- 1 名前:ガーディス ★ [2019/08/18(日) 14:39:31.74 ID:HzlMPVU29.net]
- 前列中央が牟田口廉也中将。インパール作戦を指揮したが、戦後は敗戦の将として非難を浴びた
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190814-00000004-courrier-002-1-view.jpg 太平洋戦争中、日本軍に甚大な被害をもたらしたインパール作戦から今年で75年。祖父が従軍者だったことから長年、生還者・遺族と交流してきた筆者は、彼らの色褪せぬ戦争の記憶と平和への願いにいまこそ目を向けるべきだと訴えかける。 ■インパール作戦につながる「金属板」 庭で畑仕事をしていたら、出てきたのだという。 ミャンマー中部の町ザガインで、知人から板状の金属製品を見せられた。ミャンマーが「最後のフロンティア」ブームで騒がれる直前、2011年のことである。このとき私は大学院に在籍中で 、18世紀のミャンマー語碑文の調査のため現地に滞在していた。 小さい楕円形の板には、漢字の文字が縦書きで三行刻まれていた。「八九〇五」、「西六六」、「番九三一」とある。これが日本軍の「認識票」であることはすぐにわかった。 アジア・太平洋戦争当時、「ビルマ」と呼ばれていたこの国での戦闘や日本軍のことは若干の知識があったからだ。認識票は戦死した兵士を特定するものであるはずだ。ならば、この番号をたどれば持主にたどりつけるのではないか。そう考え、帰国後に改めて調べることにした。 ところが、それは考え違いだった。
- 1027 名前:過去ログ ★ [[過去ログ]]
- ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
|
|