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【奈良】箸墓古墳築造、卑弥呼の死亡時期と合致 畿内説と九州説とが対立している邪馬台国の所在地論争にも一石 国立歴史民俗博物館★6



1 名前:春デブリφ ★ mailto:sage [2009/06/01(月) 00:27:41 ID:???0]
 古墳時代の始まりとされる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)が築造されたのは
240〜260年という研究を国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)がまとめ
た。放射性炭素年代測定によるもので、250年ごろとされる卑弥呼の死亡時期と重な
る。畿内説と九州説とが対立している邪馬台国の所在地論争にも一石を投じることにな
りそうだ。

 「魏志倭人伝」など中国の史書によると、卑弥呼は2世紀末〜3世紀初め、それまで
戦乱を繰り返していた倭国(わこく)(現在の日本)の国々が共通の女王として擁立。
邪馬台国に都を構え、239年には中国・魏王朝に使者を送って皇帝から「銅鏡百枚」
など多くの品々を贈られたとされる。
 全長280メートルの前方後円墳である箸墓は、最大でも110メートルだったそれ
以前の墳丘墓とは規模が大きく違う。強大な政治権力が誕生したことを物語り、時代の
画期を示すものと考えられている。魏志倭人伝にある卑弥呼の墓と、箸墓の後円部の大
きさが近いことなどから、古くから箸墓を卑弥呼の墓とする考えがあった。
(中略)
 歴博は全国の5千点を超す土器の付着物や年輪の年代を測定。その結果、箸墓の堀や
堤からも出土し、箸墓が築造された時期の土器と考えられている「布留(ふる)0式」
が使われた期間を240〜260年に絞り込んだ。
 31日にハワイで始まる放射性炭素国際会議と、同日に早稲田大である日本考古学協
会の研究発表会で報告される。

■ソース(朝日新聞)(中略部分はソースで)
www.asahi.com/culture/update/0528/TKY200905280355.html
※画像:卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳
 www.asahi.com/culture/update/0528/images/OSK200905280103.jpg
■前スレ(1の立った日時 05/29(金) 06:54:23)
tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1243687084/

200 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:20:54 ID:NEKWWo2BO]
魏史によればヤマタイ国周辺の地理として阿蘇山が挙げられている
志賀島の金印に見られるように、この地には古代に中国が認めた国家が存在した
卑弥呼の墓は円墳

これらの事から箸墓が卑弥呼の墓とか、ヤマタイ国畿内説はありえない

紀記の記述は八世紀より前に関しては中国の史書との食い違いが大きく信用できず
この時期に他の地域にあった天皇家以外の政権の存在を意図的に隠蔽している可能性が大きいだろう
よってヤマタイ国については従来通り九州にあったと見るのが妥当

201 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:24:16 ID:Lh1/71pg0]
中国南部にあった、呉や越の国も、刺青をしていたと言う。
後に廃れたようだが。
彼らは中国人なのか?
縄文人なのか?
そんなはずは無い。呉や越は、鉄の武具で武装していた覇者になれるほどの
軍事力のあった国家だからだ。縄文とは違う。
ファッションで民族はわからんということだ。

202 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:24:42 ID:Iu3JGnu60]
景初三年(239年) - 卑弥呼、初めて難升米らを中国の魏に派遣。
魏から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられる(『三国志』では同二年(238年))。


これが有ったから卑弥呼は巨大な力をつけた。

203 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:25:08 ID:oIKg4jtq0]
天孫降臨を勘違いしている。

古代の日本の皇室は、ずっと、高天原=葛城の高天としていた。
つまり。皇室の起源の地は、この葛城の高天地方だ。
「高天彦神社」で検索してみろ。

この葛城地方から、九州高千穂に送り込まれたのが、ニニギ命だ。
ちなみに、出雲国譲りは、ニニギ命が九州に送り込まれる前に終わっている。
つまり、葛城の高天地方の豪族が、出雲を併合した後、
全国各地に司令官を派遣したのだ。
で、熊襲との戦いの最前線に、葛城の高天王家の一族のニニギ命を送り込んだ。


204 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:25:14 ID:IrqT6xDL0]
しょせん、イストワール。

205 名前:ロザリー ◆PiGJDrhfQc [2009/06/01(月) 03:25:25 ID:VPc4snNAO]
やまとととひももそひめのみこと
覚えた

206 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:27:28 ID:LRX7D6DY0]
オギヤハギ

207 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:27:46 ID:Wty0K/MhO]
神々がいる『天』は中国であるのは
まぎれもない事実。
当時は中国文化に皆が憧れた。
大東亜戦争に負けた後、皆がアメリカ文化に憧れたように。
残念ながら、これは真実です。

208 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:29:12 ID:oIKg4jtq0]
高天彦神社
www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E9%AB%98%E5%A4%A9%E5%BD%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE&lr=&aq=f&oq=

御所市高天 葛城 高天原 神話の里 天孫降臨神話
www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/97.htm

古事記・日本神話の伝承地〜高天原史跡ガイド奈良県御所市から
takama.sakura.ne.jp/



209 名前:ロザリー ◆PiGJDrhfQc [2009/06/01(月) 03:29:19 ID:VPc4snNAO]
>>207
そうか

210 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:31:37 ID:oIKg4jtq0]
>>207
違います。
外国系には、わざわざ諸蕃というカテゴリを設けているぐらいだし。

天(アマ)というのは、水をも意味する。
現在でもそうだが、田舎の旧家は、かならず、村の川の川上の高台に
家を構えることが多い。
その名残で、近畿地方においては
葛城の高天地方の周辺が、その最適の地域だった。
そういうことだ。

211 名前:佐田 [2009/06/01(月) 03:34:19 ID:jb2LfzwHO]
「やまとととひももそひめのみこと」って倭姫命?

212 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:34:58 ID:oIKg4jtq0]
>>202
その解釈も低レベルだ。

中国が邪馬台国に使者を送ったのは
朝鮮半島で、魏の帯方郡で、三韓人の反乱が起こったので、
その援軍として、かけつけるよう、出兵要請だ。

でも、倭軍はかけつけなかったから、
後に、魏は、張政をよこして、理由を聞きにきたわけ。
そうしたら、倭国でも、内乱があって、それどころではなかったと言い訳した。


213 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:35:22 ID:yj2At8xc0]
>>195
天孫・瓊瓊杵尊は、日向に来るとき、船を使っていない。
だから、高天原は陸続きの場所にあったと思う。

高天原から大和にやってきた饒速日命は、天磐船でやってきたわけだから。

こう考えると、高天原は日向以外の九州じゃないかな。
そうすれば、出雲の国譲りと天孫降臨がうまく説明できるから。
だいたい、記紀に日向と出雲がいっぱい出てきて、北部・中部の九州が全く
登場しないのはおかしいので。

214 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:38:14 ID:rkX5Xt0u0]
>>200
俺も魏志倭人伝を読むと九州説だと思うんだけど
投馬国はじゃあどこにあったと思いますか?
投馬国はズマと発音して出雲とする説がありますよね
だとすると魏志倭人伝には南行と書いてあるけど
それは東の間違いでやはり近畿説も無視出来ないなと思うんですが

215 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:38:49 ID:hmwaFKor0]
>>200
魏志を読む限りじゃ北九州一体は
倭の玄関口、出張所みたいなもんでしょ。
志賀島が邪馬台国とでも?
中継点で金印が見つかっても別に不思議ではない。

216 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:39:16 ID:yj2At8xc0]
>>211
倭迹迹日百襲姫 第七代孝霊天皇の娘

217 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:39:32 ID:oIKg4jtq0]
>>213
古代人の精神世界を理解しないと駄目だろう。
天イワフネという記述を額面どおりに
現代の船のことだと受け取るべきではない。
フネは、海を泳ぐ船となったのは、後世の解釈。

218 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:41:20 ID:Wty0K/MhO]
>>207
結局、朝鮮の武将達が攻めいって縄文の猿達を駆逐し
支配者となり
その武将の代表が天皇となった。
そして、そのその武将達は、中華に憧れを持っていて
文化をどんどん輸入した、ってことですね。
これは実に合理的で、とても史実にマッチした歴史ですね。
よくわかりました。
ありがとうございました。



219 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:41:33 ID:yj2At8xc0]
>>217
じゃあ、なんで瓊瓊杵尊は船に乗ってやってこなかったんだろう。

220 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:42:05 ID:oIKg4jtq0]
フネというのは、運輸や交通の意味がある。
だから、海を泳ぐ船となったのは、後世だ。

宮崎駿のラピュタという映画では
あの飛行船を、フネとしていたしね。

221 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:43:36 ID:dwbu0ZbO0]
>>218
自演乙

222 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:44:11 ID:zfJ3WARe0]
>>218
だから、そんな話にはならない。
そもそも、現在の考古学者の間では
近畿で王朝が誕生したのであって
わざわざ、九州から近畿に引越しする意味が分からないという意見が大勢だ。


223 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:45:35 ID:Kl8AKRIEO]
>>206
ワロタ

224 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:46:10 ID:yj2At8xc0]
>>217
それよりも、出雲神話、日向神話は多くの紙面を割いているのに、
その間にある北部、中部の九州が全く登場しないのをどう説明するか、
ということかな。
ここが高天原なら、古代の状態を考えると一番妥当だと思うが。

225 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:48:27 ID:HstR1rIn0]
>>213
>天孫・瓊瓊杵尊は、日向に来るとき、船を使っていない。
天から降りてくる(たてまえの上で)わけだから船は使わない。

226 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:48:39 ID:zfJ3WARe0]
出雲国譲りとは、紀元前1世紀くらいの話。

出雲(首都は意宇)VS大和(首都は葛城・高天)
で戦いがあって、出雲が大和に降伏することで決着した。
それで、出雲王の娘が、大和の王に嫁いでいたので
出雲王は、娘の生んだ子供に大倭王を継承させることを条件に
降伏に合意したのである。
このへんは、播磨国風土記に記載されている。
この系統は、もともとの倭王の嫡流だった。

九州に派遣されたほう(今の天皇家の先祖)が、分家筋。

227 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:48:42 ID:UDTpwtfHO]
今の時代の人間の考え方では九州から近畿にわざわざ引っ越さないだけで、昔はよくあった話だと思うよ

228 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:52:21 ID:yj2At8xc0]
>>226
考古学との整合性がないよ。大和はもともと後進地。そんなに古くから
栄えていた痕跡が全く見当たらない。



229 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:53:09 ID:zfJ3WARe0]
紀元前1世紀の出雲VS大和の戦いが
現在の兵庫県西部の播磨地方であったことが、
播磨国風土記に記載されている。
ぐーぐれw

で、出雲の大国主と、大和の天火明命は
義理の親子の関係だった。
天火明命の后は、天道日女命(出雲の大国主命の王女)

この天火明命と天道日女命の間に生まれたのが
天香語山命だ。彼が、二代目の大倭王だ。

230 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:56:12 ID:Wty0K/MhO]
『高天原』については
『高天』を中国読みすると
『コォクゥル』と読み、『高句麗』を示すことは考古学者の間では常識です。
しかし、政治的配慮(?)のため、
こういった事実を日本の高校生達は教わることはありません。
残念なことです。

231 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:56:53 ID:zfJ3WARe0]
>>228
うんなことはない。
つーか、紀元前1世紀に革命があったんだろう。
後の中国の史書にも、倭の使者が
「私の国は、倭国の東側の日の昇る地域にあって、もとは小国だった。
しかし、力を増して、倭国を併合した。
しかし、その後も、対外的には、倭国という名称を使い続けたけど、
この名前が嫌いなので、日本国に変えて欲しい」
って言っている。

これは、どうみても、出雲と大和の抗争だろう?
やはり、もともとは、出雲のほうが日本海を中心とした大国で
大和は、内陸部の田舎の新興国家だったんだろう?

232 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:57:33 ID:yj2At8xc0]
>>229
だから、大和にそれなりの勢力が現れるのは、畿内説の考古学者でも
西暦200年くらいと事としている。
めぼしい遺跡がそのくらいの時期なのだよ。

233 名前:佐田 [2009/06/01(月) 03:57:35 ID:jb2LfzwHO]
でも遺跡があるのは近畿の方で
栄えてたといえば近畿のほうが・・

234 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:59:35 ID:zfJ3WARe0]
>>230
息をするように嘘をつくなよw

高天の原=高間の原。

実は、日本の皇室は、平安時代ぐらいまでは、ずっと、そういう解釈をしていた。
それが、後世になって、歴史が忘れ去られてしまったんだろう?

235 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 04:00:35 ID:Zx+0NfS10]
>>220
矛盾してるな。
運輸・運送する器が船なんだから、例え小船であっても船で問題ないでしょ?
泳いできたんなら分るが。
例えば商人が馬でも仕立てて来たのなら船とも表現するだろうが
徒歩で来たのなら船とは表現しない。
だから、船と表現しなかったのなら海から来たとしたら、泳いできたか漂流でもしたのかもしれない。

236 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 04:02:05 ID:3LtL+0wfO]
あんまり九州説とか畿内説は知らないんだが、卑弥呼っていう役職だった、もしくは役職の名称という事はないのかい?
卑弥呼が複数いたのかもしれないという事も考えられるしなぁ。
くだらない質問で申し訳ないです。

237 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 04:02:53 ID:HstR1rIn0]
>>226
>出雲(首都は意宇)VS大和(首都は葛城・高天)
>で戦いがあって、出雲が大和に降伏することで決着した。
戦ったのは先遣隊で、それで日向に天孫降臨するわけだけど、
高天原が大和だとは書かれていないどころか、大和はもっとずっと後に
征服したことになってる。

邪馬台国が畿内だとすると、話を総合するとこうなる。

高天原なるところの王朝が日本にやってくる前に出雲と話をつけ、
そしてまず九州に王朝を作る。
次に大和にあった王朝(女王)を征服する。
その大和王朝は、天皇家の遠戚。出雲の娘が天皇家に嫁いでいるので、
その関係と見られる。つまり出雲と大和の王朝は同じ民族。
そして邪馬台国は全身と顔に入れ墨をしている民族。
天皇家が大和に入ったときの民族も入れ墨をしている。

邪馬台国が畿内だとすると、話がぴったり合う。
でも、それは畿内の邪馬台国王朝は天皇家がやってくる前の異民族だ
ということになる。

238 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 04:03:15 ID:zfJ3WARe0]
>>232
つーか、大阪の池上遺跡でも、あれは紀元前1世紀中頃とか分かっている。
その時代に、ちゃんとした区画整理が出来た都市が
近畿地方にあったことが分かってきた。

あと、唐古鍵遺跡も、紀元前からあるわけだし、
その時代から、近畿地方に大きな勢力があったのが分かる。

ただ、文化的にも、圧倒的に栄えていたのは
出雲のほうだったんでしょう。
だから、あういう出雲国譲りなんて、ことになった。
完全な征服ではなくて、出雲の神様も敬うとね。
あと、天火明命の嫁さんが、出雲の大国主の王女だし。



239 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:08:17 ID:Wty0K/MhO]
『倭国』とは中国で使われいた言葉ですが
『倭』とは『人(=朝鮮人)に委ねる』という意味です。
先日、自殺した韓国前大統領が訪日された際、
今上天皇が
『朝鮮半島は私の祖先が生まれた国であり、祖国でございます。』
という、お言葉はテレビでも放映されたせいか、
比較的に有名な話ですね。

240 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 04:08:25 ID:zfJ3WARe0]
>>237
そんなこと言ったら、葦原中国はどうなる?
どうみても、出雲の王朝でしょうが...

また、大和というのは、元々は奈良盆地南東部のことをいった。
奈良盆地全体が、大和といわれるのは、後の世だ。
奈良盆地南東部(桜井市・天理市あたり)が大和
奈良県南西部(葛城市・御所市あたり)が葛城

で、高天原の地というのは
葛城地方の高天。

241 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 04:08:41 ID:UxX9dP/I0]
どの時代の、どの地域に遺跡があったとか体系的に書いてある所
知りませんか?そう言う比較みたいなのがあったらいいのになぁ。
その遺跡の規模、特徴とか。

242 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:08:56 ID:yj2At8xc0]
>>238
唐古・鍵は、掘っても何も出てこなかった。まず鉄器が出てこない。
大きな建物も出てこない。
つまり、王と呼べるような存在の痕跡が見当たらない。
相当に後進的な道具しか使っていない。

細々とした農村集落としか思えないから、もうあきらめられている。
100年以上掘り続けたらしいけど。

243 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 04:09:34 ID:uyB/eIDr0]
魏志倭人伝に出てくるのは、どうみても九州だろ。
北は卑弥呼の勢力外の国があるって書いてあるし、
近畿地方にもそれなりの国があった、と解釈するのが自然だと思うけど。
ただ、日本に本当の首都が存在したかはわからないし、それが邪馬台国だったとは断定できないわけで。

244 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 04:10:38 ID:5hdqn6Bu0]
>>239
天皇陛下の発言の飛躍的な解釈は、もう飽きた。
あれのどこが、私の皇室の系統が外国かなんて言っているw
皇室の系統は、父方の系統でいうわけだからw
あれは、もろ任那日本府の話に直結する。

245 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 04:13:04 ID:5hdqn6Bu0]
>>242
というか、遺跡とか残っているのって、
偶然、普通の農村に埋もれてしまったような地域じゃないの?
纏向遺跡が残ったのは、あそこが首都から外れたから、
農村の下に埋まってしまったんでしょうが...

そうじゃない地域だと、建物なんて、定期的に建て替えられるわけだしね。

246 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:13:46 ID:Xecdun/Z0]
おそらく古代に平地が多かった場所が邪馬台国

247 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:15:58 ID:Wty0K/MhO]
>>244
あなたが言っている意味、よくわかりませんね。
考古学には『思想』はいりません。
あなたには、まず大学にでめ入り直して頂き、
考古学の基礎の基礎から学ぶことをオススメします。

248 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 04:17:40 ID:5hdqn6Bu0]
>>247
というか、あなたのほうが、思想満載じゃないの?
記録にも残ってないようなことを
平気で創作するべきではない。、

あなたの発言をそっくりあなたに返すよ。
大学にいって、歴史学。考古学を勉強しなおしてこい。



249 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:18:37 ID:hCpYLFQFO]
>>247
百済と今のチョーセンジンはまったくの別人種だからww
残念っスwwww


250 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:20:20 ID:jLmA8UL10]
ID:Wty0K/MhO

みなさん、このIDはNGワードでよろしく。
たぶん、彼は朝鮮人です。
たしか、邪馬台国の時代って、朝鮮半島の北半分は中国の領土で、
三韓人は、小さい国がごっちごちゃしていたんですよね。

251 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:23:15 ID:yj2At8xc0]
>>239
桓武天皇の生母の高野新笠が、百済の武寧王の子孫だという話かな。
高野新笠と武寧王では、200年以上の時差がある。
本当に子孫かどうか分からないし、皇室が朝鮮半島出身というのとは
全く異なる。

252 名前:佐田 [2009/06/01(月) 04:23:26 ID:jb2LfzwHO]
可哀相だね偽物の方の韓の人は

253 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:23:38 ID:jLmA8UL10]
あと、倭国の建国時期は、百済よりも、もっと前です。
そもそも、朝鮮半島は、西暦313年まで、
北半分は、中国の領土でした。
南半分には、三韓とかいって、小国が乱立していた。

一方、倭国は、少なくとも、西暦2世紀ごろには
九州から関東までにまたがる巨大王朝が、纏向遺跡を首都に誕生した。
この纏向遺跡は、三国時代の中国の王朝の首都に匹敵する大きさ。

254 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 04:25:26 ID:EoAOWhiU0]
>>6
じゃあ俺たちが偉くなればいいんだな

255 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:26:18 ID:jLmA8UL10]
倭人という人種は、中国の周王朝の時代にも
交易をしていたことが分かっています。
つまり、紀元前の遥か前から存在していたことになる。
また、呉(周の親戚)の泰伯の子孫というふうに主張していたことからも
倭国とか倭人というカテゴリは、かなり古くから存在している。

256 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:31:22 ID:jLmA8UL10]
>>242
唐古・鍵遺跡とは、葛城地方からずれている。
だから、あそこが首都だったとは思わない。
ただの、農村だったんでしょう。
が、川の近くで、沈んだから、偶然、残っただけ。

もともとは、出雲のほうが文化的にも先進地域だったんでしょう。
でも、近畿地方のほうが、地理的にまとまりやすくて
勢力を拡大させた。
文化的に先進地域が、軍事的に強いとも限らないし
また、鉄があるから、軍事力が強いとも限定できない。
そんなこといったら、鉄の合ったヒッタイトは、エジプトを押し切れなかったし
半島でも、鉄の産地の伽耶は弱小地域だったわけだし。

257 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:31:49 ID:Wty0K/MhO]
>>248
誰が書いたか訳のわからない『記録』なんてアテにできません。
逆に疑うべきです。
それより考古学では『伝承』の方が遥かに重要とされています。
『万世一系』の天皇家において『祖国は朝鮮半島』と伝承されてきているのですから
こちらの方が事実、真実です。
>>249
もうヤメにしませんか、そういう発言?
むなしくありませんか?
天皇家は朝鮮人豪族であったのは紛れもない事実で
今上天皇もそれを御認めになっています。
受け入れ難いのは分かりますが『感情』を考古学に入れないでください。
学者からすると目障りです。
・・・今日も1限から非常勤講師の仕事があるから
もう寝ます。


258 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:33:13 ID:hCpYLFQFO]
>>253
とにかく無理やり朝鮮半島に繋げたいんだよな、今現在の韓国朝鮮人はw

残念ながら天皇陛下は純血の大和民族の血をずっと受け継いで来た高尚な存在なんだよアホw
てめーらは自国さえ守れず、モンゴル人に民族浄化され、中国人に民族浄化されて万年属国をやって来たカス民族だからって僻むなよwwwww




259 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:36:02 ID:jLmA8UL10]
>>257
おいおい、日本書紀の記述を改ざんするなw
じゃ、任那日本府も日本書紀に記載されているw

だいたい、王家の出自というのは、父親で解釈するのさ。
この時代は、一夫多妻制でだから、母親の出自でみたら
いろんなのがいるw

260 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:39:34 ID:jAj2VFd/0]
>>232-233

畿内大和は、急に200年頃から栄え始めるんだ。

それまで、少なくとも2世紀前半までは、九州北部が最大に栄えていた。
考古学者も、ほとんどそのことは認めている。

つまり2世紀後半に、その後半の後半に逆転現象が起きるんだ。


なぜ勢力逆転するかというと、2世紀の半ば頃には九州以外に台頭してくる地域がある。
著しいのが出雲、吉備、少し遅れて丹後と越前、それから近江と東海。
これらが、ときには連携、またときには相争うような、いわば戦国的な世の中になる。

中国の史書ではそこをきちんと書いている。倭国、大いに乱れる、と。(倭国大乱)
だから考古学と中国史料の間には、けっこう整合性があるんだ。




261 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:39:39 ID:jLmA8UL10]
朝鮮半島の最初の王朝が、一応、
西暦7世紀の統一新羅からでしょう。

それ以前の王朝は、全部、中国発の諸王朝。
百済、高句麗は、王族が扶余系で、
言語はモンゴル語系の民族。

後の契丹も扶余系で、これはモンゴル語族だということが分かっている。

現在の比較言語学では、韓国語とモンゴル語は、それぞれ孤立言語。
百済や高句麗が存在した2000年前も、
韓国語の祖語と、モンゴル語の祖語は、完全に別系統。


262 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:45:44 ID:jLmA8UL10]
>>260
その見方もされていない。
西暦3世紀以後の段階でも、北九州のほうが玄関口だから
鉄が多かったりする。
つまり、鉄の多い少ないだけで、歴史を推測するのは、困難。

考古学者の推測で歴史を語るのは困難。
歴史学者と考古学者の推測、それ以外の学問
全部がふっくるめて、考えるべきである。

少なくとも、卑弥呼=モモソ媛命ならば、
記紀の記述と考古学の成果などを照らしあわせて
一回、考えるべき。

263 名前:佐田 [2009/06/01(月) 04:46:25 ID:jb2LfzwHO]
天孫族が九州から来たとして
当時の邪馬台国は何処にあって
卑弥呼はいったい誰なんだろ?

264 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:53:54 ID:gAdsCR8n0]
>>263
天孫族は、葛城地方の豪族。
そもそも、天孫(てんそん)という考えが出来たのは
日本書紀や古事記が編纂されてから。

もともとは、天津神と国津神とされていた。
アマのカミ、クニのカミだ。

天(アマ=アメ)とは、天=雨であり、水を意味する。
神(カミ)は、神=上(カミ)であり、
川上(カワカミ)からも来ている。

つまり、古代の有力者たちは、それぞれの各地で水を支配することで
権力を蓄えていた。
たとえば、現在の田舎の名家でも、山麓の川上がある高台に
居を構えている場合が多い。
自分も実家が田舎の出身だから、田舎で家柄が良い名家とされているのは、
川上を押さえていることが多い。

このような勢力が、日本各地に誕生した。
その中でも、最終的に天下を統一したのが
葛城の高天地方の豪族だ。

265 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 04:55:41 ID:7l/vouYQ0]
欠史八代はいたと思う。
纒向の始まりや大彦の名が471年の鉄剣にご先祖と刻まれている点からして。
そのわずか200年ほど遡ればまさに卑弥呼の時代。

卑弥呼=倭迹迹日百襲姫

266 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 04:55:55 ID:NsMVm2Ud0]
これだな、高天原は。

高天彦神社
www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E9%AB%98%E5%A4%A9%E5%BD%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE&lr=&aq=f&oq=

御所市高天 葛城 高天原 神話の里 天孫降臨神話
www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/97.htm

古事記・日本神話の伝承地〜高天原史跡ガイド奈良県御所市から
takama.sakura.ne.jp/

267 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 04:59:12 ID:jAj2VFd/0]
>>262
>西暦3世紀以後の段階でも、北九州のほうが玄関口だから
>鉄が多かったりする。

きみは古い集計資料しか見ていないね。
間違いだよ。
弥生終末期(2世紀末〜3世紀前半)だと出土鉄器数は福井県がグンと伸びる。
北部九州より本州の方が凌駕している。

268 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 04:59:13 ID:NsMVm2Ud0]
>>265
卑弥呼が、モモソ媛命なら、
倭国大乱は、欠史八代の中頃の天皇の時代に起こった可能性が高いね。
やはり、この時代に、何かがあったんだ。
でも、欠史八代に相当する人物はいたんだと思う。



269 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 05:00:25 ID:OoMU52sm0]
>>267
でも、それって、福井県のほうが鉄が多いから
福井県が首都だったという論理になるよねw

270 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 05:06:43 ID:OoMU52sm0]
倭国大乱は、
5代目の孝昭天皇の時代に始まったんじゃないの?
彼の后が、天忍男命の王女なんだよね。
その間に生まれた長男に、
天忍男命のあとを継承させようとしたんでしょう。
だから、倭国大乱が起こった。

おそらく、欠史八代の天皇は、実際の政事を行っていた世俗王。
で、別に祭司王がいて、そちらが名目上の倭王だったんでしょう?

で、その倭王は、だいだい、天火明命の男系子孫が継承していた。
天火明命の弟のニニギ命は、兄の命令で、九州高千穂に赴任していた。
で、曾孫の若御毛沼命(神武天皇)の時に、再び近畿本国で政事をみた。

271 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 05:13:47 ID:jAj2VFd/0]
>>268

ならない。
もともと鉄器出土数だけで国勢を云々するのも、ずいぶんおかしな考え方なんだ。

ただ大和の鉄器は相変わらず少ない。
新発見の丹後、福井、高知、淡路島などがグングン数を伸ばしている弥生末でも
大和はそれほど増えない。

だが倭国大乱のあと、箸墓所在地の大和纏向という遺跡が確実に一頭図抜けた存在になってしまう。

なぜ大和の纏向が選ばれたのか・・・・・そこが難しい。

272 名前:271 [2009/06/01(月) 05:16:01 ID:jAj2VFd/0]
アンカミス。>>268>>269、スマソ。

273 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 05:18:05 ID:8p/RDsRP0]
>>1
いつも思うのだが、箸墓古墳の周濠って、
現在は西側のみだけど、造営当時はぐるっと墳丘を一周廻っていたのだろうか?

274 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 05:19:36 ID:e4NQl69j0]
それが卑弥呼だという証拠は?
文系って、十分条件の証明がいつもいい加減だよな。

275 名前:佐田 [2009/06/01(月) 05:22:05 ID:jb2LfzwHO]
>>264
川上と言えば、天照大神を奉る伊勢神宮も五十鈴川の川上だね。

276 名前:名無しさん@10倍満 mailto:( `Д)<6月の花嫁! [2009/06/01(月) 05:26:01 ID:UybR5ebM0]

よし、どさくさにまぎれて仁徳天皇稜を掘り返してみよう。

277 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 05:28:28 ID:HD2OaOtV0]
俺、卑弥呼の子孫だけど、墓は別の場所だよ
教えられないけどね

278 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 05:31:15 ID:QAzGUL1X0]
ETV特集
日本と朝鮮半島2千年(2)

▽任那日本府”の謎
▽太王四神記の真実
▽鉄を求めたヤマト政権
▽海を越えた軍事支援
▽韓国で続々と発見された前方後円墳の秘密
▽天皇と百済との関係
▽最新の発掘が古代史を書き換える



279 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 05:32:58 ID:jAj2VFd/0]
>>273

現在は西側のみよいうのは北側のみの勘違いだと思うけど
これまで宮内庁管理地外の発掘調査があって、
後援部南東側、前方部南側いずれも周濠があった。

>>274

証拠はないよ。卑弥呼の墓だと証明さrたわけではない。
ただ、可能性が高くなった、ということ。

証拠を見つけるには主体部の発掘をやらないと、どうしようもない。
主体部発掘やっても、証拠が見つかるかどうかは五分五分だろうけど。

280 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 05:34:11 ID:HstR1rIn0]
>>263
邪馬台国は大和にあって、それはエミシだったと考えられる。
魏誌に書かれた倭人の風習、天孫降臨や東征などの記述、全てを
説明するためには、そう考えるほかないのでは。

281 名前:279 [2009/06/01(月) 05:35:11 ID:jAj2VFd/0]
訂正。西側のみよいうのは→西側のみというのは、スマソ。

282 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 05:35:13 ID:rkX5Xt0u0]
>>273
魏志倭人伝には卑弥呼の墓は円形と書いているけど
箸墓はもともとは円形で後から四角い部分をつけたされた
という説もあるみたい
だから、もしかしたら周濠も後から作られたのかも?
昔は古墳の上でお茶会とかしてたこともあるそうよ

283 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 05:38:15 ID:+93lBYUUO]
あすかあきお先生、出番です

284 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 05:38:24 ID:HstR1rIn0]
倭国大乱の頃は、まだ天皇家は日本に来ていなかったのかもしれない。

285 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 05:46:35 ID:+MCZMOP5O]
うちのじいちゃん、石原裕次郎と同じ日に死んだ
だからじいちゃんの墓、裕次郎の墓かも知れない

286 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 05:47:09 ID:vZtwh0l90]
>>283
宇宙人は日本人だった

287 名前:猿田彦 [2009/06/01(月) 05:48:28 ID:jb2LfzwHO]
さて、そうなると。

大和や出雲を照らす太陽が
日の出して来る方向の
伊勢の大神である猿田彦こそが
本来の太陽神であったと
そういうことでよろしいかな?

それを継いだのが、アマテラスと

288 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 05:52:16 ID:sQnwpdxl0]
箸墓古墳、卑弥呼の生前に築造開始か 歴博が研究発表2009年5月31日20時36分

 奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳の築造年代が西暦240〜260年ごろとする
国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究成果が31日、東京・早稲田大で開かれた
日本考古学協会の研究発表会で報告された。春成秀爾(はるなり・ひでじ)・同館名誉
教授は「箸墓古墳は卑弥呼が生前に築造した墓の可能性が強まった」との見解を示した。

 同館は箸墓古墳やその周辺で出土した土器の付着物の放射性炭素年代を測定し、
築造時期を絞り込んだ。春成名誉教授は中国の史書「魏志倭人伝」の記述から、
卑弥呼が247年に死去したと推定。「全長280メートルの古墳を築造するには10年前後
かかったとみられ、今回分かった年代から、卑弥呼が生前に自分の墓の築造を始め、
死亡時に大部分は完成していたとも考えられる。卑弥呼自身が箸墓古墳を築造していた
可能性が高い」と報告した。

 会場となった教室は400人の聴衆で満員に。「付着物の年代が土器より古い可能性も
あるのでは」という質問も出たが、春成名誉教授は「同時に出土した植物の種も測定
したが、ほぼ同様の年代が出ている」と応じていた。
www.asahi.com/culture/update/0531/OSK200905310039.html



289 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 05:52:34 ID:jAj2VFd/0]
>>282
>魏志倭人伝には卑弥呼の墓は円形と書いているけど

形状は書いてないよ。よく魏志倭人伝を読んでくれ。

毎日新聞の記者もそう思い込んでるみたいで、おかしな記事だった。

mainichi.jp/select/today/news/20090601k0000m040042000c.html?link_id=RSH02

前方部をあとから付け加えたというのは、河上さんという考古学者の説だけど
同じ考古学者仲間の間でもあまり支持されていないみたいだね。

お茶会をやったのだったかな?
確か墳頂に茶店があって、すぐそばの上ツ道(伊勢街道)を行き来する伊勢参りの人たちを相手に
商売していたのではなかったっけ。





290 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 05:53:09 ID:rkX5Xt0u0]
>>285
石原裕次郎は伝説の存在じゃないの?

291 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 05:54:35 ID:vZtwh0l90]
>名誉教授
炭素年代がぴったりで狂喜乱舞してる人か

292 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 05:55:57 ID:oYN3Os/20]
サスガニュー速
あやしいネタばっかだw

293 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 05:56:51 ID:TYhQ1uDV0]
三世紀半ばに死んだ王者がいたというだけの話

294 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 05:57:54 ID:f/qeSQyO0]
どうして天皇家が3世紀から日本の盟主だと扱うのかがわからない
今の天皇家が畿内で実権を握ったのは7世紀だろ? それまでは一地方豪族

地質学的には大山から富士・浅間なんかが大噴火してるから
火山灰で中・東日本遺跡は埋没・燃焼・融解してる それをいいことにねつ造三昧

295 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 05:58:25 ID:b9fek7v90]
>>268
何の根拠もないことをw

296 名前:猿田彦 [2009/06/01(月) 06:00:58 ID:jb2LfzwHO]
高天原から葦原中国を照らす、伊勢の大神、猿田彦なんだから
伊勢の西方の大和に、高天原があったんだな
高天原は高天彦神社だろう

297 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 06:02:35 ID:oYN3Os/20]
こりゃーソースないのは全部眉唾で読まんと。
ひでーなこりゃ。

298 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 06:02:48 ID:KvQAuaqx0]
>>261
お前が朝鮮に激しいライバル意識を抱いてることはよくわかったw



299 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 06:03:05 ID:mVnXqCJH0]
卑弥呼って差別語だろ

300 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 06:05:40 ID:3EwWFz/cO]
古墳を発掘しちゃいけないのはなんでなんですか?

偽造の歴史、天皇渡来人など、
何がバレたらまずいのかkwsk






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