- 403 名前:132人目の素数さん mailto:sage [2024/09/19(木) 20:56:31.47 ID:g8Db6Kv7.net]
- 斉物論篇 第二
古の人は、其の知に至る所有り。 悪くにか至る。以て未だ始めより物有らずと為す者有り。 至れり尽くせり。以て加うべからず。 其の次は以て物有りと為す、 しかも未だ始めより封ずること有らざるなり。 其の次は以て封ずる有りと為す、 しかも未だ始めより是非すること有らざるなり。 是非の彰わるるや、道のそこなわるる所以なり。 道のそこなわるる所以は愛の成る所以なり。 果たして且も成るとそこなわるるとのわかち有りや、 果たして且も成るとそこなわるるとのわかち無きや。 (現代語訳) 昔の人(絶対者)は、最上の認識に至る知を持っていた。 その知はどこに至るのか。その知は初めは物(道)が存在しないという絶対的一の境地を示す。 至れり尽くせりの完全な認識である。加える所が全くないのである。 その次には、物(道)があるという知になり、 しかしまだその物(道)には境界的な秩序がないのである。 その次には、境界的な秩序があるという知になり、 しかしまだその物(道)には是非善悪の分別がないのである。 是非善悪の分別が現れるということが、道が損なわれてしまう理由なのだ。 道が損なわれてしまうということが、人間的な愛執(愛憎好悪)が生じる理由でもある。 果たしてそもそも成ると毀なわれるとの区別はあるのだろうか、 果たしてそもそも成ると毀なわれるとの区別はないのだろうか。
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