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太平洋戦争で日本が降伏するべきだったタイミング



106 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2013/06/19(水) 18:17:42.51 ID:oI1yJm5K0]
しかし近年、「この戦争は開始してもほぼ確実に負ける。がこの段階まできては現実的に対米開戦は不可避だから、
開戦の責任をすべて東條に押し付けて東條一人を悪者にし、
敗戦後の天皇と皇室の安泰をはかる」というふうに木戸が考えたのではないかとする説も登場している。
対米戦争そのものが木戸の策略の過程だったというわけである。
もしこの説に従うなら、木戸の目論見はある意味で完全に成功したといえよう。
第二次世界大戦初期は東條内閣を支えたが、戦局が不利になると和平派重臣と提携して東條を見限り、和平工作に傾倒する。
東條内閣瓦解後の戦争末期には、
重光葵と2人で天皇の「鶴の一声」による終戦工作を行い、昭和20年6月には和平方針案の「木戸試案」を作成、
鈴木貫太郎内閣の面々や陸海軍に和平方針を説いて回るなど、いわゆる「聖断」工作を進め、和平派の中心人物の一人として動いた。
「木戸試案」を徹底抗戦を主張する陸軍に納得させたことで和平への動きは大きく高まることになった。
このことから、
本土決戦派の間では木戸を暗殺する計画が持ち上がり、
8月15日未明、横浜警備隊長であった佐々木武雄陸軍大尉を隊長として、横浜高等工業学校の学生らによって構成された「国民神風隊」によって、
平沼や鈴木と同様に、自宅を焼き討ちされるという憂き目に遭った(宮城事件)。
東京裁判

極東国際軍事裁判(東京裁判)では、昭和天皇の戦争責任などに関して、自らの日記(『木戸日記』)などを証拠として提示した。
日本語で372枚にも及ぶ宣誓供述書で「隠すところなく、恐るるところなく」、
いかに自分が軍国主義者と戦い、政治的には非力であったかを述べ、当時の政府や軍部の内情を暴露して天皇免訴に動いた。
しかし、結果的には連合国との開戦に対して明確に反対しなかったことから、イギリス代表検事であるアーサー・S・コミンズ・カーからは、
「“天皇の秘書”であるなら、親英米派であった天皇の意向に沿って行動するのが道徳であろう」として、「不忠の人間」であると強く批判された。
結局、木戸の日記や証言は天皇免訴の決定的証拠にはならず、東條の証言によって天皇の免訴は最終的に決定することになった。






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