- 282 名前:名無しさん@京都板じゃないよ [2007/10/27(土) 03:57:24 ]
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また特に私自身が、耳にタコができるぐらい聞かされてきたのが、 「浄土真宗地帯は、民俗文化の不毛の地。ぺんぺん草すら生えない」 という民俗学の定説である。 浄土真宗の開祖・親鸞は、「神祇不拝」という教義をとなえた。 良時吉日をえらばず、天神地祇をあがめず、卜占祭祀をつとめず、 衆生は、阿弥陀仏によってすでに救われているのであるから、 阿弥陀仏以外を拝む必要はない「先祖」すら拝む必要はないという 教えである。この「神祇不拝」の考え方は、室町期に活躍した蓮如が、 さらに徹底化し、実践にとりこみ、江戸時代の寺壇制度によって ほぼ真宗教団人の生活スタイルにまで確立したといってもよい。 真宗以外の信仰を「異安心」とし、門徒の家にある神棚を撤去、 それまで各地域で行なわれた祭事や通過儀礼も真宗流布のために喪失 したものが、かなりあると思われる。 ところが、真宗の僧侶は「冠婚葬祭」といった「先祖崇拝」による お布施によって経済的基盤を得ているのが事実であり、実際の教義とは まったく矛盾したところで歴史を営んできたのである。こうした 経緯から、土着の生活習慣をフィールド調査してゆく「民俗学」が、 真宗地帯を民俗不毛の地といいはなつのは、至極当然であろう。 -------------------------------------------------------------- dotoku.net/dotoku/051.htm
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