- 112 名前:時事の参考資料 [2010/04/29(木) 11:36:59 ID:M/CDFdQ7]
- >>111(つづき)
だからスエデンの「獣」=「教会教義」、「バビロン、大淫婦」=「教会」という システムでは、>>95の通り # 「教会」が「獣」で「大淫婦」で「バビロン」であるというスエデン勝手解釈だと # 18章4節→「信者は教会から離れ去れ」ということだと言う。w # # しかし「ぜいたくに暮らしていたのと、/同じだけの苦しみと悲しみを、/彼女に # 与えよ」が「教会がぜいたくをして暮らしていた」をどう解釈するというのだろう?? これなどにも答えられませんね。細かいところと無視してしまうしかない。しかしそぐわない 表現を無視しているのは都合が悪いから捨てているだけで神の意図しているものを正確に つかむという基本的に必要な態度や姿勢を捨てているということです。そういうものに義は 見出せません。つまり正しく神に向うものではないということ。だから先記の論理破綻が明白に。 また>>101でも言った「都市としてのバビロン」であることの意味も精密につかめばやはり こうなるでしょう。18章の経済に深く関係することが強調されているのをスエデン教では おそらく解釈できません。たぶん捨てているでしょう。どうです? # 黙示録は「獣」と別の「国家ならぬ」ある「都市」「バビロン」であると言う。 # つまり滅ぼされるのは国家ではなく「都」である。 # それは「魔術の中心都市」としての「都」としてそれは表現されている。その「魔術」は18章の # 記述から明らかに「経済魔術」を指している。 とにかく聖書の表現もニュアンスもすべて捨ててしまわないと、スエデンの勝手に 読みっていると主張する含意なるもの(内的という特殊用語で言っているもの)は 主張できない。これは結局は「なんとでも言ってしまって自分の主張を聖書に押し 付けているだけの代物で、脈絡というのは自分の立てたストーリーにおける脈絡でしか ない。聖書の参照引用は全く無関係のものを強弁してこの意味だと言っているだけで しかも参照箇所はデタラメなものもあったという始末では、破綻は確定しています。
|
|