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戊辰戦争・旧幕府軍勝利の可能性について



1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2010/09/28(火) 23:59:20 ID:gC95IlEA0]
これは意外とありえると思う

615 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 08:13:26.46 ID:AQ6obydZ0]
>>612
>淀藩、津藩、亀山藩ぐらいなモノ。
もう殆ど下っているじゃないか。
機内の雄藩なんて津、淀、亀山、郡山、宮津、膳所、桑名、姫路くらいしかないぞ。
宮津とか速攻で降っているし、敵対したのって姫路と桑名くらいのものだし。
藩主が抵抗しただけで、留守居役は速攻で降伏。

616 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 08:15:05.20 ID:0BZDGldX0]
だいたい薩長が、王政復古のクーデターを仕組んだり関東でのテロを仕組んでいるのは、
幕府の慶応の改革が進展するのを嫌がっているからこそ、そうやって改革作業を妨害している。

慶応の改革が進展すれば、薩長はもう幕府には手が出せず第三次長州征伐や第一次薩摩征伐
が日程に入ってくる。最終的には幕府による廃藩置県と郡県制の導入であり、慶喜大君制に
よる征韓論、植民地獲得論となる。

そうならないうちに、慶応の改革が進展しないうちに、幕府を倒そうというのが薩長の決定。
長州の木戸あたりが慶喜の慶応の改革を物凄く警戒しており、むしろ慶応の改革の実行が、
薩長の急進的な討幕姿勢を呼び寄せた面がある。

617 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 08:15:10.95 ID:nEyxZKxz0]
>>614
>これは、12月12日に慶喜が大阪城に撤退する前の話で、月末、年末の話ではないね。
根拠がありません。不可。

618 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 08:18:32.11 ID:0BZDGldX0]
>>617
>在京の士は臆病だ

12月12日以降は、大阪城に撤退して幕府の人間は京には居ないんですけどwww

619 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 08:19:53.93 ID:0BZDGldX0]
>>617
>根拠がありません。不可。

12月12日以降は、大阪城に撤退して幕府の人間は京には居ないんですけどwww

>>618は訂正。

620 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 08:27:52.21 ID:AQ6obydZ0]
>それも慶喜が大阪城を逃げ出して、
違う撫順隊がきたら速攻で降伏が流れ、朝敵にはみななりたくなかっただけ。
機内の藩は朝廷>幕府だから。九州とか中国とかでも速攻で降伏。
篭城してても彼等を助けに行けるわけがないから、降伏の流れは代わらない。
そして尾張は藩主が朝廷に忠誠を誓う為に起こしたことであって、慶喜が抵抗していても流れは代わらない。

621 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 08:32:04.21 ID:AQ6obydZ0]
>土佐藩は裏切る気満々だから
ありえんな、そもそもそんな事したら藩主が隠居させられるだけ。藩士は付いてこない。
>継続審議なんだから、
つまり方針は変わらなかったッてことだろ。何時何処で辞官納地が辞めになったんだよ。
>関税収入が、かなり潤っている。
幕府の借金に比べれば微々たるものだよ。余裕があるなら賠償金を支払えないで兵庫を開港したり、
借金の返済の待ってもらう為に、関税率を20%から5%に下げられる事もないよ。

622 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 08:37:29.50 ID:AQ6obydZ0]
>>613
いや10分の一くらいだろwあの方面は長州は1500程度だし。
紀州の洋式の武器もった連中だけで6000くらいはいる。
けど複数の街道や山などに分散しているから実際は数百程度の長州に数千で襲い掛かって返り討ち。
さらに海からは艦砲射撃もしているのにねw
>大阪天王寺が、幕府軍の補給基地になっていて、
篭城してんのにどうやってそんな事するんだよ。場外にいる作業中の連中なんて敵でもないぞ。

623 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 09:08:36.67 ID:0GBC1DgJ0]
>>591
>誰も知らん細かい例持ち出して、あーだ、こーだグチグチ言うんじゃないよ、ボケナス!
やっぱり小栗ヲタってこういうこと全然知らないんだな。
普通は小栗なんかよりも世直し一揆のほうが有名なのに。
だから大村とかのリップサービスを真に受ける事になる。
財政的な意味でもフランスとの提携という点でも
当時の小栗の要になっていたのは養蚕業だったのにそれを敵に回したんだから細かい例ですむわけないだろ。
しかも小栗は結局上州での世直し一揆勢に襲撃され
それを銃で撃退したことが上州の草莽に報告されて殺されてるんだよ。



624 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 11:19:18.74 ID:0LnulJL1O]
>>603
結局は薩長が勝つって当たり前だったって考えてる奴は馬鹿しかいない

第2次長州征伐では勅命は下りてないから幕軍は官軍ではありません
また第2長州征伐然り鳥羽伏見然り
幕府が弱いから負けたのでは無く、大将の気移りと言う想定不可能な理由での敗戦
戦局だけを見れば幕軍に負ける要素は皆無

625 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 11:22:25.32 ID:0LnulJL1O]
結果だけを見て『薩長勝って当たり前』って考える輩が、無謀な太平洋戦争をおっ始めたのは明らか


626 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 11:31:04.81 ID:AQ6obydZ0]
戊辰戦争で幕府が負けた理由を大将の移り気とか言っている時点でお前ダメだわw
その前の戦争で負けているんだよ。だから大将はもう勝てないと悟っただけの話。
そして薩長に勝てるとかありえん妄想を抱いている奴等が、アメリカにも勝てるとか変な妄想抱いて戦争始めただけの話。
幕府が薩長に勝てる可能性こそありえない。実際どの戦闘でも勝ったためしがない。

627 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 12:24:52.78 ID:B/Gy7C9nO]
>>624
いやいや勅命下りてるよ
大久保の「非義勅命は勅命にあらず」って結構有名だと思うんだか知らないの?
薩長同盟における坂本の動きを語る上でも必ず言及される

第二次長州征伐も鳥羽伏見もどうみても幕府が弱すぎるから負けたんだろ
薩長が強いから勝てたなんて誰も思ってないよ
小笠原が逃げたのは圧倒的に戦力が上の幕府海軍がやすやすと長州を小倉に3回も上陸させてしまった後、
慶喜が逃げたのは鳥羽伏見で3倍以上の戦力の旧幕府兵が薩長に撃退され撤退した後だ

628 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 13:33:15.53 ID:0BZDGldX0]
>>612
相変わらず、機内って書いているなw
バカだなww

鳥羽伏見の戦い以前に勤王派になっていた畿内とその近辺の藩は、

(近江)
彦根藩、西大路藩、膳所藩

(大和)
郡山藩、柳生藩、高取藩、小泉藩

(河内)
狭山藩

(摂津)
三田藩

(丹波)
園部藩、柏原藩、綾部藩

ぐらいなもの。

629 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 13:35:06.19 ID:0BZDGldX0]
>>628
>>615に修正。

630 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 14:35:28.22 ID:2HtiYk7U0]
>>614>>618
薩摩藩邸焼き討ちの直前の話だよ

>>624
慶応元年9月21日に出てるよ

631 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 15:54:25.99 ID:0BZDGldX0]
>薩摩藩邸焼き討ちの直前の話だよ

その頃なら、京には幕府の人間居ない。

二条城は、水戸藩尊攘派に預けているし、
京都町奉行所は14日付で朝廷新政府の命令で廃止になっている。

伏見奉行所に新撰組と見廻組、
それに新遊撃隊「京都町奉行(東西二箇所)と伏見奉行の与力、同心で結成」が居るだけ。

632 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 16:34:47.83 ID:AQ6obydZ0]
>>628
石高で見れば残りの機内の諸藩など俺があげたもの以外は、自衛すらままならない小藩のみ。
機内で10万石を超えている藩で抵抗していた藩なんて、姫路と桑名くらいのもんで。
そこも即座に降伏。それが史実というもの。

633 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 16:55:30.33 ID:B/Gy7C9nO]
>>632
姫路は岡山に形だけ一発大砲打たせて即降伏だもんなw

しかし漢字は直してくれよ、畿くらいすぐ出るだろう



634 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 17:57:13.97 ID:Zb0DR1030]
明治天皇「高松、松山征伐せよ」 土佐藩に命令

 明治天皇が土佐藩の第16代藩主山内豊範に「(幕府を助ける)高松藩や伊予松山藩を征伐すべし」と命令した御沙汰書=26日午後、高知市
 薩摩と長州に討幕の密勅が出された直後の慶応4(1868)年1月11日に、明治天皇が土佐藩の第16代藩主山内豊範に「(幕府を助ける)
高松藩や伊予松山藩を征伐すべし」と命令した御沙汰書が見つかり、26日、高知市の歴史研究会が発表した。

 所有していた高知県の男性が研究会に鑑定を依頼。鑑定した歴史研究家の松岡司さん(68)は「土佐藩にとって、明治維新の最重要文書。残っているとは驚きだ」と話している。
 書状は縦22センチ、横110センチの切り紙。文書の内容は山内家がまとめた資料集などで知られていたが、原本は所在が分からなくなっていた。
town.sanyo.oni.co.jp/news_k/d/2012012601001060
www.sanyo.oni.co.jp/news_k/images/2012/01/26/2012012601001094-256.jpg

635 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/29(日) 00:18:11.32 ID:n8rZl4380]
中国地方・山陰地方は、西から長州藩の軍勢が来ているので勤王藩が増えているが、
畿内では鳥羽伏見の戦いで負けた時点で尚且つ慶喜逃亡以前に勤王派に寝返った藩は、
淀、津、亀山、高槻などの諸藩で、それ以外は形勢を見ている。
大阪城のすぐ近くの尼崎藩や麻田藩などは、慶喜逃亡の報を聞くまで動きを取れなかった。

雪崩を打って勤王派になるのは慶喜の大阪城逃亡が公然化し、大阪の幕府軍の溶解が始まった以後。
慶喜が大阪城で抗戦を続ければ、畿内やその付近の藩は動けない。

鳥羽伏見の戦い以前に大和の四つの藩が、勤王藩に傾斜しているが、これもかなりリスキーな行動だった。
紀州藩が、佐幕派として参戦したら攻撃されかねない行動だった。丹波でも3つの外様が勤王藩に成っているが
これは西から長州が来るのでまだ判るが、近江や大和ので鳥羽伏見の戦い以前に勤王藩に傾斜していたのは、
かなりリスキーだったと思われる。

慶喜が大阪城で抗戦を続けた場合は、これら鳥羽伏見の戦い以前に勤王派に成っている藩や
鳥羽伏見の戦いで勤王派に寝返った藩は、旧幕軍の攻撃の対象にされるだろう。

636 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/29(日) 00:38:09.40 ID:b5IyGMNq0]
夜逃げ逃亡が全てよ
あれで新政府内の親慶喜の諸侯派は沈黙せざるを得なくなったし
日和見の藩は全て薩長についた
慶喜からしたら戦わないのがベストだったけど開戦に及んだんだから
腹くくって勝負すべきだった
春嶽の慶喜評「百の才知があっても一つの胆力もなかった」
は的を射ているわ

637 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/29(日) 01:47:47.40 ID:HabBhD41O]
慶喜がどんなに抵抗しようが、越前尾張が朝廷についているから畿内の藩が幕府に付くことはないよ。

638 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/29(日) 08:58:37.71 ID:/7d6agsB0]
もう慶喜厨は荒らしの領域に入り込んでる気がするがそれはさておき
客観的事実として一度決定した辞官納地は既に骨抜きにされていた事
慶喜の新政府参画は既に内定していた事は事実なので
会津庄内をもし慶喜が押さえられていたら鳥羽伏見のあった日に慶喜は
御所に参内して悪くても平議定普通に考えれば議定筆頭くらいにはなってたと思う。
ただ副総裁までは越尾土の連中も協力はしない(容堂は微妙だが)だろう。
ただ薩長土肥の維新後の扱いそれはお飾りの左大臣にされた久光に
代表される殿様個人の扱いもあるし、版籍奉還、廃藩置県に代表される藩としての
扱いもあるがそれを見るに三職制から太政官制に移行すれば慶喜が政治的実権を
有する可能性は零に等しい。
ただ太政官制下の参議のポストは史実では薩長土肥が独占していたが
この場合だと小栗榎本大鳥勝あたりの旧幕臣連中と由利公正に代表される
越前藩の連中あと状況によっては尾張宇和島水戸の連中も参議入りして
人事の面では大幅に変わって来る可能性は多少ある。
まあこれについても結局10年ちょっとで土佐肥前の連中は新政府から
追い出されたのでやっぱり史実通りだった可能性も高いがね。
ただ榎本や大鳥があんだけ活躍できたわけで小栗が新政府に参画すれば
全く違う展開になってたかもしれんとは思う。

639 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/29(日) 11:02:41.29 ID:49LoPbpLO]
>>638
戊辰戦争が起こらなければ廃藩置県で各方面からの反発が大きそうだなあ
西南戦争までいかなくとも士族反乱が早い段階で各地で起こるやも
もしくは緩やかに移行させて史実よりずっと後に実施するか

640 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/29(日) 11:52:23.77 ID:JcBLBNwx0]
>>636
>春嶽の慶喜評「百の才知があっても一つの胆力もなかった」

 それを書いた春嶽の回顧談では、「水戸の徳川斉昭は幕府を乗っ取って天下を取ろうとしていた」と断言しているのだが、
信じてるの?慶喜の評はその延長上に書かれたものだしw。これ信じてるなら、君はかなりイタいぞw。


641 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/29(日) 12:09:10.11 ID:/7d6agsB0]
>>639 その場合は多少遅れていた可能性はあるが要は史実の戊辰戦争の
替わりが廃藩置県戦争になってただけじゃないかな?
内乱はもちろんあったでしょうが不平士族の反乱とは別物だと思う。

642 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/29(日) 14:37:50.68 ID:JcBLBNwx0]
>>638
慶喜には上洛を、会津桑名両藩には帰国命令が朝廷から出ていたから、
会津桑名が慶喜と一緒に参内する事はありえん。
そういう意味では、朝廷の役は貰えまい。というか最初から彼らは幕府の役だけで朝廷から何らかの役目貰ってたわけじゃないし。

>>641
廃藩置県戦争で済めばまだ御の字だな。
自由民権思想が諸外国から流入するのは時間の問題な訳で、こちらが先なら市民革命戦争になる。
そうなれば武士階級どころか天皇や公家までも庶民の手でギロチンだ。


643 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/29(日) 15:18:28.31 ID:4IjpVV060]
>ただ副総裁までは越尾土の連中も協力はしない(容堂は微妙だが)だろう。

土佐も越前も尾張も副総裁の線で工作しているんだがね。

>慶喜がどんなに抵抗しようが、越前尾張が朝廷についているから畿内の藩が幕府に付くことはないよ。

開戦時に土佐も越前も尾張も議定の辞表出している。

>史実の戊辰戦争の替わりが廃藩置県戦争になってただけじゃないかな?

それも含めて慶喜は朝廷の摂政や新政府の副総裁になるつもりだったんだろう。
天皇の権威と徳川の西洋化した軍事力で諸藩を圧倒して実行する心算ではなかったのか?

それには第三次長州征伐や薩摩征伐での幕軍勝利が必要だった。



644 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/29(日) 15:46:50.36 ID:Cng1tb9N0]
>>643
第三次長州征伐や薩摩征伐をするには、何を口実に
しますか?

645 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/29(日) 16:37:14.73 ID:EvjDgfvs0]
>>631
正確に言えば「大坂の因循して時機を逸するは、在坂の有司孰れも臆病者なるが故なり、関東より端を
開きて其眼を覚まさしむるに若かず」だから焼き討ち直前だよ。

646 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/29(日) 22:57:05.13 ID:JcBLBNwx0]
>>643
慶喜は新政権の樹立に向かっていたが、幕臣の多くは幕府の継続を望み朝廷を中心とする新政府発足に反対しとるよ。
慶喜の思惑がどうであれ、徳川が二派に割れるから戦争になっても第二次同様に全力は出せまい。

647 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/30(月) 11:08:15.50 ID:k3/HQaoxO]
>>627
10万石削減&藩主隠居
これが勅命

武力討伐の勅命は皆無

648 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/31(火) 07:26:15.01 ID:edZfXRIrO]
>>646
その場合、新政府+旧幕臣の一部対旧幕府+会津桑名その他、の戊辰戦争が始まるかもな
そうなると江戸が焼けるのは不可避か…
長州は復権さえ出来たら新政府側に付くだろうからしばらくは征伐の心配は無さそうだが、
薩摩はどうなるか

649 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/31(火) 16:18:14.25 ID:NEALSGZ30]
>焼き討ち直前だよ。

なおさら京には幕府の人間居ないって。

>幕臣の多くは幕府の継続を望み朝廷を中心とする新政府発足に反対しとるよ。

史実では慶喜が説得して何とか納得させています。小栗も含めてね。

650 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/31(火) 19:43:48.53 ID:EfD1cL9D0]
>>638
小栗は会庄と同じカテゴリーであって新政府入りは無理。
小栗が慶喜に罷免された時に大久保一翁は越前に幕府の旧弊を改める好機と書状を送っているくらいで
越前・大久保・勝らと小栗では別だ。
榎本や大鳥は幕府が解体された後に登用されたんだし話が違う。

651 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/01(水) 09:29:07.35 ID:DrVHxZR90]
徳川家の私財を投じて国家運営しているようなもので
全国徴税の仕組みをつくらないと勝ってもいずれ息詰まるだろ。

652 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/01(水) 10:35:28.99 ID:HfsHslIP0]
>>651
勝たなければ何も始まらないですね。

第2次長州征伐に成功していれば余裕をもって、
幕政改革ができましたが・・・・・・。

紀州よりも長州のほうが武器の性能や能力が
すぐれていますから、撃退されて当然です。

653 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/01(水) 11:53:35.99 ID:G5xw8Pop0]
Ifを言うなら、慶喜が第14代将軍になってれば大分歴史が変わったんじゃないかな。
安政の大獄も起きないし。

>>650
小栗と共に慶応の改革に従事し、また勝海舟を蛇蝎の如く嫌ってた
栗本鋤雲のとこにも新政府から出仕の誘いが来た(けど断った)らしいから、
本人にやる気があれば不可能でもなかったんじゃないかな?
小栗のことだから、出仕の誘いが来ても断るだろうけど。
どちらにせよ、小栗も函館まで行けば良かったんだが。



654 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/01(水) 12:26:23.83 ID:O5gfzL6mO]
>>652
第二次長州征伐の時なら紀州の武器の性能は長州と同じくらいかむしろ上
そして芸州口における兵の数は紀州の方が圧倒的に上

しかし一歩も長州の地に攻めこめなかった
武器の性能のではなく組織体制や士気の問題だろう

655 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/01(水) 12:34:21.17 ID:QaAM1X4U0]
散兵戦術と戦列歩兵じゃなあ。
戦術が50年か100年は違うんじゃね?

656 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/01(水) 15:56:15.32 ID:UBlypi6E0]
芸州口に限れば、紀州藩兵の士気は高かったんじゃなかったっけ
総督が徳川茂承だし、支藩主が自ら出兵してたりもするし
粘り強く戦ってたと長州側の記録にもあった……気がするw
数で勝ってるのに苦戦した理由は、戦術か戦略、あと地形辺りじゃないかな

657 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/01(水) 17:06:49.79 ID:PPrmiFUlO]
だ・か・ら

幕軍1万5千で大阪城拠点に陸路閉鎖

海軍で海上閉鎖
京都の薩長軍5千はどうやって補給路作るの?
武器が優れてても弾薬切れたら鉄屑だよ


658 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/01(水) 19:33:28.24 ID:HfsHslIP0]
>>654
紀州は独自にプロシアから軍事顧問を、
招聘していましたからね。

組織体制や士気の問題でしょうね。

659 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/01(水) 20:21:35.65 ID:X1kU/9TE0]
紀州藩がプロイセンから軍事顧問を招いたのは、明治維新後だったと思われ

>>657
鳥羽伏見前ならそんなことせずに傍観してりゃ政治的に勝てるし、
強硬派は衆を恃んで余裕ブチかましてるから封鎖とか消極的な作戦は眼中にない

鳥羽伏見後だとしたら、その1万5千で惨敗したのに更に封鎖の為に分散させるとか正気なの?って
言いたくなるだろうな、慶喜の立場ならw
しかも橋本の戦いで幕府軍が壊走した後は、新政府軍内で軍需品の鹵獲競争が起きてる
あと当然ながら援軍も来るわけで、慶応4年1月9日には長州軍が備後福山藩を降伏させている

660 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/01(水) 21:54:38.34 ID:OGKLdaud0]
慶喜は、江戸から薩摩藩邸焼討ちの報が入った後は、
強硬派幕臣を鳥羽伏見に進撃させるのではなく、
大阪市内の三つの薩摩藩邸を攻撃する事で誤魔化すしかないね。

あと大阪湾で薩摩や長州の軍艦や船を攻撃するとか。

史実でも伏見奉行所に詰めている新撰組や見廻組、新遊撃隊が
それなりに示威行為で暴れてはいるのだが、西郷と大久保がこの事を
批判しているものの議定会議で土佐、越前、尾張が工作して伏見奉行所
への出兵話は無くなっている。
薩長への鳥羽伏見への出動命令は、あくまでも幕府軍接近の報があってから。

関東各地で行った薩摩藩のテロ活動の方がはるかに大規模で酷かった。
一揆や騒乱状態まで発展し伊豆代官の江川家は、伊豆で徴兵した農民兵を治安出動させている。

661 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/01(水) 22:26:25.77 ID:HfsHslIP0]
テロリストは打ち殺せ。

寛大なる処置に感謝している庄内はおかしい。

>>659
そうでしたか?

662 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/02(木) 12:15:48.46 ID:W0R8qFx/0]
幕府は、元込式銃に転換し始めた直後に大政奉還やら王政復古やらだから
もう少し時間があれば、武器の近代化をもっと整備できただろう。
幕府軍が大阪の幕府軍5000人だけでも先に元込式銃兵化を完了してから
鳥羽伏見の戦いを始めるべきだった。

しかし、ま〜ジャーディン・マセソンが、アームストロング砲を幕府に売却しなかった
背景を知りたいね、誰かが幕府軍の強化を邪魔している訳だ。長州の木戸も慶応の改革
の進展を気にしている訳だし。

結局、薩長は、慶応の改革を進めさせたくなかったんだろう。
ある意味、慶応の改革は「富国強兵」の第一歩と言っても良い。

663 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/02(木) 13:22:12.76 ID:PJQTfopbO]
>>659
惨敗?
初戦で敗走はしたが、大阪城及び港を押さえてる以上戦局は幕軍有利は変わってないよ




664 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/02(木) 13:25:36.13 ID:PJQTfopbO]
>>662
武器マニアは痛々しい…

初戦敗走は錦の御旗による物

大将に戦意が有れば3日で京都の薩長は追い詰められてたよ

665 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 15:53:34.59 ID:oz1Cygyc0]
そういう心構えがないから負けたんだし政治を任せられなくなった

666 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 18:08:09.20 ID:OH8u1PZH0]
>>656
他の幕府歩兵とかと一緒になって10分の一以下の長州軍に攻め込まれて、
一歩も長州の土地を踏めずに負けた。
>>663
薩長に攻め込まれたらどうせ守れないよ。戊辰で一度でも薩長に勝った事あったっけ?

667 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 18:17:49.28 ID:abgta0mF0]
指揮官を家柄で選んでる限り勝てないだろうね

668 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/02(木) 20:49:11.99 ID:1/4dPMM80]
>>664
慶喜は、土佐、越前、尾張の三藩の朝廷工作にかけていて、それは上手く行きかけていたのだから、
戦意が無いのは当たり前。むしろ伏見奉行所での挑発行為と徳島沖での海戦、関東での薩摩藩邸
焼討ちや関東各地への治安出動、大阪市内の薩摩藩邸への攻撃ぐらいで止めておくべき。

会津藩などは、東帰させて江戸での警備や関東各地への治安出動をさせておいた方が良かった。

薩摩藩邸焼討ちで薩摩藩が三職会議で文句を言って来ても関東でのテロ活動の件を逆に批判出来る。
この時点での戦意は、はっきり言って無駄な効率の悪い戦意。もっと開戦は先延ばしにするべき。
アームストロング砲35門とストーンウォール号の入手、元込式銃兵化の進展、この三つが揃ってからの開戦でも遅くない。

>薩長に攻め込まれたらどうせ守れないよ。戊辰で一度でも薩長に勝った事あったっけ?

徳島沖海戦では、薩摩藩海軍は見事に負けていますけどねw
天下普請の大阪城は一寸やそっとでは落とせない。アームストロング砲が十数門配備されていれば
官軍は近づく事も出来ない。下手に大阪市内に突入したら幕府海軍の艦砲射撃の的になるだけ。

669 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 21:15:44.34 ID:OH8u1PZH0]
阿波沖の海戦は兵士の輸送が終わって薩摩に帰る途中の船を襲ったもの。
そして薩摩は輸送船が一隻座礁しただけで、無事任務を全うして帰っている。
幕府は船二隻すら沈められない体たらくなんだが。
長州征伐でも少数の長州海軍にボコボコにまけて、関門海峡も制海権は長州が握っていた。

670 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 22:17:28.95 ID:7LN0TxSp0]
北越戦争では薩長側が寡兵の旧幕側に局地戦では度々負けてるな

671 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 23:01:24.74 ID:OH8u1PZH0]
負けたのは薩長の兵じゃないけどなそれ。

672 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 23:28:22.69 ID:X0Ouact10]
>>668
アームストロング砲を過大評価しすぎだろ。幕末時はまだ不安定ですぐ壊れるので
そんな超兵器と言われるほどの威力は無いぞ。
当時の英軍ですら四苦八苦していたのに、幕府軍に満足に運用できるとは思えん。

673 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 23:34:56.70 ID:kKDp5FPXO]
>>668
何度も何度も同じこと書いてるようだけど、
つまりはあのタイミングで鳥羽伏見の戦いを起こしてしまった時点で幕府の負けは覆せないってことね



674 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 00:52:18.72 ID:Q7frZP2R0]
>何度も何度も同じこと書いてるようだけど

それが事実だから。

>鳥羽伏見の戦いを起こしてしまった時点で幕府の負けは覆せないってことね

慶喜は、それが判っているから二条城から撤退したし、
土佐、越前、尾張の三藩に朝廷工作を任せている。

それに幕府軍を鳥羽伏見に進撃さえさせなければ、朝廷は慶喜を朝敵にはしなかった。
江戸や大阪の薩摩藩邸や関東の一揆勢を鎮圧して、時間を稼いでいれば良かったのだ。

その間にアームストロング砲35門やウォールストーン号の入手、幕府陸軍の元込式銃兵化
を推進していればよかった。木戸が言う様に慶応の改革が進めば進むほど幕府軍は強くなる。

一度戦いを起こしたなら大阪城に篭城して抗戦を続けるべきだろう。
大阪の戦いが長期化すれば、薩長の力が弱まり、土佐、越前、尾張が仲介に乗り出すなり、
土佐が裏切るなりするだろう。

675 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/03(金) 01:38:37.10 ID:kOsU2UkM0]
それ無理。何故なら幕府には金がない。
下関の賠償金も払えなかったのが幕府。
だからフランスから追加借款を申し込んでいたけど、もう領土でも担保にしないと無理な状況になっている。

676 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/03(金) 07:18:49.83 ID:jalfgSLtO]
>>674
アームストロング砲だろうがストーンウォール号だろうが銃兵を鍛えようが、
指揮官が硬直した身分人事な時点でただの鉄屑だよ無理矢理


逆に、鳥羽伏見の指揮官を大鳥にするくらいの実力に促した人事が出来てたら、
(そして一番難しいことだが頑迷な会津兵らもその指揮官にちゃんと従ってたら)
幕府軍は勝ってたと思うよ
武器の性能と兵力なら勝ってたんだから

677 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/03(金) 08:06:43.07 ID:kOsU2UkM0]
んー違うなあ。指揮官も大事だが一番大切なのは戦術と士気だからね。
薩摩の立ち撃ち、長州の寝撃ち、土佐の膝撃ちというが。
この三藩はある程度散兵戦術を駆使して戦える。
薩摩や土佐の場合は敵が近づいたら即座に近接戦闘に切り替えて突撃する胆力を持つ。
長州はそこまでの胆力は持たないが、まず崩れる事がなく最後まで持ち場を死守する忍耐力を持つ。
幕府は散兵戦術が取れない。何故ならそうしたら軍が崩壊する。
かといって密集して攻撃しても的である。結果どうやっても勝てない。

678 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 10:45:38.11 ID:MhrNBbmxO]
>>666
痛々しい

679 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 10:50:18.91 ID:MhrNBbmxO]
>>668
いったい何の話を?
幕軍が戊辰戦争で勝つ可能性の話

つまり鳥羽伏見開戦以前の話は論外

一々さかのぼってたら『参勤交代を廃止しなければ良かった』って結論に成っちゃうがな

680 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 12:39:16.51 ID:I7lbfCNO0]
「鳥羽伏見の戦い」(幕府の命運を決した四日間)の著作者の野口武彦は、
慶喜のチキンぶりと大阪城放棄が最大の敗因では有るが、戦闘現場では、
連絡将校(采図役)の絶対数の不足と訓練不足が、敗因だ、としている。

また、一部元込式銃兵化を行っていた伝習隊は、総崩れの幕軍の中でも比較的
踏み止まって良く戦っており、薩長も伝習隊との対戦では苦戦している事を記している。

薩長の戦闘記録でも伝習隊は他の部隊とは異なって、
反撃が激しく、伝習隊の射撃で味方に被害が出ている事を記している。

681 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 12:48:14.72 ID:I7lbfCNO0]
>つまり鳥羽伏見開戦以前の話は論外

頭悪くない?
開戦し無い事が有利なら、それも検討すべき。

また正月の段階で開戦しないでも、どのみち年内中旬には開戦している可能性が大きい。

それに開戦して大阪城を薩長が中々落とせなかったら、
土佐、越前、尾張はどちらに転ぶか判らない。特に土佐は裏切る気満々。

682 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 16:11:35.08 ID:MhrNBbmxO]
>>681
開戦回避はスレ違い
スレタイ100回嫁

683 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 16:13:59.09 ID:2zNVRlA40]
通りすがりだけど、戦わずして勝つとか言うし
もしくはまた別のいくさの準備なのかもしれんし



684 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/03(金) 17:18:50.54 ID:jalfgSLtO]
>>681
>>683
戊辰戦争において旧幕府軍の勝利を考察するスレだから、
戦わないという選択肢はスレ違い
鳥羽伏見が起こらなかった場合の、
後々戊辰の年に起こりうる別の戦争に関してもスレ違い
鳥羽伏見後に大阪城に篭城したら、はここで語るべき内容

685 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/03(金) 19:27:25.40 ID:9wecEBnA0]
なあちょっとスレ違いかもしれんけど奥羽越列藩同盟の他にもう一つ
列藩同盟ってあったよね?
俺の記憶違いかな?ぐぐっても出てこない。

686 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 21:46:06.83 ID:Irbqc2WS0]
戊辰戦争は、年の事ではなく、幕朝戦争の意味を表している。
その勝利の為に開戦時期を見合わせるのは、ありうる事だ。

4月になればストーンウォール号も徳川家の手に入るしな。

西郷だって3〜4ヵ月後での
開戦だと思っていた位だから、正月開戦はむしろ偶発的要素が大きい。
ま〜正月に開戦しないでも戊辰の年内には、どのみち戦争の可能性が大きいが。

長州藩だって本国から山陰を通って援軍を京へ登らせようとしている。
長州藩の援軍が入京したら、どのみち戦争だよ。

もっとも幕府vs朝廷の構図ではなく、
朝廷内部の“副総裁vs議定”の戦いになるのかも知れないが。

慶喜も開戦するなら、準備万端で開戦すべきなんだ。
慶応の改革の途中で開戦する方がおかしい。

>鳥羽伏見後に大阪城に篭城したら、はここで語るべき内容

結局、薩長では落とせません。
ハイ終了。

687 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/03(金) 21:57:33.70 ID:9wecEBnA0]
>>686やたら慶喜副総裁就任を推すが議定にはなれても副総裁になるのは
無理だと思うぞ。総裁が皇族なのに副総裁を慶喜にしたら新体制も
事実上徳川中心でやっていきますよって言ってるのに等しい。
薩長はもとより公家連中だってそんな話簡単にOKするわけないと思う。

688 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 22:24:01.00 ID:cftt1l5v0]
ところで幕府軍の戦術の拙さ(散兵戦術vs戦列歩兵)を指摘する
声がいくつかあるんでふと思ったんだけど

・松平定信(林子平の「海国兵談」発禁処分)
・鳥居耀蔵(高島秋帆を謀略で排除)

↑これが幕府(や佐幕派の藩)の兵制改革の遅れの原因の一つになってる
気がするんだけどどうだろう?

689 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 22:31:48.25 ID:Irbqc2WS0]
>総裁が皇族なのに副総裁を慶喜にしたら新体制も
>事実上徳川中心でやっていきますよって言ってるのに等しい。

土佐、越前、尾張は、慶喜副総裁の線で工作し、かなりの賛同を得ている。

辞官納地が継続審議で事実上棚上げ状態で、しばらくは徳川家は400万石
を維持しそうだし、しかも旧幕の陸軍や軍艦、全国各地の城や奉行所、陣屋
などを考えると、行政執行は徳川宗家がやるしかない。

まあ〜議定になった岩倉や薩摩、それに慶喜の副総裁就任と同時に長州も
議定に任命されるだろうから、これら三者が、慶喜副総裁に反抗するんだろうな。

慶喜も議定会議で薩摩の関東でのテロ活動の件を持ち出して批判するだろうから、
そうなると結局年内に徳川宗家vs薩長で戦争になるかもな。

>薩長はもとより公家連中だってそんな話簡単にOKするわけないと思う。

皇族議定は了解済み、
皇族が了解しているのに、公卿が断るのは難しい。

鳥羽伏見の戦い直前には、
中山と中御門はもとより、岩倉でさえ動揺しまくっているが。

690 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/04(土) 01:31:30.62 ID:1Nqew55cO]
嘘も百編言えばなんとやらだな、諸侯が期待したのは薩長の牽制で合って慶喜の復権ではない。

691 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/04(土) 02:30:50.86 ID:CFpwL5PG0]
薩長の牽制=慶喜の復権=慶喜の副総裁任官

692 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/04(土) 02:35:01.13 ID:t98Zzaug0]
>>688
松平定信の時期に幕府の財政は急激に悪化しているので、
その意味で、幕末に幕府に余裕がない原因を作った無能政治家であることは確か。

また、政敵を抹殺するにあたり、政敵の行政的な業績を踏みにじるために
意図的に経済を困窮させ、政敵に罪をかぶせた傾向も否めない。

これは新井白石にも伊東正義にも見られる。
正義を名乗る人間はよほど気をつけないと、そいつが悪と名指しする人間よりも数段邪悪であることが多い。


鳥居耀蔵もろくな人間ではないが、奴というよりはその上の水野忠邦が評価できない。幕府を混乱させただけだった。



軍制に関しては、高島秋帆の時代はゲベール銃による集団突撃戦法で、当に鳥羽伏見の旧幕府軍の戦法そのものであった。

これが近代散兵術に取って代わるのが大砲の発達で、これによって、密集歩兵の中心を砲撃することが可能になったため、
歩兵の密集突撃戦術は急速に廃れていった。鳥羽伏見でも瀧川の馬が最初に吹っ飛んだね。

これと同時に銃の進化、ライフルと元込めによる長距離狙撃が可能になり、司令官の前線指揮は目立つことを避けるようになってゆく。
鳥羽伏見ではこの状況を考えずに旧幕府歩兵は突撃を繰り返し、司令官を多数失うことになる。

693 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/04(土) 02:38:22.08 ID:t98Zzaug0]
>>691
それはおかしい。
慶喜の完全な復権を諸侯は望んでいない。
諸侯が望んでいたのは、京都に幕府に代わる自らの意見の通る政権を立てること。

慶喜が領土も権威も完全に復権しては、諸侯の願いは果たせない。
将来の領地差出と官位制限は当然残る。



694 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/04(土) 06:45:29.82 ID:fC57686Y0]
>>663
大坂城は戦略的には重要だし、鳥羽伏見前は慶喜がまさにそれを最大限活用して
京都の政局に無言の圧力を掛けていたわけだが、戦局として考えるなら
旧幕府軍が鳥羽伏見から敗走してきた後である以上、とても有利とは言えないよ。

まず新政府軍は少なくとも橋本まで進出してるから、これと山陽道を上る最中にある
増援軍を遮断するには大坂城から淀川の北へ進出する必要がある。
だがそちらへ進出したらしたで、その両軍を止められるかっつーと、そこで止められるんなら
少なくとも橋本の戦いでは負けてないんじゃねーのって話だわな。
しかも敵軍の数が増える分不利になってるし。
更に籠城策を取るには、すでに裏切った藩が二つ出たという事実が重い。
また、港も保持するなら大坂城とは別に堺などの港へも軍を割かなければならないが、
まともに対抗できる幕府歩兵隊をそんなんに割り振っていいのか?

戦局を考えるなら、慶喜がこれは無理だと判断しても頷けるよ。

695 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/04(土) 07:00:00.64 ID:fC57686Y0]
>>677
いやいや、指揮は古今東西、戦術と兵器に勝るとも劣らず重要だよ。
鳥羽伏見での幕府陸軍は戦術・兵器ともに薩長と互角かそれ以上だったし、
軍の数では幕府歩兵隊だけでも薩長の軍より多く、また粘り強く戦った。
もちろんそれ以外には装備が旧式、近代戦を知らないで役に立たない連中も
居たが、そいつらを後方に回してもまだ数では勝ってる。
それでも勝てなかったのは、上層司令部に戦略性が欠如してたから。

緒戦の鳥羽伏見からの撤退は仕方ないとしても、伏見奉行所から脱出した軍が
その後の命令すら受けられず、一晩経ってから三々五々自主的に撤退した様に、
敗北後の兵力の収容と再編って基本的なことすら出来てないから、その後もグダグダと負け続けたんだよ。
だから総兵力では勝っているにも関わらず、戦略的な迂回攻撃どころか富ノ森で勝った後の追撃も行えずに
敗走後の敵軍に再編の余裕を与えてしまった。
軍の指揮官としては評価されてない観のある山縣有朋ですら、長岡城で河井の奇襲を受けて敗走した時は
後方陣地への集結と収容指示、軍の再編ぐらいは迅速に行ってるぞ。

司令級の人材についても門地石高に囚われず、大鳥のような下から伸びてきた人材を充てられていれば、
鳥羽伏見での旧幕府軍の勝利も十分あり得たと考えられる。

696 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/04(土) 08:11:35.49 ID:60R9618k0]
>>695
幕府陸軍は戦列歩兵の訓練を受けていたから、散兵戦術をとってくる相手には対処できてないよ。
幕府の中には伝習隊のように同等の武器を持っていた隊もいたけど、
戦術がさっぱりだったのは変わらない。
砲や射程と命中力の高いライフルが出てくると、戦列歩兵は的でしかない。
だから勝てない。

697 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/04(土) 11:09:38.01 ID:4yKeWqO8O]
>>694
ん?
私の意見は鳥羽伏見に於いて大阪城拠点に陸路と海路閉鎖

京都の薩長軍は補給路を絶たれ敗戦必至

尊王なんて宗教的思想が無ければ幕軍に負ける要素は皆無

故に武器がなんちゃらとか言ってる輩も論外だと思ってます


698 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/04(土) 11:19:42.51 ID:0yHOIxFzO]
>>697
陸路も海路も幕府軍にゃ閉鎖は到底無理
長州からは援軍
ハイ終了。

699 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/04(土) 11:25:22.22 ID:OC3j9ACn0]
クラウゼヴィッツは「戦争は違った形で行う外交であり政治だ」という。
思想無き政治はなく、故に思想無き戦争もありえん。
「尊王なんて宗教的思想が無ければ……」
故にこの論理は非常識に過ぎるだろう。
そもそも天皇の家臣たる征夷大将軍たる徳川幕府の正当性は尊王思想に根座しているのだから。


700 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/05(日) 03:36:57.87 ID:Ir6T2/DL0]

とりあえずアームストロング砲35門とストーンウォール号を手に入れてから開戦だ。

701 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/05(日) 04:04:56.67 ID:dVMdHo050]
>>696
素人なんだけどさ、自然発生的に散兵戦術を体得する可能性ってある?
本職じゃないから分からないけど

702 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/05(日) 09:07:24.24 ID:bmyY18Rf0]
>>696
鳥羽の緒戦では竹林とかに散開して交戦してるよ幕府歩兵
戦列歩兵なら散開なんてせずに、戦列を維持するか後方に引いて戦列を再構築するよね。
それに大鳥が指揮を執るようになってからは積極的に散兵戦術を活用してるが、
たった2,3ヶ月で習得したってことになるが
まー幕府歩兵隊の全軍が散兵戦術を使えたとは限らないし、そもそもフランスの歩兵操典が
戦列と散兵を併用するナポレオン時代引き摺ってた可能性はあると思うが

富ノ森などでの野戦築城などを見ると、南北戦争の教訓は既に取り入れられているようだが

703 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/05(日) 10:15:26.90 ID:lLZqxcON0]
>>702
結果脱走兵逃亡兵がでまくり



704 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/05(日) 13:15:03.65 ID:oAkTzHCl0]
その意味で、方言だらけで言葉も聞き取りにくい薩摩歩兵は逃亡が無かった。
逃亡したら即孤立だから。

705 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/05(日) 13:46:45.93 ID:ZIA3MOwG0]
散兵って下手すると逃亡する兵がでてくるんだっけ?

706 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/05(日) 16:15:30.21 ID:S8s/oPK+0]
散兵戦術とは、単にバラバラになっている状態じゃないぞ
散開し、かつ離れた位置から統一指揮され、部隊として射撃戦闘を行う。
指揮官と離れているだけに、一人で逃げ出そうと思えば簡単にできるし、
轟音響く戦場で、指揮官の合図や信号を見て指揮される訳だから、事前に訓練していなけりゃ無理。
自然に覚えることはありえんよ。


707 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/06(月) 16:57:18.40 ID:ohfRF4Wj0]
そらまぁ逃げるチャンスは無限にできるからなw
でも幕府歩兵隊ですら散兵戦術を使えないなら、>>697の言う陸路封鎖なんて
夢のまた夢じゃね?

>>703
負け戦だし当然逃亡兵が出たことは考えられるが、
しかしそんなに凄い数の逃亡兵が出たん?

708 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/07(火) 16:31:42.13 ID:LvuNnUYgO]
>>698
全く論理的でないですね

言った者勝ちですか?

709 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/07(火) 16:36:25.45 ID:LvuNnUYgO]
>>699
『尊王なんて宗教的思想がなければ』
ってのは、戦力的にも戦局的にもマトモにぶつかれば幕軍が負ける戦では無いって意味

つまり武器がなんちゃら…第二次長州征伐がなんちゃら…
全て論外って事


710 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/07(火) 16:56:28.55 ID:LvuNnUYgO]
因みに第二次長州征伐を持ち出して、『幕軍ヘタレやら』『洋式軍隊』云々を語る輩も無知
何れの局面も国力・軍事力で圧倒してたのは幕府である。
にもかかわらず結果だけを見て『第二次長州征伐の結果』に固執する輩は無知
第二次世界大戦の、開戦当初の快進撃や米軍の逃走劇を持ち上げて『米軍はヘタレ』とでも言うのかな?
明治維新と第二次世界大戦の違いは『相手に菊の紋章が通用するか否か?』であり、大局を見れば国力・軍事力で圧倒していた幕軍が勝って当たり前の筈ですよ

711 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/07(火) 17:02:22.60 ID:LvuNnUYgO]
>>707
幕軍1万5千
薩長5千
錦旗の登場により逃走者は出たが、大阪城拠点にした幕軍を京の薩長が退けて補給路確保など不可能
そもそも肝心要の港が幕府海軍に占拠されてる以上、京の薩長が陸戦を戦うメリットは皆無
薩長は港を奪還しない限り、何も出来ません



712 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/07(火) 19:03:59.81 ID:3WCcgwu50]
西国街道無視かよ

713 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/07(火) 19:08:58.67 ID:iQJQFntM0]
薩摩は兵が優秀で指揮官の伊地知正治が平凡
長州は兵が平凡で指揮官の大村益次郎が優秀

薩摩はともかく、大村不在の長州兵はそれほど脅威ではないはず



714 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/07(火) 20:24:57.52 ID:3WCcgwu50]
伊地知が平凡って
白河口の戦いを知らんのか

715 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/07(火) 22:44:23.27 ID:8UEQBVcH0]
>>713
兵が平凡ってw幕末で最も強力な兵士だぞ。
>>710
長州征伐鳥羽伏見戊辰と幕府軍にはいいところは一つもないぞ。






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