- 585 名前:神も仏も名無しさん [2010/05/06(木) 23:29:29 ID:Li17LXDW]
- >>580
>はデタラメですwwwそもそも和協信条は改革派否定ですからWww www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/wakyou.html 和協信条 1580年 ルターの死後、ルターに代わる指導者が現れないまま、ルターの盟友メランヒトンはルター派を めぐる諸勢力に対し妥協的になりました。 メランヒトンがローマ・カトリック教会やプロテスタント諸教派に妥協した点は、信仰告白としては あいまいな表現が残されていたり、宗教改革初期には問題とならなかった周辺的な問題であったり、 どうしても一致できずに残されていた部分でした。 しかし、それらをメランヒトンが妥協したことによって、かえってルター派の信仰はあいまいになり、 ルター派側の分裂を引き起こしてしまいました。 和協信条は、それに応えるために書かれ、これによって、ルター派の分裂は回避され、ルター派の 信仰が内外に明確にされました。 和協信条は、まず1577年に「根本宣言」が書かれ、その3年後に数千人の署名とともに「和協信条」と して発表され、同時に、和協信条によって認定された諸文書とともに「一致信条書」として出版されました。 その時、冒頭におかれている「一致信条書・序文」が書かれました。
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