- 150 名前:名無しさん@1周年 [2019/05/15(水) 05:06:35.70 ID:LOQ/CyUH0.net]
- 失礼な言い方するけど、みんな時代をスポットで見ていないか?
トレンドで見ろよ。 倭国大乱の頃は倭の中心は北九州だっただろ?証拠はナorイトの金印だ。 で、場所不明の邪馬台国時代(AD200-270)を経て、謎の4世紀を過ぎると、 倭の中心はヤマトになっていた。倭の五王は北九州政権ではなくヤマト王権であることは定説だ。 同時代文献では魏志倭人伝。考古学ではキビ、イズモが重要プレーヤーだがこのトレンドに どう、はめ込むか?定説は無い。 記紀も文献だが、400年後の編纂。現代から見て秀吉の時代だ。文献批判が必要だが、 難渋を極める。 面白いこともある。北九州のレガリア、剣・鏡・勾玉はヤマト王権に引き継がれている。 キビ発祥の特殊器台もヤマト王権に引き継がれている。前方後円墳の形も1説ではキビ発祥だ。 イズモ発祥もある。古墳の葺き石技法がそうだ。文化技術は断絶していない。 だが、ヤマト王権の成立が謎だ。北九州勢力の東遷か?地元勢力の拡大か?これも不明。 ややこしいことに邪馬台国の存在、纏向遺跡の存在。どう説明するんだ? これも、トレンドがあり、発生期、拡大期、終末期がそれぞれ微妙にずれている。 この多変数方程式を解けるのは考古学だけだろ?期待しているが、最新知見もまだ力不足だな。
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