- 393 名前:神も仏も名無しさん [2020/05/29(金) 09:08:16.02 ID:5vwdJcCQ.net]
- >>372の続き
892 名前:神も仏も名無しさん :2020/05/26(火) 00:17:31.12 ID:Gs6s/RWz 聖書は調和や親和の中で読むものであり、箇所を切り取って都合の良い風に読むものではない それぞれの箇所は他の箇所との調和や親和の中で、正しいと判断したり、間違ってると判断できるようになる この知覚器官は開発されるもので、クリスチャンになればみんな全て同じレベルで持っているものではない 910 名前:神も仏も名無しさん :2020/05/26(火) 00:51:25.23 ID:Gs6s/RWz 三位一体の神は「人類の救済における一なる神」なんだよな 父と子と聖霊は今日のキリスト教の伝統における解説で分かる通り、人類の救済における三位一体の神であることが理解できる 父が父であるのは子との関係性においてで、子は人類と関係があるから子であり、聖霊も父と子と関係があるから聖霊であると同時に人類の救済において働く位格であるから聖霊なんだよな この人類の救済ってキリスト教のレンズだと「神の創造」なんだわ 創造の中に人類の救済があって、人類の救済という概念に中心化して神を眺める時に三一があって、この中心化、という概念があるから人格神でかつ一、みたいな世界観が出来上がるんだな だからやっぱり三一はキリスト教を語る時に一番重要な概念なんだよな
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