- 97 名前:名前はいらない mailto:sage [2007/10/06(土) 01:40:30 ID:+kirm6CM]
- 桜井の話はさておいて、「詩」について、みんなどう考えてるだ?そもそも、そこから認識がズレてるからな。
詩ってのは、限られた字数・文字の中で、ある事柄を表現しなければならないから、作詞するときに、抽象的な言葉を選択していくのは必然じゃないか。 俺は法学部だったからな。それでいくけどさ。たとえば、日本国憲法に「国民」って文言があるんだけども、この「国民」のなかに、外国人が入るか入らないかいう議論があるんだな。 もちろん判例・通説では、否定説の立場にたって、「国民」の中に、外国人を含めないとしている。だって、ここは日本だからね。 外国人になんか選挙権・参政権を与えたくないんだよってわけ。 これに対して、学者の先生は、肯定説の立場にたって、「国民」の中に、外国人を含めるべきだと主張するんだな。 なぜならば、それが国際協調主義にかなうからとか、人権は万人に保障されるからとか言ってる。 こういった、ある文言をめぐる議論を「論点」といって、司法試験受験生は覚えまくるんだよ。こんな論点は、1000以上あるし、 六法すべてについて存在する。 こういった解釈作業を「法の解釈」というのだけれども、必ずしも立法者の意図したことと一致するわけではない。 その解釈が正しいとか正しくないとかじゃなくて、どれだけ「社会的妥当性」があるか。ということで、 一番妥当な説が「通説」として生き残っていくんだな。次は、「多数説」。その次は「有力説」その次が「少数説」・・・・ という具合に、妥当性によって序列化されてる。 宗教についても同様じゃないか。(俺はよくしらないけど。孔子や仏陀の言葉についても、弟子が議論したというじゃないか) スマンな。専門的な小難しい話で・・・(間違ってたら許してね)
|
|