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【奈良】箸墓古墳築造、卑弥呼の死亡時期と合致 畿内説と九州説とが対立している邪馬台国の所在地論争にも一石 国立歴史民俗博物館★6



1 名前:春デブリφ ★ mailto:sage [2009/06/01(月) 00:27:41 ID:???0]
 古墳時代の始まりとされる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)が築造されたのは
240〜260年という研究を国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)がまとめ
た。放射性炭素年代測定によるもので、250年ごろとされる卑弥呼の死亡時期と重な
る。畿内説と九州説とが対立している邪馬台国の所在地論争にも一石を投じることにな
りそうだ。

 「魏志倭人伝」など中国の史書によると、卑弥呼は2世紀末〜3世紀初め、それまで
戦乱を繰り返していた倭国(わこく)(現在の日本)の国々が共通の女王として擁立。
邪馬台国に都を構え、239年には中国・魏王朝に使者を送って皇帝から「銅鏡百枚」
など多くの品々を贈られたとされる。
 全長280メートルの前方後円墳である箸墓は、最大でも110メートルだったそれ
以前の墳丘墓とは規模が大きく違う。強大な政治権力が誕生したことを物語り、時代の
画期を示すものと考えられている。魏志倭人伝にある卑弥呼の墓と、箸墓の後円部の大
きさが近いことなどから、古くから箸墓を卑弥呼の墓とする考えがあった。
(中略)
 歴博は全国の5千点を超す土器の付着物や年輪の年代を測定。その結果、箸墓の堀や
堤からも出土し、箸墓が築造された時期の土器と考えられている「布留(ふる)0式」
が使われた期間を240〜260年に絞り込んだ。
 31日にハワイで始まる放射性炭素国際会議と、同日に早稲田大である日本考古学協
会の研究発表会で報告される。

■ソース(朝日新聞)(中略部分はソースで)
www.asahi.com/culture/update/0528/TKY200905280355.html
※画像:卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳
 www.asahi.com/culture/update/0528/images/OSK200905280103.jpg
■前スレ(1の立った日時 05/29(金) 06:54:23)
tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1243687084/

101 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:57:30 ID:mzkIhuj40]
丸くて土盛りの低い塚だった卑弥呼の墓を、
鍵穴型の高い土盛りである前方後円墳の箸墓に比定するのは、
詐欺師の仕業。

102 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:58:21 ID:UxX9dP/I0]
有名な遺跡の規模を検索してみたんだけど
吉野ヶ里は50ヘクタール
巻向は300ヘクタール
何か巻向規模でか過ぎない?

103 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:59:55 ID:rkX5Xt0u0]
魏志倭人伝には邪馬台国は「蚕桑緝績し」と書いてあるんだよね
当時、養蚕があったのは九州


104 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:00:29 ID:FhkblCOM0]
>>93
弥生人というのは、渡来人ではありません。
縄文人+渡来人=弥生人だからです。
そして、日本語の系統としては
縄文人の言語をそのまま継承している。
縄文人と弥生人の混血は、長い時間をかけて緩やかだったので
基本的に、縄文人の言語を継承したまま
弥生人の血も強くなってきたというのが、本当のところ。

105 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:01:26 ID:rkX5Xt0u0]
>>101
藤村新一のせいで日本の石器時代は空白になったけど
その過ちをまた繰り返すかもねw

106 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:01:35 ID:iptgAt4qO]
前方後円墳は地球の磁力を制御する鍵穴だと本に載ってた。

民明書房刊「はに丸とひんべえ その愛」より

107 名前:佐田大神vs姫太伯 [2009/06/01(月) 02:03:16 ID:jb2LfzwHO]

神武天皇は最初、九州地方の地方豪族にすぎず
中央の邪馬台国を、東征して。それから大和王権を建国した。

倭の民は、中国の周王朝の祖である呉太伯、つまり姫太伯の一族である。
畿内の中央から九州の地方まで太伯の末裔の豪族が支配していた。
中央の君主も、太伯の子孫である

108 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:03:20 ID:UDTpwtfHO]
畿内説には無理があるね

109 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:04:24 ID:rkX5Xt0u0]
>>104
今回の発表をした西本先生が言っているんですよ
よく読みなさい

弥生人は犬を食べていた
www.athome-academy.jp/archive/history/0000000181_01.html



110 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:04:24 ID:FhkblCOM0]
>>87 :名無しさん@十周年:2009/06/01(月) 01:48:58 ID:UxX9dP/I0
>邪馬台国の前にあった倭国大乱って、気候変動による全国的な不作が
>大きいんじゃないのかな?何かで見たような気がする。

西暦240年くらいな。
倭国大乱は西暦150〜180年くらいだから、時期が全く違う。
ちなみに、崇神5年くらいに、疫病が流行したとある。
これが、西暦240年代の気候変動の時代でしょう、たぶん。

111 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:04:26 ID:p+Ki9emC0]
径百歩の塚でしょ?
普通は円墳を想像するけどなぁ…

112 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:05:38 ID:I3es4cnt0]
両方にあったじゃあダメなの?

113 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:07:22 ID:cSJ3PyQY0]
>>109
西本さんの言うことが、全て正解のわけないじゃんw
というか、歴博の人でも、意見が微妙に違うしね。


114 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:08:10 ID:/gv97o260]
>>109
中華は何でも食う。
中国系の男のY遺伝子を見ると、Oタイプは
中国朝鮮は9割の男がOタイプ。日本は5割。
だから犬食う奴が居ても変では無い。
そんなことは言われなくてもわかってることだ。

ここでは倭人の話をしてるのであって、日本のOタイプの男は
中華の名を残すこともできず、土着に取り込まれ一体化してるので
倭人でしかない。


115 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:08:19 ID:Iu3JGnu60]
今年の夏は卑弥呼ブームで決まり!

116 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:09:31 ID:Z+yBmwLJ0]
>>1
今回の発表で、自分の学者人生が
崩壊してしまう人も多くいるから
みんな、必死なんだよ。

邪馬台国九州説の人はアマチュアに多いが
これで、たくさん本を書いて商売してきた人は
全てが崩壊してしまう。

117 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:10:28 ID:1uUxM4w6O]
なんかスレの流れがどんどんオカルトになっていってる…

118 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:11:45 ID:XKHEfAU50]
>>113
江戸時代中期までは犬食をしてましたよ

119 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:12:06 ID:/gv97o260]
>>114
そして
倭ができて以降、日本に帰化した男もほとんどOのはずなので
つまり倭ができた頃は今よりOタイプの男はだいぶん少なかっただろう。
となると、どう考えても倭人は土着のD系統が強い民族であったのだろうし
O系統の男が中華の名を捨てることになったわけだ。



120 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:12:13 ID:lh0XQe/U0]
ぶっちゃけ邪馬台国そのものが存在しないのではないかと思うようになってきた
魏志倭人伝はいまでいうと同人誌で「邪馬台国って国があってー。女王様がいたりしてー。
死んだら奴隷1000人とともに埋められた。みたいなw」って感じで書かれていたりする



121 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:12:52 ID:sQnwpdxl0]
纒向遺跡の古墳群、卑弥呼側近を埋葬か 「畿内説」の根拠に
5月31日22時26分配信 産経新聞

 早稲田大学で同日開かれた日本考古学協会総会で報告された。

 纒向石塚古墳については出土した炭化物の残存炭素量を測定した結果、西暦200年
ごろの築造と推定。土器の形式変化から年代を割り出す考古学的手法では2世紀末〜
3世紀前半で、約50年間の幅があったが、今回の分析結果によって年代がさらに絞り
込まれることになった。

 また、約200メートル西にある矢塚古墳(同、全長96メートル)は220〜260年ごろ、
矢塚古墳の南約300メートルに築かれた東田大塚古墳(同、全長120メートル)は
220〜240年ごろの築造の可能性が高いという。

 研究グループは、卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳(同、全長280メートル)について、
卑弥呼の没年(248年ごろ)と合致する240〜260年築造との見解を出しており、
纒向遺跡内の最古級の前方後円墳は(1)纒向石塚古墳(2)矢塚古墳、東田大塚古墳
(3)箸墓古墳−の順に築造された可能性が高いとしている。

 炭素年代測定法は数十年単位の誤差が出やすいとの批判もあるが、研究グループの
春成秀爾・国立歴史民俗博物館名誉教授(考古学)は「多くの資料を分析することで
年代を絞り込むことができた」と精度の高さを強調。纒向石塚古墳などの被葬者に
ついては「卑弥呼はまだ生きていた時代なので、彼女を支えた有力者の墓ではないか」と
している。

 邪馬台国について中国の史書「魏志倭人伝」などによると、2世紀後半に卑弥呼が
擁立され、239年に中国に朝貢するなど3世紀前半を中心に隆盛したとされている。
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090531-00000575-san-soci

122 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:14:28 ID:Z+yBmwLJ0]
もう、邪馬台国論争は
九州説VS近畿説
から、

箸墓=卑弥呼墓VS箸墓=台与
にかわりつつある。

もう、近畿説でほぼ決まり。

123 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:14:53 ID:1F5HNP/aO]
邪馬台国九州説はもう無理だね。
卑弥呼(邪馬台国)は巻向の地で滅ぼされたんだよ。
その後間もなく大和朝廷が成立したと考えないと、
時系列的に無理があるしな。
で、卑弥呼は出雲系の姫。
だから大和政権としては都合が悪いので、歴史書には
邪馬台国の記述が殆んどなし。
外国の魏史倭人伝にのみ詳しい記録が残ってしまったという事。

124 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:15:12 ID:Iu3JGnu60]
>>117 最終的には、勾玉でガメラの呼び方を研究してるなw

125 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:15:19 ID:rkX5Xt0u0]
>>113
>>歴博の人でも、意見が微妙に違うしね。

だったら歴博の人でも他の人でも違う説の人のソース出してね

>>114
俺もそう思いますよ
たくさん犬を食べたんでしょうね

126 名前:佐田大神vs太伯 [2009/06/01(月) 02:17:12 ID:jb2LfzwHO]
釣るか・・


倭人は呉太伯の子孫なり。
古代、倭の国は。呉や越と同格に扱われていた。

127 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:18:09 ID:UxX9dP/I0]
>>110
時期が違うのか。疫病もどんな時代でも世の中不安定になるもんなぁ。
何にせよ、邪馬台国時代の前後にどんなことが各地で起こったのか
発掘とか当時の気候とか詳しく検証できたら、もっと大和までの流れを
掴めそうだなぁ。

128 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:18:12 ID:rkX5Xt0u0]
魏志倭人伝には「男子は大小と無く、皆黥面文身す」
ヤマトにこんな文化残っているんですか?
文献とかに残っていますか?
男は皆イレズミだよ

129 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:18:13 ID:7jbg7B0l0]
どっちでもいいのよなあ。

前方後円墳は日本が起源で、規模も日本の古墳が最大最多なので
とにかくヤマトの遺跡なのは確か。
首都がどこだろうが、移転しようがそんなものはヤマトの勝手だろう。



130 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:18:26 ID:Z+yBmwLJ0]
>>123
日本書紀を読め。そんなことは、どこにも書いていない。
卑弥呼は、完全に大和王朝の出身。


131 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:20:59 ID:LRX7D6DY0]
>>128
でもさ、今の日本人って髷結わないけど江戸から明治にかけて民族的に入れ替わったとかないし
どうなんだろう

132 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:21:02 ID:UDTpwtfHO]
畿内説はオカルト好きな人にはたまんないだろうね
「魏志倭人伝」だと九州説が有力、物的証拠の金印もある

それに卑弥呼が一人とは限らないしね

133 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:21:17 ID:7jbg7B0l0]
>>125
犬は、野犬退治が大変だろうと思うんだがな。
少しでも噛まれて狂犬病になると、終わりだし。
となると、飼うも何も狂った犬を退治して、その死体だけで満腹だろうに。

そうでなくともオオカミだらけの昔に、犬をわざわざってのも変だがな。
どちらにしろ、退治したら食糧だからな。
これは民族関係ないだろう。

134 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:21:18 ID:Z+yBmwLJ0]
大和王朝が、出雲国譲りの経緯から
長い間、出雲の神様も大切にしていたのは事実だ。
だから、卑弥呼(モモソ媛命)も、出雲の神様も大切にしていた。

ただ、出雲国譲りが行われたのは
卑弥呼(モモソ媛命)よりも、ずっと前だ。
神武天皇の時代よりも、さらに前の時代。

135 名前:道化師 ◆2NM3Ldm/eI mailto:sage [2009/06/01(月) 02:21:29 ID:KPyI5kbDO]
上岡さんに聞けば済む話し。

136 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:23:01 ID:rkX5Xt0u0]
>>130
日本書記だと卑弥呼は神功皇后だぞ
国学者の本居宣長も否定してる

137 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:24:10 ID:7jbg7B0l0]
>>128
さっきから妙に噛んでくるよな。

風習が続いてないと民族が変わるのか?
だとしたら、世界中で現代と忠誠では服装も髪型も変わってるから
地球人は総入れ替えされたのか?
江戸以前にマゲをしてたが、明治でマゲ無し洋服になった。これは民族が違うのか?


138 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:26:13 ID:rkX5Xt0u0]
>>133
でも、縄文時代には食って無かったみたいね
もちろん多少は食うやつもいただろうが
渡来人が入ってきて犬を食う文化が広まったようだ

あくまで今回の発表をした西本先生の説だけどね

139 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:26:38 ID:Iu3JGnu60]
連合国家の邪馬台国の卑弥呼が、ヤマト王権を作った。この次期の女帝は一人で
別名:天照大神、 神功皇后、倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)。



140 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:27:18 ID:Z+yBmwLJ0]
>>136
だから、国学者の本居宣長は大外れ。
彼は、国学者で、大和王朝が中国に朝貢するのが気に入らなかったから
邪馬台国九州説をぶちまけた。

日本書紀は、中国との外交に使うから
無理にして、年代を編纂したから、
結局、神功皇后が卑弥呼に違いないと
日本書紀の編纂者が理解したんだろう?
中国側の女王って記述が、何のことか分からなかったんだろう?

141 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:27:42 ID:UxX9dP/I0]
古い時代、縄文の頃は日本各地に入れ墨文化って結構あったように
思う。それが下火になってきたのが邪馬台国から大和にかけてでは
ないだろうか?丁度中国、朝鮮の文化が影響を与えた時期。
でも日本の入れ墨って古くから現代にも続く芸術でもありそう。

142 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:27:51 ID:1F5HNP/aO]
>>130
魏にとっても重要な邪馬台国は殆んど記述されてないし。
それに…神功皇后がそうだと言いたいのかw


143 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:28:40 ID:lh0XQe/U0]
沖縄旅行していた時ガイドのおっちゃんが邪馬台国は琉球にあるんですよと力説していた
大和の大王は琉球から移り住んだ人々だとも
これで確定でしょ

144 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:28:44 ID:rkX5Xt0u0]
>>137
>>だとしたら、世界中で現代と忠誠では服装も髪型も変わってるから
地球人は総入れ替えされたのか?
江戸以前にマゲをしてたが、明治でマゲ無し洋服になった。これは民族が違うのか?

反論にすらなってない
ヤマトにはイレズミ文化があったことの証明をもってこいよ
お前の思い込みの主観じゃなくね

145 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:29:07 ID:G9E4EKsn0]
昔ある番組で三角縁神獣鏡の出土具合だけで九州説は崩れるって学者のコメント取って流したら
スポンサーの広報部長が九州の人で、えらい怒られたな。

146 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:29:32 ID:5j3+PFke0]
>>139
>別名:天照大神、 神功皇后、倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)。

そんなこと、どこにも書いてません。
息をするように、うそをつくな。

卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命 以上です。

147 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:30:15 ID:ODNpOBO40]
そもそも海を隔てた外国の歴史書の記述に、どれだけの信憑性があるのか疑問だな。
国内にあの時代をリアルタイムに記述した資料が存在しないって未開人にもほどがあるよね。

148 名前:佐田大神vs太伯 [2009/06/01(月) 02:31:17 ID:jb2LfzwHO]
天津神の民族たちは、国津神の民族を支配してからも、国津神の神を大事にした。
だから、天皇家は出雲大社も大事にした。

そこまでは納得出来るが、しかし

天皇家は、アマテラス卑弥呼をあまり大事にはしていなかった


これは、疑問と思わないか?皇祖神なんだよ?

それとも、皇祖神だと後からでっちあげたのか?

149 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:31:22 ID:rkX5Xt0u0]
魏志倭人伝によると
邪馬台国は鉄器と絹を生産してたんだぞ
これだと九州だろ



150 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:32:10 ID:pzax3CxZO]
卑弥呼はマンモスの養殖に成功したらしいな

151 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:33:07 ID:7jbg7B0l0]
>>144
刺青が無いと倭人ではない証明をお前がするほうが先だろ。

なぜなら、刺青が無くとも倭人だからだ。
朝鮮人や中国人は、刺青をしなくなったヤマトの人間を倭人と呼び続けた。
ミズラがなくなっても倭人。
いまでも倭人と呼ばれるのはヤマト民族。

それをおまえがなんで一人否定してるんだ?

152 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:33:21 ID:Iu3JGnu60]
>>146 でも、卑弥呼に匹敵するような女帝は卑弥呼だけでしょ?

153 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:35:45 ID:rkX5Xt0u0]
>>145
サンカクブチは今や畿内説の人も根拠につかいませんw
でも、はしはかを調べて中国から送られたらしい鏡が出てきたら
やはり畿内説が強まるだろうね

154 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:36:28 ID:Iu3JGnu60]
そうすれば、辻褄が合う気がしたから

155 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:37:03 ID:5j3+PFke0]
天津=葛城の高天地方
国津=出雲地方。

近畿地方のことを、日の昇る南天とされ、
出雲地方のことを、日が沈む黄泉の近くとされ、

まあ、天津というのは、近畿地方のことです。
国津というのは、近畿地方以外の地域で、とくに、
出雲王朝の配下だった地域。

徳川幕府的に言うと
天神系(葛城・大和の譜代豪族)
天孫系(葛城・大和の親藩豪族)
地祇系(外様の豪族)

で、
諸蕃系(渡来系氏族)

156 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:37:37 ID:lh0XQe/U0]
魏志倭人伝では卑弥呼が亡くなった後奴隷1000人が生き埋めになったらしいな
箸墓古墳から奴隷1000人は出てきたの?

157 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:37:55 ID:hmwaFKor0]
>>148
決して大事にしなかったわけじゃないだろ。
でもやっぱり何らかの争いがあって
邪馬台国を書記に記すには問題があったのでは?

158 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:39:26 ID:yj2At8xc0]
>>153
どの鏡が中国の鏡かは分かりません。
くれぐれも、箸墓から出たから卑弥呼の鏡だなどと言わないようにして
もらしたいものだ。まあ、箸墓が調査されることはないだろうけど。

159 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:39:35 ID:rkX5Xt0u0]
>>151
俺が言っているんじゃなくて
魏志倭人伝には
邪馬台国の男は皆、顔にイレズミしていると書いていると言っているんだろうが

とにかくお前もどうやってイレズミが消えていったか
お前の思い込みじゃなく最低限ソースだせよ カス




160 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:41:33 ID:2QT8b8eMO]
奴隷生き埋めが、発掘許可が出ない理由かな?

161 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:42:10 ID:HstR1rIn0]
>>128
>魏志倭人伝には「男子は大小と無く、皆黥面文身す」
まさにアイヌ
www.y-asakawa.com/nihon-tansaku%202007-2008/ainu2.htm
www.y-asakawa.com/nihon-tansaku%202007-2008/ainu2-01.jpg

162 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:42:47 ID:UDTpwtfHO]
書記があったとしても日本語ではなかったりしてな、だから表に出せなかったりして

163 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:43:05 ID:7jbg7B0l0]
>>159
わるいが、刺青も、角髪も、マゲも、そういう風習が消えていったのは
「時代の流れ」
だとしか答えられないな。

刺青があるのを倭人と呼ぶ
無くても倭人と呼び
美豆良がある人間も倭人と呼び
無くても倭人と呼び
マゲがある奴も倭人と呼び
無くても倭人と呼んで
倭人倭人倭猿倭猿と呼び続けてきたのが中国朝鮮人だろう。

だから、ヤマト民族が倭人であるのは15億人くらいの証明してくれる人間が居る。
常に倭人と呼び続けてきた彼らに聞いてくれ。


164 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:44:00 ID:rkX5Xt0u0]
魏志倭人伝には
邪馬台国は冬も暖かくて
生野菜を食べていると書いてあります
奈良は冬は寒いです

165 名前:佐田大神vs太伯 [2009/06/01(月) 02:46:41 ID:jb2LfzwHO]
入れ墨、入れ墨云々だが

入れ墨文化は倭人だけではなく
中国の呉や越も入れ墨してなかったっけ?

166 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:47:30 ID:UxX9dP/I0]
>>164
当時も寒かった?当時の近畿地方はどうだったんだろうか。

167 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:47:41 ID:HstR1rIn0]
>>140
>彼は、国学者で、大和王朝が中国に朝貢するのが気に入らなかったから
>邪馬台国九州説をぶちまけた。
東大学派もその流れなんだよね。
弥生人は縄文人の進化型とか言ってたしw

卑弥呼が畿内だとすると、実は大変なことだ。
天孫降臨から東征までの話と合わせると、大和には蝦夷縄文系の王朝が
あって、朝鮮から渡ってきた王朝がそれを滅ぼして居座ったことになる。

でも、これなら、朝鮮半島南部と大和朝廷が深い縁があったことも、
すんなり説明できちゃう。

168 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:48:21 ID:rkX5Xt0u0]
>>160
時代の流れで消える文化もあれば
消えない文化もあるだろ
それをお前は自分に都合のいい考えを恣意的に引用しているだけなんだよ
思い込みで歴史を語るのもシロウトの楽しみでいいとは思う
だが、根拠となるソースをしめさないとまったく説得力はないよ


169 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:49:00 ID:yj2At8xc0]
神武天皇に付き従って大和に入った人(名前は忘れた)は、顔に刺青をして
いたらしい。それを見て、大和の娘は驚いたと日本書紀に書かれているらしい。
調べてもいいが、面倒くさいので記憶だけで…。



170 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:50:33 ID:UxX9dP/I0]
入れ墨文化って世界中にありそうだけど。地域、時代によって
変化していくもんなんだろうなぁ。

171 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:51:29 ID:HstR1rIn0]
>>161
>黥面文身

>3世紀の日本について記した『魏志』倭人伝は、男子がみな黥面文身して
>いたと伝える。文身とは、顔以外の身体に入れ墨をすることであり、
>黥面とは顔に入れ墨をすることである。

>『日本書紀』の記事中にも、入墨についての記事がある。武内宿禰の
>東国からの帰還報告として、蝦夷の男女が文身していたとある

ja.wikipedia.org/wiki/入れ墨

172 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:51:46 ID:rkX5Xt0u0]
>>169
歌に詠まれているよね
なぜ貴方は目にイレズミしているのですか・・・みたいな
かなりイレズミが特殊だったという事なんだろうね

173 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:53:17 ID:hmwaFKor0]
>>164
それは邪馬台国の人や生活の様子ではないよ。あくまで「倭人」の様子。
つまり実際に遣いがいったと思われる九州の様子ですw
そこに伝聞が色々まじってると考えましょう。

174 名前:佐田大神vs太伯 [2009/06/01(月) 02:55:42 ID:jb2LfzwHO]

九州の邪馬台国(後の大和王権)の文化が、入れ墨してて、海に潜るのが好きな海洋民族と言うが

出雲四天王の猿田彦も、海に潜るのが好きな海洋民族だぜ

同じ同族なのか?

175 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:56:24 ID:jAK/lGU80]
>>169>>171>>172

ヤクザか。

176 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:56:40 ID:LRX7D6DY0]
>>173
しかし、何をもって倭人としたんだろうね
ある王の権力範囲内にいる民族を倭人としたのでもなさそうだし、そもそも倭人ってどういう意味合いで使ってるのかな
ってのが気になる

177 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:56:45 ID:UxX9dP/I0]
特徴的なのは、「男子が」「黥面」「文身」って所か。
今で言う仁侠、極道の世界と何か共通するものがあるのかも。

178 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:57:41 ID:yj2At8xc0]
>>172
つまり、大和には刺青の文化はなかった。
倭人伝の記述とは合わない。
したがって、大和は、倭人伝に言うところの倭国とは言えない、
ということかな。

179 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:59:27 ID:rkX5Xt0u0]
>>173
俺は邪馬台国に対する記述だと思うけど
少なくとも一般的にはそうでしょ




180 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:59:45 ID:UxX9dP/I0]
>>178
一般の風習としては続いてたんじゃない?今もあるくらいだし。

181 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:00:32 ID:yj2At8xc0]
>>174
猿田彦といえば、瓊瓊杵尊を日向の高千穂に送り届け、アメノウズメノミコトと
一緒に、伊勢に行ったわけだから、もともとは九州かもね。

182 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:01:05 ID:LzUVQRzd0]
>>176
倭国語を話す者が倭人なんじゃね?

183 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:02:05 ID:oIKg4jtq0]
>>167
おまえ、阿呆かw
そんなことには、ならないよw


184 名前:佐田大神vs太伯 [2009/06/01(月) 03:03:19 ID:jb2LfzwHO]
>>181
でも猿田彦は出雲系の国津神だから、それはどうなんだろう
卑弥呼とは、まったく関係ないけど

185 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:04:02 ID:rkX5Xt0u0]
>>178
そうそう
そんな感じっす
勿論イレズミは現代にもあるぐらいポピュラーなものだから
ヤマトにも多少はあったと思うけど
皆が顔にイレズミしているというのは、
邪馬台国はヤマトではなかったんじゃないかなと思う
変化したというのも無いとは言えないけど
そこまで大きな変化なら、なんらかの文献なりに残るんじゃないかなぁ
呪術的なものだったんだろうし

186 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:04:57 ID:oIKg4jtq0]
おまえら、

高天原=葛城の高天
高千穂=宮崎・鹿児島
だ。

これを、ちゃんと覚えておけ。

つまり、皇室の祖先は、葛城の高天で発祥し
その後、九州の高千穂に赴任した。

おまえら、高天原と高千穂、ゴチャゴチャになってないかw

で、卑弥呼の時代は、それよりも、ずっと後の話だw

187 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:05:00 ID:mE1obRnn0]
ヤクザはずっと昔から関西が本場
関東のは天保水滸伝で書いてるように幕末近くからだな
九州のは炭坑が盛んになった明治からだろう

してみると九州説はやっぱり間違いだったな

188 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:05:59 ID:HstR1rIn0]
>>178
>したがって、大和は、倭人伝に言うところの倭国とは言えない、
神武天皇が東征して大和に入ったときの話なんで、大和には入れ墨
があったのかもしれない。

つまり、邪馬台国大和説と話を総合すると、大和には蝦夷の王朝
があって、天皇系が九州から大和に入ってそれを滅ぼしたと。

189 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:06:39 ID:rkX5Xt0u0]
>>167
今日もNHKでやってたけど
朝鮮半島南部と大和朝廷に縁があったのは間違いないしね



190 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:06:46 ID:kW6vFkwt0]
四国説w

191 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:07:01 ID:Wk3iceqPO]
>>107
なるほど。日本は中国大陸様の一部なんですね。

192 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:07:38 ID:yj2At8xc0]
>>184
猿田彦は、天孫の一行が高天原から降りてくるのを待っていたわけだから、
天神の一族とはいえないかもね。だから国津神となっているのかも。
あんまり良くわからないが。

193 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:12:24 ID:Iu3JGnu60]
ヤマト王権は、熊襲と蝦夷を滅ぼして日本を統一した。

194 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:13:14 ID:hmwaFKor0]
>>179
実際生活等に関しては「倭人」としか書かれてないし。
邪馬台国の人々の様子ならそう書くでしょ、「女王の国の人」とかね。
まあ俺は魏の遣いは伊都までしか行ってないのを
前提にしか書いてないけどな。


195 名前:佐田大神vs太伯 [2009/06/01(月) 03:14:11 ID:jb2LfzwHO]
大和民族は昔、天孫民族と呼ばれていたから
あえて倭人を天孫人と呼ばせてもらうが
天孫人が必ずしも、朝鮮半島経由で日本列島に来たとは思えない
中国大陸から直接渡って来たんじゃないかな?

196 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:16:25 ID:KGs2scVk0]
九州の一勢力が、勝手に魏国に使者送って、勝手に金印貰ったって説は無いの?

197 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:17:21 ID:hmwaFKor0]
>>195
まあ薬(丹)探しにやってきた徐福伝説なんてのもあるしな。


198 名前:佐田 [2009/06/01(月) 03:19:37 ID:jb2LfzwHO]
>>196
あるいは、対馬の宗氏みたいに
地方豪族が中央政権を通さず独自に金印を貰ったか

199 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 03:19:54 ID:oIKg4jtq0]
高天原=葛城の高天
高千穂=宮崎・鹿児島

紀元前1世紀 出雲国譲り 大和(首都は高天)が出雲を併合し、日本の大半を統一
       その時の大和の大王は、天火明命(通称・天照国照彦)
       倭王アマテルとして君臨する。
       后は、天道日女命で、出雲の大国主の王女だった。
       天火明命は、后の父親の出雲王から、天下を譲り受けた。
       そして、天火明命は、日本各地に司令官を派遣した。
       九州の高千穂には、弟のニニギ命を送り込んだ。       

紀元1世紀  大和本国で内乱。九州分家の若御毛沼命(神武)が
       大和本家を助けるべく、援軍として駆けつける。
       内乱は鎮圧され、若御毛沼命はイワレ彦として、
       大和本家を助け、実際の政治を見た。

紀元2世紀、 若御毛沼命の後胤(神武皇統)が力をつけ
       大和本家(尾張氏の先祖)と争うようになる(倭国大乱)
       その結果、神武皇統が勝利し、倭王(祭司王)にモモソ媛命
       執政には、そのまま孝元天皇がつく。

紀元3世紀、中国の魏志倭人伝に登場。
      老女の倭王卑弥呼=モモソ媛命
      実際の政治をみていたのは、崇神天皇。
      モモソ媛命の死後、だいぶんたってから
      崇神天皇が、祭司王(倭王)と執政の両方を行うようになる。
      祭政一致の王の誕生である。



200 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 03:20:54 ID:NEKWWo2BO]
魏史によればヤマタイ国周辺の地理として阿蘇山が挙げられている
志賀島の金印に見られるように、この地には古代に中国が認めた国家が存在した
卑弥呼の墓は円墳

これらの事から箸墓が卑弥呼の墓とか、ヤマタイ国畿内説はありえない

紀記の記述は八世紀より前に関しては中国の史書との食い違いが大きく信用できず
この時期に他の地域にあった天皇家以外の政権の存在を意図的に隠蔽している可能性が大きいだろう
よってヤマタイ国については従来通り九州にあったと見るのが妥当






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