- 447 名前:132人目の素数さん [2024/09/21(土) 20:28:15.51 ID:UH10GdZ2.net]
- >>392
どうもです ご苦労さまです ・いままでの記事も、大学数学を囓っていると 面白いとおもうのですが 果たして、高校生に理解できるのかなというものもありました ・今回は、日本の江戸時代の数学レベルの高さを示したと思います 対するゴローニンも、なかなかのレベルですね ・ところで、江戸時代から戦後しばらく、日本の算数を含む数学の平均レベルは、世界トップだったと言われました その一因がソロバンで、庶民の計算能力は、電卓が普及するまでは世界でダントツだった ・米国に家族を連れていくと、小学校の算数は 2年くらい現地小学校より進んでいるといわれた それは、明治維新の開国で、急速に西洋の科学技術を吸収し追いついた基礎力だったと思います (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6 ゴローニン事件は、1811年(文化8年)、千島列島を測量中であったロシアの軍艦ディアナ号艦長のヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニン(ロシア語: Василий Михайлович Головнин, Vasilii Mikhailovich Golovnin・日本では一般にはゴローニンと表記するため、以下ゴローニンと記載する。)らが、国後島で松前奉行配下の役人に捕縛され、約2年3か月間、日本に抑留された事件である。ディアナ号副艦長のピョートル・リコルド(ロシア語版)と、彼に拿捕そしてカムチャツカへ連行された高田屋嘉兵衛の尽力により、事件解決が図られた。ゴローニンが帰国後に執筆した『日本幽囚記(原題:ロシア語: 略』により広く知られる。 ※日付は和暦。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%AD%E3%83%B4%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%B3 ヴァシーリイ・ミハーイロヴィチ・ゴロヴニーン(1776年4月19日(ユリウス暦4月8日) - 1831年7月11日(ユリウス暦6月29日)[1])は、ロシア帝国(ロマノフ朝)の海軍軍人、探検家、学者。 人物・来歴 1776年4月8日(ユリウス暦)、父祖伝来の領地であるモスクワの東南120マイルほどのリャザン州グーリンキで生まれる。9才で両親を失くし、孤児となる。2人の幼い弟と共に彼を引き取った親戚は、財政面での理由から、この少年をクロンシュタット海軍兵学校の学生軍事教練隊へ入学させることに決めた。 14才で海軍士官候補生に任じられる。1802年、特別選抜された12名の海軍士官の一人として、イギリスのポーツマスへ留学。 1806年にサンクト・ペテルブルグに戻った彼は、まもなくディアナ号に配属され、艦長に任じられた。 1807年、北
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