- 224 名前:神も仏も名無しさん [2010/04/20(火) 23:52:01 ID:E09yBY+h]
- >>221(つづき)
>>220 だからもちろん根拠が出せれば見るのは、>>162-171ときちんと対応している のを見ればわかるでしょう。あなたはいつでもそうやって独善的に逃げ口上を 言って煙に巻いて逃げているだけですが、その自覚すらまるでないのが困りモノ。 たとえば、出エジプト記 / 19章 18節 では、 「シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように 立ち上り、山全体が激しく震えた」 さらに、出エジプト記 / 20章 18節 では、 「民全員は、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音が鳴り響いて、山が煙に包まれる有様を見た。 民は見て恐れ、遠く離れて立ち」 このように、神の威光、力のシンボルの一つとしても現れていることを無視し「火」「煙」というシンボル をどうして一方的にこのように決め付けて解釈するのか?しかも、神とアブラムの新しい契約の場面 において使われている象徴に対して、です。スエデンボルグのいかにも独善的で先に主張ありの解釈 といわざるを得ません。 >「煙の吐く炉」とは、極めて濃密な偽りを指します。「燃える松明」とは、欲情の熱気です。 >「煙を吐く炉」と言われるわけは、教会人が真理認識を持ちながらそれを承認せず、心で >否定し、真理に反対して生活する場合、煙のかまどのような現われ方をします。 >「炉」であるとは、「煙」のように憎しみに根ざす偽りを宿していることを言います。 >偽りとなる欲情は、「このような炉から出る火炎」です。 >来世では、憎しみ、復讐心、残酷、姦淫の欲情は、そのような表象物として現れ、それも >策力的な下心に混在しているとなおさらです。
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