- 701 名前:名無しさん@5周年 mailto:sage [2005/06/02(木) 21:53:59 ID:WzY9RPKC]
- NHK取材班編「日米開戦 勝算なし ―太平洋戦争 日本の敗因1―」
もともと日本軍はアメリカ人は贅沢な生活に慣れているため、潜水艦のような狭くて苦しい環境での 勤務に向くはずがないとタカをくくっていたのだが、魚雷の性能の悪さが解ると、いよいよ アメリカ潜水艦をあなどる傾向にあった。このため、海軍の中では輸送船を守るために 護衛を強化するなどという考えはますます軽視され、相変わらずの輸送船の単独航行が つづけられることになった。船長は港を出るときに鎮守府や警備府などの海軍武官府に出頭し、 航海上の注意を受けるだけであった。 「日本の生命線」であるはずの南方航路の護衛体制も、お寒いかぎりであった。昭和17年4月、 開戦4ヶ月にしてようやく護衛専門の部隊ができた。不安を感じた陸軍の参謀本部が、 海軍の軍令部に働きかけたのがきっかけであった。日本内地―シンガポール間を守る第一海上護衛隊、 内地―トラック島―ラバウル間を守る第二海上護衛隊が誕生した。しかし、これらはきわめて お粗末な内容であった。『海上護衛戦』の著者で海上護衛司令部の作戦参謀であった元海軍大佐 大井篤さん(90歳)の話である。 「連合艦隊がまったく非協力的なんだ。軍令部の計算では、南方航路を守るには最低水雷戦隊が 3隊ほど必要と考えたのだが、連合艦隊に交渉してみると、まだまだ作戦地域を広げて侵攻作戦を 計画していて、あくまで作戦優先。護衛なんててんで頭にない。一隻の駆逐艦も出さないというんだ。 しかたないので、鎮守府とか警備府などから老朽のいわば『お婆さん』の旧式駆逐艦や水雷艇を 掻き集めてようやく作ったというのが実情。しかもその数たるや、シンガポールから門司までの 約2500海里(約4500km)のシーレーンを守る第一海上護衛隊が、旧式駆逐艦10、水雷艇2、 商船を改造した特設砲艦5だけ。横須賀からラバウルまでの2000海里(約3700km)を守る 第二海上護衛隊が旧式駆逐艦4、水雷艇2、特設砲艦1だけ。守るべき輸送船は3000隻以上もあるんですよ。 こんなわずかな船でいったい何ができるというんです。情けないというほかない」
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