- 397 名前:神も仏も名無しさん [2020/05/29(金) 09:26:07 ID:5vwdJcCQ.net]
- >>376
神は神から離れる外はできません 三位一体とはまさに3つの位格が一つの実体として働いていること、別つず離れずで「なければならない」ことを語り、クリスチャンはそれを信じます 神であるキリストは真の神であり真の人です 父の創造の意志を三位一体の神であることから熟知し 創造の意志である人類の救済のために 神であるのに人として受肉し 十字架のことをご存知なのに贖罪のため 預言の成就のため 父の創造のため 神性と人性におけるキリスト自身の意思のため 十字架まで歩みました これは神から離れたのではなく むしろ三位一体の神であるからこそ成し遂げられたこと それを「神から離れた」と表現するのは神を神であると認めておらず、地上に属する肉の価値観でしか神を見ることができないということ 傲慢な人間は神がなんでも出来ることを信じず、忘れており、信仰を知らない 468 カルケドン公会議の後、ある人々はキリストの人性を人格的主体として考えるようになりました。 これに対して、第5番目の公会議である533年のコンスタンチノープル会議は、「聖三位の一者であるわたしたちの主イエスキリストには唯一の自立存在だけが存在する」と宣言しました。 したがって、キリストの人性におけるすべては、単に奇跡にとどまらず、苦しみも、死さえも、その固有の主体である神的ペルソナに帰すべきです。 「肉において十字架につけられたかた、すなはち、私たちの主イエスキリストは、真の神、栄光の主、聖三位の一者です」。 475 …第6公会議で次のように公言しています。キリストは本性上二つの意志と二つの働き、すなわち、神としての本性と人としての本性によるそれぞれの意志と働きをもってますが、 いうまでもなく、二つの意志と働きは協調して、対立することはありません。 従って、人となられたみことばは、わたしたちの救いのために御父と、聖霊と共に神として決定された全てのことを、御父への従順から人間としての意志によって受け入れられたのです。 キリストの人間としての意志は「神としての意志に従い、抵抗も反対もせず、かえって、この全能の意志に従属しています」。
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