- 536 名前:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む [2012/03/10(土) 20:11:48.70 ]
- >>525
こんなのが、あった ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB-%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%90%86 (抜粋) アーベル-ルフィニの定理(Abel-Ruffini theorem)は、五次以上の代数方程式には解の公式が存在しない、と主張する定理である。 より正確には、5以上の任意の整数 n に対して、一般の n 次方程式を代数的に解く方法は存在しない、という定理である。 1770年 ラグランジュが代数方程式の解法と根の置換について考察し、代数方程式が解けるための条件を初めて見いだす。 1799年 ルフィニが最初の不可能性の論文を発表。同年ガウスが代数学の基本定理を証明した学位論文中で五次方程式の不可能性について予言。 1824年 最初の論文によりアーベルによってルフィニの欠陥が解決される。定理の成立。 1829年 アーベル没。ガロアが代数方程式の可解性について最初の論文を書く。 1832年 ガロア没。 1846年 リウヴィルによりガロアの仕事が世に出る。 同時期の貢献としては他にガウスのものがある。ガウスは不可能性の直接証明こそ行わなかったが、それが不可能問題であることに確信を持っていた。学位論文でそのことに触れた他、『整数論』(1801年) の中でも「不可能なのはほぼ確実」と断定している。 代数的に可解な系列として円分方程式論を展開しているが、これはアーベルやガロアの理論のプロトタイプといえるものであり、両者に影響を与えた。 なおガウスは後年アーベル、ガロアの論文を受け取っているが、全く関心を示さなかったという。ガウスにとって既に重要な問題とは見えなかったらしい。 ラグランジュを学んだアーベルは、当初五次方程式の解法を発見しようとしていたが、そのうちに不可能かも知れないと考えるようになり、研究の方向を転換する。 一方ガロアはアーベルとは独立でほぼ同じ経路を辿っていた。アーベルの仕事については知らなかったが、後に恩師に薦められて存在を知る。 コーシーが自分の時と同じく、アーベルの論文も紛失したことに憤慨する手紙が残されている。 どちらの証明も、本質的にはガロア群の構造に触れることで不可能性を証明しているが、アーベル、ルフィニらには「群」という意識がまだ存在しておらず、技巧的な証明に留まっていた。
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