- 909 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2018/03/31(土) 09:23:29.64 ID:uEYoEpwx.net]
- 春休みなんで、また立正安国論のいんちき年表、
日蓮御書から「安国論」の三文字で検索して その検索結果を年表順に並べると、こんな摩訶不思議なものができる。 1260年(文応元年)7月 立正安国論を幕府に提出(と本人言ってる) 1261・・・ 62・・・ 63・・・ 64・・・八年間、安国論についての記述がない 65・・・ 66・・・ 67・・・ 1268年(文永五年)1月18日 蒙古より国書届き、戦争は避けられず。 ・・・ 同4月5日 安国論御勘由来←これが立正安国論の記述の初出 ・・・ 1260文応元年に幕府に提出したというのは、真っ赤な嘘で、 じっさいは1268文永五年以降に成立したことを この年表は強く示唆してます。 じっさいは八年後に書いて、八年前に書いたと嘘をつけば、 元寇予言は簡単に当たるでしょ、国交断絶の後なら百発百中…。 気になることは他にも多々あって、取次人の宿屋入道のなまえを 「屋戸野」と当て字表記してること、提出の文応元年を 「正元二年」とか「正嘉元年」と間違えてる記述もあるし。 日蓮教は北条時頼に提出、というけど「時頼」のなまえは 御書にはなく、御書に連呼されてる「最明寺殿」という人物も ただの俗称で、正式な名前じゃないから、いったい誰に 「上申書」だか「建白書」だかの公文書を提出したんでしょうね?
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