- 357 名前:神も仏も名無しさん [2010/05/05(水) 13:49:23 ID:MaCfPGpU]
- 自然的な人間には、自然的な信仰心しかありません。
自然的な信仰とは、現世と自分しか信じないことです。 「父がもっておられるものはすべて、わたしのものである。」(ヨハネ16.15) 「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」(マタイ28.18) こう聖書の中で、主が全能であると語られても、内心では信じていません。 イエス・キリストを神と信仰するといっても口先だけです。 心の中では、主の全能を信用していませんから、人類を滅ぼすのは、 戦争や天変地異などの現世的な不安でしかありません。 しかも、聖書に記されている預言はそのことを予告しているのだと思い、 だから人類はそうならないよう、神の警告に真摯に耳をまさなければなら ないのだと言います。かれらがもっている信仰心とはこの程度のものです。 したがって、この種の信仰しかない人人たちにとって、主が(みことば)の 中で、(永遠のいのち)について語られても何一つ理解できないし、何かの 喩であるとしか考えません。
|
|