- 1 名前:ばーど ★ mailto:sage [2017/09/14(木) 00:03:57.34 ID:CAP_USER9.net]
- 幕末の寺田屋事件で坂本龍馬が幕府側に襲撃された際、現場に残したとされる書面に薩摩、長州の両藩が協力して幕府側を京都から追い払う取り決めがあったと記した文書が鳥取県立博物館で見つかったことが13日、分かった。下関市立歴史博物館(山口県)の田中洋一学芸員が特別展に向けた調査で発見した。
慶応2(1866)年の寺田屋事件で薩摩藩邸に逃げ込んで難を逃れた龍馬の荷物の中に残されていたとされる書面に関する文書。識者からは、薩長同盟は軍事同盟だったのかどうかや、龍馬の関与の度合いなどが議論になっているとして「新たな見方を提供する文書だ」と評価する声が出ている。 薩長同盟に関する記述が見つかった「京坂書通写」=13日(鳥取県立博物館所蔵) https://nordot-res.cloudinary.com/ch/images/280691051846878711/origin_1.jpg 配信2017/9/13 22:37 共同通信 https://this.kiji.is/280678722576188922?c=39546741839462401
- 11 名前:名無しさん@1周年 [2017/09/14(木) 01:52:05.66 ID:LlUTgAoZ0.net]
- 竜馬の目的は倒幕や尊皇攘夷よりも
日本を清國のように夷狄に支配されない独立した国家作りだったからな。 そのために逆算逆算で、 新政府樹立、大義名分として尊皇攘夷 幕府を武力討伐すると西欧列強に食い物にされるので大政奉還 将軍慶喜を新政府の人事に組み込み徳川恩顧の反乱を抑える こんな構想に行き着いたんだと思う。 でも薩長からしたら憎き徳川。是が非でも武力による殲滅を果たしたい。 こんな動機が倒幕の原動力であったから、折り合いをつけるのに必死で その途中の手紙なのだろうか?
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