- 658 名前:生粋の名無しさん mailto:sage [2018/10/11(木) 21:53:36.47 ID:m76FyS9C.net]
- >>634
ハルノートの直接原因です。 > 野村大使が南部仏印進駐後アメリカ側の反応が明らかに悪化したと観測しているように、 南部仏印進駐後のアメリカの態度は極めて強硬なものとなった。 8月1日、アメリカは「全侵略国に対する」石油禁輸を発表したが、その対象に日本も含まれていた。 またイギリスも追随して経済制裁を発動した。 これらの対応は日本陸海軍にとって予想外であった[12]。当時の石油備蓄は一年半分しか存在せず、 海軍内では石油欠乏状態の中でアメリカから戦争を仕掛けられることを怖れる意見が高まり、海軍首脳は早期開戦論を主張するようになった[27]。 8月2日には野村大使がアメリカの某閣僚と会談したが、その際にコーデル・ハル国務長官がひどく失望していると伝えられた[28]。 アメリカ側は以前のフランス領インドシナ中立化案についての回答を求めたが、 日本は南部仏印進駐が平和的自衛的措置であるとして、支那事変終了後に撤退するという回答を行った[29]。 ハル国務長官はこの回答が申し入れに対する回答になっていないと拒絶し、日本が武力行使をやめることによって初めて日米交渉が継続できると伝えた[30]。
|
|