- 1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ mailto:off_go@yahoo.co.jp [2009/05/30(土) 21:38:04 ID:???0]
- ・古墳時代の始まりとされる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)が築造されたのは240〜260年
という研究を国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)がまとめた。 放射性炭素年代測定によるもので、250年ごろとされる卑弥呼の死亡時期と重なる。 畿内説と九州説とが対立している邪馬台国の所在地論争にも一石を投じることになりそうだ。 全長280メートルの前方後円墳である箸墓は、最大でも110メートルだったそれ以前の 墳丘墓とは規模が大きく違う。 強大な政治権力が誕生したことを物語り、時代の画期を示すものと考えられている。 魏志倭人伝にある卑弥呼の墓と、箸墓の後円部の大きさが近いことなどから、古くから箸墓を 卑弥呼の墓とする考えがあった。 考古学では、少し前までは4世紀の築造と考えるのが主流だった。 宮内庁指定の陵墓で本体の調査はできない。周囲で出土した土器や他の古墳で見つかった 鏡などを手がかりに研究が進み、3世紀後半と見る研究者が増え、卑弥呼との関連が注目 されるようになっていた。 歴博は全国の5千点を超す土器の付着物や年輪の年代を測定。 その結果、箸墓の堀や堤からも出土し、箸墓が築造された時期の土器と考えられている 「布留(ふる)0式」が使われた期間を240〜260年に絞り込んだ。 31日にハワイで始まる放射性炭素国際会議と、同日に早稲田大である日本考古学協会の 研究発表会で報告される。 歴博研究グループ代表の西本豊弘教授(考古学)は「慎重に進めた5年間の研究の総まとめで 結果には自信を持っている。どのようにしてこの年代を求めたのか、だれでも検証できるように 測定データも含めてきちんと公表するようにしたい」と話している。(一部略) www.asahi.com/culture/update/0528/TKY200905280355.html ※画像:卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳 www.asahi.com/culture/update/0528/images/OSK200905280103.jpg ※前(★1 05/29(金) 06:54:23):tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1243658002/
- 296 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:10:38 ID:KvXIFMrVO]
- 邪馬台国はとにかくヤマト王権のルーツは渡来人の作った九州王朝に間違いないでしょ。
最初に稲作や鉄器が伝来したのは北九州な訳で、それは考古学的にも確かめられている。 出土した弥生時代の鉄器の七割以上が九州からだし、渡来系の弥生人が東へと征服していく過程で伝播していった。 日本書記や古事記に出てくる地名はほとんど九州だし、神武東征や国譲りの神話とも一致してる。 手塚治虫の火の鳥なんかだと、卑弥呼亡きあとの邪馬台国を征服してヤマトを作ったのは朝鮮半島から渡ってきた天孫族で、その首長がニニギという事になってる。 漫画だと邪馬台国は九州だったが、畿内だとしても大筋はそんな感じだろうね。
- 297 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:10:52 ID:2vySgenp0]
- >>291
天智派(国粋派)に気を遣った折衷案。魏とは対立してない。
- 298 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:10:54 ID:8Yh9kOc/P]
- もうやめて!九州のライフは0よ!
- 299 名前:婆 ◆HKZsYRUkck mailto:sage [2009/05/31(日) 00:11:06 ID:pHsSkwhI0]
- >>274
邪馬台国が奈良という前提なら、俺は投馬国は鞆の浦説に一票だな。 つか、俺は九州説だけど。
- 300 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:11:43 ID:m23pWfrBP]
- 放射性炭素年代測定って、怪しくね?
- 301 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:11:56 ID:b9EYaLhe0]
- 倭迹迹日百襲姫命 やまとととひももそひめのみこと
記・紀にみえる孝霊天皇の皇女。 母は倭国香媛(やまとのくにかひめ)。「日本書紀」によれば、崇神(すじん)天皇7年三輪(みわ)山の大物主(おおものぬしの)神のおつげをつたえ、 10年武埴安彦(たけはにやすひこの)命の謀反(むほん)を予言。のち結婚した大物主神の正体が小蛇と知っておどろき、夫の怒りをかう。 後悔してすわりこんだとき、箸(はし)で陰部をついて死んだ。墓を箸墓という。別名に倭迹迹姫命。「古事記」では夜麻登登母母曾毘売命。 天皇家の墓じゃんw 宮内庁に聞けよ誰が眠ってるかはw 妄想をせずに、わかることから確かめていく。それが研究者のあるべき姿だろw それにしても死に方が・・・卑弥呼説を語りたい人はこんな死に方してないと書いてあるがリアリティあり過ぎw
- 302 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:12:35 ID:brvELhH50]
- 平野が広いとか、墓が大きいとか、論外。
弥生時代なら、海と山の原始生活。 あんなでかすぎる平野の古墳は明らかに違う。
- 303 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:12:35 ID:mVzr1e/90]
- これは、奈良県人の陰謀だなw
- 304 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:14:21 ID:LMWl4VW+0]
- 昼は人が作り、夜は神が作った
テラカッコヨスwwwwwwwwwwwww
- 305 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:15:32 ID:2vySgenp0]
- 北九州から日本海側、そこから大和へというルートが出雲系で、(親魏派)
日向から瀬戸内、そこから熊野そして大和へというルートが日向系。(国粋派) 奴国大乱はこういう戦争じゃないか。
- 306 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:15:42 ID:Jptg1JgMO]
- 前方後円墳って
いっつも円の方前方だと思っちゃう てかなんで前が方で、後が円って決まったの? 誰が決めたの?本当は円が前かも知んないじゃん
- 307 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:15:54 ID:aAB9f4uq0]
- 九州はいつの時代も置いてけ堀だな
- 308 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:15:54 ID:uaZovU3RO]
- >>296
おれゆとりだからか 手塚治虫の火の鳥は見た時無いけど 俺の推測と手塚治虫の推測が合致してる
- 309 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:16:01 ID:qLI0/0xD0]
- 別に万世一系で無くても今の天皇家をデタラメだこのやろう、なんて言わないから、
全部の古墳や御陵を調べてくれ。 断絶してる古代史を知ってスッキリしたいw
- 310 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:16:09 ID:VEEeL1A90]
- >>296
百済は王族がふよ族、市民は漢人、倭人 というふうに、中国の使者はその国の構成を見抜いている。 倭に中華系などが多かったら、どの時代だろうがすぐに見抜いて 書き記すと思うんだけども。
- 311 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:16:30 ID:r0gZpZZe0]
- 九州が日本の中心になったことは一度もないから、畿内説に軍ぱい
- 312 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:17:15 ID:cUCTIN710]
- >>301
陰部がどうのこうのって記紀では頻出してね? 昔の人の考えはよく分からんが
- 313 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:17:54 ID:8F/jnUOU0]
- >>302
>あんなでかすぎる平野の古墳 が築造できるようになったから 箸墓ができた頃からあとを古墳時代と呼ぶんだよ
- 314 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:19:17 ID:IBpUXQLm0]
- NHKでアンケとったときは7割ちかくが九州説だったよな
あれ、九州の組織票だけなのか、関西嫌いの関東人とかもいれてそう いずれにせよ事実を見ずに情実でうごくって衆愚としかいいようがないが。
- 315 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:19:44 ID:VYJGcKOGO]
- >>304
それって箸墓古墳に書かれてたの? 名言じゃん。
- 316 名前:婆 ◆HKZsYRUkck mailto:sage [2009/05/31(日) 00:20:03 ID:pHsSkwhI0]
- >>302
ふと思ったんだが、古墳造るぐらいの土木技術があれば、 灌漑用水網を造るのも可能だよな。農業用水を掘って出た土を 捨てる場所に困って、「んじゃ、オオキミさまの墓に盛るべ」と なったのかも知れん。 そんで、瀬戸内海の東側では弥生時代からタコツボによる蛸漁が 行われていたのに、古墳時代になったら一時期廃れている。 これが気候変化なのか土木工事による海の汚染なのかは 議論が分かれているらしいが。
- 317 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:20:20 ID:8F/jnUOU0]
- >>312
特に古事記に多いな 他にも女の子がおしっこしてるときに 神さまが矢になって女陰をついたとか 歴史書とは思えないような話がけっこう載ってる
- 318 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:20:31 ID:LMWl4VW+0]
- センター試験で出た
- 319 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:20:38 ID:Ce2tI2Qk0]
- >>248
誤解してるらしいが、「別に天皇家がチョン」のチョンは、現半島在住のチョンとは民族的にも 血統的にも無関係だぞ!。 現半島在住のチョンは10世紀に有史上空前の大噴火(M7.4)を 起こした白頭山シナー名長伯山の文献的、実証的記録すら絶無、すなわち、居なかった だから。古代半島南部在住と九州在住民は同一民族だろう。 日本海をはさんで10世紀に相次いで起こった二つの大噴火 www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/paper/946/
- 320 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:21:27 ID:A4ElFfjO0]
- >>309
今更掘って何かでてくりゃ凄いけどね・・・ 石版とか死海文書とかw
- 321 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:21:46 ID:r5eek6FYO]
- >>274
投馬国の場所はともかく、邪馬台国までの日数が大雑把すぎるからね。 明らかに北九州近辺の距離ではない。 それに何故か余り重視されないのかが不思議だが、 巻向の「丹」の存在は大きいと思う。
- 322 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:22:03 ID:1+91zV5R0]
- >>292
>九州説自体、すげー無理があったからな 東京大学が強力にプッシュしたから、辛うじて残っている。 東大の脚気細菌説みたいなもの、
- 323 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:22:38 ID:2vySgenp0]
- 国譲りのあと、出雲大社と箸墓をつくったと。
和解と同時に、日向、熊野系の勢力が誇る意味もあり。その後の古墳時代につながったと。
- 324 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:22:56 ID:VYJGcKOGO]
- >>319
古い時代には朝鮮半島南部と九州南部は 似たような文化園があったってのは賛成。
- 325 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:23:33 ID:LMWl4VW+0]
- 昔は九州の方が発掘が進んでたんだよ
- 326 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:23:59 ID:VEEeL1A90]
- 鉄を使うと民族が変わると言う意見の意味もわからない。
では、中国に鉄の製法が伝わった時、中国の民族は変わったのか。 民族が変わると言語も変わる。 名前も変わる。 百済は漢人、倭人が住んでいるとされているように 古代の人間もその出自はすぐに見抜かれていたわけだ。 しかし、倭人は全て倭人という表記だった。 半島で鉄を取っているのも倭人だと記されている。 倭人が自分で鉄を取っているのに、民族が変わるも何もないよ。 倭人以外の民族の記述も無いし。
- 327 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:24:46 ID:uaZovU3RO]
- >>317
大物主が赤い矢になってレイプしたんだよね
- 328 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:25:02 ID:b9EYaLhe0]
- 卑弥呼のwiki見てみたが
卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 ?葬者奴碑百餘人 (卑弥呼は死に、直径100余歩の大きな塚が作られ、奴婢100余人が徇葬された) 奴婢100余人が徇葬された 古墳調べて100人出てくればガチじゃんwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
- 329 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:26:09 ID:5JLJfss50]
- 神武東征をいつまで信じていたかなんてことは、
たわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいい話だが、 それでも俺がいつまで神武などという想像上の九州男児を 信じていたかというと、これは確信を持って言えるが、 最初から信じてなどいなかった。
- 330 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:26:48 ID:Ce2tI2Qk0]
- >>322
良く知ってるな!、森林太郎か。
- 331 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:27:32 ID:m23pWfrBP]
- >>322
最近知ったのだが、東大閥の中では脚気細菌説は外部の人のせいになってて、 森鴎外が和食による食事療法を推進したことに脳内が書き換わってるのな。
- 332 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:28:02 ID:r0gZpZZe0]
- 神話では大分に移動した弥生人の一派が東へ進出して奈良盆地に
国を作ったとことになっているので、もっと古い時代には北九州に 弥生人の拠点があったんだろう。しかしその拠点の名称はヤマトでは ない。
- 333 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:28:11 ID:rqFZR8DS0]
- とりあえず、九州には邪馬台国より古い奴国があって、
金印も貰ってんだからそれでいいじゃん。
- 334 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:28:52 ID:5JLJfss50]
- >>306
蒲生君平という山陵オタク
- 335 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:29:21 ID:VYJGcKOGO]
- >>327
一部の昔の神話ってキモいよな。 殺されたウケモチノカミの死体から牛、馬、栗、蚕、稗、稲が 生まれたりするしね…
- 336 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:30:15 ID:vABbDtC60]
- >>315
日本書紀の崇神天皇の時代の記述だよ
- 337 名前:婆 ◆HKZsYRUkck mailto:sage [2009/05/31(日) 00:31:09 ID:pHsSkwhI0]
- >>323
出雲の国譲りは「四道将軍を遣わして国中を平定した」という “神話”を象徴させるためにヤマト政権と出雲国造とが口裏を合わせた 作り話、という説を: 鳥越憲三郎が書いてたな。 これはけっこう説得力がある。 ひるがえって、ヤマト政権の足元であるマキムクの箸墓でやるのは 無理がありそうな気がする。
- 338 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:32:32 ID:VEEeL1A90]
- >>326
日本では、ってことね。 まあ、古代でも中華系が日本に来ると 日本式の名前に変えてヤマトに帰化していた可能性はある。 秦もシンという自我を崩して「はた」になってるし。 どこに行っても自我を貫いて、中華の名前を振りかざす中華人が 日本に来ると、日本でだけは日本名になるし。漢字はそのままでも読みはヤマト読みになる。 それほどの魔力が古代からヤマトにあったとすれば 中国の歴史書に、この島に倭人しか出てこない理由になるかも。 中華すらヤマトには帰化してしまう。
- 339 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:32:32 ID:VYJGcKOGO]
- それにしても近畿に邪馬台国があったとすると
広い範囲で日本語はすでに使われていたことになる。 結構言語学にも影響は大きいよな?
- 340 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:33:24 ID:liIzrFiL0]
- 邪馬台国があったころ中国はレッドクリフの時代だっけ?
- 341 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:34:23 ID:uaZovU3RO]
- 狗奴国のヒミココこそ
出雲四天王の一人、佐田大神 現在の伊勢神宮らへんに拠点あり
- 342 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:34:32 ID:b9EYaLhe0]
- 魏志倭人伝を信じるなら距離がやっぱり奈良にたどり着けない
対馬までで7000使ってるし・・・ 倭国に至るには、船で韓国を経て7,000余里で倭国の北岸の狗邪韓国に到着する。 そこから海を1,000余里渡り、対海国に着く。瀚海と呼ばれる海を南に1,000余里渡ると一大国に至る。 また海を1,000余里渡ると末盧国に至る。東南へ500里陸行すると伊都国に到着する。東南へ100里進むと奴国に至る。 東へ100里行くと不弥国に至る。南へ水行20日で投馬国に至る。南、女王の都のある邪馬壹国に至る。 水行10日陸行1月。帯方郡から女王国までは1万2,000余里ある。 魏志倭人伝を信用しないなら卑弥呼が死んだ年すらわからんw
- 343 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:34:39 ID:Q19h0zQ50]
- >>281
神功皇后新羅征伐
- 344 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:35:35 ID:mEi4HIxw0]
- 本体の調査やれよ。それでわかるんだろ。
宮内庁のお達しのほうがいまだに学術調査より上なのか、この国は。
- 345 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:37:11 ID:Q19h0zQ50]
- >>287
いや、全然無いよ。 この記事も大和と邪馬台国が直接関係ないことを立証する記事だよ。 なにしろ卑彌呼の墓が前方後円墳が無いことは魏志に書いてあるんだからね。
- 346 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:37:34 ID:5JLJfss50]
- >>304
しかも、北葛城郡の大坂山の石を民が並んで手から手へ渡して運んだ という記述があるが、実際にその山の石が葺石に使われているらしい。
- 347 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:37:39 ID:KvXIFMrVO]
- >>326
現実問題、縄文系の遺伝子は今の日本人に2割くらいしか残っていない。 その意味では今の日本人はほとんど渡来系の子孫。 鉄器を持った民族や騎馬民族に征服される事で民族が替わるのは古代では別に珍しくないよ。
- 348 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:37:57 ID:YsH4cj+SO]
- もう面倒だから八幡平でいいよ
- 349 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:38:03 ID:Ce2tI2Qk0]
- >>331
海軍は日露戦争までは脚気は起こらなかった、麦飯食わせてたから。後に慈恵会医科大学 創出した人が居たから。ただ、WWTに勝って領土が南洋諸島まで広がった後は、B-1不足で 問題を引き起こしてると、2ちゃんに書き込んだ人が居た。多分事実だろう、麦飯だけでは不足だ。
- 350 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:38:52 ID:WXlwYCrQ0]
- >>342
中国人は数値とあればなんでも10倍する。 南京の被害者数とか。 なので、その記述も数値を10分の1にしろ。 そのうえで1里=400m換算にすれば、驚くほど正確な距離になる
- 351 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:39:30 ID:VYJGcKOGO]
- >>342
1000里の間違いじゃないか? 狗邪韓国は当時は倭国といわれているが現在は韓国南部だよ。
- 352 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:40:14 ID:8kzcMVTy0]
- 富山県小矢部市の「桜町遺跡」は、
1988年に一般国道8号小矢部バイパスの建設工事に伴って 発掘調査が行われた際に発見された遺跡だが、 この「桜町遺跡」は約12000年前の縄文時代の遺跡とされ、 従来弥生時代に日本へ伝えられたとされた「高床式」の建物が、 2000年前の縄文時代に建てられていたとし、 さらにその高床式の建物は、 中国浙江省の「河姆渡遺跡」の高床式の建物の木組み工法と一致したといわれて、 脚光をあびた。
- 353 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:40:32 ID:bHTVgpfC0]
- 1日ぶりに来て見たら、もう5スレ目かよw
おまいらどんだけ卑弥呼好きなんだよw
- 354 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:40:47 ID:vABbDtC60]
- >>342
狗邪韓国て任那じゃないか?
- 355 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:41:17 ID:E80+evM80]
- >>319
別に繋がりがあったとしても、倭の属国だからな。 箸墓掘り返して半島遺物が出たらそれこそ、 属国からの貢物を埋めた証拠にしかならないからね。 記紀・三国史記及び中国の史書の補足として、 半島が属国であったという物的証拠にしか他ならないですよね。 古墳掘り返したらウヨ死亡とか抜かすアホは何がしたいんだろうね?
- 356 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:42:09 ID:Q19h0zQ50]
- >>325
良く言うよ、 近畿は京大のお膝元だよ(笑笑笑)
- 357 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:42:11 ID:VEEeL1A90]
- >>347
民族は、遺伝子と別だと思うが。 例えば、日本で2000年前に来て、日本でのみ活動していれば 他の民族になりようが無い。 あるいは、縄文系の遺伝子を持っていても、大陸に居れば日本人になりようが無い。 民族というのは、その集団の歴史であって、日本はヤマトが中心の民族以外になりえない。 中国が日本を倭と記し続けたように。 なにか、勘違いしてるんじゃないか?
- 358 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:42:48 ID:WXlwYCrQ0]
- >>351
>>354 伽耶と呼称したほうがわかりやすいな
- 359 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:44:07 ID:b9EYaLhe0]
- やっぱり1000の仮説より1つの実験・証拠ですよ。
研究者の思考はそうあるべき ということで古墳調べるべき。 卑弥呼の墓なら天皇が口出すこと自体おかしいしw
- 360 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:45:09 ID:1+91zV5R0]
- >>332
「弥生人」なんていないよ、東大が脳内で生み出した妄想 文京区弥生町(東大敷地内)から出た無文様タイプの土器を弥生土器と名前付けたのは良いが 古墳時代の物との疑いが出た途端、出土場所が行方不明に (東大敷地は東京ドーム何千個分?) 東大涙目の時に九州で同タイプの土器が大量に見つかったとのニュース 東大は火病起して、騎馬民族渡来説・弥生人(←?何それ)渡来説 邪馬台国九州説等、意味不明な説を並べてとにかく九州をプッシュした。 弥生人人種の存在確立は脚気菌と同程度。
- 361 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:45:40 ID:uaZovU3RO]
- >>355
そんな心配しなくても 日本人は一番です 仮に天皇が呉太伯の子孫でも 僕たち日本人は天皇を佐佐えますよ
- 362 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:45:45 ID:iOTLFHkW0]
- >>314
関東の学者に畿内説が多くて、関西の学者には案外九州説が多いって昔聞いたけどなぁ。 森浩一さんとかも確か九州説だと思ったし。
- 363 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:45:46 ID:VYJGcKOGO]
- >>345
円墳なんて書かれてないよ。当時の「径」の意味は違うのでは? >>347 縄文系は男系は五割くらいいるよ。 たぶん、縄文人が弥生人の男を殺して女をレイプした結果じゃね?
- 364 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:45:48 ID:aAB9f4uq0]
- >>347
日本人の男系は40%近くが縄文系で軸になってる その次に多いO2b2は4,000年近く前に日本に来てる なのになぜだか母系は弥生系が多いのが日本人の不思議なところ
- 365 名前:婆 ◆HKZsYRUkck mailto:sage [2009/05/31(日) 00:46:04 ID:pHsSkwhI0]
- >>357
ウソかホントか知らんが、「縄文系の耳垢は湿っていて弥生系は乾いている」とか 聞くぞ。遺伝子というほど大げさなもんじゃなくて、「系統(レース)」の 話じゃないかと。
- 366 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:46:55 ID:EyfCcTgx0]
- オレは政権並立期の後、畿内が天下を取ったと思っているんだが。で、卑弥呼は九州。
ところが、九州説で気に入らないところがあってな、魏志倭人伝にはハッキリと 「上陸後に東南に陸行した」と書いてあるのに、海岸伝いを東へ進んで博多の辺り まで進んだはずだ、とか言い張ってルートを捻じ曲げるのはなぜだ? そのまま松浦川の流域伝いに「東南」に進めば有明湾岸に出られるだろ。 tool-ya.ddo.jp/webfs/~enigma/Japan_Kyushu_Map_Chikei.png
- 367 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:47:05 ID:1Qdh50H10]
- >投馬国の場所はともかく、邪馬台国までの日数が大雑把すぎるからね。
>明らかに北九州近辺の距離ではない。 俺が「魏倭人伝」の作者なら邪馬台国の場所を正確には記入しないかも知れない 自分だけが正確な場所を知っていれば 邪馬台国に残した宝物も愛人も大陸人に知られず、再度邪馬台国を訪問できる。
- 368 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:48:06 ID:e0LEOWGL0]
- >>364
縄文系が跋扈する日本列島に弥生系が渡来 ↓ 弥生系って美人が多い ↓ 屈強の縄文男が弥生男を殲滅 ↓ 弥生女をゲット とか俺の妄想
- 369 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:48:12 ID:Q19h0zQ50]
- >>347
その仮説は恐らく間違っている。 単純に子供の生き残る確率が1%違えば逆転するよ。 むりやり征服だなんだと仮定する必要は無い。
- 370 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:48:52 ID:5HTjayxe0]
- >>347
「渡来系」の定義が問題だけどね
- 371 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:49:56 ID:mvsoKoeP0]
- >>365
民族って、戦国時代の織田家、徳川家みたいなものの世界版だろうから 猿のような奴、ハゲ、毛深い奴、背の低い奴 どんな遺伝子だろうが、仲間は同じ民族で、敵は異民族だと思うが。 どういう形質だろうが、倭人と中華から呼ばれていれば とりあえず同じ民族だろうよ。 中国朝鮮は、日本人を単一に倭人と呼んできたわけで。
- 372 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:50:05 ID:VYJGcKOGO]
- >>368
弥生女が美人かは知らないが、あなたの仮説で合ってると思ういます。
- 373 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:50:33 ID:E80+evM80]
- >>359
調べて、金印が見つかっても持ち運べるものだから 九州説の学者は何とかこじつけて九州だと騒ぐ。 現に銅鏡で同じ事起こっているだろ。 もっと面倒なのは、チョン遺物が出た時にチョンが 日本の【属国】であった文献資料の補足にしか ならないのに、チョンが日本を支配していた、天皇は チョンから来たとか抜かすヴァカ学者が未だいるうち は不可能だな。 理由は上段に書いた景初3年の鏡
- 374 名前:婆 ◆HKZsYRUkck mailto:sage [2009/05/31(日) 00:51:45 ID:pHsSkwhI0]
- >>366
だって「奴国」といえば博多じゃん。その東の「不弥国」は宇美町じゃん。 宇美八幡宮はすげーんだぞ。
- 375 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:52:18 ID:uaZovU3RO]
- >>364
おれ、天皇の男系子孫だと思ってたが たぶん、縄文系だわ、のっぺりしてないもん
- 376 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:53:27 ID:r0gZpZZe0]
- 弥生人の夫に縄文人の妻というカップルが多かったようだ
- 377 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:53:30 ID:WhDoAWH20]
- 先代旧事本紀には邪馬台国も卑弥呼も出てこないんだよなあ、
偽書扱いされてるけど、記紀より古いからな。
- 378 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:54:22 ID:EyfCcTgx0]
- >>368
そういうばオレが子供の頃は、「縄文時代は戦争の無い原始共産制のユートピア(お目々キラキラ☆)」 とか布教している馬鹿が大勢居た。 で、しばらくして、骨に矢じりがぶっ刺さった痕跡のある縄文人の骨とかが出てきて(ty あれは面白かったw
- 379 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:54:30 ID:aAB9f4uq0]
- 父系で縄文系が優位でも
容姿に影響する母系が朝鮮人と大差ないから残念な結果になったんだな
- 380 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:54:34 ID:or/9YJBu0]
- 学者ってのはアホだな
同時期に文献に記録がないだけでヒミコ以外に有力者がいたかもしれないのに
- 381 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:54:44 ID:mvsoKoeP0]
- 最大の問題は、だから中国が日本人を倭人と単一表記してきたということで
解決してる。 日本列島の人間は、相当古代に倭人という民族にまとまってるのよな。 ところが、朝鮮を記述するところになると わいばく、フヨ、漢人、倭人などいろんな民族が混ざってるような記述。 朝鮮こそ雑多なわけのわからない民族。 日本のような倭とかそういう固有の表現すらない。
- 382 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:54:48 ID:fCy/urqyO]
- >>305
で、三輪(出雲)の大神を祭司していたがマキムク建設を境に権力が世俗化し西の葛城(高天)に主導権が移った、とか。
- 383 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:55:24 ID:1Qdh50H10]
- 桃山時代に作られた日本地図が非常にでたらめな物なのに
数回訪問した中国人が正確な日本の地図など書けるはずがない、そして正確な地図は書く必要が無かった。
- 384 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:55:26 ID:VYJGcKOGO]
- >>376
逆じゃね?
- 385 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:55:29 ID:vABbDtC60]
- >>375
明治天皇の顔も縄文系だぞ。 昭和天皇もどっちかってーとそう。 こうじゅん皇太后は弥生系。
- 386 名前:婆 ◆HKZsYRUkck mailto:sage [2009/05/31(日) 00:55:55 ID:pHsSkwhI0]
- >>371
だけど原日本人(と言っていいのかどうか知らんが、ようするに縄文人)と 渡来人とは文化も骨格も違うじゃんか。大陸の国の人がどう見てたかは 知らんが。
- 387 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 00:56:12 ID:8F/jnUOU0]
- >>380
同時期に同じような規模の古墳があるところとなると さすがに候補は限定されちゃうぞ
- 388 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:57:02 ID:SvPqH/ug0]
- >>306
円の部分に遺体を埋め、四角いとこで祭事をするのさ。円が後ろなんだよ
- 389 名前:婆 ◆HKZsYRUkck mailto:sage [2009/05/31(日) 00:58:26 ID:pHsSkwhI0]
- >>387
そこで西都原ですよ。なんつっても日向の国ですよ。 記紀的にもばっちり。
- 390 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 00:59:46 ID:GvjMD4rJ0]
- 九州は百済系などの亡命組や交易で文明度が高かっただろうから、
王朝が奈良にあったとしても文字伝来や文化的には九州から奈良へ流れた という考え方はありかも その力のバランスから九州系の勢力が奈良、出雲系の勢力を凌駕したのが 国譲り神話の原点とか そう考えると卑弥呼が九州から奈良に移動した可能性も捨てきれない やたら近畿と北九州の地名がかぶるのもその辺りの影響かな
- 391 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 01:00:03 ID:uaZovU3RO]
- 縄文系邪魔台国を弥生系神武帝国が東征したんだな
- 392 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 01:01:10 ID:mvsoKoeP0]
- >>386
それって、国とか民族ができる以前の話では。 漢民族で言うと、背の低いソウソウも漢民族だし 豪傑のチョウヒも漢民族。 ヤマト民族の話だとすると、縄文だろうが弥生だろうが 倭人と呼ばれてひとくくりにされているうえに、何度も半島へ出征し あるいは攻められて防人で共に戦うなどすればヤマト民族だろう。
- 393 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 01:02:42 ID:Q19h0zQ50]
- >>387
なんで古墳が引っぱり出されるのかが判らないんだが? 古墳は大和の物、邪馬台国は九州で何の問題もないでしょ。 そのころ大和が支那と交通していなければ名前は出てこないのは当たり前。
- 394 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 01:03:40 ID:mvsoKoeP0]
- あ、朝鮮人にも濃い奴居るけど
どう考えても朝鮮民族だろ。 民族は、もう逃げることができない。 この人類の2000年くらいの殺し合いの歴史で 仲間、敵の集団、つまり民族が固まってしまってるから。
- 395 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/05/31(日) 01:04:01 ID:8F/jnUOU0]
- >>389
西都原古墳群はこの時期からのものだけど 3世紀半ばにはまだ大規模な古墳はないんじゃないの
- 396 名前:名無しさん@十周年 [2009/05/31(日) 01:05:04 ID:Q19h0zQ50]
- >>386
大陸というか支那人と縄文人に接触は無いだろ。
|
|