- 381 名前:マンセー名無しさん mailto:sage [2008/07/16(水) 08:07:08 ID:lwtI6ocz]
- 東アジアの繁栄のため、日本政府は大東亜共栄圏を毅然と主張すべきだ
毎年、8月が近づくと1995年の夏を思いだす。 あのころ、戦後50年企画記事の取材で戦没者遺族の家々を訪ね歩いていた。 行く先々で、特攻隊員や戦死した若者たちの手紙、遺書を読ませてもらった。 両親への思い、妻子への思い、祖国への思い、いろんな思いに交じって、 「大東亜建設のため」との言葉が目についた。 先の戦争で日本は「大東亜共栄圏」の建設を大義名分に掲げて戦った。 検閲があった当時、その言葉のすべてがすべて本心とはいえまい。 それでも「共栄圏建設」をスローガンに、数え切れない日本人−朝鮮半島や台湾などの出身者も含め− がアジア太平洋地域で倒れたのは紛れもない事実である。 そして敗戦から60年。今度は「東アジア共同体」を建設すべく、 2005年にマレーシアで第1回東アジアサミットが開かれた。 取材をして違和感を覚えたのは、大東亜共栄圏の経験が全く触れられなかったことだ。 まるで存在しなかったように無視された。負の歴史を蒸し返されずにすんだ−と安堵(あんど)する日本の官僚たち。 だが、東アジアの繁栄を目指すという一点においては、東アジア共同体と同じではないのか。 東アジア繁栄の理想を掲げて亡くなった先人の存在は、日本のみならず域内の財産である。 日本政府は静かに、しかし毅然(きぜん)と主張すべきだ。耳を傾ける国は決して少なくないだろう。 4年間の東南アジア駐在を振り返り、強く思う。 産経 sankei.jp.msn.com/world/asia/080715/asi0807150331001-n1.htm
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