- 1 名前:Ikh ★ mailto:sage [2018/08/12(日) 23:13:23.65 ID:CAP_USER.net]
- 記事入力 : 2018/08/12 05:08
ソウル大名誉教授「古朝鮮こそ東洋文明の起源、黄河文明にも影響与えた」 ソウル大学のシン・ヨンハ名誉教授、『古朝鮮文明の社会史』を出版 「5000年前に現れた古朝鮮文明は、メソポタミア文明(5500年前)とエジプト文明(5100年前)に続き、世界で3番目に形成された古代文明だった。これまで歴史に埋もれ、忘れられていた古朝鮮文明の起源と誕生、社会経済的土台と文化的特性、古代国家の建国と発展、解体を総合的に整理した」 学術院の会員で社会史学の重鎮、ソウル大学名誉教授のシン・ヨンハ氏(81)が『古朝鮮文明の社会史』(知識産業社)を出版した。シン名誉教授が21世紀に入って集中的に探究してきた古朝鮮研究3部作の最後を飾る著書だ。シン名誉教授は、国家と民族の観点から古朝鮮に光を当て、『古朝鮮国家形成の社会史』(2010年)、『韓国民族の起源と形成研究』(2017年)を既に出版している。 シン・ヨンハ名誉教授によると、古朝鮮文明は紀元前30世紀ごろ、大同江流域と遼東地域で形成された。氷河期が終わったおよそ1万2000年前、北緯40度線以南の古韓半島(朝鮮半島)で農耕を始めた人々は、世界で初めて短粒種のコメと大豆の栽培に成功した。新石器時代の農業革命の結果として南漢江・錦江流域の集落が大幅に増え、そのうちの一部が、次第に農耕の可能な北方へと移住した。遼河の東に定住した人々はトラをトーテムとするワイ族(ワイはさんずいに歳)になり、遼河の西に渡った人々はクマをトーテムとする貊(ばく)族になった。 5000年前、気象の異変に見舞われた遼西地域の貊族が東南へ移動して大同江流域で韓族と再結合する中で、青銅器文化を土台とする古朝鮮が立てられた。古朝鮮は1000年後、遼東へ首都を移してワイ族を吸収し、東西へと領土を拡張して韓半島・満州・沿海州にわたる古代連邦国家を建設した−というのがシン氏の主張だ。シン名誉教授は「韓民族につながる韓・ワイ・貊族が古朝鮮の中心を形成し、ユウ婁(ユウはてへんに邑)・匈奴・突厥・モンゴルなど征服・併合された遊牧民族が周辺に布陣した」と語った。 李先敏(イ・ソンミン)記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/08/10/2018081001861.html 前スレ https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1534059785/
- 861 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん [2018/08/14(火) 14:26:10.13 ID:tl+2YOQ6.net]
- 三韓征伐・任那日本府の歴史
【朝鮮半島の石碑・歴史書】 ・広開土王碑 『そもそも百済と新羅は高句麗の属民で朝貢していた。しかし、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百済・加羅・新羅を破り、臣民となした』 『400年 倭が新羅の王都の城中に満ちていた』 『404年 倭は無法にも、帯方郡に侵入した』 ・三国史記(百済本紀) 『397年 阿辛(あしん)王は倭国と友好関係を結び、太子の腆支(てんし)を人質として倭に送った』 ・三国史記(新羅本紀) 『402年 倭国と通好して、奈勿(なこつ)王の子、未斯欣(みしきん)を人質として倭に送った』 【中国大陸の歴史書】 ・宋書 『倭王済を使持節、都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍に叙した』 ・南斉書 『倭王武を使持節、都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍に新に叙し、号を鎮東大将軍と為した』 ・梁職貢図 『斯羅國は元は東夷の辰韓の小国。魏の時代では新羅といい、劉宋の時代には斯羅というが同一の国である。或るとき韓に属し、あるときは倭に属したため国王は使者を派遣できなかった』 ・梁書 『倭王武を使持節、都督、倭・新羅・任那・伽羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、鎮東大将軍に叙した。502年、梁の高祖(武帝)が即位し、倭王武を征東大将軍に進号した』 ・隋書 『新羅・百済は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし。並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す』
- 862 名前: mailto:sage [2018/08/14(火) 14:37:32.54 ID:go0V98wa.net]
- 今ダムで水を貯められなくても太古の昔には畦で囲って水を溜め稲作できたニダ
- 863 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん [2018/08/14(火) 14:58:58.11 ID:+mz6UpNg.net]
- >>861
チョンは広開土王碑 を誤訳して、高句麗が海を渡って、 倭を破って、ヤマト王権を立てたと理解している。
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