- 953 名前:考える名無しさん mailto:sage [2025/04/30(水) 21:53:56.02 0.net]
- >>950
目的は既に書きましたが、「苦痛を無くすこと」です。「無くす」のですから、苦痛が存在しない状態を意味します。 理由は明確で、苦痛は存在にとって悪いものなので、それを無くすことは倫理的に正しいと判断されるからです。これを達成する為に生じる短期的な苦痛は、長期的な苦痛を終わらす契機と捉えられるので、「あってもいい」と考えます。ただし、「その時に生じる苦痛」の度合いはなるべく低減させた方が良いということです。その解決策の一例としてオートメーション化された社会を提示しました。勿論、楽観論が多分に含まれていることは認めます。 個人的に、反出生主義の規範倫理はネガティブ功利主義だと考えています。 但し、多くの人々が考えるネガティブ功利主義は完全に苦痛を削除し切れておらず、端的に述べると不十分です。実現可能性の課題はあるとしても、理論上は「苦痛を無くすこと」を理想として据えるべきです。その理想は必ずしも存在を前提としませんので、一般的なネガティブ功利主義とは異なる何かと言えるかもしれません。 特に方向性が散らかっていることはなく、論理として直線的で単純明快と思われますが、不明点があれば質問どうぞ。 私が述べた>>943の論旨は、「苦痛を無くす」という目的に対して複数の選択肢をパラレルで検討することを示しています。 現時点では存在と苦痛は不可分なので、苦痛を無くすには存在を無くすしかありません。暴力的な手段を避ければ反出生主義しか選択肢はありませんが、テクノロジーの進化により主体を存在させつつ苦痛を無くすことが僅かながら現実味を帯びてきました。 これが実現した時の主体は、人間ではなくポスト・ヒューマンになっているかもしれませんが、どんな形態にせよ、苦痛がないならば存在を否定する理由がありません。 これが実現しないのであれば、やはり反出生主義により静かに滅んだ方が良い、ということになります。
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