力信仰は一度も説いていません。他力信仰とは文字通り他人の力で信仰するという信仰形態を 指しますが、しかし、これは後世の人々が勝手に作り出したものであって本当の神の摂理とは、そのような 他力信仰ではないのです。
- 239 名前:1 [2007/08/03(金) 22:07:30 ID:UVhy+ZkQ]
- 「神仏の罰」について
(悪霊A巻 第一章 他力信仰の恐怖 「(その一)人の業を背負う」より抜粋 原文ママ P20) 「そうですね。盲目の人生を歩いている人間に、親である神が無理難題をいうわけがない。 いわんや神が罰など与えるはずもない。もし罰が当たったとすれば、 自分自身の思っていることや行っていることに悪い原因があったからです。 悪い原因は自分がつくっているのです。神仏が罰を与えるなど、そういうことは絶対にないのです」 「高橋信次著・心眼を開く 第一章 般若への道 神と罰 より抜粋 p38−p39 原文ママ」 「神を祭り、仏をあがめ、手を合わせることを拒めば罰が当たるとする考えや思想、 掟がもしあるとすれば、それはまったく、人間を知らぬためにおこった、 いわばある目的をもった団体維持のための自己保存にしかすぎません。 神は人間に罰を与えるどころか、不幸な者ほど思いわずらうのが親の情というものであり、 神仏の心は人間の心と少しもかわりないのです。−間違っても、神仏が人間に罰を与えると考えてはなりません。蒔かぬ種は生えぬ、蒔いた種は刈りとることが神理であり、法であり、人間に課せられた天命です。
- 240 名前:1 [2007/08/03(金) 22:10:37 ID:UVhy+ZkQ]
- 神仏の罰というのありえないのです。日本には様々な宗教団体があり、それらの中には
組織維持の為に信者を離れさせないようにする為に「神仏が罰を与える」等と脅し、足枷を はめる宗教者がいますが、こういった宗教者に騙されるべきではありません。
- 241 名前:1 [2007/08/03(金) 22:32:01 ID:UVhy+ZkQ]
- (高橋信次著・心眼を開く 第一章 般若のへの道 より抜粋 原文ママ p69−p71)
神とは大宇宙を支配する大意識のことです。森羅万象ことごとく、 この大意識を離れては存在しません。太陽も、地球も、人間も、 素粒子も、すべてこの大意識の経綸のなかで生かされ、生きています。仏とはそれでは何を意味するかといえば、 神の大意識と不離一体の境涯となった悟った人間をいうのです。したがって不離一体という意味において、大悟の心境は神といえるかも知れません。 モーゼやイエスは、さまざまな奇跡をおこし、人々を救い、導きました。 しかしながら肉体を持った人間は、仮に大悟を得たとしても、神になることはできないのです。なぜかというと、物質界には物質界の法則があって、その法則の枠を越えることはないからです。その枠とは意識の枠です。 物質界は人間の意識を含めて10%の意識によって成り立っています。波動の荒い世界です。100%の意識のうち、10%の意識しか働いていません。そのために、四次元以降多次元の世界は、見ることものぞくことも普通はできません。 そうした環境のなかで万物は修行するのです。人間はその心境に応じて霊道がひらかれ、10%の意識の枠を、二〇なり三〇に発展させることもできます。如来の悟りを得ますと、その求めに応じて、なんでも認識することができますが、 二十四時間、そうしているわけにはゆきません。それはこちらにはこちらの生活があるし、四六時中、霊道を働かし続けるわけにはゆかないからです。したがって大悟し、神の意識に同通したといっても、万物を生かし続ける神そのものになることは、 肉体があるかぎり、できない相談なのです。仏という名称はそうした意味で使われているわけです。
- 242 名前:1 [2007/08/03(金) 22:32:53 ID:UVhy+ZkQ]
- 巷間、いたるところで神人が輩出し、我こそはといって、多くの信者をかかえていますが、
そんなものではありません。霊視や霊聴ができ、奇跡をおこしたとしても神ではありません。霊視、霊聴にも段階があります。神理についても同じです。 巷間の神人?が説いているその内容が、文証、理証として通用するかどうか、それも問題です。大事なことは文証、理証が裏付けられ、 現証があり、さらには教祖と称する人の生活行為がどうであるかです。正法は神や聖人をつくるためにあるのではありません。悟るためにあるのです。 悟りとは、己の過失なり欠点を修正し、二度と同じことを繰り返さない想念と行為を意味します。その悟りの積重ねが、やがて大悟につながり、一切の執着から離れ、 煩悩にふりまわされぬ心境に到達できるのです。一つ一つの悟りが、己の調和を確立してゆき、地上の大調和に欠くことのできない核となってゆくのです。 神、仏とは以上のような意味を持ち、正法の目的は、仏への絶ゆまぬ精進にあるといえるのです。
- 243 名前:1 [2007/08/03(金) 22:48:30 ID:UVhy+ZkQ]
- 「宗教者の見分け方」について
(高橋信次著・心眼を開く 第二章問答集 霊現象より抜粋 原文ママ p159−p161) まず一番大事ことは、そうした現象にとらわれず、現象を現わしているその人の私生活、性格、人柄、そうしたことを知る必要があるということです。 過去世の言葉を語り、霊道現象が現れたといっても、それが本物であるかどうか、普通ではわかりません。守護霊や指導霊が背後にいて、そうした現象を現わしているとすれば、 その人の日常生活は普通の人と変わらず、それでいて、キチンとした生活を送っているはずです。また神理を語り、説得力も持っているでしょう。ところが、自我が強く、 欲望は人一倍であり、中傷や人を非難することが平気であれば、古代語は部分的には本当であっても、背後霊は竜か他の動物霊とみて差支えありません。こうした霊がその人を支配しているときは、 その考えも、行動も一貫性がなく、その場その場の思いつきになるでしょう。(中略)モノが当たる、病気を治す、霊力がすごい、というだけでその人を信じてはいけません。 大事なことは、私たちは三次元のこの世に多くのことを学ぶために生まれて来ているのですから、まず常識的に判断し、霊力を持っているその人の言動をよくたしかめることです。 もしその人が正道に適う生活を送り、謙虚で、愛に満ち、人びとを善導しているならば間違いはないでしょう。しかしこういう人は少ないのです。どうしても肉体中心的な考え、行動になって行きます。(後略) (高橋信次著・心眼を開く 第二章問答集 宗教と神秘力より抜粋 原文ママ p147) 偉大な宗教家は、普通の生活をしながら、それでいて数多くの奇跡や神通力を行使し、 多くの人びとを救っていきます。不当に金品を要求したり、ぜい沢をしたり、罰が当たるなどと脅しません。 何億円も使って殿堂をつくることもないでしょう。
- 244 名前:1 [2007/08/03(金) 23:13:11 ID:UVhy+ZkQ]
- 「他力信仰の誤り」について
(高橋信次著・心眼を開く 第一章般若への道 他力の誤り p63−p64) 仏教もキリスト教も、その他の宗教も、そのほとんどが他力信仰です。他力信仰は今や全世界をおおっています。二千五百有余年前の釈迦は今日のこの事態を予言し、 正法は末法と化しているといったのは、物質に翻弄された人類の姿はもとより、信仰の在り方が偽善と化し、真実が不明となってしまうことを知っていたからです。仏教はインドよりチベットを通過し、 中国に渡り、我が国に伝わりました。伝教大師が我が国に天台宗を定着させた頃までは、まだ正法は生きていました。ところがその後、仏教の中から念仏行が生まれました。 法然による、念仏の他力信仰がそれであります。それまでの仏教は、ほんの一部の貴族階級にしか、これをうけ入れる下地がありませんでした。 中国渡来の経文を理解するには、書に親しむ者でなければ到底近ずき(「つ」に「テン」が付くが変換不可能の為に 「ず」にしています。)き得なかったからです。 当時の時代的背景を考えると、無学文盲の民衆を救うには、他力の念仏は、人びとの乾いた心に慈雨を与えたことは想像にかたくありません。仏教を広める意味では、法然の念仏行は、たしかに意義はあったといえましょう。
- 245 名前:1 [2007/08/03(金) 23:18:01 ID:UVhy+ZkQ]
- だがしかし、他力では人間を救うことは本当はできないのです。なぜかというと、人間の業はそれほど安直にはできていないからです。他力の狙いは「信」にあります。念仏はその信を得るための媒体でありましょう。
信が強まれば行為をそれにつれて動いてゆくものとみられがちですが、信だけでは人間の業をかえることはできないのです。人間の心をかえるものは「理解と行為」なのです。ウソのいえない調和された己の心にしたがって、 その毎日の生活の理解を深め、行為を通して、はじめて、人は安心の境涯に到るのです。したがって理解のない信心、行為のない信仰というものは、内在する過去世においては体験した神の子としての己の心の叫びを、 その悪い業によって覆いかくし、ウソの上塗りを重ねてゆくことになります。人前では善を気取り、一人になってホットするという善と悪の二面性をますます身につけてゆきます。日蓮は念仏無間地獄といいました。念仏を唱えながら人を平気で殺め、 念仏さえしておれば、何をしても救われるという誤った考えがはびこったからです。戦乱の世の衆生を救うために、むずかしい仏教哲学を理解させることは困難であったため、阿弥陀浄土の存在を、念仏によって教えざるを得なかったのでしょう。他力は、業との妥協です。 したがって業の是認に結びついてゆきます。戦場に牧師がついてゆく。他宗をたおすための戦争が二十世紀の今日でもなお続いている。この事実をみても人間の業の根深さを知らなければなりません。人間は、他力では決して救われることはありません。 神の子の己の心を信じた、 そして、その心を生かした毎日の生活こそ安心への道であることを知って欲しいと思います。
- 246 名前:1 [2007/08/04(土) 00:54:29 ID:DZpgRtCl]
- 「悪」について
(高橋信次著・心眼を開く 第五章 用語解説 p246より抜粋) 悪とは自己保存をいいます。人はどうでも自分さえよければよいという想いが、自己保存を つくり出します。善はこの反対で、自己保存の我欲から離れ、人びとと和合の生活を めざすものです。自己保存が強くなると、怒り、ぐち、足ることを知らぬ欲望、そねみ、自己満足、 自己嫌悪、怠惰、うらみ、ねたみといった表面的な感情想念に支配され、家庭や社会の混乱の原因になって来ます。 「憑依」について (高橋信次著・心眼を開く 第五章 用語解説 p246ーp247より抜粋) 人の心が悪に支配され、動物のように、本能、感情のみに支配されてくると、 こうした動物霊が近つき、人の意識を占領し、二重、三重人格をつくっていきます。 また、地獄に堕ちた地獄霊も憑依します。怒りっぽい、ぐちっぽい、 衝動的な性格者、自閉症、ノイローゼなど、分裂気味の人は大抵、憑依されています。 憑依から抜け出すには、心が平静なときにその苦しみの原因を取り除く努力が必要です。 執着にかたまった心をほぐすには、肉体的な運動も効果があります。
- 247 名前:1 [2007/08/04(土) 01:04:31 ID:DZpgRtCl]
- 「信心」について
(高橋信次著・心眼を開く 第五章 用語解説 p243より抜粋) 信心とは己の正しい心を信ずることで、ペーパーの神や偶像を崇めることではありません。 人の心の中には、己を守り、指導してくれている守護・指導霊が存在します。正しく、素直な心になりますと、 守護・指導霊が示唆を与え、過失(あやまち)の少ない人生を送れるようになります。反対に、自己保存、足ることを知らぬ欲望 に心が揺れて来ますと、本人に指示を与えることが出来ず、さまざまな不幸が本人を襲うことになります。 「信仰」について (高橋信次著・心眼を開く 第五章 用語解説 p243ーp244より抜粋) 善なる心にしたがって、正しい生活を送ることを信仰といいます。ところが現実は偶像崇拝が 人びとの心を占め、マンダラや、お経を読誦したり、祈ることが信仰だとみられていますが、 大変な間違いです。なぜかといいますと、人の心の中には守護・指導霊がいて、 その人を守り、指導しており、そうしてその善なる心を信じた自力の生活が可能であるように 人間はつくられているからです。ものを創造する、広く自由な心を所有できるのは、人間を おいてほかになく、動物、植物には与えられていません。天国と地獄をつくり出す者は人間であり、 動物植物には、その能力はないのです。この点を理解すると、信仰の在り方が明らかとなり、他力はその善なる 心と創造と自由な機能を放棄することになり、人間失格を意味することがおわかりになると思います。
- 248 名前:1 [2007/08/04(土) 01:11:26 ID:DZpgRtCl]
- 「煩悩」について
(高橋信次著・心眼を開く 第五章 用語解説 p245より抜粋) 煩悩とは執着の想いをいいます。執着が強くなると周囲のことが目に入らず、 正しい判断ができなくます。心が狭くなり、健康、仕事、交友、環境などの関係が 行き詰まり、窮地に陥ります。煩悩は五官へのこだりによってつくられますので、五官本位の 考えを改め、常に反省と正道の生活を送ることです。 五官について (高橋信次著・心眼を開く 第五章 用語解説 p244より抜粋) 五官とは眼・耳・鼻・舌・身の五つ。これらの機能が人間には備わっていますが、これに 心が翻弄されると、自分を失っていきます。五官を通して、より広く豊かな心をつくり出してゆくのが、 この世の私たちの生活行為です。五官にまどわされず、五官を超えて行くよう心がけたいものです。
- 249 名前:1 [2007/08/04(土) 01:25:19 ID:DZpgRtCl]
- 「意識の同通」について
(高橋信次著・心眼を開く 第五章 用語解説 p248より抜粋) 意識が通じ合うことをいいます。たとえば、怒りの想念に支配されたひとは、あの世の怒りに 燃える世界に通じ、修羅の人は修羅界に、動物的本能に翻弄された人は畜生界に 通じます。人の心は一念三千であり、思うところに針が動くので、悪の想念を抱かぬようにしたいものです。 「彼岸」について (高橋信次著・心眼を開く 第五章 用語解説 p245より抜粋) 悟りの境涯をいいます。最終の彼岸は釈迦が到達した宇宙即我です。
- 250 名前:1 [2007/08/04(土) 01:27:09 ID:DZpgRtCl]
- 「転生輪廻」について
(高橋信次著・人間釈迦 第一巻 用語解説 p270より抜粋 原文ママ 生命、物質はすべて循環の法にしたがって輪廻している。転生は生れ転ずる、輪廻とは輪の ようにめぐってくるという意味。人の魂は今世で生れ、そうしてあの世に帰り、 また現世に生れてくる。魂は肉体が亡びても無にならない。個の生命は生き通しのもの。 人の想念も循環している。悪を想えば悪がかえってくる、善を想えば善がかえってくる。 「幽体離脱」について (高橋信次著・人間釈迦 第一巻 用語解説 p271より抜粋 原文ママ) 人間は、魂と肉体から出来ている。死は魂と肉体の分離。幽体離脱とは、肉体から魂が 出て行き、肉体はいわばカラになっている状態。この場合、魂が抜けても肉体維持の諸器官の活動 は続いている。同じ分離でも幽体離脱は、霊子線というもので魂と肉体がつながっているので、 ふつうの死とはちがう。 「光子体」について (高橋信次著・人間釈迦 第一巻 用語解説 p270より抜粋 原文ママ) 魂を包んでいるボデーのこと。魂と肉体を合わせたものが人間だが、本当は 光子体と肉体を合わせたものが人間である。死は光子体と肉体の分離であり、魂は 光子体をまとって、あの世で生活する。
- 251 名前:1 [2007/08/04(土) 01:33:48 ID:DZpgRtCl]
- 「解脱」について
(高橋信次著・人間釈迦 第一巻 用語解説 p279より抜粋 原文ママ) 最高の悟りをいう。一切の執着を断ち、自分の中にいる、もう一人の自分が、永遠の生命と 一体になった時、因縁因果の束縛から離れることが出来る。最高の悟りを得ると、過去、現在、未来の因縁因果がわかり、 大宇宙の仕組みが、手にとるように明らかになってくる。 「意識」について (高橋信次著・人間釈迦 第一巻 用語解説 p278より抜粋 原文ママ) 人の意識は、表面意識、想念帯、潜在意識にわけられる。普通は表面意識と想念帯の 働きによって生活する。想念帯は毎日の想念行為を記録するテープレコーダーで、心理学上の潜在意識は これに当たるようである。ところで、もう一人の自分とは、潜在意識を指し、この意識こそ、パラミタであり、 表面意識と潜在意識が完全に同通した時に、解脱する。解脱への修行は、表面意識の調和と想念帯の浄化にある。 浄化は反省と行為によって行われる。
- 252 名前:1 [2007/08/04(土) 01:38:26 ID:DZpgRtCl]
- 「心眼」について
(高橋信次著・人間釈迦 第一巻 用語解説 p276より抜粋 原文ママ) 文字通り心の眼をいう。第三の眼ともいうが、想念が浄化し心がひろがってくると自然に心眼がひらけてくる。 もちろん、動物霊が人間の意識を支配し、あの世の姿を見せる場合もある。したがって、見えない世界が見えたからといって、 すべて心眼かというと、そうではない。怒り、そねみ、中傷の想念を持ちながら、なお肉眼以外のものが見える場合は、 注意を要する。大抵は動物霊が憑いて、そうした現象を起こしている。
- 253 名前:1 [2007/08/04(土) 02:07:26 ID:DZpgRtCl]
- 「愚痴」について
(高橋信次著・悪霊第一巻 第六章 荒廃する人の心 p256より抜粋 原文ママ) 愚痴は自分の欲望が満たされないために出てくる毒で、他人の心に不調和な波動を送り、自分の心の中に垢をつけることになる。 高橋信次著・悪霊第一巻 巻頭の言葉より。 愚痴は自分の欲望がみたされない時におこり心に曇りをつくる その結果神の光をさえぎる
- 254 名前:1 [2007/08/04(土) 02:19:29 ID:DZpgRtCl]
- 「自己保存」について
(高橋信次著・悪霊第一巻 第三章 信仰の落とし穴 p99より抜粋 原文ママ) 自己保存というのは、自分さえよければ他人はどうでもいいという心です。こういう人たちが地上を おおうと、天変地異を起こす原因にもなります。人間社会は、もともと調和してゆかなければならないように 仕組まれていますから、当然の結果となってくるのです。大自然を見て下さい。それは私たちにこのように生きなさいと 教えています。太陽があり、この地上には動物・植物・鉱物があって、これらは、たがいに補い合い、助け合って生きています。 これらの一つが欠けても、全体の調和はまっとうできません。つまり、大自然界は常に他を生かすことを前提に成り立っているという ことです。別な言葉で言うと、愛のなのです。自己保存は独りよがりで、他をかえりみない心です。これでは 自分を滅ぼすことになります。大自然界は、人間の生活の在り方を無言のうちに教えています。生かされているということについて、 私たちは感謝をもって表わす、ということが必要でしょう。つまり、報恩です。感謝の心は、報恩という行為で正しく輪廻するのです。
- 255 名前:1 [2007/08/04(土) 12:11:45 ID:NZ9exz7U]
- 「祈り」について
(高橋信次著・心の対話 第一部法と神理 p23より抜粋 原文ママ) まず、「祈り」の意義について考えてみます。祈願文の解説(拙著『心の指針』を参照)におもありますように、 祈りとは、あの世では行為を意味します。あの世の天使の世界にまいりますと、慈悲と愛の心のみとなり、 「祈り」というものはありません。なんとなれば、行為が祈りですから「祈る」必要がないのです。もっとも、 あの世でも「祈る」必要のある世界はあります。しかし、あの世の人の意識はこの世とちがい、 九〇%はひらかれ、潜在意識は一〇%となりますから、これはいけないと思い、反省し修正すれば、ただちに、その反省にたいする結果が でて、心の浄化が非常に速く行われます。ですから同じ祈りにしても、あの世とこの世では、その比重がちがうのです。 この地上の生活は一寸先がヤミです。人間の意識量は、わずかに一〇%しか通常は働いていないのですから、一時間後、一分後の自分の 運命さえわからないですごしています。それだけに、金銭に頼るか、人に頼るか、 地位に頼るか、天に頼るか、神仏に頼るか、なにかに頼らないと心もとないというのが、私たち一般の人間の心でしょう。 このため、「祈り」はその頼りない人生の、救いの担い手として考えられ、他力信仰の中では、重要な位置を占めてきたといえるでしょう。 しかしながら、頼る「祈り」で人は真に救われるでしょうか。仏壇に手を合わせながら、子供を叱りつける図は、よくみかけるところです。 昔の念仏行のなかには、人を殺しても、念仏をあげれば成仏すると勘違いしている人がいたようです。 こういう「祈り」を「祈り」といえるでしょうか。「祈り」とは、頼ることではありません。 正しい法の「祈り」は、正しい行為を意味します。「祈り」の必要性は、頼るためのそれではなく、一〇%の意識量で生活する 想念と行為にあやまちがないように、自分の心を調和させる、そのために「祈る」ものなのです。
- 256 名前:1 [2007/08/04(土) 12:12:37 ID:NZ9exz7U]
- そうして、それはまた、感謝の心となるものでなければなりません。なぜなら、健康で、家庭が円満で、
毎日の生活が調和された姿で送れるということは、大自然をはじめ、守護霊、指導霊、万生万物、先祖の諸霊の 恩恵によるものであり、したがって、「祈り」は、感謝の心のあらわれとなるものであるからです。 こうみてまいりますと、「正法の祈り」と「他力の祈り」では、その中身が大分ちがってくるということがおわかりと 思います。他力の祈りは、神と人間を切り離し、人間を凡愚として扱っているのにたいし、正法の信仰は、人間は神の子であり、 神と人間は一体であるという前提に立っていることであります。この地上生活の中で、神の子の己を生かすには、 祈り心を通した行為しかないということです。イエスの言葉に「汝信仰あり、われ行為あり」というのがありますが、これこそ「正法の祈り」であり、 あやまちなき行為こそ、「祈り」の神髄である、といえるわけです。
- 257 名前:1 [2007/08/04(土) 12:19:57 ID:NZ9exz7U]
- (高橋信次著・心の対話 第一部・法と神理 p26より抜粋 原文ママ)
本当の祈りは「真心」の発露であり、「反省」であり、そうして、それにもとずく行為であり、神との対話を 意味します。真心のない祈りは、神に通じません。反省と行為のない祈りも、神はきいてくれません。祈りが 高まると守護・指導霊との対話が可能になります。アラハン(阿羅漢)の境地にまで心が高まると、こうしたことが実際に できるようになるのです。これまでの考えは、祈れば救われる、拝めばなんでもかなえられるといわれてきましたが、そんなことはないのです。 まず、人間は、神の子であり、したがって、正念を持って、その調和をはかり、環境を調和してゆくものです。またそうすると、 神は、祈らなくてもその人を守ってくれます。本来そういうものです。
- 258 名前:1 [2007/08/04(土) 12:33:01 ID:NZ9exz7U]
- 「実在界」(あの世)について
(高橋信次著・心の対話 第一部 法と神理 実在界 p47より抜粋 原文ママ) すなわち実在界とはあの世のことで、各人の意識の大小によって住む場所がちがってきます。意識の大小とは光子量のことで、 それは大きく分けて、生前、自己本位に生きたか、人びとのために奉仕したかにかかってきます。 (高橋信次著・心眼を開く 第五章 用語解説 p247より抜粋 原文ママ) あの世のこと。この世は現象界といいます。現象界は映画のスクリーンであり、映写機は実在界あのよにあるわけです。 現象界は無常であり、新陳代謝をくりかえす不安定な場ですが、実在界は心の世界であるため、 必要と想う物は、千年、二千年経っても消えてなくなりませんし、年もとりません。こういうわけで実在界というのです。
- 259 名前:1 [2007/08/04(土) 17:15:37 ID:NZ9exz7U]
- 「自殺」について
(高橋信次著・心の対話 第三部 心と生活 p166より抜粋 原文ママ) 人間の目的は仏国土、ユートピアの建設です。あの世からこの世に生まれるときは、百人が百人、 こんどこそ自分の業(カルマ)を修正し、この世を調和させると決意して出生します。ところが地上の大気にふれ、 この世の環境に染まってゆくうちに、こうした目的を忘れ、自己保存の想念に支配されてゆきます。 自殺の心理は、その極点に近いものです。いうなれば自己保存の自意識が過剰なために、自らそうした行為に追い込んでゆくからです。 自殺は調和という神の目的から、大きくはずれた行為であり、神にたいする冒瀆、反逆であって、人間否定を意味します。 ですから悪のうちでも、自殺は最悪の部類にはいります。日本の武士道は、名を惜しみ、死について、あまり重要視していなかったようです。 生恥をさらすぐらいなら、いさぎよく死んだ方が価値ある生き方とみられていたようです。しかし武士道とはそもそもなにか、名とはなにかを追求して行きますと、 自意識過剰な自己保存につき当り、それから越えることができません。死によって自我を生かす、死によって安楽を願う我欲と自意識過剰が、そうした思想を生み、 行為に走らせたとしかいいようがありません。思想や主義におぼれ、種族や家の繁栄のみを願う行為は、人類とか、平和といった視野から 眺めますと、いかにも狭量のそしりをまぬがれません。自殺も、さまざまな内容を伴い、 各種にわかれています。
- 260 名前:1 [2007/08/04(土) 17:16:25 ID:NZ9exz7U]
- 戦争という異常事態における自殺(たとえば特攻隊)もあれば、客観的に説明できない自殺もあります。
たとえば家族の迷惑を考え、ひと思いに生命を絶ってゆく療養生活の長い老人。形はどうあれ、いちばん問題なのは、本人のその時の想念のあり方にありますが、 しかし、客観的に、私ならこうするという余地のある自殺は、もっとも悪い結果になるでしょう。自殺者の死後の世界は暗黒地獄です。 一寸先分らぬ真暗な穴倉のようなところに閉じ込められての苦しみの連続です。鼓膜が破裂しそうな轟音が鳴り響くところとか、 得体の知れぬ生物が意識の中に入り込んでかきむしるのです。頭痛や幻想に襲われても、この世では麻酔や疲労が救いになって眠ることが できますが、暗黒地獄ではそれができません。意識だけはハッキリしており、それでいて真暗ですから自分の体がどこにあるのかもわかりません。 自殺は「光」を否定した想念ですから、こうした暗黒界に自らを引き込み、客観的に説明のできない自殺は、その苦しみが長期にわたります。 ゆめゆめ、こうした想念に支配されないようにしたいものです
- 261 名前:1 [2007/08/04(土) 17:36:21 ID:NZ9exz7U]
- 「大乗思想」について
(高橋信次著・心眼を開く 第一章 般若への道 p65より抜粋 原文ママ) 既成、新興を問わず、日本における仏教の信仰形態は大乗を軸として動いているようです。 大乗のそれは、仏果は人びとと、ともにあるのだから、まず人びとを救い、衆生とともに理想に 至らしめる、としています。自分が救われたいなら、その前に人びとを救え、人びとを救うことによって自分 も救われるという思想のようです。大乗はいわば菩薩行のそれであるかのようです。 大乗の思想は、竜樹(ナラルージュナ)によって伝わりました。彼は中インドに生を得、 後年、彼は彼の好みにしたがって仏教を取捨選択し、あたかもそれが仏教の本道かのようにまとめました。 今から約千九百年ほど前のことです。それまでの仏教は、釈迦滅後、第一次、二次の結集が行われ、第二次結集の際は、 口伝えの仏法が文字に書き遺されたのです。第二次結集はアショカ王時代のことです。竜樹の大乗は、このときの 仏伝を彼なりにつくりかえ、それが、今日の大乗経典といわれるもとになりました。さて、正法は大乗思想が本流でしょうか。 仏果は人びとの救いのうちにあるのでしょうか。仏国土は人びとの調和にあります。人びとの調和は、個々の調和の集合によって 達成されるものではないでしょうか。己自身の調和がなければ、仏国土の実現は画餅になってしまうでしょう。
- 262 名前:1 [2007/08/04(土) 17:44:26 ID:NZ9exz7U]
- 人類は個人の集まりです。人類の調和は一人一人がめざめることにあります。一人一人が自己を悟り、
心の王国をつくりだすことです。病人を治すには、まず自分自身が健康であり、病気に精通していなければならないでしょう。 正法の根本は八正道です。八正道は己の心を中道という調和にひき戻す神の規範です。その規範に、 無理がなく、心が自然についていける自分自身になったときに、人ははじめて、菩薩の行が整ってくるのです。八正道も知らず、 心の調和もなし得ない者に、どうして菩薩行がなし得ましょう。不安と混乱を巻き起こすのみです。現に、 仏教は死文と化しているではありませんか。理屈はあっても、光がありません。救いなぞなおのことです。一部の者の仏教となっており、 衆生の迷いは少しも解消されてはいません。八正道は小乗であって小さな悟りといわれていますが、正法には小乗も大乗もないのです。 悟りの根本は己自身です。己自身は小宇宙であり、小宇宙が大宇宙にまでひろがったときに、個と全の統一が自覚され、 個のなかに全が含まれていることを知るのです。全のなかに迷える一部があるとすれば、それを救い得るものは個の悟りしかないのです。 人の心は偉大なものです。地球よりも重く、大きなものです。その偉大な心を自覚するめには、神の規範である八正道を行じるしかありません。 大乗思想に迷わされてはなりません。
- 263 名前:1 [2007/08/04(土) 17:56:31 ID:NZ9exz7U]
- 「参禅」について
(高橋信次著 心眼を開く 第一章 般若への道 p71より抜粋) 参禅によって人は悟れると思われていますが、実際はそれによって悟れる人は絶無です。釈迦の悟りは、 参禅によって得たものではありません。参禅を放棄し、反省することによって、悟ったのです。己の想念、行為を、中道 という大自然の尺度にあわていったから、悟れたのです。釈迦の六年の参禅は、峻烈な肉体行と、雑念を払い、心を空っぽにする修行でした。 ところが、心を空っぽにすると、危険この上もなく、魔に犯されることが多いのです。幸いに釈迦はそうはなりませんでした。 また、空っぽになっても、生活に入ると、すぐ雑念にとらわれてきます。釈迦でも、参禅によって悟ることはできなかったのです。 参禅は、正法から離れているからです。参禅の風習は古いものです。バラモンがそうだし、ヨガも、これを重視しました。釈迦の弟子に普賢(フゲン)というのが いました。その普賢は今では、普賢三昧もいわれ、いわゆる、行者の代表のようにみられています。参禅に重きを置き、戒をつくりました。 釈迦滅後、第一次結集の際には、彼はこれに参加せず、我流をもって、これこそ仏陀の本流であるとして、 人びとを迷わせました。禅宗の由来は、ヨガ、バラモンが主流をなしているようですが、普賢の思想も混入されています。 五世紀の頃、インドの僧であった達磨(ダルマ)が仏教やバラモンを学び、これらを基礎として、ひらいたものです。彼はインドから 中国に渡ってのち、面壁九年の行を積んでいます。彼自身は菩薩界の人ですが、その求道と意思の強さは抜群でした。
- 264 名前:1 [2007/08/04(土) 18:02:33 ID:NZ9exz7U]
- その求道の心が光明を呼んだのですが、彼はそれを座禅によって得たものと思い込んだのです。禅宗は
こうしてはじまったものです。こうした例は、真言密教についてもいえます。真言密教も、その基礎は ヨガ、バラモンです。正法からは逸脱したものです。しかし、弘法大師は菩薩です。晩年、霊的な諸現象が現われ、 このため真言密教を仏教の正統のものと誤認してしまうのですが、そうした霊的現象は、大師それ自身の、衆生済度の内在意識が そうさせたもので、密教そのものから生まれたものではなかったのです。我が国に禅宗が到来し、多くの傑物を出しているようですが、 達磨を越えるような人は、一人も出ていません。参禅だけでは、悟ることができないからです。正法の悟りは、生活を通して、中道の心を体験として、 学んでいくところにあるからです。山陰に身をかくし、俗界を離れれば、誰でも、雑念からは遠離できましょう。しかし温室花は野外に出せば、ただちに しぼんでしまうように、山陰での修行は、修行の一つではありますが、俗界にあっても、それに 染まらぬ心の調和が維持できなければ、悟ったとはいえないではありませんか。
- 265 名前:1 [2007/08/04(土) 18:20:19 ID:NZ9exz7U]
- 「八正道」について
(高橋信次著 心の指針 第2章 八正道と中道 p91) 仏教の言葉の中に、苦集滅道というのがあります。これはどういう意味かと申しますと、 苦とは生老病死を指し、集とは、その原因、滅とはその原因を滅すること、そうしてそれには 道を行ずる、つまり中道であり、八正道を行ずる以外にない、ということをいっています。 集である原因とは何かといえば、日常生活において人を非難したり、ぐちったり、そしったり、あるいは 自我我欲におぼれ、人を人とみない我執の虜となること、人間として中道の道を失うことをいいます。 地位や名誉が高くなりますと、つい人を見下したり、俺は偉いのだ、といった気分になります。お金があると、 たいていのことは自由になりますから。ぜいたくをする。二号、三号さんを囲うようにもなります。 その反対に、下積みの生活が続きますと、みんな自分に敵対しているようにみえてきて、あいつが悪い、こいつが面白くないと いって人を呪(のろ)ったり、自分をいじめたりして、小さな自分をつくりあげてしまいます。このように、 金がありすぎても、なくても、地位が高すぎても、低すぎても、とにかく、人間は、その生活環境が右によっても、左にかたよっても、 それに、心まで動かされてしまいがちです。そこで、何事も腹八分のたとえのように、中道を歩むことが大切なのです。 しかし、ここで間違えては困ることは、中道とは地位が高いからよくない、貧乏だから心が貧しいということではありません。 地位が高いのは、それだけ、その人の努力の結果であり、貧乏といっても、それはその人にたいして、天がある修行を命じている場合も あるのです。ですから、自分の環境が、現在たとえその両極端におかれていたとしても、自分は中道を歩いてない、俺はダメだ、というように 悲観する必要はさらさらありません。
- 266 名前:1 [2007/08/04(土) 18:29:27 ID:NZ9exz7U]
- 中道を歩むということ、その本来の意味は、人間はとかく、眼や耳や鼻、あるいは舌や身、意(自己保存)
に左右されがちなので、こういうものに、心を動かされるな、ということをなのです。 話は前に戻りますが、苦の原因は、そのように、増長慢や自己卑下、自我我欲、愚痴ったり、そしったりして、自分自身の心を 縛ってしまうところにあります。こうした状態がいつまでも続くと、自分の意識まで腐らせてしまい、 それはそのまま地獄界に通じてしまうということをいっているのです。地獄は、 自分を見失った世界です。自己を滅した世界です。なぜかといいますと、人間は、本来、神の子、仏の子であり、その住む世界は光輝く、 調和された天上界であるからです。その神の子、仏の子が、暗い、陰惨な、火炎地獄や阿修羅界、餓鬼界に堕ちるということは、 心の神性、仏性を傷つけ、自己を滅したことになるわけです。地獄界に堕ちますと、その苦しみから、 なかなか抜けられず、何十年、何百年という長い間、そこにとどまることが多いのです。
- 267 名前:1 [2007/08/04(土) 18:38:01 ID:NZ9exz7U]
- そこで、これではいけない、人間は、人間らしく、神の子、仏の子として、その神性を
保ってゆかなければいけない、そして、神仏の理想とされているこの世の理想社会、つまり、仏国土、 ユートピアの世界をつくりあげていかなければいけない、というわけなのです。 それには、各人が、神の子、仏の子としての自覚、つまり、こうした苦の原因である五官に左右されず、 仏教でいう悟りを得ることが大切であるというのです。そこで、苦集滅のあとに、道という言葉が出てまいります。 それが、かつてインドで説かれた釈迦のいう八正道です。八正道は、人間をして、中道を歩ませる規範であります。 天国につながるかけ橋です。左にかたよらず、右に曲らぬ中道への道、つまり、神性、仏性への道、正覚への道なのです。 すなわち、一、正しく見ること、一、正しく思うこと、一、正しく語ること、一、正しく仕事をなすこと、一、正しく生活すること、 一、正しく道に精進すること、一、正しく念ずること、一、正しく定に入ること、の八つです。
- 268 名前:1 [2007/08/04(土) 18:43:46 ID:NZ9exz7U]
- この八つの規範の一つが欠けても、中道の道は歩めないし、正覚を得ることも、不可能である
説いています。また、これ以上であってもいけない。たとえば、戒を守れとか、瞑想のみの生活を送れとか、 苦行せよ、といったようなものです。それは、釈迦自身が、いろいろな経験を通して得た中道への道は、八正道以外にないと 悟ったのであり、八正道こそ、神理につながり、この世に人間が生存するかぎり、その神理は生き続けていくものであるからなのです。 もしも、釈迦の説いた八正道が、一つでも欠けたり、一つでも、二つでも多くあったとすれば、二千五百年有余年にわたる仏教の歴史は、 今日以上に大きな変化が、あるいはその教えはある地域の人びとのみにとどまっていたかも知れません。それでは、その八つの規範、 八正道について一つ一つ、解説を試みてみましょう。
- 269 名前:1 [2007/08/04(土) 21:04:24 ID:NZ9exz7U]
- 正見(正しく見ること)
ものを正しく見るには、まず、自己の立場を捨て第三者の立場でモノを眺めることです。 私たちは普通、他人の問題については比較的正確な判断が下せます。ところが、自分の問題となり、 利害関係が伴ってくると、是非の判断がつかなくなり、しばしば悔いが残るような結果になるようです。 これは、自分の問題になると、知らぬ間に自己保存が働き、我欲に左右されるからです 正しい判断、正しい見方は、自分を切り離し、いわば第三者の立場でモノを見ることから始まるのです。 そうしてやがてその見方は、心の内面にまで掘り下げられ、これまで正しいと思ったことが、まったく反対であったことがわかります。 たとえば、つい百年前、二百年前まで親の仇打ちは正しいものとされました。仇打ちに加勢したものです。 現代では仇打ちは人殺しになり、殺人罪に問われます。百年前より、ものの見方が前進したといえましょう。なぜ仇打ちはいけないか。 殺人は神の理に反するからです。神の理は地上の調和であり、人びとの目的は、調和の中に生かされているからです。 殺人の繰り返しは、不調和を助長します。つまり、作用反作用の振り子は、いつまでたっても止まることがないからです。 今日、個人間のこうした問題は、国が裁いています。ところが国と国の問題になると、調停や、裁くものがないために、戦争にまで発展してしまいます。 第四次中東戦争は、昔の個人間に仇打ちにも似た怨念戦争であり、争いは、怨念が消えるまで半永久的に続くでしょう。 戦争が絶えないということは不幸です。多くの人命が失われ、一家は離散します。 なぜこうなるのでしょうか。戦争や争いというものは、自分のこと、自国の問題となると、自己保存が働き、自分を守ろう、 相手はどうでも自分さえよければ、という考え、見方に傾いてしまうからです。正見の尺度は神の心なのです。 その出発点は第三者の立場で、自分を見、相手をながめることです。 現象の姿だけをとらえて判断を下しては、間違いのモトになります。
- 270 名前:1 [2007/08/04(土) 21:12:53 ID:NZ9exz7U]
- 現象の奥にかくされた原因を見きわめ、そうして、その原因を取り除く努力が必要なのです。
原因を見出すには反省しかありません。客観的立場に立った反省を通して、その原因をつかみ、捨て去ることです。 正しい見方は、やがて正しい見解をつくってゆくでしょう。そうすると、この現れの世界の、めまぐるしい動きに、 いちいち私たちの心を振り回されることがなく、心をいつも平静にしていられるでしょう。 この現象界で起こった、あるいは起こりつつある現象は、すべて原因があって結果として現れてくるものですから、正しい見方が 養われてくるにしたがって、現象の奥にかくされた原因をつかむことが容易になるでしょう。 正しい見方は、こうした心の眼を養うことによって高められ、やがて、神の心につながっていくものです。
- 271 名前:1 [2007/08/04(土) 21:27:25 ID:NZ9exz7U]
- 正思(正しく思うこと)
思うとは、考えることです。見る、聞く、語る、の行為の中には、正しい中道の神理をもとにした考えがなくてはなりません。 自己本位の考え方は身を滅ぼします。すべては相互に作用し、循環の法にしたがっているため、自己保存の想念は自分にかえってくるからです。 思う、考えることは、行為につながりますから不調和な思いは、想念のフィルムに抵抗をつくり、その抵抗は、自分の意識や脳細胞までも狂わせてしまいます。 私たちは、毎日の生活の中で、自分だけよく思われよう、楽をしようと考え、他人のことを考えなかったりしますが、これは自己保存の我欲につながっていることを知るべきです。 自己主張も自分にもどるのです。競争相手をヶ落とそうなどという思いは、あの山彦に似て、己にかえってきます。 「馬鹿野郎」といえば、山彦もまた「馬鹿野郎」と、自分の声で帰ってきます。 思う、考えることは、創造行為でもあり、自己の運命をよくしたいと思うなら、まず、正しく思うことをしなければなりません。 不調和な思いを持てば、黒い想念の抵抗を自らつくり、苦しみを多くするだけです。相手を 陥れて不幸にしようと思う心は、自分の落ち込む穴を掘っているようなもの。「策士、策におぼれる」の類であり、 「人を呪わば穴二つ」であります。また情欲の連想は、心の中で、行為につながります。夢とかあの世の生活では、思ったこと、考えたことが、 その結果として、ただちに現れます。現象界においても、心の中で思ったことは、形に現れずにはおかないものです。思うことは行為の前提であるが、 実は、行為そのものである、ということを知らなくてはなりません。 昔から姑と嫁の争いを聞きます。姑が嫁にきびしいことをいうと、嫁はたび重なる叱言に心から嫌な姑だ、 早く死んでしまえばよいと思うようになってきて、そうなると心の黒い想念は現象化され、表面は姑に合わせ、 口ではうまいことをいっても、嫁の心にひびくものは、姑に対する憎しみとなり、やがて爆発し、争いになってきます。
- 272 名前:1 [2007/08/04(土) 21:40:01 ID:NZ9exz7U]
- 子でない、親でないという、お互いのそうした感情が、姑と嫁の関係をいっそう面倒にしています。
それというのも、双方の腹の底で、たがいに、よく思われたい、思う通りに家の中をしてゆきたいという自己保存から 抜け切れないために、諸々の問題を引き起こしてしまうのです。 正思の重要なことは、正見と同じように、第三者の立場に立って、思うことなのです。 相手の立場、相手の幸せを考え、調和を目的とした思いが大事なのです。 誤解や行き過ぎはあらためればいい。話し合って、理解し合うということが調和の大きな前提なのです。 話し合ってもうまくゆかず、自分の非がどうしても認められない場合は、相手の為に祈ってやる広い心が必要です。 正道の目的は;心の安らぎ;であり、心の中が、思いが、いつも不安でジメジメしていてはなんにもなりません。 相手に通じなければ、広い心で相手を包んでやることです。 もう一つ大事なことは、我慢と忍辱です。この両者は似ているようで大いにちがいます。 我慢は苦しみ、悲しみを腹の中につめこむことです。自分さえ我慢すれば家の中がまるく収まる、として我慢に我慢を重ねてしまう。 我慢は病気をつくります。忍辱とは、耐え忍ぶことですが、苦しいことを腹につめこまない、話しても相手がわからなければ、相手の心の安らぎを、 調和を神に祈るという、広く、高い心をいうのです。 私たちは忍辱を学び、我慢を捨てることです。正思を養うには、これまた反省です。 今日一日の考え、思いは正しかったか、正しくなかったかを反省し、過失があれば訂正してゆくことです。こうしてやがて、中道に適った正思を、 心の中に確立することが出来ます。
- 273 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/08/05(日) 00:01:28 ID:S8SJriJ0]
- >>1 さん
このスレッドに関心がある人は、高橋信次先生の御著書ぐらい 全部持っているでしょう。単なるコピペは無意味ではないでしょうか。 そんなことより、>>1さん独自の意見をぜひ聞いてみたいですね。
- 274 名前:1 [2007/08/05(日) 02:15:50 ID:zaiiATrv]
- そうですね。失礼しました。確かに単なるコピーペーストは無意味であるといえるでしょう。
しかし、私自身が完全に正法を実践し、大悟の境地に到達したわけではないので、 高橋信次先生の法を私の言葉で説明する事は多少なりとも抵抗感があります。 私はまだまだ修行中の身ですからね。ただ、私自身の個人の意見を言うのであるならば、 やはりのこの方の教えは本物だなという事です。疑問や抵抗を感じる余地がない。信次先生の著作シリーズを熟読し、 八正道を実践する過程の中でやがて大悟に至ると信じています。
- 275 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:破壊カルト創価,ユダヤ,GLA狂信者は自分でまいた悪の種で裁かれる! [2007/08/05(日) 02:17:32 ID:XB/Ruxzs]
-
そうだな。 ただの長文抜粋なんて、著作権侵害の可能性すらも考えていやしない馬鹿丸出しの愚行だ。 オウム創価狂SGIみたいなカルトの洗脳狂信者がするのと同じ愚行だ。 自己中そのものなんだぜ(冷笑)。 しかも、この糞スレは、すでに私の管理下にある糞スレだった筈なのだがなw
- 276 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:無知蒙昧無能スレ主KK123は自らまいた悪の種で裁かれる! [2007/08/05(日) 02:37:50 ID:XB/Ruxzs]
-
>>274 あんたには、無理だよ。 大悟や境地なんてさ。 怠け者には無理ですよ
- 277 名前:1 [2007/08/05(日) 02:51:10 ID:KPwY0WYz]
- ↑まあそう言わずに見守ってやってください。
- 278 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:無知蒙昧無能スレ主KK123は自らまいた悪の種で裁かれる! [2007/08/05(日) 03:18:22 ID:XB/Ruxzs]
-
↑>>275にあることを突かれるザマでは無理だよw 怠け者でしょうにw
- 279 名前:1 [2007/08/05(日) 19:32:43 ID:KPwY0WYz]
- まあがんばります。
- 280 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:破壊カルト創価,ユダヤ,GLA狂信者は自分でまいた悪の種で裁かれる! [2007/08/05(日) 23:17:18 ID:XB/Ruxzs]
-
無理だよ
- 281 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:破壊カルト創価,ユダヤ,GLA狂信者は自分でまいた悪の種で裁かれる! [2007/08/05(日) 23:35:52 ID:XB/Ruxzs]
-
>>274,277,279 あなたの場合だと、今世、生きている間には、凡そ不可能なのです。 菩薩と如来とあるけど、これまであなたは、このどちらに成ろうとして来たつもりだったの?
- 282 名前:1 [2007/08/05(日) 23:51:10 ID:KPwY0WYz]
- 私は出来るならば、仏・如来の境涯に到達したいと思います。人間としての最高の境涯であり、また、正法者の目指す最後の境涯だからです。
- 283 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:無知蒙昧無能スレ主KK123は自らまいた悪の種で裁かれる! [2007/08/05(日) 23:59:55 ID:XB/Ruxzs]
-
菩薩では不満?
- 284 名前:1 [2007/08/06(月) 16:46:03 ID:d4FGrXU8]
- いや出来るならば如来の境地に到達したいですね。
- 285 名前:神も仏も名無しさん [2007/08/06(月) 20:35:03 ID:v1iSQMcc]
- エルカン賢者=2次元如来
- 286 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:無知蒙昧無能スレ主KK123は自らまいた悪の種で裁かれる! [2007/08/06(月) 23:21:05 ID:LpcdKYzg]
-
無理だね。あなたではそもそも、全く可能性すらないでしょうな。 現実は厳しいね。
- 287 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:無知蒙昧無能スレ主KK123は自らまいた悪の種で裁かれる! [2007/08/06(月) 23:26:08 ID:LpcdKYzg]
- >>285
無理だね。あなたではそもそも、全く可能性すらないでしょう。 現実は厳しいね(失笑)。 >>286 劣等種(>>286)のお前では、現実逃避の虚しい世界で埋没か(冷笑)。
- 288 名前:神も仏も名無しさん [2007/08/07(火) 08:37:38 ID:v5jKgMrE]
-
仏 ∧敵∧ (°∀°) (∪ ∪) ( ) ( ) ( ) ( ) ()
- 289 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:無知蒙昧無能スレ主KK123と創価は自らまいた悪の種で裁かれる! [2007/08/07(火) 09:33:24 ID:Go25bewq]
-
市長暗殺の黒幕は安倍自公らしいね。 これで独裁者の存在とファシズム国体護持の非民主国であるとの現実までも世界中に証明されたわけだし。 伊藤長崎市長の死を無駄にしない為にも、なんとか国連の常任理事国にならないで済むと善いですね! 世界中の国々が『日本の常任理事国入りにNO!だと意思表示してくれる善意にすがるしかない』けどね! __ __ .r―――――――― ∨ | 1票よりも、2発の凶弾だけで決まっちまったよ!投票するだけでも命がけだ 日 凸 U | ______ ≡≡≡≡≡| /≡ ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ U ∩ [] ∨ <丶`∀´> < 『暴』弾ヘルメットと、『暴』弾チョッキが何枚も必要になったニダ! __∧ ∧____∧__∧つ__)_ \_____ 日< ,,> < . >▽ ― / | ― ( )――― \(__.ノ ━┳━) ━┳━ └ ┃―・゛  ̄ ┻  ̄ ̄ ̄ ┻ ̄ ̄ ̄
- 290 名前:神も仏も名無しさん [2007/08/09(木) 06:08:01 ID:WBhM5JI0]
- >>289
∧_∧ (⌒∀⌒) ∪ ∪
- 291 名前:神も仏も名無しさん [2007/08/10(金) 11:02:53 ID:J0POq5Y0]
- さすが、神、僕は、豚神様が好きすぎるのさ。
毎晩、バイタンスープ飛ばし合いしてるマブからな。 寒いこと言っちゃったかな? 荒らしまくってやる
- 292 名前:エルカンターレとも呼ばれた賢者 mailto:破壊カルト創価,ユダヤ,GLA狂信者は自分でまいた悪の種で裁かれる! [2007/08/11(土) 21:38:30 ID:N65fjDHf]
- >>290
破門されたそこのお前、質問に答えろよ。
- 293 名前:神も仏も名無しさん [2007/08/13(月) 19:12:19 ID:o2Dx5+Vt]
- 右からエロカンがやって来た〜
それを皆で左へ受け流す・・・
- 294 名前:神も仏も名無しさん [2007/08/14(火) 13:55:46 ID:Ir8/iT2S]
- >>292
【審議不要】 ババ バババ ババババ バババ ∧_,∧ ババ ∧_∧ バババ ∧_∧バ( ´・ω・∧_∧ (・ω・` ) ∧_∧ (´・ω・)=つ≡つ);;)ω(;;(⊂≡⊂=(・ω・`) (っ ≡つ=つ (っエル賢⊂) ⊂=⊂≡ ⊂) / ) バ∧_∧| x |∧_∧ バ ( \ ( / ̄∪バ ( ´・) ∪ ̄∪(・` )ババ ∪ ̄\ ) ババババ/ ) バババ ( \ ババババ バババ `u-u'. バババ ババ `u-u'
- 295 名前:神も仏も名無しさん [2007/08/15(水) 23:17:14 ID:TrQyPZAW]
- 曰く、病気になったら逆に病気に学びなさい。命の事、他人の痛みについて。
曰く、金はいくらあっても心までは満たされない。欲望に振り回されないで。 曰く、怒らないことによって怒りにうち勝て。それに、原因はあなたにあるのかも知れません。 こう言えば、言った方は正しい理屈だと勝手に満足しています。 しかし言われた方は理屈を聞きに来たのではないのです。 苦しい時、まやかしでもいいから一心に祈ってくれる人と、高みに立って理屈を諭そうとする人と、 どちらに心を許せるでしょう。少し考えさせられる問題です。 人々はまず、自分の孤独な悩みを真剣に聞いてくれる人を探しているのです。 そして、それに応えようとする人に感謝します。宗教の原点は、まず互いの悩みを感じあう事なのですが、 伝統宗教は「真実」という言葉にこだわる余り、この基本を忘れてしまいがちです。 もちろん真実であることが本当の救いであり、 普遍的な覚りなのですが、深い悩みを抱えている人とは、まず苦痛を分かち合う交流が必要です。 信頼があってこそ治療が出来るようなものでしょう。 or.jp/~yba/Real/q13.html
- 296 名前:神も仏も名無しさん [2007/08/18(土) 18:37:23 ID:qy2gOIVH]
- GLA系諸教団の一つである堀田和成氏の偕和會の実態がウィキぺディアに書かれていました。少し挙げてみます。
偕和會(かいわかい)は東京都 葛飾区金町に本部を置いている宗教法人である。 1.概要 教祖堀田和成氏(1940〜)は元GLAの高橋信次氏のもとで、出版担当をしていた。信次氏の死後、「法友(ほうゆう)」というグループを作って1978年独立し、後に「偕和会」と改名して今に至る。株式会社法輪出版は堀田和成の著述を専門に扱っている出版社。1985年宗教法人 2.現状 自分の教えを正道と説き、神から示唆を受け自動手記で書物を作成すると主張している。霊視ができると言うが、 会員信者や有名人・著名人のプライバシーを会報誌に無責任に暴露し、信者に恐怖を与えている。霊視が不完全なことがあり、 アドバイスもくるくる都合よく変動するため、脱会者が絶えず、信者数もあまり増えない。 ノーベル化学賞受賞者の精神性の幼稚さを激しく会報誌で非難したり、某有名演歌歌手、某大物俳優は死後、地獄界に落ちたと発言するなど、三面記事的発言が目立つ。 信者に対しても会報誌にて、住所、年齢を暴露した上で不確かな霊視により中傷に当たることを書き連ねるため、信者が泣き寝入りをして脱会することが多い。 教祖堀田和成は、光を与えているものを糾弾すると、運命的に不幸になると説き、自分への非難が起きないように、脅威を与えている。教祖である自分を非難した者に対し、 いざその人に不幸が襲いかかると、鬼の首を取ったかのように、会報誌に罵詈雑言を書き連ねる傾向がある。そのため、教祖の光の反作用というものに恐れを抱き、 脱会信者が名誉毀損を訴えることなく今日まで過ごされてきた。教祖堀田和成自身も自分が多いに人から許されて泣き寝入りをさせて今日があることを知るべきである。
- 297 名前:神も仏も名無しさん [2007/08/18(土) 18:38:29 ID:qy2gOIVH]
- 支部長制度を採用しているため、派閥、勢力争いが絶えず、弱いもの苛め、仲間はずれが頻繁にあり、
不幸に苦しむ信者に対して幹部から、攻撃の電話がかかってくることがある。 この宗教に入信すると、神に供える榊に根が生えてくる為、信者達はこれを奇跡と呼び、マインドコントロールに陥るが、 実際、奇跡はこの根が生えるだけでしかなく、人生を救うような奇跡は望めない。教祖である堀田和成自身が、書籍で脱会信者を中傷している箇所がいくつもある。 もともと教祖である堀田和成は新聞記者であったため、 書籍で人を攻撃する癖が未だに抜けないようである。 3.相談予約制 教祖堀田和成に予約制で直接、ご相談もできるが、 霊視は不完全であることを指摘すると、「くわしく言わないと分からない。」 「霊視にはエネルギーがいるのであらかじめ言ってもらわないと困る。」などと怒り出した挙句の果てに、 「他に待っている相談予約者がいますので面会は10分までです。」と言って打ち切ってしまう。 その為、わざわざ、東京本部に出向いても、物事が解決しないことが多い。 4.教義 教祖堀田和成の守護霊はイエス・キリスト、仏陀、モーゼであると主張しているため、 クリスチャンもしくは、仏門からの改宗を促すような表現が多い。その為、キリスト教の博愛主義を基盤とし、 仏教の釈迦の中道を、正しい道、正道であると説いている。教祖堀田和成は何度も心の安らぎ・平安を信者に呼びかけ、 自分は救われたと信者に思い込ませようとしているが、教祖堀田和成自身が人の中傷・誹謗に満ち溢れ、心の安らぎ・ 平安から程遠い文章を常に連ねている。
- 298 名前:神も仏も名無しさん [2007/08/18(土) 18:39:17 ID:qy2gOIVH]
- 5.奇跡
十字架の模様が天幕に浮かび上がったり、信者の榊に根が生えて来たり、見世物的な奇跡は、たしかに起きてくるが、教祖本人が心の安らぎから程遠く人の非難・中傷が多すぎるため、信者も批判・陰口が相当多い人が目立つ。 6.霊大祭や祈祷瞑想会 毎年定期的に講演会を市民会館などでとり行なっていたが、教祖堀田和成が脳梗塞で入院後、廃止に到っている。 また、教祖堀田和成の霊視によって、意識の高いものが選ばれ、毎月瞑想会を各会館で開催されていたが、こちらも廃止に到った。 脳梗塞の麻痺は出ずにすんだそうだが、霊大祭や祈祷瞑想会を辞めたのは、神の話を理解できる会員がいないからだと教祖堀田和成は主張している。発言に稚拙さ 、我が侭が目立ち、人類救済の概念は最初から放棄している。 意識の高い人間は、本来三面記事的な攻撃を無責任に人に仕掛けないはずである。まして、正確性に著しく欠ける教祖の霊視によって、活字により、書籍、会報誌に人権を侵害された信者、著名人に対して、 反省・つぐないをするきざしが、この教祖にはまったく皆無である。意識の高い人とは、本来、人の悪口を決して言わず、長所・欠点に捕われずに人格を認めることのできる能力があるものだ。 かくして教祖堀田和成は、人権侵害に関しては、いたって平気な人間である。さんざん、人を中傷し、信者や著名人など、人の不幸を紙面で書き立て、事実ではないうそまで書き連ね、人を傷つけてきたたあげく、 自分が脳梗塞に倒れると、神の話を理解できる人がいないとの理由で偕和會を近々閉鎖する可能性もあるとのことである。
- 299 名前:神も仏も名無しさん [2007/08/18(土) 18:41:48 ID:qy2gOIVH]
- 教祖堀田和成は、行いが悪いから病気になったとか、会社が倒産したなどと信者や知人を書籍であげつらい、非のうちどろろのない人間に対しては、
死後地獄に落ちたなど人の不幸を紙面でさんざん書き立ててきたが、本人は、自分が脳梗塞で入院してもそれは自分の行いの悪さではなく、 偕和會を閉鎖するのも、信者が悪いのだと言い切っているようなものである。 もし、この教祖に勇気があるのなら、自分の霊視が間違っていたことも多々あり、不適切なアドバイスにより、 信者の運命を破綻させるようなこともたびたびあったことを、偕和會を閉鎖する前に認めるべきである。 7.被害の実態 会報である法友誌には、毎月、教祖の堀田和成が今月の課題や抱負を信者を叱咤激励する文章が載せられるのだが、それとは別に信者が分からないことを質問したものを記載されるページがある。そこで中傷、誹謗が展開されるのである。 普通に疑問に思ったことを質問した女性が、まるで不倫をしているかのように書きたてられ、県・市・年齢・性別を記載されたため、偕和會にいられなくなり脱会したケースがある。 財産横領をしようとした信者を擁護し、被害者の信者のほうを嫉妬・ねたみに狂乱していると指摘され、あまりにもひどいので、教祖に直訴するも、 訂正記事も載せなかったため、他の信者から白い目で見られるようになり、耐え切れず脱会したケース。宗教団体としての利害が伴ったものと見られる。 そもそも、会報に県・市・年齢・性別まで記載すれば、名前を伏せていても信者同志で誰のことか分かるため、 信者の個人情報に対して無責任すぎたのではないかと思われる。
- 300 名前:神も仏も名無しさん [2007/08/18(土) 18:42:33 ID:qy2gOIVH]
- 書籍にて脱会信者の一人を激しく非難し、彼女の人生がどんどん暗くなっていく様子を暴かれ、その後今はどこに行ったか分からないなどと表現しているが、
この表現に慈愛や人類救済の意思がまったくといっていいほど伺えられなかった。全国の書店で市販されている書籍であったため、彼女は多大なトラウマをこうむったと思われる。 少なくとも、有名人、著名人の批判が著しく、死後の霊の行き先を紙面で書きたてるのだが、 遺族にとって死そのものが悲しいばかりでなく、全国で販売されている書籍で地獄に落ちたと指摘されるのを見てどのような思いをしただろうか 8.ウィキペディアに実態を書いたことについて 教団に対し、文句・問題を起こさない人を意識が高いと指摘し、教祖にとって都合の悪いものは意識が低いと認定される。 そのため、不幸があっても黙ってたんたんと耐えぬくことを理想とされるため、ここの教えは決して救いにはならない。苦しみを消化できない人に対して、 ここの教祖は決して適切なアドバイスをすることはできなかった。 教祖の人類救済はいつわりでありこれ以上、被害者が出ないように望む。神の話がわかる人がいないからというのを理由に無責任に閉鎖するだけでは、 被害者達の傷跡は埋め合わせがきかない。閉鎖するまえに、教祖本人のやってきた行いがどれほど罪深いものであったかをきちんと表明することを望む。 "ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%95%E5%92%8C%E6%9C%83" より作成
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