- 408 名前:毎度連投 ◆ZM3NZtfUU6 [2020/01/20(月) 14:42:05 ID:jU8sD7Pt.net]
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>今でも本屋なり、図書館に向かえば、子育て本は出てきます。こういうものを集めて、調べると、正反対のセオリーがワンサカ出 >てくると。 >じゃあ、結局、教育って何?しつけってなぁに?「結局、遺伝やろなぁ……」 >「人間、3歳の時と、70の時と、実は性格ってそこまで変わらんもんで」 >「性格を変えることよりも、本質を見抜いて、それにあった環境を整えることが大事なんやで」 >最後のセンター試験を終わったあとに、やたらと煽るようなことを書いてしまいますが。 >知識をつける。道徳規範を知る。あかんことはあかん。そういう学びはできるのですが。 >何に興味を抱き、何に打ち込み、力を発揮するのか?そこは、性別や教育ではなくて、本質に埋め込まれている。 >しつけが悪いだのなんだの、そう言い続けるのはむしろあかん。アレルギーだって食べて慣れても治らないって、証明されたわけで しょう? >そういう主張を、本作からは感じるで! >喜美子は、八郎から陶芸を学んだ。 >けれどもそれ以前から、絵を描きたくて仕方ない、そういう本質があった。幼なじみの信作は、その凄みを理解している。 >学歴でもない、全国規模でもない。そういうことではない、喜美子の本質を理解している。 >同じく照子は、喜美子がみつけたかけらの価値を理解できる。八郎にはできないことを、幼なじみの二人は理解する。 >その理解を得て、喜美子は旅立つ。その横に、八郎がいなくても問題はないのです。 「教育や躾けなんて無駄。人間、遺伝とそれにあった環境がすべてだ」と言いたいのだろうか。喜美子の「絵の才能」は確かに 天与の才だろうが、このドラマそんなことを言いたいのだろうか?しかしアレルギーと教育を同一視するのが流石武者氏というか無茶 苦茶な解釈である。 武者氏は多分「私が本質を生かせないのは、環境のせいよ!!」と言いたいんじゃないかと思うが。
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