1 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/03/01(金) 19:16:58.89 ID:dShxWNrD.net] お釈迦さまの教えとサマタ・ヴィパッサナー冥想に関心のある人、実践している人、 体験や変化を 実際に経験している人、初心者、先達の方々、預流果の方々、 更なる成長を求めて語り合いましょう。 前スレ 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15 [転載禁止] https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1544370283/ ※ここはテーラワーダ仏教全般について語るスレであって、日本テーラワーダ仏教協会や そこの所属比丘についてだらだら語る場ではありません。 日本には他にも上座部仏教修道会、日本上座部仏教協会、日本ヴィパッサナー協会など 多種多様な団体があります、 諸外国においてもタイ・ミャンマー・スリランカ・ラオス・カンボジアなど、国ごとの違い もあります。 そこを踏まえてご参加ください。
257 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/07(日) 00:33:46.09 ID:l9OUtTzl.net] >>250 それは真我とも梵我一如とも関係がない
258 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/07(日) 09:14:39.14 ID:svjdz5T1.net] 真我、梵我は妄想 現実は気づきと智慧だけ 気づきと智慧で観れば無一物、何も無い、諸法無我
259 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/07(日) 12:59:11.49 ID:n/PjHZRL.net] サティにしても智慧にしても有為のものだから本質的には虚妄、無常、苦、無我
260 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/07(日) 20:29:32.07 ID:svjdz5T1.net] 智慧はサンカーラ、行によってどうこうするものではないから無為 智慧は頑張って考える事ではないし、思考でもない、現象でもない サティは努力して、意志の力によって継続するものだから有為、無常、苦、無我
261 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/07(日) 22:51:29.52 ID:n/PjHZRL.net] >>256 それはテーラワーダの教義ではない テーラワーダでは無為は涅槃だけ 智慧は有為法のなかの心所に属するというのがテーラワーダのアビダルマ(慧根と訳される) 説一切有部の五位七十五法や唯識の五位百法でも智慧は心所に属する
262 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/07(日) 22:52:35.58 ID:n/PjHZRL.net] 智慧は因果によって完成させるものであり有為
263 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/07(日) 23:05:35.86 ID:uMziklyM.net] >>252 如来(仏陀)はどに相当するのでしょうか。
264 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/08(月) 00:01:49.94 ID:TNu/czsX.net] 入滅したんだから無為じゃね
265 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/08(月) 00:11:37.48 ID:nZqRRoq/.net] 菩提樹のもとで成道して般涅槃するまでの仏陀は?
266 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/08(月) 07:34:15.94 ID:izsSYgQE.net] >>257 慧根と智慧は違うでしょう 慧根はたぶん、智慧によって物事を観る働き、智慧が生まれる根本 智慧は無明が無い状態、無明から生まれる行が無い状態、因果に属するものではなく因果から離れる事を理解した状態 アビダンマでも無明は定義されてないでしょ?たぶん 無明、智慧は教義で捉えることはできず、それが何かを理解した人はもう悟ってます 思考、概念を超えたものですね、無明、智慧は
267 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/08(月) 07:49:56.42 ID:izsSYgQE.net] そういう意味だと智慧は無為と言うのは正確ではないですね 智慧は有為、無為を超えたもので、智慧によって無明が破れることで無為が生まれると言った方が正確かもしれない 無明も有為、無為に属するものではないが、無明から有為が生まれる
268 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/08(月) 08:55:56.07 ID:CZ3Rcxeh.net] 二つ目は c e t a s i k a 。心所と漢訳していますが 、認識と一緒に生まれる感情のことです 。 これはそれほどいい意味ではありません 。 心 ・認識機能がはたらいてものごとを認識しますが 、それで終わりません 。 花を見るのも食べ物を見るのも 、見るはたらきは同じなのですが 、私たちは 「きれいな花 」 「おいしそうな食べ物 」などと決めて見ますので 、それなりに心の感情が変化しています 。 人を見るときも 、見る相手によって 、心には違う感情が生まれます 。 怒り 、苦しみ 、悩み 、嫉妬 、明るさ 、眠気 、いろいろなものが心に生まれます 。そのありとあらゆる感情が 、全部 c e t a s i k aです 。 仏教で言う悟りの智慧さえ 、ここ ・心所に入ります 。 悟ったときの智慧も 、感情と言うのも変ですが 、それも一つの 、心に生まれる状態です 。 世界的な画家が描いた絵を 、写真でも模写でもなく本物を目の前で見たら感動する 。 そのように 、真理を見ると心にある変化が起こる 。 その変化を智慧と言う 。それも心所の一つです 。 ですから善悪にかかわらず 、心に生まれる一切の感情は 、心所 。 (アルボムッレ・スマナサーラ「ブッダの実践心理学 第1巻」)
269 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/08(月) 10:25:35.24 ID:izsSYgQE.net] 「ブッダの教え一日一話 今を生きる366の智慧」という本では、 >智慧とは、特別に「何かがある」ことではありません。じつは、「何もない」ことなのです。 とおっしゃられているので矛盾すると思う ブッダゴーサ長老はなぜ智慧と言わず慧根と言ったのか?などの疑問もあるが、スマナサーラ長老がそうおっしゃるのならそうでしょう 智慧は心所であり、無明から生まれる有為のものであり、無常、苦、無我であるという事でしょうね
270 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/08(月) 13:06:10.69 ID:izsSYgQE.net] 申し訳ない 自分が言ってた智慧はvijjāで、明知とか明というやつですね 普通の智慧はpaññaで、戒定慧の慧、物事をありのままに観る事ですね スマナサーラ長老はどちらもひっくるめて智慧と呼んでいるようです
271 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/08(月) 15:03:36.81 ID:jChXmu69.net] なんか今日ヴィパッサナー瞑想していたら、存在するのは精神だけだって感じになりましたw 唯識派が生まれたのが分かりましたw まあ勘違いの可能性もありますから、私は唯識派にはなりませんけどw
272 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/08(月) 15:29:31.98 ID:CZ3Rcxeh.net] >>267 阿頼耶識までもが空と悟って本当の唯識となる
273 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/08(月) 15:38:25.27 ID:jChXmu69.net] >>268 レベル高っw そこまでは無理かなぁ・・・w 横道にそれるのでやらないと思いますけどw でも明らかに体もあるので精神だけってのはおかしいですよね。 と頭で理解してみるw
274 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/08(月) 17:15:04.29 ID:CZ3Rcxeh.net] 唯識を完成させたと思われる世親は元々は経量部の比丘だったから部派仏教の勝義諦の概念を導入して法(もの・存在)を分別した。 この辺は説一切有部やテーラワーダに似る。 でも世親は大乗仏教に鞍替えしたので大乗の空の観念も足し合わせてそれらの分別された法も空であるとした。 そこが何かしらの実在を認める部派仏教との違い。 でも玄奘など三蔵法師の文献によると彼らがインドに渡った時に一番隆盛を誇っていたのはまあヒンドゥー教なんだけど、 仏教では大乗仏教ではなく玄奘らが小乗と思っていた部派仏教で犢子部とその派生の部派でインド仏教の半数を占めていたらしい。 犢子部は補特伽羅という輪廻主体を認めていた部派で、犢子部が人気があったということはいかにインド人が魂の概念が好きだったかを物語っている。 もちろん説一切有部の比丘、僧侶(サンガ)もまだ健在ではあった。
275 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/08(月) 20:22:55.87 ID:izsSYgQE.net] 目を閉じてなるべく妄想しないように気をつけながらヴィパッサナーをやると、「明らかに体がある」ではなくて「体があるという認識が生まれ消えている」という事実が観えるはず
276 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/08(月) 20:29:26.96 ID:izsSYgQE.net] 認識は感覚と、手、足などの言葉、イメージから捏造される その時認識したいという意志も働いているはず それら全てが高速で生滅していること事に気づき続ければ、いずれそれらが無くなった状態、涅槃に達する
277 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/08(月) 22:55:36.20 ID:qKxh+ly4.net] >>272 自分の体験談として行ってるの?
278 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/08(月) 22:56:07.39 ID:qKxh+ly4.net] 言ってるの?
279 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/09(火) 08:20:11.34 ID:VrvORO4a.net] >>273 そ
280 名前:う 一度は涅槃に達してないと仏教徒とは言えない 苦しくても泣きながらでも瞑想してブッダについていかないと [] [ここ壊れてます]
281 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/09(火) 11:02:24.39 ID:qu/BO/ZI.net] つかまえているという感じでしょ
282 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/09(火) 14:02:33.26 ID:ejTyQt9E.net] それは涅槃ではなく禅定では
283 名前:神も仏も名は有るさん(男性) [2019/04/09(火) 14:06:18.31 ID:D4+sGLdJ.net] 昔話だ。 所要があって長距離バスに一人乗った。 書籍も持参していたが読む気になれず、アーナパーナサティをすることにした。 窮屈な車内で中々集中出来ず、眠気とも戦いながら、それでも我慢してやり続けると、 正確には覚えていないが「呼吸してるだけ」とかの思いが生じた。 そこで思い出した。 『このように、自己の身において身を随観し続け、...そこで「身(呼吸)のみあり」 との念が彼に起こる。それこそは智慧の(増大の)ため、...』 大念住経の一節だ。 「ああ、経典で見たのはこの光景の事なのか」 常日頃、私は仏教修行を登山に譬えるなら、経典や書籍類は地図に過ぎない。 いくら地図を理解し、精通したからと言って、それで山に登った事にはならない。 山に登るとは戒律を守って瞑想することに他ならない、と思っていた。 バスの中で私は確かに低い山かも知れないが山に登っていたのではないかと思っている。 その後その様な体験が何度もあったと言う事もない。
284 名前:神も仏も名は有るさん(男性) [2019/04/09(火) 14:07:55.90 ID:D4+sGLdJ.net] >「存在するのは精神だけだ」 つまりは「心のみあり」との念が>>267 に起こった訳か。 それならば心隨観であるな。 『このように自己の心において心を随観し続け、...そこで「心のみあり」との念が彼に起こる。 それこそは智慧の(増大の)ため、...』―「大念住経〜心に関する随観」 >>269 >でも明らかに体もあるので精神だけってのはおかしいですよね。 これを余計な思量と云ふのでは御座いませんか。
285 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/09(火) 16:31:02.06 ID:qu/BO/ZI.net] やっていくとわかるよ
286 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/09(火) 16:31:46.65 ID:IZlOJq9z.net] >>279 一応、精神が認識するから事物が存在するという認識になりました。 心の外にモノは存在しない、という感じですね。 でも心のみが存在するという、心隨観の状態だったかもしれません。 すいませんよくわかりません。
287 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/09(火) 20:35:20.71 ID:VrvORO4a.net] >>277 禅定の場合は一点集中の気づきから入る 涅槃はまんべんなく六根に対しての気づきから入る 禅定と時は出てきてからしばらくすると入る前と変わらない状態になるが 涅槃と場合は出てきてからしばらくして智慧が現れ、煩悩がいくらか遮断される
288 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/09(火) 22:37:55.62 ID:+XS94E37.net] rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1548698413/814 > >>812 > >>813 > やっぱ小乗の人って我さえよければいいっていうのは本当なんだね。 > 大乗の人もそうなのかな? ところであなた方はあなた方の信じるところに従って、必ず解脱できるの? > またそのように修行しているの? rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1548698413/815 > >>813 「解脱してから他者を救う」って言うのは 「カネを稼がないと、施しも出来ない」っていうほどの意味なら理解できるが、 解脱して仏陀になるまで誰も助けないでいいのかね?
289 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/10(水) 01:26:53.84 ID:zV4ePXuR.net] なんか、預流果ってなるのは実は滅茶苦茶難しいんじゃないかって思ってきました。 自分の場合ですが、体と心を探しても自分はいないってことが今日分かったんですが、 まだ有身見は消えてないんですね。 探求していた間は、これを達成したら預流果になれる、 簡単だと思っていたのに、実はかなり難しいのでは? 悟れるかどうか不明になってきました。
290 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/10(水) 03:51:44.58 ID:Sib+JTY0.net] 一切皆苦ぅぅ
291 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/10(水) 17:32:16.03 ID:+bT/7lvJ.net] >>283 カナヅチが溺れている人を助けることはできない。 まず、自分が泳げるようになる必要がある。 そういうことではありませんか。 ダンマパダにも、まず己を整えよ。それから他人を整えよとあります。
292 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/10(水) 19:52:01.22 ID:zV4ePXuR.net] うーん自我は錯覚だと聞いていたけれどなるほどなぁ。 自分でないものをこしらえていたんですね。作ろうとしなければ自我はないと。
293 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/10(水) 20:03:38.09 ID:r/98R04Z.net] >>286 カナヅチでも縄や浮き輪を投げてあげる、助けを呼ぶなどは出来る。 仏教徒というのは、他者を助ける、と言うのが二の次で、自己の修行さえ完成すれば良いように思える。
294 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/10(水) 20:52:28.34 ID:GuGoeFFv.net] 生きることは高層ビルで火事にあうようなものだね。 無明という煙に覆われていて出口は見つからない。どこに逃げても熱くて苦しい。 ブッダは解脱という非常階段を発見した。 非常階段を実際に見た預流果でないと人を導くような事をするのは危険。 火事現場を非常階段まで突っ走らないといけないのだから、仏道修行は苦しい。
295 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/11(木) 00:07:43.63 ID:xhJUZEtf.net] 救助のために非常階段を探して戻るのが菩薩 非常階段をそのまま降りて向こう側に行くのが小乗
296 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/11(木) 00:11:44.82 ID:vDSeHDX9.net] しのごの言わずに仏道修行していればよろし
297 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/11(木) 00:18:23.48 ID:l1NqdEZV.net] >>288 大乗仏教の祖といわれる達磨大師も、面壁何年だったのではありませんか。 唯識の祖の無著、世親も阿羅漢と言われています。 であるからには、阿羅漢果に至るまで修行に専念していたのではないでしょうか。
298 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/11(木) 00:27:23.82 ID:l1NqdEZV.net] 世間的な尺度で他者を助けたいなら、医者か弁護士か何かにでもなった方がいい。 仏教がもたらす利益とは、結局のところ解脱の一味に集約されると思う。
299 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/11(木) 01:00:53.72 ID:MrkqPRjs.net] >>290 偽りの非常階段で安心させるのが大乗で 本当に非常階段があるのを示すのが小乗ぽい
300 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/11(木) 01:10:52.28 ID:l1NqdEZV.net] 智慧を前面に出しているか、慈悲を前面に出しているかの違いしかない気がする。 智慧は、ふつうの人間には理解できないでしょ。生まれつきの修行者とかじゃないと。 一方、慈悲はわかる、伝わる。 人情に似ているからかも知れない。 そういうことじゃなかろうか。
301 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/11(木) 21:40:28.30 ID:0Gx128jl.net] お母さんが子供の為だと思って子供を甘やかしてたら子供の人生が潰れてしまったり、 お父さんが子供の為だと思って子供に厳しくしてたら子供の人生が潰れてしまったり、 慈悲と言っても簡単じゃないよね。 それこそ智慧が無いと慈悲も上手くいかない。やっぱり智慧と慈悲は車の両輪だね。 若干智慧の方が重要だけれども。
302 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/11(木) 23:03:57.69 ID:oGaacyRd.net] 解脱、悟りを得たらその代償は何なんだろう 良いものは何も失うことなくただ得るだけ、というのはあまりに虫の良い話に思われる
303 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/11(木) 23:16:58.71 ID:LuiLUv0J.net] その「良い」は世俗の価値観ではないからね 世俗的には「良いも悪いも失った人」でしょ
304 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/11(木) 23:30:29.34 ID:v6now+nW.net] 一般的価値観から言えば、 「悟りを求めようとする人」(仏道を歩もうとする人出家しようとする人、世俗の生き方と距離を置こうとする人) は、 非難誹謗され、怒られ、或いは恨まれ、或いは侮蔑嘲笑され、或いは気狂いと思われ、 『人でなし』の烙印を押されるからね・・・。
305 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/11(木) 23:37:44.49 ID:P5gnuCdE.net] >>292 減縁減行三二相までやって阿羅漢果を得るのに何劫かかるの? 地球が出来て滅びてを何千何万回繰り返す間の不幸を見て見ぬふりするのも修行なの?
306 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/11(木) 23:39:20.23 ID:P5gnuCdE.net] >>291 その修業とはどんなもの? あなたはそれで仏果を得られるの?
307 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/11(木) 23:40:59.17 ID:P5gnuCdE.net] >>293 なるほど、仏者は医師弁護士に劣るのですね。では仏教は医師弁護士は救えないことになる。
308 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/11(木) 23:45:44.80 ID:v6now+nW.net] >>300 医師免許を取る前でも治療手術をすべき、と? 入隊、訓練もしていないのに、レスキュー作業に加わるべきと? 泳げない人間に海水浴場でライフセイバーの職に就け、と? 外国語のリスニングができていない人間に同時通訳をしろと? お前、頭大丈夫か?
309 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/11(木) 23:47:26.46 ID:v6now+nW.net] 釣りか・・・w >>302 お前は、野球選手に外科手術を依頼するのか?とwwwwwwww 豆腐の角に頭ぶつけとけ。
310 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/11(木) 23:51:43.96 ID:oGaacyRd.net] >>298 ,>>299 レスありがとう 世俗的な苦しみを手放す代わりに、世俗的な幸せも手放す感じか 世俗的価値観から見れば、解脱は喪失でもあると考えればよいのか よく考えて修行しなければならないな
311 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/12(金) 00:10:44.09 ID:N8h8+9qv.net] >>303 >>304 どうもあなたがたは仏陀をそこいらの士業程度に考えていらっしゃるようですね。 小さい。小乗と言われる所以だ。あなた方が得ているであろう果が(たとえ阿羅漢果であろうと)非常に小さいものであることがよくわかった。 それでは人を救えないであろう事は明らかだし救おうとも思わないはずだ。
312 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/12(金) 00:20:25.12 ID:N8h8+9qv.net] >>294 小乗の非常階段は袋小路ではないですか? 本当に灰身滅智出来ますか?したいですか? 大乗・・・ 大乗にもよりますね。
313 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/12(金) 00:23:54.63 ID:Evbw+QsI.net] 個人的には 医者は治療を施してくれるから有り難く、 悟った人は存在してくれてるだけで有り難い
314 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/12(金) 01:01:02.68 ID:lU328n+U.net] 深く考えずに仏法僧に帰依して修行に邁進すれば答えは出ると思うよ 何もなかったという答えも当然あり 暗示にかかりやすいそうではないとか個人差があるからね 呼吸法だってマスターできる人とそうでない人がいるだろうし ◯◯式に忠実にやっても何も変わりないという人もいるだろうし 人それぞれ
315 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/12(金) 01:47:08.74 ID:N8h8+9qv.net] >>309 では、仏教は救われる人と救われない人の別があるのですね? つまり個々人の才能で仏になれるかなれないかが決まっている?
316 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/12(金) 06:26:01.25 ID:lU328n+U.net] >>310 それは分からないけど、それが分かったところで修行をするしないに関係します? だいたいテーラワーダでは仏ではなく阿羅漢になるのが目的ではないですか? 今生で阿羅漢になれなくても七回輪廻すると阿羅漢になれるんだとか それを信じてそれ以上は考えずに修行する それ以上考えるのはそれこそ妄想だと思います 莫妄想
317 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/12(金) 11:14:32.81 ID:xqT/uX7Z.net] 仏教は人を救う事を必ずしも必要としない。 ブッダも梵天に請われるまでは法を説こうとされなかった。 しかし自分を救う事、解脱する事は必須。 誓願を起こして三帰依し、戒を守り瞑想するだけ。 煩悩の残りが多い人は時間がかかり、少ない人は早く結果がでる。 精進がしっかりある人はすぐに結果がでて、そうでない人はゆっくり。 やるかやられるか、煩悩の魔軍に勝つか負けるか。 智慧の剣と慈悲の盾を持って突撃すればいい話であって、その場合、命も何も捨ててかかればいい。 それができないと言うのは根性がない負け犬だという事になる。
318 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/12(金) 11:53:59.08 ID:JRyBY63w.net] >>312 靴箱の底で勝手にやってろ
319 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/12(金) 15:03:23.12 ID:X528vZOz.net] >>300 思考判断の前提に、なにか強固な思い込み(見 ditthi)があるんじゃないかな。 それはわたしの問題ではなく、あなた自身の問題ではないでしょうか。
320 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/12(金) 15:04:11.33 ID:X528vZOz.net] >>302 どんな判断も、価値判断の尺度によるのではありませんか。 その尺度で測るなら、そうなるというだけのことで。
321 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/12(金) 15:06:43.80 ID:X528vZOz.net] 釈迦牟尼の仏教を小乗と呼ぶ時点で、たぶんなにか勘違いしていると思います。
322 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/12(金) 15:11:42.09 ID:X528vZOz.net] 出家を見て偉いなと思うのは一部の仏教徒だけで、大抵の一般人は乞食だと思うでしょうし。 人間が考えた妄想概念のことだけを「宗教」と呼んでいる人は、どんな宗教者であれ、迷信 を信じる愚か者という意味で「信者」だと思うでしょう。 しかし、人間知性という枠の外側にある真実のことを「宗教」だと思っている人は、人間が 妄想した「宗教」とは区別しているはずです。 判断の尺度が違うし、前提認識も違うのです。
323 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/12(金) 15:15:48.45 ID:X528vZOz.net] 大乗仏教のはじまりは、智慧の道を理解できない一般大衆にも理解できるように 苦心した結果として編み出された方便、慈悲の現れだと個人的には理解しています。 釈迦仏教が小乗なのではなく、梵天勧請のエピソードが示してもいるように 大抵の人は釈尊の説く智慧の道が理解できないのです。 だから慈悲の道として説き直したのだと思いますよ。 それが大乗仏教のはじまりだと思ってます。
324 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/12(金) 15:19:04.31 ID:X528vZOz.net] 無我とか輪廻というのは人智を超えているので、人間が考えて理解しようとする アプローチでは分からないはずです。 瞑想しない、できない層の人々は考えて判断することしかできないので、人智を 超えたことと迷信の区別はつけられないんです。
325 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/12(金) 15:21:09.40 ID:X528vZOz.net] 角が立つので面と向かってストレートに言うことはしませんが、 はっきり言ってしまうとそういうことです。
326 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/12(金) 19:45:48.09 ID:e0RFda3v.net] 439 ナムチよ、これは汝の軍勢である。黒き魔(Kanha)の攻撃軍である。勇者でなければ、かれにうち勝つことができない。(勇者は)うち勝って楽しみを得る。 440 このわたくしがムンジャ草を取り去るだろうか? (敵に降参してしまうだろうか?)この場合、命はどうでもよい。わたくしは、敗れて生きながらえるよりは、戦って死ぬほうがましだ。 441 或る修行者たち・バラモンどもは、この(汝の軍隊)のうちに埋没してしまって、姿が見えない。そうして徳行ある人々の行く道をも知っていない。 442 軍勢が四方を包囲し、悪魔が象に乗ったのを見たからには、わたくしは立ち迎えてかれらと戦おう。わたくしをこの場所から退けることなかれ。 443 神々も世間の人々も汝の軍勢を破り得ないが、わたくしは智慧の力で汝の軍勢をうち破る。──焼いてない生の土鉢を石で砕くように。 444 みずから思いを制し、よく念い(注意)を確立し、国から国へと遍歴しよう。──教えを聞く人々をひろく導きながら。 445 かれらは、無欲となったわたくしの教えを実行しつつ、怠ることなく、専心している。そこに行けば憂えることのない境地に、かれは赴くであろう。 ブッダは漢だ
327 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/12(金) 21:07:19.32 ID:W/F3TBEl.net] 衆生を直接救うためには、 医学を極め、教員免許も取得し、特殊車両の免許もとり、 化学薬学の知識も学び、建築設計の知識も供え、 幼児教育の機微も学び、婦人科医療の知識技術もマスターし、 経済学も税制も、ITも株式も視野に入れ、 法律及び凡例は全て完璧に記憶し、 夫婦も含め男女の関係・心理的駆け引きも理解し、 外交も軍事も力関係を見極め、 発達障害や身体障碍の家族のサポート法もマスターし、 そして、人生生活、あらゆる苦悩の解決策を助言できなきゃならんわけだ。 仏陀って、んと、スーパーマンだな。 嘲笑
328 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/12(金) 21:09:54.03 ID:W/F3TBEl.net] ブッダは魔法使い・超能力者じゃない。
329 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/12(金) 21:23:37.90 ID:4HNNTwjv.net] なんだか仏陀って奴隷なの?
330 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/13(土) 18:59:56.54 ID:L9qYP8dx.net] >>314 そりゃ見惑思惑ありますよ。
331 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/13(土) 23:20:02.51 ID:L9qYP8dx.net] >>316 大乗も小乗もすべて釈迦牟尼御一人が説かれた教えです。
332 名前:桃太郎 [2019/04/14(日) 00:38:42.48 ID:zhDmIzIc.net] >>312 >仏教は人を救う事を必ずしも必要としない。 それは仏教ではなく、あなたの自説だと思います。 「人を救わずとも良い」なんて、どの経典に書いてあるの? > >>813 > やっぱ小乗の人って我さえよければいいっていうのは本当なんだね。 本当です。自他共にそれを認めているから確定です。 だから「小乗経」というのです。 「救われない教え」それが「小乗経」なのです。 散々大乗経で叩かれてきた所以です。 なぜそうなのか?難しく考えなくても、普通に考えればわかることです。 自利に執着して他者を顧みる事を否定しいるわけですから、完全なる自己中です。 自身が悟りを得なければ、人を救えないって、出家もせず、世俗のまま、わずか数十年で仏の悟りを得られる訳がない。 じゃ、いつになったら人を救える境涯になるの? 彼らは「泳げないのに溺れた人を救えますか」と平気であきれた事を言います。 完全なる思考停止状態です。 例えば、その溺れた人間が「自分の子ども」だとしても、同じように言えるのでしょうか? 究極の無慈悲にしか思えません。 自身が不完全でも、いくらでも人を救う方法はある筈です。 人を救いながら、仏道修行は出来ないのでしょうか? 仮に彼らが「救う」となったところで何にが出来るのでしょうか?具体的な解決策を語れるのか?と言うと何も無いのが実情です。 せいぜい、「瞑想しろ」ぐらいでしょう。なんたって「人を救おうと思った事の無い人間」がいきなり人を救える筈がないのです。 だから、「ナンチャッテ覚者」は永遠に救われないのです。
333 名前:桃太郎 [2019/04/14(日) 00:39:18.18 ID:zhDmIzIc.net] 仏法は「縁起」を説きます。 刻々と変化してやまない、その生命流以外に自分というものはないのです。しかも、その流れは常に他の生命流と「縁起」の関係によって、互いに互いを生じさせている。だから「無我」です。固定的な実体というものではない。 しかし、にもかかわらず厳然として、自分自身という生命流は存在するのです。 この法理から言えることは、自分だけの安穏はなく、他者だけの不幸もない。と言う事です。 もし、この世の人々が自分の安穏のみに執着し、不幸な人を救おうという思いが無くなったなら、この世界は暗黒の世界です。 悪の巣窟です。地獄です。 それが、小乗経を学ぶ人には分から無いらしい。
334 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/14(日) 08:00:36.53 ID:HMIBLO2O.net] ●自分の幸福を無視して他の幸福は考えられません。 ●汚れたこころには、自己に対しても他に対しても、何が正しいかを判断できないのです。 ●無知な人の世直し行為は危険です。 他人の為は『他人の為』か ー 災難は『主義』が起こす ー アルボムッレ・スマナサーラ長老 https://j-theravada.net/dhamma/kantouhouwa/kantou081/
335 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 08:11:21.26 ID:2MprxYOH.net] >>329 選民主義
336 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 08:12:54.61 ID:2MprxYOH.net] 俺が教え判断してやる
337 名前:桃太郎 [2019/04/14(日) 08:16:05.21 ID:zhDmIzIc.net] 無関心な人びとを恐れよ 敵を恐れることはない……敵はせいぜいきみを殺すだけだ。 友を恐れることはない……友はせいぜいきみを裏切るだけだ。 無関心な人びとを恐れよ……かれらは殺しも裏切りもしない。 だが、無関心な人びとの沈黙の同意があればこそ、地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。 (ヤセンスキー『無関心な人たちの共謀』工藤幸雄 訳) 人を救うと言うことは、人を不幸にする因を取り除くことです。 人々に希望を与え、悪と戦う。それが真の菩薩の姿であり仏法者のあり方です。 人々の不幸を目の前にして、ひたすら自身の幸福を願う。 その結果が、自身の最大の不幸であることに気づかない。 両隣の家が火事になっていても私には関係ないと言っているようなものだ。 地球号に乗っているのに、世界でどのような不幸や惨事があろうとも 一切関知せず、ひたすら自身の幸福を願う。 仏法ではこのような人間は必ず地獄に墜ちると説かれてある。 南岳大師の云く「諸の悪人と倶に地獄に堕ちん」云云、 謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし
338 名前:桃太郎 [2019/04/14(日) 08:27:07.98 ID:zhDmIzIc.net] >●無知な人の世直し行為は危険です。 世直しなんて大げさなことではなく、小さな事でいいから人を救えるよう勉強してください。 せめて、溺れる人に浮き輪を投げてあげるぐらいの智慧はあるでしょう。 それが出来ないのであれば、スマナサーラ長老ってどんだけ無智なのかと言うことになりますよ。
339 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2019/04/14(日) 08:38:19.60 ID:HMIBLO2O.net] >>333 リンク先を読んでみて下さい。 貪瞋痴がある人間には正しい判断は難しい。 浮き輪を投げたつもりが包丁を投げてしまったという事もあるでしょう。 「あなたのためです」といってその人のためにならない事をする場合もあるでしょう。 だからまず自分の貪瞋痴をなくしなさい、とブッダは説かれた。
340 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 08:46:21.02 ID:Em/o98F2.net] 「火が出てる、何故だ、誰かが火の不始末をしたか、それとも電気コードか、 いずれにせよ原因がわかったらただじゃおかない、ふざけるな ちくしょう、俺は賢いんだこんな火はすぐに消してやる 俺が居なかったら大火事になっていたはずだ みんな俺に感謝しやがれよ、まったく」 彼は水と間違えてガソリンを撒いてしまった みたいなことか
341 名前:桃太郎 [2019/04/14(日) 09:50:33.04 ID:XU86jIMD.net] >自分の貪瞋痴をなくしなさい、とブッダは説かれた。 だから、それが大きな勘違いというのです。 それは、「煩悩を断ぜよ」「無明を断ぜよ」といった事でしょ。 それは釈尊の「随他意」の教えであり、機根が成熟していないの衆生のために説かれた方便ですよ。 低い教えなのです。だから小乗教というのです。 煩悩を断ずる事は不可能です。 人間として生きていけません。普通に考えれば分かること。 釈尊はそんな不合理な教えを私たちに強要しているのではありません。
342 名前:桃太郎 [2019/04/14(日) 12:18:04.05 ID:XU86jIMD.net] >貪瞋痴がある人間には正しい判断は難しい。 そんなことを言ってたら、誰一人「人を救ってはならない」という事になるじゃないですか。 あるいは、出家者は「人を救ってはならない」が在家の者ならかまわんよ?なんておかしな話でしょ。 >彼は水と間違えてガソリンを撒いてしまった 仏教を学ぶとそこまでバカになるのでしょうか? よっぽど、在家の人がまともにみえるのですが。(笑 世の中には自分の危険をも顧みず人を救おうとする方々がいる。 仏法は知らないけれど、人々の救済のために人生を賭ける人もいる。 けれども、小乗教の信者はそうした尊い人々を上から見下し、「人を救うなど、君ら一般人が勝手にすればよい」と 傲慢な姿勢をとる。それは決して仏法者の姿ではない。
343 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 12:38:30.37 ID:y/F2NLB4.net] 人類の発展の為だと思っていた科学の発達によって原爆、原発事故、公害問題、環境ホルモン、資源の枯渇、食料問題、ゴミ問題、水質汚染など、人類の存続の危機になってますが。 人間は賢いと思っている人こそ愚か。 だからこそブッダは解脱しなさいとおっしゃる。この世は暗黒に包まれているのだから。 解脱するためには貪瞋痴をなくさなければいけない。
344 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 12:44:55.60 ID:y/F2NLB4.net] 174 、 この世の中は暗黒である。ここではっきりと(ことわりを)見分ける人は少ない。網から離れた鳥のように、天に至る人は少ない。
345 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 13:27:58.54 ID:27GMlATC.net] >>337 それはチェリーピッキングです 全体の文意がわかりませんか?
346 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 13:44:31.07 ID:M2GNQG7E.net] 対立概念を生みだして、正義の戦いを繰り広げるのは ぜんぶ執着による。 その人個人の頭のなかに対立がある。 巻き込まれないようにした方がよい。
347 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 13:46:24.30 ID:M2GNQG7E.net] 善への執着は、悪を必要とする。 従って善のために戦い、他者を裁く者は常に悪を生みだす。 これは宗教的な対立に限らず、日常のすべてに共通して言えること。 だからこそ善悪(への執着)を捨てよと説かれたのだと思う。
348 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 13:47:55.29 ID:2MprxYOH.net] >>334 浮き輪と包丁の区別ぐらいつくわい 助けようと不器用に悪戦苦闘する人々を高邁に馬鹿にするな
349 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 13:53:34.48 ID:M2GNQG7E.net] 問題は、問題がおきている次元にいたままでは解決できない。 巻き込まれる。 しかし自分の次元(視点、視座)があがれば、問題そのものが なかったことに気づくのだと思う。 問題が問題でなくなる視点を教えてあげることもできる。 それが本当の根本的な問題解決ではなかろうか。 問題の起きている次元に留まって、問題と戦うというのは 輪廻の世界で輪廻し続けるだけ。
350 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 16:21:23.05 ID:27GMlATC.net] 物体の浮き輪と包丁を間違える人は居ない だからそのままの意味として捉えることは出来ない じゃあ何の話か 別の次元ではトンジンチのせいで盲目になりそれをやってしまう人が多い という話にしか読めないんだけどな… 俺アスペかなw
351 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 16:24:19.14 ID:27GMlATC.net] 心の次元で間違いが起きれば、目に見える物質の世界でも こんなはずじゃなかったのにということが起きてくる ここにまたトンジンチが働いて目を塞いでしまう 同じ過ちを繰り返す
352 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 16:32:25.83 ID:GBn9hqep.net] >>335 自分は何もしたくないから(めんどくさいから)あれこれ理由をつけて逃げてるだけにしか見えないよ。 それが仏教だと言うなら、誰も信じないよ、利己主義者以外は。
353 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 16:35:20.80 ID:M2GNQG7E.net] 小乗仏教なんてないよ。 それを判断する人の判断の尺度で大小、優劣、善悪、上下が生みだされてるだけじゃないかな。 そういうのは、その当人の中にしかない。
354 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 16:37:56.17 ID:27GMlATC.net] >>347 はい、読めてない失格 俺自身は大乗的だし、不完全でも助け合うのが人間だと思ってるからね
355 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 16:38:40.61 ID:M2GNQG7E.net] 善(である自分)への執着を元に、悪を捏造して叩く。 その行為を通じて善なる自己への執着を充たしているんじゃないかな。 大乗を自称しながら、実際にやってることはそういうことっていう例はかなり多いと思う。 本当に大乗やりたいなら、智慧がないと無理と思う。
356 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 16:40:55.34 ID:M2GNQG7E.net] 上座部の出家比丘で、戒律と瞑想を教えて人々の苦しみを取り去っている場合。 大乗仏教を自認している在家仏教者で、上記の人々を小乗といって蔑む場合。 どっちが望ましいですかね。
357 名前:神も仏も名無しさん [2019/04/14(日) 16:41:43.95 ID:27GMlATC.net] 上座部の人はどう見るかわからないが 人はふと我に返るということがある そして無我夢中で事をなす そこにトンジンチがある場合もあるし、ない場合もある 勇気ある行動なんていってメディアが持ち上げるような場合 本人はキョトンとしていたり、そんな大層なことをしたつもりもなかったりする 持続しなくてもふと我が落ちることって人はあると思うんだよね