- 279 名前:東夷 [2006/04/08(土) 02:18:52 ID:l0tRWQUN]
- >>276
>井戸茶碗に代表されるように利休が朝鮮の文物に関心を寄せていたのは間違いないわけで >そのへんはもう少し追求してもいいかもね。 少し細かい話になりますが、 高麗茶碗が最初に茶会記に登場するのは1537年の十四屋宗悟の会で、 利休が活動を始めるよりも前です。 利休自身の茶会では高麗茶碗は珠光青磁と灰被天目とほぼ同じ使用率になり、 同時期に秀吉をはじめとした他の茶人も用いている点も勘案すると、 利休が高麗茶碗を特別視していたと考えるのには無理があります。 >瀬地山澪子著『利休 茶室の謎』(創元社)という本があって >ここでは利休の待庵は朝鮮の民家ではないかという仮説を立てている。 >なかなか説得力のある説だった。 この本を読んでいないのでなんとも言えないのですが、 私の周囲では小間の朝鮮起源説はトンデモ扱いになっています。 その本では移築前の待庵に坪の内が付いていたという点は考慮していましたか? >桃山期は南蛮趣味のことばかりいわれるけど >「高麗趣味」のことも考えないとわび茶の本質が見えないような気がする。 高麗茶碗の輸入に見られるように半島の文物が入ってきていたことは事実なのですが、 中国・南蛮・琉球・東南アジアに対してそこまで半島のポイントが高かったかというと疑問があります。 茶道具で「高麗」と付くものは茶碗を除くと実際には少なく、 しかも千家流の「高麗台子」がその原型を琉球の棚としていますよね。 朝鮮半島は陶磁器技術が遅れていた日本にとっては重要な輸入国でしたが、 その他の李朝の文物への関心がそこまで大きかったかというと否定的な意見になります。
|
|