- 147 名前:名無しさん@1周年 [2018/11/11(日) 22:23:30.55 ID:fNeCz9DO0.net]
- >>142
社交界の婦人たちは(それを新聞の投書欄に書いたのであったが)、 一生涯けっしてフランス語を使わない、と誓った。 シェークスピアはドイツの舞台から追放され、モーツァルトとワーグナーとは、 フランスとイギリスの音楽堂から追放され、 ドイツの教授たちはダンテがゲルマン人であったと宣言し、 フランスの教授たちはベートーヴェンはベルギー人であったと宣言した。 容赦なく精神的文化財を敵国から徴発することは、 まるで穀物や金属を徴発するのと同じであった。 毎日互いにこれらの国々の平和な市民を何千となく、前線において殺すことでは飽き足らず、 銃後では互いに、幾百年も前から沈黙してその墓に眠っている、 敵国の偉大な死者たちをののしり、中傷するのであった。 自分の町を出たことはなく、学校以来地図を開けて見たこともない台所の料理女でさえ、 オーストリアは「ザンジャク」(ボスニアのどこかの小さな国境の一地区である)なくしては 生きてゆけない、ということを信じた。 馭者たちは街頭で、フランスにどれだけ賠償を課すべきか、ということを議論した。 十億という数字がどれだけなのかということも知らずに、 五百億とか千億とか言っていたのである。 この恐ろしい憎悪のヒステリーに陥らないどのような町も、どのようなグループもなかった。 説教者たちは祭壇から説教し、一ヵ月以前には軍国主義を最大の犯罪として烙印した 社会民主主義者たちは、なるべくほかの人々よりも余計に騒ぎ立てて、 ウィルヘルム皇帝の言ったような「祖国のない連中」と見られまいとするのであった。 それは無思慮な世代の戦争であり、自分たちのやることが一方的に正しいとする諸国の 民衆の使い尽されていない信念が、まさに最大の危険となったのである。
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