- 415 名前:名無しさん@1周年 [2018/01/26(金) 08:20:15.99 ID:A5pK1rFx0.net]
- https://ja.wikipedia.org/wiki/日支闘争計画
日支闘争計画(にっしとうそうけいかく)日本と中国を争わせ、世界戦争を誘発して日本を包囲殲滅する計画。 コミンテルン(国際共産党、第三インターナショナル)によって考案され、コミンテルンに指導された勢力ー 中国共産党[1]、日本軍部の統制派[2][3]、太平洋問題調査会(IPR)[4]などによって実行されたと一部の論者 により主張されている。 終戦へ共産国家構想 陸軍中枢「天皇制両立できる」 www.sankei.com/life/news/130812/lif1308120009-n1.html 陸軍中枢にはソ連に接近し、天皇制存続を条件に戦後、ソ連や中国共産党と同盟を 結び、共産主義国家の創設を目指す「終戦構想」があった。 鈴木貫太郎首相(肩書は当時)は昭和20年6月22日の最高戦争指導会議で、 ソ連仲介の和平案を国策として決めた際、「(共産党書記長の)スターリンは 西郷隆盛に似ているような気がする」と、スターリンを評価する発言をした。 当時、統制派を中心とする陸軍中枢が共産主義(コミンテルン)に汚染され、傾斜して いたことがだんだんと知られ、大本営の元参謀から『中枢にソ連のスパイがいた』と聞 いたことがあったが、それを裏付ける確証がなかった。英国が傍受解読した秘密文書で 判明した意義は大きい。米国の情報源は、ベルンで活発に諜報活動をしていた米中央情 報局(CIA)の前身、戦略情報局(OSS)欧州総局長、アレン・ダレスだろう。当 時、米国と中国国民党政府は、日本の首脳部が赤化していると判断していたことがうか がえる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/松谷誠 松谷は、戦中から戦後初期において自らの業務のために、官僚や学者などの部外 専門家を集めてブレーングループ(松谷グループ)を組織して、情勢判断と対策案 の作成を行っていた。1946年1月に松谷グループは、「戦後処理における調査研究」 (中央/終戦処理/二四一)として、「建国綱領(案)」という文書を作成していた 松谷らは「建国綱領(案)」を、国内体制を整備し、国民の「訓政」を実施するた めの基準(憲法)として、天皇の名で発布し、成案は日本共産党を含めた全国規模 の人民代表会議に諮問し決定することを想定していたという https://ja.wikipedia.org/wiki/種村佐孝 戦争末期、対米降伏・和平交渉はアメリカの偽装であり、対米戦争の継続のためソ連同盟論 を主張、対ソ終戦工作に従事する。 戦後にシベリア抑留に遭い、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」にて、 共産主義革命のための特殊工作員として朝枝繁春、志位正二、瀬島龍三らとともに訓練を受ける。 終戦へ共産国家構想 陸軍中枢「天皇制両立できる」 www.sankei.com/life/news/130812/lif1308120009-n2.html 同年4月に陸軍参謀本部戦争指導班長、種村佐孝大佐がまとめた終戦工作の原案 「今後の対ソ施策に対する意見」でも、(1)米国ではなくソ連主導で戦争終結 (2)領土を可能な限りソ連に与え日本を包囲させる(3)ソ連、中共と同盟結 ぶ−と書かれている。
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