- 1 名前:天之御名無主 [01/11/22 15:23]
- 明治まで日本では肉を食べなかった、というのは本当?
- 320 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/01/12(木) 19:09:10 ]
- >>318
1本の串に2匹ささってるのと ウズラが真ん中でヒラキになってて 串にささってるのが普通に売ってるな。 毎年、初詣であれみるけど だいたいぐろくてくえねーって騒いでるカップルがいるな。 もちろん俺はバリバリ喰うけど。 家族には嫌がられるけど
- 321 名前:天之御名無主 [2006/01/13(金) 21:51:45 ]
- >>320
>1本の串に2匹ささってるのと... 雀のまるごと2つが串刺しにされた焼き鳥を売る店が、伏見稲荷の門前に あるってこと?伏見稲荷信仰と何かの関連があるのですか。
- 322 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/01/13(金) 21:57:11 ]
- スズメ焼きは場末の居酒屋なんかでも出してるところ少なくないだろう。
メニューには載っていないことも多いけど。
- 323 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI mailto:sage [2006/01/13(金) 23:15:27 ]
- 普段から売られていますね。>伏見稲荷門前の雀
狐が食べるとか、稲の天敵(実は害虫を食べる事が多い)からだとも言います。 なお、狐が稲荷の眷属としてはっきり見えて来るのは14世紀から。
- 324 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/01/19(木) 11:39:29 ]
- 何かの本で読んだのだけど、平安時代だったかな、寺に篭って精進したあと、
下山して「精進落とし」とかいって肉を食べる習慣があった、というのを 読んだことがあるのだけど、何の肉を食べていたんだろう? いろいろ調べてみたんだけど全然わからなくて。
- 325 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/01/19(木) 13:36:24 ]
- 平安時代だと食肉用としてポピュラーなのは鹿、兎、猪あたりでしょうか。
天武天皇の肉食禁止令があったから牛、馬、鶏、猿、犬などの可能性は低いでしょう。
- 326 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/01/19(木) 20:17:33 ]
- >>325さん
ありがとうございます。これで疑問が晴れました。感謝しております!
- 327 名前:天之御名無主 [2006/01/20(金) 00:24:43 ]
- >>325
肉食禁止令があったから、牛、馬、鶏、猿、犬などの可能性は低いとも 言えないでしょう。肉食禁止令等、法は建前に過ぎぬ訳で。 特に犬は、弥生から近世まで食べておりました。
- 328 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI mailto:sage [2006/01/20(金) 20:29:12 ]
- 禁止されていたという事は、食べる文化的土壌があったという事ですからね。
寧ろ、禁止されたものが食べられていた可能性が高い。 とはいえ、死穢を嫌うという意味では、10世紀頃から貴族階層に限らず、 これらの肉が忌まれる様になっていた様ですが。 餌取(えとり。エタの語源ともいう)は牛馬に肉を口にしていたとは前にも 申し上げた事ですが、それで却って嫌われる様になった。 しかし、平安期に326の様な習慣があったでしょうか。
- 329 名前:天之御名無主 [2006/01/20(金) 21:48:03 ]
- 広島県福山市の草戸千軒遺跡からも犬食(犬、牛、馬、鹿、猪等の骨の
なかでも犬が多い)されており、強いタブーがあったかどうか 疑わしいのですが。
- 330 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI mailto:sage [2006/01/21(土) 02:27:25 ]
- 京都の例を、それも貴族の日記と説話集を中心に考えていたので、こう書きました。
牛馬はどうかと思いますが(それでも地域によっては馬の食べられた痕がある)、 犬食は割と見られた様ですね。 案外見つからないものですが、近世の『鸚鵡籠中記』に、鷹の餌として犬を飼育して、 自らも口にしていた男の孫に因果者が生まれたという話があり、鷹の餌に犬を与え る事自体は以前からありましたから、食べる機会もあったでしょう。 ただ、因果者の話でも分かる通り、おおむね否定的に捉えられている。 風俗に関心の示された『看聞御記』に犬食の例があったと思いますが、記録を遺した 側には、あまり受容されていなかったのでしょう。 それで、骨は出ているが、なかなか実態を読み取り難い。 鹿・猪の肉を食する事をケガレとする事は十世紀には確認出来ますが、こち らは元々歯固に食べられていた様なもので、あまり拒否されていません。
- 331 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/01/21(土) 10:45:55 ]
- 急に明治になってから肉を食いだしたイメージが強すぎるのかもしれない。
表向き食べないが、実態は頻繁にどんな肉でも食べていたはずである。 おおっぴらに食べたら恥ずかしいので、言わなかっただけである。 例えは悪いが女性の自慰みたいなものだろうw。 曰く「食べたらおいしいが、ばれたら恥ずかしい。」である。 東日本では特に豚(亥ではない)は主に犬や鷹の餌なので、食べたら恥ずかしいものだったろうし、 江戸ではむしろ犬は喜んでしもじもの食うものだったのだろうし、 西日本では牛馬が死ねば穢多が回収する前に、あっというまに解体され肉は持ち帰られ骨のみが残り、 マタギの村では飢饉の時でもカラスを食べる行為が恥ずかしく、 高知の山奥では裏戸を両天秤棒を担いだ牛肉売りが「お薬喰いはいかがですか」と声かける。 上記すべて孫引きなのは恥ずかしい話だが、 実際はいつの時代もどんな肉でも食われていたような気が今ではしている。 本は読むもんだね。
- 332 名前:326 mailto:sage [2006/01/24(火) 17:44:31 ]
- 蜻蛉日記の第65段に、「落忌の設け」と言う言葉で精進落としの事が出てくる
のですが、解説には「精進落とし。精進の期間が終わったので肉食をとる」と 書いてあったのです。なので平安時代にも肉食の習慣があったのか、とちょっと びっくりしまして。皆様どうもありがとうございます。
- 333 名前:天之御名無主 [2006/01/26(木) 17:09:08 ]
- age
- 334 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI mailto:sage [2006/01/26(木) 19:38:28 ]
- ああ、「落忌の設け」の事ですか、失礼。魚肉かもしれません。
獣肉とすれば、鹿か猪。或いは雉か山鳥の可能性もあります。
- 335 名前:ぴる来る ◆cRinn.D6KE [2006/01/29(日) 12:40:32 ]
- まず、牧畜にしても狩猟にしても農業よりもコスト面での効率は悪そうだと言えまいか。
猟師にしても冬とか耕作の出来ない時期にやってたのでは?と思うのだが。 ・・・資料なしでイメージだけなのだが(; ̄ー ̄) たぶん少なくとも中世頃まで二食が普通だったと思うし、一般人は都市部以外、食べていくのが近代までやっとだったんじゃないだろうか。 現代のように食べようと思えば毎日肉が食べられる時代の方が歴史的に見て異常な希ガス。 ヨーロッパとかにしても恐らくそうだろう(ローマ時代とかは別にして)
- 336 名前:天之御名無主 [2006/02/10(金) 23:18:19 ]
- ハゲ板で、日本の肉食文化が話題になってますw
【ピロエース】改行ハゲ太郎隔離スレ【暖め厳禁】 life7.2ch.net/test/read.cgi/hage/1138284637/l50
- 337 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/03/31(金) 12:27:17 ]
- >>335
>資料なしでイメージだけなのだが・・・ 歴史の授業のない学校にでも通っていたのか?至極当たり前の事を、 自分の着想みたく何長々と語ってるんだよ。 日本の場合、江戸期まで一日二食で、農村部特に東日本では不作飢饉も 常態だったのは、高校教科書レベルだぞ。
- 338 名前:天之御名無主 [2006/04/11(火) 00:41:10 ]
- 古代に存在した乳製品文化は坂東武者が荘園を押領したので消滅?
理由が分からん。
- 339 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/04/16(日) 22:25:36 ]
- >>338
古代に存在した乳製品文化って、そんなものがあったのか? 何へのレスか、アンカーか引用文献名くらい示せよ。 一般にはあまり浸透していなかった>>87、薬扱いで。
- 340 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/04/16(日) 22:38:03 ]
- タヌキを煮たり焼いたりして食った話が、「古今著聞集」巻17に
あるらしい。それも辺鄙でなく、畿内で。 馬琴の食卓 日本食べ物史譚 鈴木晋一 平凡社新書102 2001.8 www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0101608298
- 341 名前:天之御名無主 [2006/04/23(日) 02:55:46 ]
- >>259
>御年神がいうには、「イナゴの害がおさまらないなら、田の水口に牛の >肉を置け」と・・・ 豊稔祈願である殺牛御歳神祭祀は、稲作の伝播元を暗示しているのかな。
- 342 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI mailto:sage [2006/04/23(日) 07:48:25 ]
- >>340
料理する様に支持したのは「田舎だちのもの」だったとありますが。
- 343 名前:天之御名無主 [2006/04/23(日) 08:03:15 ]
- >>271
うちの親父も子供の頃 犬食ってたって言ってました 赤色が美味いらしい 戦後すぐの頃だと思います
- 344 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/04/29(土) 00:53:32 ]
- >>339
少なくとも飛鳥時代から、チーズなどの乳製品を作っていたのは間違いないだろ。 酪、生酥、、熟酥、醍醐などなど、名称がいろいろあることから、細々とではあるが 乳製品文化が生まれていたのは間違いないだろ。
- 345 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/04/29(土) 09:33:34 ]
- >>344
>酪、生酥、、熟酥、醍醐などなど 懐かしいな。中学・高校の歴史の時間に出てきたよ。涅槃経に似たフレーズがあるらしいね。
- 346 名前:天之御名無主 [2006/05/06(土) 15:31:56 ]
- 干し牛肉なんて、生産流通していたのか、江戸時代に。
817 :世界@名無史さん :2006/05/03(水) 00:16:43 0 江戸時代、精力剤として干し牛肉が隠れて食べられていた。 中世ヨーロッパの暮らし(3) academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1091594814/817
- 347 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/05/06(土) 16:27:29 ]
- >>346
彦根藩では「薬喰」のための味噌漬けや干し肉は作られていたらしいよ。
- 348 名前:天之御名無主 [2006/05/06(土) 20:58:40 ]
- >>347
ttp://www.1129.co.jp/history.html 冬の時期にしかつくらなかったらしいな。 傷むから当然か。
- 349 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/05/06(土) 21:48:05 ]
- 将軍家では四足は穢れだから幕末までは鶏肉しか食べなかったと
司馬遼太郎の竜馬がゆくに書いてあったよ
- 350 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/05/17(水) 00:23:36 ]
- >>349
小説がソースかよw
- 351 名前:天之御名無主 [2006/06/14(水) 00:13:55 ]
- >>328
> 禁止されていたという事は、食べる文化的土壌があったという事ですからね。 何で?一般論としては文化的土壌に反する例外的行為を取り締まるために 禁止されるということだってあるでしょ?
- 352 名前:天之御名無主 [2006/06/14(水) 04:11:43 ]
- ヤキトリって江戸時代からありそうだけどどうなんだろ
- 353 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/07/05(水) 13:06:22 ]
- 人肉は鯨に似ている
news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1152072087/
- 354 名前:天之御名無主 [2006/08/16(水) 14:09:47 ]
- >>344
>酪、生酥、、熟酥、醍醐など・・・・ 157 :日本@名無しさん :2005/09/15(木) 18:33:33 >>154 ほれっ、そのことについていろいろ書いてあるぞ。 ----------- 酪・酥・醍醐ってなに・・・? milk.asm.ne.jp/rekishi/wakeru.htm 【政治】平安貴族総合スレッド・1【生活】 academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1111305572/157
- 355 名前:天之御名無主 [2006/09/23(土) 03:05:12 ]
- 明治以降になって日本料理に使われるようになった食材
肉 - 明治以前は、被差別民やアイヌなどを除いて、 一般に哺乳動物の肉を食べる習慣はなかったとされるが、 鶏肉などを薬として食べたり、 山間部に住む人々が狩猟によって捕まえた動物を食べたりした。 (編注:江戸時代の前は未確認です) ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%99%E7%90%86 ↑ いつも愛用してるフリー百科事典にこういう記述発見したのですが、牛肉はそう思ってましたが 鶏肉も同じように被差別民が一般的に食べてたのでしょうか? というのも関西では鶏肉はカシワと呼ばれてて物凄く高級品だったととあるサイトで見たのですが 明治以前の鶏肉の歴史について教えて下さい。
- 356 名前:天之御名無主 [2006/10/02(月) 09:40:40 ]
- 日本の肉食のスレがこんなところに!!
テレビとかの紀行ものとか見るといろんな民族で肉はめったに食えないハレの日の 食べ物とゆう事になってる。 すごいご馳走で庶民は年に一度とか。 豚や鶏を飼育してるような地域でさえ、そうなんだから、日本みたいに肉を手に入れ る手段が狩猟ぐらいしかなかった地域では肉なんて一生食えなかった人も大勢い たんだろうなあ。 しかし、イスラムの豚とか特定の家畜を禁忌にしてるのはともかく、肉食全般自体が タブー扱いなのは日本くらいじゃないのか。 鶏の肉や卵さえ、江戸時代後期まで、たべなかったなんて。 いったい、なに食ってたんだよ、米と雑穀だけかよ。 たとえ上流階級に生まれたとしても肉好きにはかなりつらい食卓を想像してしまうな あ。 カツ丼も焼肉も焼き鳥もない食卓なんて、なに食えばいいんだよ。 日本で乳製品や鶏卵や食用家畜の飼育が文化として発展しなかったのは、やはり、 魚が食えたのが大きいのかなあ。 狩猟じゃあ、とてもじゃないけど、必要量はまかなえないだろうし。 どっちにしろ、たんぱく質は何かでとらないといけないわけだし。 昔の日本食って相当貧相なもんだったんだろうなあ。 他の国と比較しても。 やっぱ、魚、魚なのか。 でも、おれ、魚ってなんとなく苦手なんだよなあ。
- 357 名前:天之御名無主 [2006/10/02(月) 10:24:22 ]
- 結局禁止されていたのは、四足の獣肉ということだったようだ。
魚は対象外、二つ足の鳥も許されていた。 ttp://www.asahi-net.or.jp/~pu4I-aok/core/memodata/1000/m1027.htm 隠語で呼ばれていたり数えられていた動物は、食されていた可能性 大! 牡丹とか紅葉・桜、ウサギなどは一羽二羽と数える鳥扱い。 もちろん、地方とか家族によってもバラツキはあったのでしょう。
- 358 名前:天之御名無主 [2006/10/02(月) 12:19:18 ]
- >>357
しかし、鳥でも一番手に入りやすいはずの鶏は卵も肉もだめなんじゃなあ。 ほとんどの人間は菜食主義で魚をごくまれに食べるだけだな。 肉食文化なんてないも同然だな。
- 359 名前:天之御名無主 [2006/10/02(月) 13:32:51 ]
- すくなくとも、常食とは呼べませんね。
ハレの日の飲酒ぐらい? 頻度は、もっと少ないか? 明治維新後、肉食をするようになって日本人の身長は何cm ? 伸びたのだろう。 勿論、正座などの影響もあるのだろうけれど。
- 360 名前:天之御名無主 [2006/10/02(月) 18:01:14 ]
- 内府の雑煮は兎だろ。
- 361 名前:天之御名無主 [2006/10/03(火) 20:37:08 ]
- 薬食いと称して、肉食はしてたみたい。
現代の肉食と言えば、牛・豚・鶏が普通だが、江戸期には猪・犬・兎・熊・狸・ 猿・雉等の野鳥類なんかを食っていたそうだ。 又、牛肉の味噌漬けは彦根藩の特産で、将軍家や諸侯への献上品と(一般人は食 することが出来ず、成型時に切り落とされた端肉を丸めたものを薬として、伊勢 参りの土産としたしたそうな)していたのを、井伊直弼がこの風習を廃止した為、 牛肉が大好物で、毎年楽しみにしていた水戸藩主 徳川斉昭が激怒し、桜田門外の 変の遠因となったと云うトンデモ説まであるそうな。
- 362 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/10/04(水) 00:13:12 ]
- 食い物の恨み(´・ω・`)テラコワス
- 363 名前:天之御名無主 [2006/10/04(水) 17:29:09 ]
- 原田信男の 「歴史のなかの米と肉」 をざっと読んだ。
このスレッドで話されてるような疑問がテーマの本だけど。 米作りと肉が対立概念とゆう事になってた。 まあ、農耕と狩猟が究極的には対立するのはわかるけど。 ただ、他の稲作地域と比べても食用家畜の文化が発達せず、極端に肉食忌避文化 になった原因はやはりわかりにくいと思ったなあ。 結局、なんで、豚や鶏はだめだったんだろう。 漁労も肉食と同じで忌避されつつ、でも、肉食できない分、極端に発達したんだね。 他の稲作地域と比べても米が作りにくい、北限の日本でここまで稲作が発展したの は何でだろうなあ。 日本人の米へのこだわりは異常なんだなあ。
- 364 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/10/13(金) 00:46:10 ]
- 2年越しの亀レス
>>224のヅケは>>199宛て。
- 365 名前:天之御名無主 mailto:sage [2006/11/09(木) 23:42:08 ]
- 税制が米に依存した体制だったからだろう
肉は保存がきかないから年貢の代わりにならないし、流通させるのも難しい 農民の食になるだけだから米作に影響でないように抑えたんだろう
- 366 名前:天之御名無主 [2007/01/06(土) 18:27:39 ]
- >>323
>普段から売られていますね。>伏見稲荷門前の雀 一昨日初詣でに出かけた近所の猿投神社の参道沿いにも焼きとりと スズメ焼きを並べた店が、たこ焼きや鯛焼きに混じって出ていたな。
- 367 名前:天之御名無主 [2007/01/09(火) 00:38:32 ]
- スズメ焼きもウズラも好物だ。
あまり食べる機会はないけど小鳥は旨いね。
- 368 名前:天之御名無主 [2007/03/30(金) 18:14:47 ]
- 親鸞が肉食してもかまわないと肉食文化肯定してる
妻帯もしてるし… そんなに深く考えなくてもいいのでは? いつの時代も卵は貴重品だったし…
- 369 名前:天之御名無主 [2007/03/30(金) 23:17:54 ]
- 近世の南西諸島では、豚肉が、ハレの日のご馳走として食べられている。
中国貿易が盛んになって以降、明・清の文化の影響を受けた結果か、 それとも南方系の影響で古代から続く食生活なのかは不明。 日本の周りって、朝鮮半島も中国も台湾・東南アジア・ミクロネシアの島々も ほとんど、豚をご馳走と位置づけているのに、なぜ、日本だけ忌避したのだ。 日本には豚が家畜として飼われていた歴史はあるか。
- 370 名前:天之御名無主 mailto:sage [2007/03/31(土) 12:05:50 ]
- >>369
>日本には豚が家畜として飼われていた歴史はあるか。 このスレの >>126-127 >>147 あたりかな。
- 371 名前:天之御名無主 mailto:sage [2007/03/31(土) 13:54:54 ]
- >>369
かつて平泉澄は民衆史を志した中村吉治に言った。 「民衆だって。君、ブタに歴史がありますか。」 塚本学『江戸時代人と動物』(日本エディタースクール出版部 1995年10月) 「ブタにも歴史があります」P131〜 12年前の本なので最近の研究動向はわかりませんが、 おもしろいので参考までに。
- 372 名前:天之御名無主 [2007/03/31(土) 14:08:13 ]
- >>370
サンキュー(^-^)/ 前レス読まずに失礼。全部読むと30分以上かかるから勘弁ね。 あつかましいついでに、もう一つ。 >日本の周りって、ほとんど豚をご馳走と位置づけているのに、なぜ、日本だけ忌避したのだ。 これも既出ですか?
- 373 名前:天之御名無主 [2007/04/07(土) 14:48:39 ]
- これ読め drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-59.htm
- 374 名前:天之御名無主 [2007/04/07(土) 15:09:45 ]
- >>372
避けてるかねえ 徳川慶喜は豚一様と呼ばれたぐらい豚肉が好きだった 庶民も食ってると思うんだが
- 375 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI mailto:sage [2007/04/07(土) 16:03:23 ]
- >徳川慶喜
儒教文化を崇敬して故意に肉食を行っていた徳川光圀の後裔(直接の子孫で はありませんが)という点も無視できないのでは。 父の斉昭の思想も、今から見るとかなりいっていた。 それに、いくら好きだといってもわざわざ食品の名を綽名にすること自体が 豚食いが珍しがられていたことを示しているように思えます。 彦根には牛肉の味噌漬けがありましたが、例外的なものでしたし。 猪食いは書紀や続日本紀には出て来るのに、10世紀以降は出てこない。 貴族たちの狩猟も(鷹狩りを除いて)それ以降は軍事貴族以外だと「その家 (兵の家)出身でもないのに」と言われた一部の例外を除いて消えます。 『明月記』に貴族の獣肉食いが記されて「かつてはなかったことだ」と慨嘆 されているように、その後も獣肉から離れたりついたりしていたようです。 「かつての日本」と一括りには出来ないでしょうね。 時代や地域、水戸のような土地だと土地というか藩の志向もある。 近世になると、排仏家の発言が大きくなったことも重要。 幕末には病で死んだ牛の肉を食わせるような店も大坂などに出来ており、家 の庭先(ケガレを持ち込めないので)で鍋にする人もいましたが、明治にな るまではやはり少数派だったと見ていいでしょう。 それに、比較的よく見られた軍鶏鍋屋同様、まともな人が出入りするような 店ではなかったそうです。
- 376 名前:天之御名無主 [2007/04/07(土) 16:27:06 ]
- >>375
平安時代の貴族は食ってないけど 仏教の影響かな政変で負けた貴族も流罪で済んでたし。 死を忌み嫌う風潮だったわけだけど。 でも武士達は狩りしてるし。 庶民はどうだろう?親鸞は肉食妻帯公言実行したし。 それが日本の宗教革命だとする説もある。 戦国時代は喰えるものは何でも喰ってたしなあ… 篭城戦の時には馬でさえ喰っちゃうし。 幕末の肉食事情までは分からんが鶏肉は割と食べられていた。町人でも。 部落民を4つと関西で呼んだりするのは、4つ足の獣扱うからしいが。 田舎と都市部で文化もちがうからなあフラットな考え方には賛同できかねる。 母方の家の蔵から火縄銃でてきたし。食肉してたとおもうけどなあ。
- 377 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI mailto:sage [2007/04/07(土) 18:30:04 ]
- >平安時代の貴族は食ってないけど
仏教もさることながら、直接的には大江匡房も指摘した死穢観念の影響でしょう。 >でも武士達は狩りしてるし。 だから、武士=軍事貴族ですよ。 >田舎と都市部で文化もちがうからなあフラットな考え方には賛同できかねる。 >「かつての日本」と一括りには出来ないでしょうね。 >時代や地域、水戸のような土地だと土地というか藩の志向もある。 そのつもりで書いておきましたが。しかし、「平面的」で済むでしょうに。 >母方の家の蔵から火縄銃でてきたし。食肉してたとおもうけどなあ。 何に使われたのか分かりませんし、その点は貴方の推測されたことでしょう。 鹿や兎を仕留めていた可能性もありますが、近世には狩猟も許可が必要でし たからね(やはり地域により差異がありましたが)。 専門の狩猟から、害獣(狼から鹿まで)対策、接待用の鹿狩り対応などそれ ぞれに事情があったでしょうね。 食べてはいたでしょうが、獣肉は食べていない人の方が多かったろうとか、 食べたとしても普段口に入らなかったろう、ぐらいの認識でいいでしょう。
- 378 名前:天之御名無主 mailto:sage [2007/04/07(土) 19:48:17 ]
- 日本人は獣肉を食用にしていたかという問題は、
非常に興味深い話であります。 中世の肉食例として考古学からの事例を見つけたので以下に。 松井章『環境考古学への招待-発掘からわかる食・トイレ・戦争-』(岩波新書 2005年1月) ・奈良県御所市 巨勢山三二三号墳の調査で推測されるのは、 中世に開口していた横穴式石室に潜り込み、こっそりタヌキや牛を食べていた。(P131・141) ・草戸千軒遺跡にて発掘されたおびただしい動物の骨、2/3は解体された刃物傷のある犬の骨。(P114) など。 前者は隠れて食していた一例、後者の場合は派手に食べていたかもしれない一例。 当時の人々は貴賎問わず肉の味はよ〜く知っていたんじゃなかろかというのが、私の思うところ。 そうであると信じたい(中村直勝)。 確かに時代・地域・階級などでさまざまな違いはあるんでしょうが。
- 379 名前:天之御名無主 [2007/04/07(土) 23:54:23 ]
- 猪と豚の違いは、野生か家畜かってことだろう。
日本人が古代から、猪を食べていたというのは、狩猟の獲物としての猪肉ではないのか。 漏れが教えてほしいのは、日本に家畜としての豚がいたのかどうか、ということ。 野生の猪でもいいが、一定の施設の中で、餌を与えて飼い、成長させ、屠殺し、肉を得る。 また、繁殖させて、子豚を増やし、一部の雄を残して去勢する。 そのような豚の家畜技術が日本にあったかどうか、今までのレスではっきりと答えられていないようだが、 この点はどうなのでしょうか?
- 380 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI mailto:sage [2007/04/08(日) 09:24:06 ]
- >>378
中世の肉食については分布図も作られていますが、解体痕のある犬の骨(自体 は近世の遺構からも出土している)や馬の骨の割合が地域により異なって面白 いものです。海豚が多数を占めていた地域もある。 平均して多かったのは、やはり猪・鹿ですね。 >379 去勢技術は別として、上で言う六国史に出て来る「猪」とは豚のことですよ。 豚の化け物の猪八戒の猪は豚のこと。称徳朝で放生が行われた時代に畿内で 飼われていた猪を放たせたとか、猪飼部とかいうのは豚飼育を指す。 飼育技術については、詳しいことは伝わっていませんが。 それと、徳川慶喜の豚食いですが、父斉昭が島津から豚肉を贈られていたそ うですから、その影響かもしれません。島津は琉球の影響でしょうね。
- 381 名前:天之御名無主 [2007/04/08(日) 16:57:09 ]
- >>380
武家は非常時の為にゲテモノ食いはやってたんじゃないかと思うけどなあ 肉じゃないけどフグはまだ知識の無い頃当たるの覚悟で喰ってるしw 地域差もあるしな。 関東で豚が多く食べられ関西で牛がよく食べられるのは何でだろう。 当方関西なのでカレーは普通牛肉だと思ってた ココ一にいってビーフカレーなるものがあるの知った。
- 382 名前:河豚比礼 mailto:sage [2007/04/08(日) 21:34:19 ]
- 鳥獣葬の頃は、その動物の肉は食べたくないと言う
風潮があったんじゃないかな?今だってイソメで釣った魚 のはらわたなんて食べたくないし。 ましてや、死体を処理(!)した動物肉なんだから、宗教云々 でなく忌避した気がする。 恵比寿様が神なのは、遺体がある程度無事だったから、魚 を食べて良いと言う根拠にしたかったのかも。 感覚で書きました申し訳ない。
- 383 名前:天之御名無主 mailto:sage [2007/04/09(月) 00:50:24 ]
- >>380
中世の肉食についての分布図、 もしよろしければ出版等の詳細をご教示いただけないでしょうか。 ご面倒でなければよろしくお願いいたします。 日本におけるブタの歴史に関しては前掲書>>371に詳しいです。 山野氏も書いておられるとおり飼育方法はよくわからない、 家畜としての利用方法もはっきりしない。 そのはっきりしない理由のひとつとして、 「江戸時代文献ではブタを「鄙猥」のものとみた」とあります。 江戸時代初期のブタの新しい利用方法が都市のゴミ処理と犬(猟犬)の餌であり、 綱吉の「生類憐みの令」で猟師以外のイノシシの肉利用を禁じたりで、 卑賤視が時代を追って段階的に強まったのだろうとしております。 故にブタに関する文献も異常に少ない。 ただ江戸時代初期以来多く刊行されたという食物本草本という一群の出版書には 比較的早くからブタ・イノシシを食品として扱っているそうで、 ある程度江戸時代日本人の食用に供されたことは間違いないとしています。 しかし食料利用は上記理由も鑑みておのずと隠れて食すものだったかもしれません。
- 384 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI mailto:sage [2007/04/09(月) 21:26:10 ]
- >>381
当時はゲテモノでもなかったかと。ただ、17世紀までは武家で普通に行わ れていた犬肉食いが規制されたりと、太平の世に意図的に野性味を減少させ ようとしていたことはあると思います。 >>382 >その動物の肉は食べたくないと言う ただ、食べるのは犬・鳶・烏ぐらいですからね。 >>383 >もしよろしければ出版等の詳細 『図解・日本の中世遺跡』という本です。 青森県で馬、熊本県で海豚といった地域差が見られる。 犬については、鷹の餌用ということも考えられます。 >比較的早くからブタ・イノシシを食品として扱っているそうで 『本朝食鑑』には、金瘡の薬とすることが書かれています。 『和漢三才図絵』には、豚は江戸や長崎で飼育されているが、我が国では食 す人が少ないので、その数は多くは無いとあります。 長崎の豚は、当然オランダ人の口に上がりました。江戸もそうか。 出典が知れませんが、「楊貴妃は綺麗な顔で豚を食い」という川柳もあった そうで。豚食いを揶揄するぐらいの距離は当時(江戸後期の作でしょうか) あったということでしょう。
- 385 名前:383 mailto:sage [2007/04/10(火) 00:01:25 ]
- ご教示ありがとうございます。
探して読んでみます。 「美しい かおでようきひ ぶたをくひ」 明和六年(1769)の川柳子の作とのことです。 塚本氏前掲書に出ています。
- 386 名前:河豚比礼 [2007/04/10(火) 07:52:47 ]
- >>384
『かちかち山』で、狸を食べようとしたお爺がお婆に化けた狸 にお婆の肉を食わされるのが、屍処理動物肉食わん、 と言う観念からきたのではと考えたもんで。 お爺に助勢したのは、屍肉漁りしない(多分)兎なので、 対立する狸は曝された遺体に集るのでは?と思ってしまった…
- 387 名前:天之御名無主 [2007/04/10(火) 21:44:21 ]
- >>384 山野野衾様
綱吉の生類憐れみの令が、犬肉食いの防止目的ということはありえますか?
- 388 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI mailto:sage [2007/04/11(水) 00:28:57 ]
- >385
ありがとうございました。明和6年というと、蜀山人が狂歌の会をもよおし た年ですが、さてどの本にあるのやら。 >386 一寸証明は難しいと思います。 >387 口実説は言い過ぎでしょうが、太平の世の方針には沿っていたと思います。 享保を過ぎた頃には昔語りになっていたようですし。
- 389 名前:河豚非礼 [2007/04/11(水) 19:49:38 ]
- >>388
>一寸証明は難しいと思います。 かも知らん。(苦笑) 魚は問題無いのが解らない。 釈迦は魚も肉もいけない、と一応戒律で決めてるのに。 382で少し触れたけど、恵比寿と関係あるんじゃないかな? 江戸時代に鮪も捕ってたし、かなりおおっぴらに食べてるのは、 穢れや仏教を寄せ付けない附会があったんではと想像。 スレ違いごめんだけど、仏教で斎(とき。時食とも)と言う食事のルール? があって、その場合午後には食事しないのだけど、それを非時 (ひじ)と言うそうで、『非時香菓』との関連が気になる。 現代でも、法要や墓参のあとの食事を『お斎』と言うみたいだし。 垂仁の死後に持って来た事と何か関係が? 本当に関係無いなこれ…すみません。
- 390 名前:河豚比礼 [2007/04/11(水) 21:21:01 ]
- ↑389
訂正 苦笑→自嘲 失礼致しましたm(_ _)m
- 391 名前:天之御名無主 [2007/04/12(木) 14:24:37 ]
- >>389
飛躍しすぎかと・・・ 原始仏教をはじめ小乗仏教圏は、 僧侶の肉食は禁じていないのは常識かと。 不殺生は「殺してはいけない」のであって、 「肉を食べてはいけない」ではない。 僧侶の場合も自分の手で屠った肉はもちろん、 自分のために殺された、それを見た聞いた、 その疑いがある肉を禁じているのであって、 食べてはいけないのではない。 また僧侶は托鉢にて喜捨されたものは拒否できないので、 肉を食べるところではあたりまえにあるのだろうから、 肉食への抵抗感はないでしょう。 タイをはじめとする仏教国では今でもそうですし、 生卵なども僧侶は自分で割れないので、 事故で不幸にも割れてしまった(という方便で)ものが 販売されている。
- 392 名前:391 [2007/04/12(木) 14:25:15 ]
- 大乗仏教圏の中国・朝鮮・日本の僧侶は肉食が
いつの頃からか禁止にされたらしいが、 中国では仏教がメインストリームにならなかったし、 朝鮮ではかつては有数の仏教国だった(大蔵経の輸出国だった)が、 李朝の儒教導入以降、仏教が大弾圧を受けたのはご存知のことかと。 肉食の禁忌は社会的な潮流とはその後なり得なかった。 しかし日本では僧侶の世界のみならず世俗にまで、 極端な肉食の禁忌が展開されるわけですが、 特に大型獣の肉食が広まらなかったのは、 魚介類による動物性たんぱく質の摂取があったからだ、 という見解があるとのこと。 肉食の禁忌の一因に日本の仏教はなったのだろうが、 鳥やら魚やらエクスキューズがあるのは、 そういった実情があったからでしょう。 確かに肉食と生物的な死は分かちがたいが、 食べる対象の食べたもの(例えば死体)まで考えるのはどうかと思いますがね。
- 393 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI mailto:sage [2007/04/12(木) 19:02:29 ]
- 魚食も駄目ですよ、僧侶は。『日本霊異記』や『袋草紙』に、僧侶の魚食禁
止に絡んだ説話・逸話が載せられています。 『弥勒菩薩所問本願経』などに、病時はいいと書かれており、これは僧尼令 にも反映されていますが。 五辛は病時でも駄目でしたが、これも服用する僧侶はいたようです。 また、院政期以降は、建前はともかく僧侶もかなり魚鳥を食べていますね。 殺生に生きていた庶民もその方が安心出来たようです。 大乗仏教で禁止した経典は『楞伽経』が早く、『法華経』と並んで珍重され た『涅槃経』も同様の思想を示したことで決定的になりました。 玄奘三蔵は西域で、肉食するのは小乗の僧だけだと言っています。
- 394 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI mailto:sage [2007/04/12(木) 19:11:13 ]
- >極端な肉食の禁忌が展開されるわけですが、
どうも仏教に禁止されて食べなかった、という気はあまりしないのですね。 家畜の屠殺自体、猪飼部などがあったものの定着せず、元々あった狩猟獣や 魚介を食することがその後も残ったように思います。 家畜を食べなくても生きられる文化圏だったのが大きいのでは。 (日本より寒冷で麦の生産性が悪かった欧州では、冬期の塩漬け肉は欠かせ ませんでしたし、中国でも牧畜なしではやっていけない土地が多い)。 漁や猟自体を否定する仏教の説はあったものの、だからといって生業自体を 否定する訳にもいかず、中世には『沙石集』や『発心集』や『神道集』などに 見られるような、殺生祭神思想が定着している。 この説は、神に生贄として鹿や猪を始めとした鳥獣が捧げられていたことに対 して、「本地は仏なのに何故殺生を容認されるのか」という疑問が仏家に生じ たことに由来するもので、本地垂迹説の成立期には、生贄自体を止めさせよう という動きもありましたが、後に「結縁」と考えられるようになりました。 生贄を捧げた人も、捧げられた動物も結縁往生出来るというもの。 少なくとも、中世には殺生自体は問題となっていません。 支配階級で牛馬というか獣肉料理が発展しなかったことには、死穢思想の影 響が強かったと思います。ケガレではなく、死穢。 『延喜式』以下で対処が細かく定められたものです。 恵比寿云々は、水死体をえべっさんと呼んだことでしょうか。 この習俗自体が確認出来るのは、そう古くはないと思います。 元々は西宮の戎という神で、鎌倉時代には同社の三郎神と習合して戎三郎と 呼ばれ、阿弥陀ないしは不動が本地とされた神ですが、水死体云々が見えて くるのは近世だと思います。
- 395 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI mailto:sage [2007/04/12(木) 19:19:02 ]
- >支配階級で牛馬というか獣肉料理が発展しなかったことには、死穢思想の影
同じ死肉を扱うという行為でも、死体になっていたものと殺して死体にするも の(狩猟の一環)とでは、全く違うものと観念されていました。 前者のような牛馬の死体を処理するのが餌取(後のエタ。人なら非人が処理)。 彼らは牛馬の死肉をゆでて食べており、嫌悪感をもたれました。 死体をつくるのが武士(軍事貴族)。鹿や猪に対する山神信仰などの独自の 観念を持っており、狩猟への参加は主に対する義務でした。 牛追物という競技もありましたが、それはあくまでも狩猟獣の代用。 貴族からは死穢が嫌われ、武士からは山神にもたらされる狩猟獣ではないの で眼中に置かれず、屠殺して食べる家畜は意識されなかったのでは。 羊や豚も古代には移入されて飼養されていますが、廃絶しています。 支配階級に必要性を認められなかった。農耕用の牛馬は残りましたが、食べ 物とは別物であり、その皮や剥ぎ、肉を食べる人々は賤視された。 肉食自体はさておき、目に見える形の肉食「文化」は成立しにくかった。
- 396 名前:天之御名無主 [2007/04/12(木) 19:24:32 ]
- >>395
鳥は食ってるけど… 卵はいつの時代も貴重品だった 今は安いけど 古代にチーズやバターなんかも入ってるけど醍醐味って言葉だけ残してなくなってるのは不思議だけど 乳製品が普及しなかった辺りも詳しく知りたいねえ
- 397 名前:河豚比礼 [2007/04/12(木) 20:35:02 ]
- 皆さん、俺の拙い疑問に答えて頂き、本当に
ありがとうございます。 >>394 恵比寿云々は、民に対して現実に恩恵を授けてくれる、都合の良い 神様だと思ったんで…
- 398 名前:天之御名無主 [2007/04/12(木) 22:21:23 ]
- 廣野卓『古代日本のミルクロード-聖徳太子はチーズを食べたか』(中公新書 1995年4月)
「ミルク文化の崩壊」P197〜より 古代に存在した乳製品が廃れた理由として、 幾つかあげられているものを以下に。 ・そもそも流通など論外の牛の絶対量不足からくる搾乳量の少なさ。 (乳製品自体が特権階級のものである。) ・醍醐や蘇、酥(ソ)の製造の複雑さと、 原料である生乳の腐敗しやすい物性。 (生乳は現在でも低温輸送される。) ・大仏開眼供養前後に出されている殺生禁止令に伴う、 動物の体液への忌避感があったかもしれない。 ・官牧が私領化していき崩壊していく中で、 武士の馬育成に傾注した結果の牛の飼育放棄。 朝鮮半島でも元の侵略を機に乳製品が消えるようで、 宮中料理としてにわずかに残る。 原因は元軍が牛馬を食料として徴発し、 激減したからだという。
- 399 名前:河豚比礼 [2007/04/14(土) 13:37:05 ]
- 民に選ばれ、こじつけられ、利用された神・えびす
海の来訪神=渡来人?→肉食=羨ましい(動機) 寄り神→石等拾って豊漁祈願 1)応神海豚貰ってるやん=魚死穢への正当化 2)石の変化しない性質=魚の餌(死体?)に見立て、魚に死穢が 感染していない附会後に市神=海、船、交流→繁盛=福神 『口実』って必要だと思うんだよね。上記したのは妄想にしても。
- 400 名前:天之御名無主 [2007/04/22(日) 13:03:06 ]
- >>396
>乳製品が普及しなかった辺りも詳しく知りたい・・・ 月並みだが、平坦地の乏しい地形が酪農に適さなかったからだろう。 現代の珈琲豆のように嗜好が合えば、交易で普及もしたんだろうが、 所謂和食とは合わなかったんだろう、緑茶と違って。
- 401 名前:天之御名無主 mailto:sage [2007/04/22(日) 13:36:31 ]
- >>400
>月並みだが、平坦地の乏しい地形が酪農に適さなかったからだろう。 >現代の珈琲豆のように嗜好が合えば、交易で普及もしたんだろうが、 >所謂和食とは合わなかったんだろう、緑茶と違って。 固定観念だと思います。 巷に出回るほど乳製品流通の下地が過去になかったんだよ。 平坦地での酪農と言うの日本でいえば北海道、 現代の乳製品の大量飼育と流通を念頭においた話だと思う。 現代のスイスやピレネー、アルプスの山岳地帯の酪農はどうだろうか。 また和食と乳製品が合わないとの記述も、 少々認識がずれていると思う。 和食かどうかは置いといて 以下和の食材と乳製品の調理例をあげておく。 バターと醤油でほかほかご飯 牛乳と抹茶で抹茶オレ 小豆と練乳でカキ氷 餅とチーズでピザ餅 乳製品が流通している現代と、 過去を同一視してはいけないと考える。
- 402 名前:天之御名無主 [2007/04/23(月) 20:50:56 ]
- >>401
古代は牛は労働力として重要で ミルクといえばヤギか羊のような気がするなあ 西洋の歴史でも… やっぱ仏教の性だけとはいえないような
- 403 名前:天之御名無主 [2007/04/24(火) 19:05:53 ]
- >>402
>古代は牛は労働力として重要で・・・ 肉といえばヤギか羊ではないのか。
- 404 名前:天之御名無主 [2007/04/28(土) 15:43:06 ]
- >>403
ヤギは不味いらしいが 羊じゃないの毛糸も取れるし
- 405 名前:河豚比礼 [2007/05/10(木) 20:35:17 ]
- 獣肉の調理・保存の方法は過去、どのくらい確立されていたのでしょうか?
肉食を嫌う理由に腐るから、と言う事もあったと思う。 保存法があるなら 食べ易くなるし、肉食文化がタブーの中でも育っていたとも言えそう。
- 406 名前:天之御名無主 [2007/05/11(金) 02:45:17 ]
- マタギには、干し肉の作り方や、囲炉裏の煙でいぶして薫製にする方法、
塩蔵の方法などがあったとおもうが。 あと、肉の漬け物もあったなぁ。 なれスシの魚の代わりに、肉を米と塩で漬け込んで、乳酸発酵させるやつ。
- 407 名前:河豚比礼 mailto:sage [2007/05/11(金) 08:42:00 ]
- >マタギには、干肉〜〜燻製〜〜塩蔵の方法があった
狩猟を生業とする人達には、獣肉食文化が発展してたんだね。 >肉の漬物も 肉の漬物? 塩辛みたいな物だったのかな。 肉醤(ししびしお)と言う 物があって、それも漬物・塩辛の様なものだった様だから、その名残かも。
- 408 名前:天之御名無主 [2007/05/11(金) 10:47:01 ]
- >>407
>肉の漬物? 琵琶湖周辺のフナ鮨をご存じありませんか。 あれは、大量に取れたフナを乳酸発酵させて長期保存するものです。 肉の漬け物とは、フナ鮨のフナのかわりに、獣肉を用いた物です。 たしか、山形か秋田では今でも作っているはずです。名称は失念しましたが。 ↓に載っているかも。 . すしの事典 / 日比野光敏‖著 / 東京堂出版 , 2001.5 . すしの歴史を訪ねる / 日比野光敏‖著 / 岩波書店 , 1999.10 ( 岩波新書 新赤版 ; 641 )
- 409 名前:河豚比礼 mailto:sage [2007/05/11(金) 12:17:26 ]
- >>406、408
知らなかった……有難うございます。 「いずし」みたいな物なのかな。 あれは、混ぜた御飯と野菜も一緒に 食べるから、漬物というイメージが湧かなかったけど。
- 410 名前:天之御名無主 [2007/05/11(金) 12:46:50 ]
- 発酵保存法には、主に乳酸菌に頼る方法と、酵母菌に頼る方法があります。
普通の漬け物や、なれ鮨、チーズや発酵乳(ヨーグルト)は、乳酸発酵。 肉や魚や野菜の、みそ漬けや粕漬けは、酵母菌による腐敗防止法。 ぬか漬けは、乳酸菌プラス酵母菌。 秋田などの肉の漬け物は、見た目には、みそ漬けや粕漬けに近いが、 酵母菌より乳酸発酵によるところが大きいのではないだろうか。
- 411 名前:天之御名無主 [2007/05/11(金) 13:00:15 ]
- >>410追加
伊豆諸島でつくられる独特な臭いの「くさやの干物」は、ラク酸発酵で、 あれは日本では珍しい。 スウェーデンの世界一臭いニシンの缶詰シュールストレミングと同じ系統です。
- 412 名前:天之御名無主 [2007/05/11(金) 13:12:47 ]
- >>410-411
かなり錯誤しているようですね。 このサイト↓のほうが正しいと思いますよ。 www2.health.ne.jp/library/5000/w5000463.html
- 413 名前:天之御名無主 [2007/05/11(金) 19:36:28 ]
- 鹿やイノシシだって昔から食ってたぞ。
ただ地方によっては「神様の使い」として特定の動物を食べない村や町がある。 それは鯉だったり鹿だったり、マチマチだけど。 ウチの田舎は「神様からの贈り物」としてどんどん食ってたが、今は逆に嫌がるようになっている。 産業廃棄物を山に不法投棄するバカが増えたせいで、 「山でどんな餌を食ってたか分からないから怖くて食べられない。むしろ牧場で育てたイノシシの方が安全だ」 だとさ。
- 414 名前:天之御名無主 mailto:sage [2007/05/11(金) 20:25:34 ]
- 明治時代には猫鍋というのがあったらしいな
「吾輩は猫である」に書いてあった バンカラ学生なんかが喰ったそうだが 一般的なものであったのかどうかは知らない
- 415 名前:河豚比礼 [2007/05/11(金) 21:26:15 ]
- >>413
そういうのは現代的感覚なのか……稲を食べたイナゴ=稲子を食べて、 米を食べた気になった、とかね。 色々の食肉保存技術が(一般的でなくても)あるのは、旨味 にも貪欲 だったって事か。 逆に生食はどうなってたのでしょう? 『四条流包丁書』 1498?年には、クラゲの切身や鳥肉の薄切りも、刺身と言ったと あるそうだが、獣肉も生で食べていたのだろうか。 具合が悪くなる 事でも、肉を避ける理由になりそうだけど。
- 416 名前:天之御名無主 [2007/05/12(土) 20:46:48 ]
- 「粉河寺縁起」に描かれている大伴孔子古は鹿の肉を解体し、鹿皮を干している。
まな箸と小刀で肉に直接触れぬように切り分け、鍋で煮てたり串刺しにして乾かして干肉にしたりしている。 孔子古は指貫に(直垂に見える)侍烏帽子を被り、屋敷内では家人と思われるなえ烏帽子を被った人が矢を持って走っている。 鹿を殺し皮を剥ぎ、肉を食っている大伴孔子古は基本的に常人として描かれている。
- 417 名前:天之御名無主 [2007/05/14(月) 00:53:43 ]
- 熊食ってたんじゃ
- 418 名前:河豚比礼 [2007/05/15(火) 16:58:53 ]
- >>416
『粉河寺縁起絵巻』をまだ観れてないけど……鹿の様な、獣(大型) の解体方法が気になる。 特に血抜き。 鶏の場合、首を切り落として逆さに吊るし、血を抜きながら羽を むしったりするやり方がある。獣だと、かなりの重労働と思うが……。 肉への欲求の強さ? 血の処理法はどうなるだろ? 血は嫌うよね、普通。 漫画では、猟犬に血を飲ますシーンもあったが。 埋めるか流すか……。
- 419 名前:天之御名無主 [2007/05/15(火) 19:15:02 ]
- >>418
火災のために破損が甚だしく不明の部分もあるが、放血の場面はないみたいだ。 第一の場面は大伴孔子古が木の枝に乗って弓を引いて鹿を射殺する場面。次が孔子古の屋敷から猟犬が走りだす場面。 屋敷内で俎板の上で小刀と箸で骨と肉が切り分けている場面。 庭には鹿皮が干してあり、鍋で肉を炊き、その傍らには串刺しにした肉を地面立て遠火であぶっているように見える。その近くには肉を天日乾しにして鳥獣避けの矢も立てられている。 次の場面では乾し肉が軒下に吊り下がり、俎板には完全に肉を取りのぞかれた骨が二本残っている。 庭には弓と矢をもった家人らしき人物が走っているが、その矢は鏑矢である。
- 420 名前:河豚比礼 [2007/05/16(水) 17:46:42 ]
- 当時の干肉作りが、蒸して塩水に漬け置いてから天日で乾燥させる
ものだったら、骨と肉を分ける場面と、肉を天日干しにする場面の 間に、一晩位経ってたかも。 鹿皮って、衣料品や武具にも使うなぁ、とフと思った。 そっちがメイン?
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