- 219 名前:神も仏も名無しさん [2010/04/20(火) 23:27:39 ID:E09yBY+h]
- >>206
ところで質問です。 >第12節に「日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた」とありますが、 >「日が沈みかけたころ」とは、週末の前の時間と状態を示します。 >それは「日(太陽)」が意味するとこらから明らかです。太陽はその内的意味では >主を示し、愛と仁愛にかんする天的なものを示し、さらに愛そのもの、 >仁愛そのものを示します。したがって、「日が沈む」の、内的意味は教会の終末の >ことで、終末と言われます。「アブラムは深い眠りに襲われた」とは、当時の教会 >が暗闇の中にあったことを示します。 > >したがって、「日が沈み」とは、終末時の異常な時機を言います。「暗闇に覆われたころ」 >とは、仁愛に代わって憎しみが生じたことを言います。みことばで、「暗がり(暗闇)」とは >真理に代わる偽りを示し、「暗闇」とは、善に代わる悪を意味します。同様に、仁愛に代 >わる憎しみをも示します。 スエデンはなぜ、この創世記15章17節の部分をわざわざ「終末の暗黒」として受け取ったのか の根拠は出せますか? すでに前スレでの引用に対して指摘したことを含め、スエデンボルグはたびたび「いきなり ここは教会のハナシだ、終末のハナシだ」と決め付けた独自の解釈をしているようです。 何を以って、この「神とアブラムとの新しい契約の場面で現れた神の現われ」が「終末の 暗黒」に対応すると判断したのか、その理由を教えてください。そこが疑問の一つです。
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