- 681 名前:132人目の素数さん mailto:sage [2023/02/26(日) 21:27:12.06 ID:a2cXWtJ+.net]
- クレタ人の逆説には正直戸惑いました
この納得できる理解は最近です ある中学生向きの解説は、それは無いと思えたりしました 次元理解は解決したと思ったのですが、もう一枚噛ませる必要がありました フラットアース論争で思い当たりました なんかまだまだ出てきそうで怖いんですが、とりあえず 昔吉本隆明氏の「言語にとって美とはなにか」という本の批評でそこそこ著名な評論家が評したのが気になりましたが、けっきょく解りませんでした どういうことか今でも気になります 芸術は古典ーロマンー印象ー抽象がアウトラインです 言葉は対象認識ですが名詞は認識主体は表現に現れません 感嘆詞は認識主体の感情表現で対象は表現には現れません 形容詞は中間でしょうか、認識主体の感覚表現と対象のバランスが取れています 芸術一般は対象と認識主体のバランスが推移していく 初期は表現に認識主体は表れない だんだん認識主体が表現に現れてくる ついには対象は表現には現れなくなる いやこれも自己が対象ですから自己言及ですね 基本はこうだと思っています AIは考えることが可能かということにははなはだ懐疑的です それは人間の認識の置き換えに過ぎないと考えています いや本質を理解したいだけです 科学認識は自己言及であり、自己を他者として規定するから決定不能になるのだと理解します それは対象が無矛盾だからこそだということです でなければ決定不能と決定することはできないのだと考えています
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