- 374 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2013/09/29(日) 15:55:05.67 ID:dyj+ynY00]
- >>369 >>370 >>371 とてつもなくアホで間抜け
児玉は陸軍参謀本部や外務省の仕事もしている。 昭和12年、外務省情報部長河相達夫の知遇を得て中国に渡る。 昭和14年、河相の斡旋で外務省情報部嘱託となり上海を拠点に情報活動に従事。 陸軍参謀本部より汪兆銘の重慶脱出支援を依頼されるが果たせず。 参謀本部、外務省の嘱託となり汪兆銘政権樹立のために動く。 昭和16年、開戦直前、国粋党総裁・笹川良一の推薦で海軍航空本部嘱託となり、 海軍航空本部大西中将の依頼を受け、軍需物資調達のための児玉機関を上海に作る。 児玉と山本の付き合いは一切ない。 笹川とは山本が次官時代(昭和11年末〜14年8月)に付き合いがあっただけ。 陸軍も軍需物資調達の為の秘密機関があった。 海軍の児玉機関は、終戦後その集めた財宝を米内元海軍大臣の下に返しに行って、 米内元海相から「返してもらっても海軍が無くなってしまっているのだから、これは日本の 復興に使え」と言われた。これは多くの人の証言で明らかになっているし、その資金を元 にしたカネが児玉氏の新右翼構想や反共運動の資金、また政治資金として使用され たのは事実らしい。 陸軍の場合は児玉機関のように表に出さなかったし、第14軍時代の田中静壱大将が そうした機関を持っていたとか、後の第14軍方面司令部の山下奉文大将の財宝とか、 いや田中大将の副官だった○本氏がその任に当っていたとか中野学校出の人間達が 集めていた。という伝聞はある。資金の大半は第XX軍単位で占領地政策に現地で 使用され、本土に持ち込まれたのは一部で、なおそれに直接関与した人間は最後まで 口を割らず、戦後のGHQでも調査不完全で闇に消えたままにしてしまった。 こちらの資金は某宗教団体にも多く流れた、という噂もある。 山本五十六とは一切関係ないよ。
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