- 213 名前:名無しさん@1周年 [2018/05/28(月) 04:52:26.34 ID:hH+ZZUZe0.net]
- >>133の続き
大東亞戦争への道は、江戸に向かう薩長軍に「錦の御旗」が立った時から宿命つけられてた。 この錦の御旗で徳川方が「賊軍」となり総崩れし、討幕軍が「官軍」となった。 せごどんと勝が江戸で膝を突き合わせ無血開城が成立したとき、いずれ西欧と闘うことになる歯車は周った。 日本が有色人種国で唯一近代化に成功した明治、やがて日本が西欧と「文明の激突」するのは宿命だった。 もし大久保どんと岩倉の調停工作が失敗し、せごどんが「錦の御旗」を手にすることが無ければ、徳川軍もおじげることなく薩長軍と激突。 日本を二分する内乱となって国土は疲弊し、江戸は瓦礫になってた。 そうなることを想定してた西欧列強は「漁夫の利」で、日本を植民地支配しようと軍事進攻の準備をしてた。 しかしせごどんと勝の会談が実り、日本は自主改革で近代化を達成した。 日本は寸前のところで、西洋の植民地にならずに済んだ。 しかしその後、時代についていけない不平士族の反乱が後を絶たなかった。 まだ明治新政府軍は鎮圧する力はなかった。 このままではまた内乱が起き、その隙を狙って西欧に植民地にされる危機のなか、せごどんが重石になって薩摩で反乱を抑えた。 その間に明治新政府軍を鍛え上げ、せごどんは不平士族の代表として運命を共にし、ここに武士の歴史は終わった。 日本で軍事的な衝突はここに終わり、言論のよる近代化も始まり、日本は民主化も進んだ。 こうして当時の西欧による有色人種国の植民地化の流れに対抗するため、日本は富国強兵に舵を切った。 日本が有色人種国代表として、西欧列強と激突するのは確実となるのであった。 遡れば、討幕軍が「錦の御旗」を掲げた時から、それは宿命つけられたことだった。
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