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戊辰戦争・旧幕府軍勝利の可能性について



1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2010/09/28(火) 23:59:20 ID:gC95IlEA0]
これは意外とありえると思う

455 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2011/12/29(木) 19:15:35.05 ID:+T/wIu820]
鳥羽伏見で戦わずに大阪篭城だったら>>451の展開はありえただろうな。
三条実美あたりが妥協点を探って開戦を回避しようとしたかも。

456 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2011/12/29(木) 22:01:38.15 ID:pQWucJDK0]
>>455
薩長より圧倒的な兵力を持っている状況で籠城?ありえねぇってw
そんな臆病な兵隊&指揮官なら最初から戦わずに降伏するってのw


457 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2011/12/30(金) 01:09:38.71 ID:3b0h0qyK0]
慶喜は、一月五日には、
大阪城の大広間に幕閣や諸隊長を集めて、篭城する旨の演説しているんだよ。

でも翌日6日には逃亡しちゃうので、大阪城の幕府軍の崩壊と逃亡が始まってしまう。

458 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2011/12/30(金) 08:30:52.86 ID:62Z3BcNV0]
>>454
サンクス
貧乏が憎いぜ

459 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2011/12/30(金) 15:34:23.83 ID:89BUFD1Y0]
>>457
何が篭城を困難にする情報が入ったのかねえ。
流言飛語も飛び交っているし。
当時の慶喜としては朝敵になって次々に機内の諸藩が裏切っていたから、
紀州などまで裏切るかもしれんと判断して早期に撤退を判断したかもしれん。
紀州まで裏切ったら完全に孤立するのでほぼ詰み。

佐幕派の中にはこういう当時の状況を正確に知れるわけがないのに。
後世の後知恵で逃げた事を批判する奴が多くてなあ。
紀州なんて鳥羽伏見の前からどっちつかずの微妙な態度とっていたわけで、
慶喜にそれを信じろというのは無理がある。
越前や尾張まで裏切っているしな。

460 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2011/12/30(金) 21:45:49.41 ID:rJyJC6qt0]
>>459
慶喜の回顧談や福井藩の松平春嶽、尾張藩の記録を総合すると、

@王政復古による大名議会制を意図する福井・土佐・芸州・尾張が、薩長ら倒幕派と組む。
 王政復古後、徳川家は一大名として政権に参加。その際は議長クラスか薩長(土芸福井尾張ら)と同列となる。
Aこの路線で、岩倉具視を説得し賛同を得た。結果として岩倉は薩長等倒幕派に京都警備以外の積極的な出撃を禁じ、警備しかさせなかった。
 この件で、大久保利通西郷隆盛が激怒して岩倉に文句を言ったが、岩倉は華麗にスルー。
B慶喜と朝廷との仲立ちに尾張藩主と土佐、福井藩が入り調整を行った。
C結果として、小御所会義の決定事項、徳川に対する辞官納地が有名無実化した。
D尾張藩福井藩から、慶喜を薩長と同格の参議として向かえるとの言質を取る。
E慶喜は、大坂城に居ながらにして徳川穏健論派の尾張や福井藩の活躍で、明治政府参議の資格で参加することが確定。
 ただし、岩倉が出した唯一の条件「普通の服装で(つまり武装せずに)参内し、これまでの失政を謝すること」があった。
 これが行われれば、徳川家の明治政府の参加が決定的となる。
F慶喜は尾張福井土佐藩等からその事を聞き、朝廷よりも参内の命令が届いた。
G慶喜は参内する意思を見せたものの、家臣達主戦派が武力進撃論で固まっており、迂闊に動けないと朝廷に返答。
H参内上洛の命令が朝廷から出たことを知った主戦派会津桑名藩は、上洛に護衛の兵が附屬する事は当然として出兵を開始。
I慶喜、サジを投げる。
J大久保西ク、旧幕軍暴発を聞いて岩倉に錦の御旗を出せと要求。
K岩倉、薩長に錦旗を渡さず保留し、警備以外するなと厳命した後、尾張土佐福井藩に調停を依頼。
L福井藩松平春嶽、尾張福井藩兵で旧幕軍と薩長軍の間に入り、戦争を阻止しようとするも間に合わず。
M鳥羽伏見の戦い発生。旧幕軍まさかのボロ負け。土佐福井尾張藩の努力は水の泡となり、錦旗薩長に渡される。
N徳川家朝敵になる。
O慶喜、このまま戦えば勝ち、天皇を脅迫して幕府存続できると想像するも、その勝ち方は足利尊氏と同じであり、歴史上比類無き大悪人のレッテルが永遠に貼られる事を恐れる。
 (水戸学では、足利尊氏は毛虫扱いで、現代で喩えればオウム真理教の麻原教祖と同じ評価)
P慶喜、戦を止めたくも止められず。逆に戦う演説をした後、会津桑名藩主を連れて大坂城を脱出。
 慶喜の回顧談には、なぜ会津桑名両藩主を連れていったのか聞かれた慶喜は、「あれがいたら(戦争が)始まる」と答えた。
 つまり、大坂脱出は幕府首脳陣を部隊を引き離す事で戦争継続不能=停戦にさせる策だった。


461 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2011/12/31(土) 04:21:39.88 ID:bWwDfwkU0]
>>459
>紀州などまで裏切るかもしれんと判断して早期に撤退を判断したかもしれん。
>紀州なんて鳥羽伏見の前からどっちつかずの微妙な態度とっていたわけで

これ大間違い。
紀州藩は、どっちつかずではない。断固佐幕派だ。
龍馬が暗殺される少し前に、大垣藩と紀州藩は、在京老中に佐幕派クーデターを建白している。
この計画は、会津・桑名両藩や津、宮津などの畿内近辺の佐幕藩の支援も受けた計画。
朝廷の次期摂政や朝廷諸侯会議議長の就任のウワサが出ていた慶喜は、この計画を強引に辞めさせた。

東北での戦争が終わった後に紀州藩は、領内で徴兵を実施しドイツ式兵法で洋式軍隊を整備していた事から
土佐藩と組んで薩長と対峙する姿勢を見せている。その為に明治新政府は、故郷に帰り始め解散しつつある
官軍の中から御親兵を選抜し東京に設置、廃藩置県を断行して紀州藩と土佐藩を兵力を取り上げる政策を実施する。

紀州藩は16代将軍候補の田安亀之助を抱えていたので、慶喜の大政奉還ですた内心反対している。
さっさと亀之助に将軍職を繋げたい意向だ。

462 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2011/12/31(土) 04:28:51.24 ID:oUWfWjYO0]

欧米列強に見放された幕軍に勝利の見込みはないな
中途半端に混乱していれば30年後にロシアのバルチック艦隊が
押し寄せて完全に列強の分断植民地だよ
日本の薩長明治政府は英米の下請け間接支配を選んだんだ
それにより分断植民地を免れ近代化を進める許可を得たんだよ
まあ、列強のロシア対抗の英米下請け防波堤の役割

463 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2011/12/31(土) 17:43:25.96 ID:BoL68/sA0]
英米下請け防波堤

下請けが、いかに儲からないか、動きに自由が無いか、を知らないアホの発言だなw

下請けになっても何時切られるか判らないぞ、だったら自分で販路確保しろってこと。



464 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/01(日) 19:19:34.64 ID:nLBaLOnK0]
>英米の下請け

そうか?むしろ日本が英米を利用しまくり、いらなくなったらポイ捨てしただろうにw

日露戦争時、ロシアに対し日本単独では勝てないから英国と同盟。英国は日本を利用してロシアの南下を止めた。
しかも、その仲裁役は米国で、戦いが長期化すれば日本が負けてたのに米国は仲裁してしまい日本の勝ちにw。
英国の望む通り日本が勝ったわけだが、その後はロシアと対等に戦える事実をもって英国を利用して不平等条約を撤廃。
しかも大陸にも進出して利権を確保し、英国を利用しまくりながら覇権を拡大。
英国がヤバいと思い、米国もヤバイと思えばこその軍縮条約で軍艦の制限を掛けられ、
英米が日本にひれ伏せと言わんばかりの外交を始めれば、日本は英米をポイ捨てして国連脱退。三国同盟締結でしょw。


465 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/03(火) 06:52:28.24 ID:iDzjunB/0]
バカじゃねw

販路押えている方が、強い立場なのは分かりきった話だろ。

下請けは、販路持って無いからダメなんだよ。

とりあえず、自社のホームページから自社製品を販売出来る様にしとけよ。

自分が生産したものを直接エンドユーザーに販売出来れば、
元請はもとより、お店(小売店)すら要らないんだよ。

ユニクロは、中国やバングラディシュの生産工場と契約して
自社品を作ってもらい、それを売っている体制。だから儲かる。

しかもユニクロは、ネット販売にも力を入れ始めた。
今まで店10、ネット販売1の割合だったが、今では店5、ネット販売1の割合。


466 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/06(金) 13:41:54.09 ID:7nVK4eI30]
>>448
開戦当初の土佐藩の動きは知ってるんだが、早々に参戦しようとして呼び戻された部隊もいたやん?
そんな場に、勝手に薩土密約結んじゃうような板垣が来た後では、容堂公が裏切りに動いても
下がどう動くか不安要素があるってこと。
ちなみに史実では、土佐に戻されてた板垣が鳥羽伏見の報を受けたのが1月8日、土佐進発が1月13日だから
そういうジレンマには陥ってないけどね。

あと一応、尾張や越前は鳥羽伏見の頃宮門警備を担当してる。
能動的に裏切りを働けるほどの兵力は無かっただろうけど。

467 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/07(土) 22:03:05.21 ID:RRE94CuV0]
>>466
淀藩と津藩が裏切り、完全に旧幕軍が大阪に引き上げた6日の夜には
大阪の会津藩の陣営に土佐藩からの密使が来て、色々相談している。

その直後に土佐藩本陣に岩倉が来て、押さえ込みに着ているが。

土佐藩の上士の9割が佐幕派である状況から見て、慶喜が大阪城で抗戦
を続ける限り、豊信と後藤が旧幕府側に寝返るチャンスはあるよ。

6日の夜に大阪の会津藩の陣営に来た土佐藩からの密使も慶喜が江戸に帰る
事が無い様に念を押しに来ているし、むしろ再度京に進撃する事求めているくらい。



仮に官軍が、大阪城を包囲しても、
薩長はともかくその他の藩は、旧幕府軍と対峙し続けるか不明だ。

468 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/08(日) 03:30:00.65 ID:uhmOCSZZ0]
長州藩は、ともかく
薩摩藩は、討幕戦争が長引いたら、国元が持たない。

薩摩は、もともと大政奉還以前から京に千数百名の藩士や軍勢を置いていた。
京の郊外に広大な演習場も整備し軍備を整え訓練を重ねていた。

しかし、この規模の軍の在京でも藩の財政が苦しいと言う事で、国元では批判が高かった。
しかも大政奉還で更に追加援軍3000名を上洛させる事を大久保と西郷が求めると
家老の関山礼が公然と批判の声をあげ、鹿児島藩では大騒ぎになってしまった。

結局、藩主の君命で何とか3000名を集めて、大政奉還後の新政府の幼帝の警護と
言う事で上洛を決定した。決して討幕戦争の事は、国元では一切明らかにせず、あく
までも天皇の警備と言う事しか明らかにしなかった。

その後更に鹿児島藩は、さらなる援軍を結成中だったが、当然討幕戦争の事は
一切明らかにせず、天皇警備の名の下での再援軍召集だった。このために大阪で
戊辰戦争が膠着した場合には、鹿児島藩の再援軍の畿内出兵はかなり厳しい事になる。

鹿児島藩の場合には、幕府海軍がおり海路での部隊運送も難しく、薩摩藩の場合、
3000名以上の兵力を畿内に集めるのは困難だと思われる。

その点、長州藩は、陸続きであり、2万人近い援軍が中国地方を通じて、
京に向けて進軍を続けていた。もし仮に大阪城での戦いが始まったら、
長州藩の追加派兵2万人も大阪城の戦いに参加していただろう。

469 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/08(日) 12:31:11.01 ID:kWXJLWA00]
>長州藩の追加派兵2万人も大阪城の戦いに参加していただろう。

でもこいつ等は、スナイドル銃なんか持っていないから。

長州藩も先込式のエミニー銃が、
標準装備の部隊で、事実上幕府軍(特に伝習隊)よりも装備の面では貧弱。

あと長州や薩摩の本国が、幕府艦隊の艦砲射撃の的にもなる。

470 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/08(日) 12:38:43.47 ID:PTuO8Xs3O]
>>469
薩摩には春日がありますから、どうでしょうか。

長州ですが榎本がいれば、第二次長州征伐でも、活躍していたでしょう。

土佐や佐賀はどうしますかね。

471 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/08(日) 17:54:42.43 ID:jg7fF74i0]
慶喜も興奮して正月から戦争する事無いんだよ。

甲鉄艦とアームストロング砲35門が、手に入ってから開戦すればよかった。

アームストロング砲が十数門大阪城に配備されていれば、官軍は大阪城に近寄れない。
薩摩の春日も甲鉄艦に体当たりされて沈没する。

472 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/08(日) 19:11:50.18 ID:PTuO8Xs3O]
>>471
そこは冷静になるべきでしたね

473 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/09(月) 00:27:41.29 ID:fUJQWsyK0]
誰もがそう思ってるよ。諸藩抑えられなかったんだろ。



474 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/09(月) 01:24:51.10 ID:FC8PpZdQ0]
えー、開陽とシャスポー装備の幕府陸軍、薩長の三倍もの兵力をもっていながら、
甲鉄とアームストロング砲数十門持った上に籠城するのか?w

幕府軍ヨワwwwそこまで弱けりゃ戦う前から降伏すんじゃねーのw。
天下の笑いものになるだろうよ大坂籠城戦w


475 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/09(月) 03:07:45.89 ID:EwT4yEuw0]
慶喜が新政府に迎えられる段取りになってたから焦った薩摩が
戦争吹っかけたんでしょ

476 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/09(月) 14:35:16.22 ID:rTMdTSvg0]
>>474
淀藩と津藩が裏切って、朝廷側についたから、兵力差は3倍も無い。

それに丹波でも、佐幕派諸藩の中心だった亀山藩が朝廷側についている。

大政奉還以後に畿内では12〜3藩ぐらいが、
もう朝廷サイドに擦り寄っている事を考えると、大阪城篭城も悪くない選択。

仮に幕府側に甲鉄艦とアームストロング砲があれば、
官軍は、どんなに頑張っても大阪城は落とせないけどねw

大阪篭城戦が、長引けば、
土佐、越前、尾張、あたりがぶれ始めて幕府サイドと交渉し始める。

下手をすると土佐藩は、
公然と寝返り、大阪城を包囲している官軍を側面から攻撃しかねないよ。

477 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/09(月) 17:08:52.77 ID:osLWYMaH0]
>>475
旧幕の瀧川が薩摩に「無理矢理通る」と喧嘩を吹っかけたはずですが?
武器持ってけんか腰でやって来たのだから、旧幕軍の方が戦争吹っかけてますよ。明らかにw。
旧幕軍の軍令書にも戦争するつもりで作戦が綴られている訳だし。

478 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/09(月) 19:28:17.58 ID:IJGIc0qt0]
喧嘩を吹っかけたのは幕府軍、戦争を仕掛けたのが薩摩軍だろ。
細かいこと気にしなければ薩摩が吹っかけた戦争という判断で間違いない。

479 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/09(月) 20:01:58.62 ID:osLWYMaH0]
>>478
馬鹿言えw。薩長軍は岩倉具視から京都警備を厳命され、開戦すべしと大久保西クコンビが怒鳴り込んでも許さず錦旗も渡さなかったよ。
同様に、岩倉は朝廷の命令として徳川家に普段着での上洛参内を命じた。
これに対し徳川家は普段着ではなく武装して大軍を上洛させた。
薩摩軍がストップをかけたのは正統な行為でしょw。
ついでに言うが、薩邸浪士が江戸で暴れた事をして戦争を仕掛けたというなら、
西ク隆盛は薩邸浪士に「江戸撹乱中止命令」を王政復古の翌日に京都藩邸留守居役の吉井を通じて出してますよ。
だから薩摩藩は討幕の密勅時は戦争するつもりだったが、大政奉還王政復古時は戦争する気がないですなw。
大政奉還ですら、慶喜に実行すべしと説得したのは土佐の後藤坂本コンビではなく、薩摩の小松帯刀。
『大西郷全集』読めばわかるが、薩邸焼き討ち時の第一報が入った時の西クは大慌てし、徳川に先手を打たれたと悔しがってますw。
こうした経緯から、結果的に戦争を仕掛けたのは相楽総三ら一部の浪人達の暴走を真に受けた徳川側です。
さらに言えば薩邸焼き討ち時点時の朝廷、特に岩倉具視は薩摩と徳川の私闘と断じ、朝廷としては不問にしています。
しっかり史料に目を通してから大言壮語せいw。

480 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/09(月) 20:36:55.81 ID:IJGIc0qt0]
>>479
分かってないな。
両者の戦争準備の差が大きすぎるだろ。
岩倉やら三条やらの公家側に対して薩摩が主戦論だったのは認めるんだよな。
封鎖場所に散兵して戦争準備を固めた状態で幕府軍が来るのを待ち構えてたわけだ。
一方で幕府軍は行軍態勢のまま交渉してるわけで、戦端を開く意思がどちらに強かったのかは明瞭でしょ。

481 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/09(月) 22:47:14.45 ID:fUJQWsyK0]
初弾は薩軍だしな。

482 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/10(火) 14:33:32.44 ID:G7yI7QKp0]
開戦したがってたのは薩摩だし、戦端開いたのも薩摩ってのは認めちゃっていんじゃね?
しかしまぁ優勢だった公武政体派がこの進軍のことを政治的に庇えなかったのは、慶喜の上洛命令が出てなかった or
上洛条件として「軽装で」ってのがあったのに一万五千の御先供を京へ進軍させちゃったという事が原因な訳で、
あれだけ親徳川だった春嶽公らも、「徳川と薩摩の私戦だよ」とは言えても「徳川は戦しないよ!」とまでは言えず、
徳川の辞官納地問題の時は味方してくれた諸侯も離れていってしまった訳で。
いつ干渉されず京に入れると錯覚した?というか、正直なとこ滝川&竹中あっめぇー!と思う。
まー勝てば問題なかったんだけどさ。

>>469
その質的にも数的にも優勢な幕府歩兵隊の殆どが出撃したのが鳥羽伏見の戦いで。
それが劣勢な新政府軍相手に連戦連敗したってのも、慶喜が大坂城退去した理由にあると思っている。
あと大坂城篭城してから通商破壊開始しても、敵の後方が動揺するまで持つかどうかが問題かな。
要所には砲台があるし。

483 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/10(火) 23:18:49.97 ID:bjPmjwod0]
>>469
長州征伐では少数の長州艦隊に追い回される幕府海軍の姿が往々にして見られたという。
ていうか幕府海軍がまともなら、門司に渡航攻撃されてないわw

また篭城しても援軍の宛がないわけで、餓死するだけだろ。
引きこもっている間に尾張や越前が新政府ついているわけで、
この時点でもう幕府軍は孤立している。



484 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/10(火) 23:29:43.11 ID:Jq5pGHY00]
>>483
高杉晋作が幕府側の準備完了直前に奇襲して物資を焼き払うために付近の漁師に進捗を偵察させたり
民間船に偽装して奇襲をしかけたる便衣兵的な戦術を多用しているので
対応が後手に回るのはやむをえないかと。

485 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/11(水) 00:50:28.57 ID:bxmbMWj60]
対応できなかったのは別に民間人の犠牲を恐れてたからじゃないだろ
幕府軍の無能は長州のせいではない

486 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/11(水) 08:07:33.13 ID:NirJR2Qb0]
大島口で住民のゲリラ行為に対応をした幕府歩兵隊や松山藩は
「住民虐殺を行った」と周辺諸藩に批判されてしまった。
そのあたりを考慮すると隠れ戦闘員への対処が奥手になってしまうのでは?

487 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/11(水) 14:21:37.59 ID:bxmbMWj60]
大島で住民が幕府軍に反抗したのは、幕府軍が先に艦砲ぶちこんだり、村焼いたり、略奪暴行したからだろうが。
これをもって「ゲリラ行為に対応」とはよく言ったもんだなw

488 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/11(水) 15:22:00.54 ID:fhBERmZa0]
>>486
>ゲリラ行為に対応

これは間違い。佐幕諸藩の記録を見ても、無抵抗の住民に幕府艦隊からの上陸兵が一方的に略奪暴行を行っている。
どうも、自分の兵に対して不当な高評価を下す傾向が、この佐幕派擁護の人には見える。

489 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/11(水) 15:37:40.84 ID:OsR9OErx0]
殺害とかの件については、幕府歩兵隊は冤罪じゃなかったっけ?
遺棄された家屋や家具を勝手に使ったり、家畜や備蓄食料なんかを勝手に食ったりする程度の狼藉は
あの時代はどこの戦場でもあったことだし。
住民に暴行したり殺したりをやらかしたのは松山藩兵だったかと。
殺した人数もそう多くないと思うが、そりゃまぁそんなことしたら住民も命懸けになるよね。

>>484
便衣兵は主に逃げる連中だろw
あと船を民間船に見せたり他国船装ったりするのも割とよくあった。
宮古湾海戦で回天丸が接近に使った偽装も、19世紀欧州ではしばしばあった戦術。

>>483
榎本指揮の幕府海軍なら頑張れると思われ。蝦夷周りの海戦でも、劣勢でも逃げてないし。

490 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/11(水) 22:31:38.95 ID:kso7KosM0]
>>482
野戦と大阪城のような天下普請の大城での篭城戦とでは、
まるで違のだけれでも、慶喜はチキンでその点の見分けが出来なかった可能性は確かにある。

ましてや大阪城にアームストロング砲が、配備されていれば、官軍の方が打ち崩されたであろう。

返す返す、幕府側は、甲鉄艦とアームストロング砲35門を入手してから、開戦すべきだった。

>>483
>また篭城しても援軍の宛がないわけで、餓死するだけだろ。
>引きこもっている間に尾張や越前が新政府ついているわけで

援軍のアテ有るだろ、関東から。
食料だって、武器・弾薬も含めて、
大阪天王寺に置いてあるから、それを突貫で大阪城内に移せばよいだけ。

尾張、越前は、大阪城の戦いが長期化したら、一番先に動揺するところ。
官軍サイドの一番弱い輪でもある。

491 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/12(木) 04:03:41.28 ID:64YQR5mc0]
>>489
広島でもやらかしているから冤罪とはいえんな。
大島みたいに住民を真っ先に襲ってはいないが。
略奪、住居の占拠、撤退するときには敵に利用されないように焼くのは当たり前。
まあ長州のほうも最初はガンガン火をつけて焦土にして、敵の拠点にされないようにしているけどな。
最も長州はその後浅野からナニカ言われたのか、占領地の村長あたりからナニカ言われたのか、
途中からはそういう行為はやめて、住民に炊き出しとかまでしているが。

492 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/12(木) 18:14:57.93 ID:+z4IeHsC0]
>>490
野戦と篭城戦は確かにまるで違うが、実は野戦より篭城戦のが遥かに難しいんだわ。これが。
もちろん局所戦などにおいては篭城側が防御設備のある分かなり有利になるんだが、
篭城は能動的な行動をかなり採り辛いため、士気の維持が最も重要で最も至難な要件になる。
士気が落ちれば内応して助かろうという輩が出てくるし、古来内応を許して落ちなかった城は殆ど無いから。
しかもこの場合、橋本の敗戦で壊走した直後で一部強硬派以外の士気が落ちてることと、淀藩や津藩の離反を
目の当たりにしてしまったという悪条件も重なっている。
また、包囲側は古来と同様、情報を遮断して城内の不安を煽ってくる。
こういう場合の旧幕府軍の弱点だが、全軍が幕府歩兵隊の様な慶喜直轄の軍ではない為、最悪の場合は歩兵隊や
会津以外の部隊が丸ごと内応することすら考えられる。
そして篭城戦が長引けば長引くほど士気は鬱屈し、逆に疑心暗鬼は蔓延する。
武器も兵糧も十分だった小田原城が落ちたのは、篭城特有のこの病症が限度を越えて進行したため。

そもそも篭城はそれそのものによって敵を撃退するのが目的ではなく、後巻などの援軍を得て敵を撃退するもので、
特にこの場合の様に篭城軍が多い場合、後巻と協同して包囲軍を挟撃するという必殺の作戦も夢ではないんだが、
1万5千の軍で勝てなかった軍を相手に勝利できる部隊がどこにあるかという重大な問題がある。
特に重要なのは、軍配表の通りこの1万5千には慶喜が鍛え上げた幕府陸軍の中でも最良の部隊の殆どが参加してること。
関東以東の諸侯軍は会津など以外無傷だが、これらの部隊に匹敵する装備や練度を持った軍などどこにもない。
しかも時間が経つほど薩長の軍は東上して来るし、仙台藩など東の大藩がこの時点では態度を決定していないというのも不安要素だった。
そして関東からの援軍が来なかったら或いは壊滅したら、本当に大坂城は落ちるのを待つだけになる。
強硬派が橋本からの敗走直後にも関わらず城外決戦を主張したのは、これらの事も考えていたからだと思われる。

そして城門の様な狭い所から打って出るぐらいなら、強硬派が主張した通り野戦で決戦を挑んだほうがいいんだが、
それにしたって何か名案がある訳でもなく。それで勝てるなら鳥羽伏見か橋本で勝ってただろうと。

正直、慶喜が大坂城を脱出して江戸に帰ったのも仕方ないと思うわ。

ちなみに、アームストロング砲と一口で言うが、アレにも色んな口径があってな。
小口径の野戦砲が活躍した記録はあるんだが、艦砲や要塞砲に使用される大口径砲の方は
薩英戦争での尾栓の不備で早々に破裂して以来、どっかで活躍したって記録もない。
野戦砲の方を大坂城に据え付けても、強襲を受けるまでは敵の砲兵戦力を打ち崩すぐらいしかやることないぞ。
強襲せず包囲だけなら土壁などの野戦築城でも被害はかなり軽減できる上に、篭城側の弾薬は有限という重要な問題がある。
もちろん、包囲軍が城を強襲するとなったら、十分な脅威となるだろうが。
砲だけで打ち崩すとか、野原に棒立ちの戦列歩兵相手でもないと難しいぞ。

493 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/12(木) 19:18:36.44 ID:64YQR5mc0]
>>490
主力が大阪に閉じ込められている状況なら、
動揺するのは尾張や越前ではなくて、東海道や北陸の諸藩。
そして関東からどうやって送るんだよw
長州海軍にすら追いまわされる幕府海軍では、補給すらままならんぞ。




494 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/13(金) 00:04:59.14 ID:C3qEUnkA0]
>全軍が幕府歩兵隊の様な慶喜直轄の軍ではない為、最悪の場合は歩兵隊や
>会津以外の部隊が丸ごと内応することすら考えられる。

流石にそれは無いと思う、徳川の旗本・御家人は彰義隊みたいに頑張るだろ。

>淀藩や津藩の離反を目の当たりにしてしまったという悪条件も重なっている。

それは、認める。
慶喜自身いじけているし、丹波の佐幕派の中心だった亀山藩も6日には官軍側に降伏している。
京周辺の軍事的拠点は、全て官軍サイドに落ちてしまった。

なので、大阪城から出ない方が良いのは、当然の判断。
大政奉還直後から大和郡山藩が、勤王藩なのも畿内の大藩なのでヤバイ、
だから大阪郊外の奈良街道に佐幕派の姫路藩兵数百人を配備して大和郡山藩を牽制している。

>仙台藩など東の大藩がこの時点では態度を決定していないというのも不安要素だった。

この時期、朝廷がしきりに「会津を攻撃しろ!」見たいな工作をやっていたはず。

確かにやばいから、幕府は、江戸詰の老中や大老を
仙台に急遽船で派遣してでも藩主伊達慶邦と直談判して徳川サイドに付けるしかない。

この時期の仙台藩は、軍事的にも大した事無くても、
100万石の実石があり、兵力も2万近いため、是非とも徳川サイドにつけないとダメだろな。

>強襲を受けるまでは敵の砲兵戦力を打ち崩すぐらいしかやることないぞ。

大阪城備え付けの大口径のアームストロング砲の第一の目的は、それだろ。
敵(官軍・薩長)への攻撃準備阻止砲撃。

495 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/14(土) 19:22:12.91 ID:cx6dXPIg0]
正直な話いくら慶応の改革が成功してると言っても焼け石に水でしょうよ。
長州征伐だって第一次は成功したと言っても錦の御旗と薩摩の協力があっても
改易も転封も減封も出来ません。って状態。
長州一国ですらどうにもならないのに軍事的にどうにかなるわけない。
だから政治闘争に持ち込もうとしたけどそれも小御所会議で失敗したわけだし。
頼みの綱の非薩長の雄藩だって肥前は興味なさげだし、土佐は親幕府は藩主だけで
まともなのは福井藩しか残ってないからなあ。
そもそも上にもあったが喧嘩売ったのは幕府だけど戦争吹っかけたのは
薩摩なわけで負ける可能性があったら辞官納地が決定してる有利な状況で最初から仕掛けないっての。

496 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/14(土) 21:38:54.06 ID:P+8M3qPV0]
>だから政治闘争に持ち込もうとしたけどそれも小御所会議で失敗したわけだし。

慶喜排除に失敗したのは、薩長な。
土佐、越前、尾張の斡旋で慶喜は、
議定どころか、その一つ上の位である副総裁「副関白(内大臣)」就任案も絶賛浮上中。

>土佐は親幕府は藩主だけで

執政の後藤も上士の9割も佐幕派ですよw

>喧嘩売ったのは幕府だけど戦争吹っかけたのは薩摩なわけで
>負ける可能性があったら辞官納地が決定してる有利な状況で最初から仕掛けないっての。

戦争吹っ掛けたのは、薩摩藩の在京藩士だけ、
国元は対幕府戦争には大反対、だから薩摩藩の増援はあんまり期待出来ないと思ったほうが良い。

それに薩摩藩は、別に最初から勝てるつもりでもないぞ。
西郷の戦争計画では、丹波街道を明治天皇担いで逃げ出す計画で、
事実5日には山陰道鎮撫隊を進撃させて丹波を通じた広島までの退路を確保しようとしている。

明治天皇を、広島城に移してそこから幕府軍と抗戦する予定だった。
その為に長州藩の応援部隊が、山陰から東進していた。

薩摩のテロ活動は、旧幕府が戦争始める前に、幕府陸軍を関東一円に治安出動させて
鎮圧しても良かったかも、幕府陸軍のちょうど良い演習に成るだろう。

西郷も戦争は4月ぐらいの積もりだし、慶喜も数ヶ月〜半年待って
甲鉄艦とアームストロング砲35門を手に入れてから開戦すればよかった。

幕府の関口製作所では、慶応の改革により
先込式エミニー銃を元込式に改造する技術もこの頃に取得していたから、
幕府陸軍が所持する銃をもっと元込式に改造する処置もこの間に行うべきだろう。

497 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/14(土) 22:52:42.07 ID:eqhJI79E0]
土佐の立ち回りがいまいち解せない
いつの間にか幕府を裏切っているんだよな

498 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/15(日) 00:24:22.74 ID:D/aQmKS50]
>議定どころか、その一つ上の位である副総裁「副関白(内大臣)」就任案も絶賛浮上中。

無理 何故なら薩長が認めないから。

>それに薩摩藩は、別に最初から勝てるつもりでもないぞ。

そう、天皇拉致って独立するのが狙いだったのに、幕府軍があまりに脆すぎて圧勝してしまっただけ。
長州の主力はまだ状況してすらいない。長州の主力が到着したら幕府軍は終り。
勝てるわけがない。

499 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/15(日) 11:35:19.84 ID:5vopdBDn0]
>無理 何故なら薩長が認めないから。

そんな事無い。慶喜の山城一国(25万石)を朝廷直轄領として献上する案があり、
それ欲しさに皇族議定や公卿議定が、慶喜サイドに移行している。その為に岩倉
や三条が動揺し、薩長と組んでいるはずの広島藩も動揺し始めている。

岩倉なんかは、慶喜の新政権参加を認め、何だかんだで議定会議をサボり始めているぐらいヤバイ事態。
新政府に参加していないものの熊本藩・阿波藩・鍋島藩の薩長の独善的行動への抗議もあり、小御所会議では、薩長の方が孤立し始めている。

>長州の主力が到着したら幕府軍は終り。勝てるわけがない。

長州藩の主力が到着したら討幕派は当然有利だが、実は補給が続かない。
特に瀬戸内海や大阪湾は、幕府海軍に押えられている。
無理に長州藩の汽船や軍艦が通過しようとしたら、撃沈されてしまう。

もし甲鉄艦が、幕府の手の元にあったら、討幕派の艦隊・輸送船団は全滅する事になる。
慶喜は、甲鉄艦とアームストロング砲35門を手に入れてから開戦すべきだったね。

500 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/15(日) 16:58:05.18 ID:om/7zaxi0]
>>499
>もし甲鉄艦が、幕府の手の元にあったら、討幕派の艦隊・輸送船団は全滅する事になる。

これは妄想。実際は旧幕府海軍には操船技術がない。
鳥羽伏見の時点では数字における戦力差は圧倒的だったのに、相手に命中させることも出来ずに逃がしている。

501 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/15(日) 18:15:53.80 ID:sM28UbUj0]
海が荒れたり暗くなったりするだけで戦闘不能になる19世紀の海軍に過剰な期待は禁物かと。
あの規模の艦隊が瀬戸内海掌握するとか、レーダーとガスタービン機関でも備えてなきゃ不可能だろ。

502 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/15(日) 22:49:03.26 ID:02Tglof40]
しかし正月の徳島沖の海戦で薩摩藩の汽船や軍艦は、逃げ出している。

その後、大阪湾に再突入して薩摩藩の海軍は、勝てるんですか?
疑問ですね。

特に甲鉄艦が、あったら薩長双方の海軍は、幕府海軍に手も足も出ないでしょう。

503 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/16(月) 00:32:02.16 ID:geAqyuSv0]
むしろあれは取り逃がしている幕府の失態だと思うが。



504 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/16(月) 01:00:46.90 ID:0+3D270r0]
海路が駄目なら陸路を使えばいいじゃない

505 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/16(月) 01:17:33.23 ID:aBvgM7z20]
一隻は、逃げ切れずと覚悟し自沈しているし、その後に薩摩藩の海軍が大阪湾に再突入出来るとは思えない。
長州藩の海軍と一緒でもね。

夜中に慶喜が、軍艦で逃げ帰った事を見ても、制海権は幕府海軍が握っていたと思うぞ。

大阪城に大口径の要塞用のアームストロング砲があれば、官軍は近寄れないし、
それ以外の大砲も大阪城に備え付けてある。それをかいくぐって大阪城の二の丸三の丸に
たどり着いても、城の石垣の土塀の銃口から伝習隊の元込式シャスポー銃で狙い撃ちされるだけだと思うぞ。

天下普請の大城の大阪城を攻める方が、断然不利だ。

後から長州藩の主力が来るとしても、当面は鳥羽伏見の戦いで使った5000名の薩長軍で大阪城を攻撃するしかない。
淀藩や津藩の藩兵を大阪城攻撃に向けても、また寝返るだけだぞw

506 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/16(月) 08:22:57.39 ID:g+12ImR7O]
阿波沖海戦ですね。
春日と平運が相手でしたよ。

淀はまだしも津は攻撃したから、毒をくらわば皿までですから裏切らないでしょう。

板垣退助は薩長にくわわります

507 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/16(月) 20:09:54.87 ID:esJNSHy+0]
土佐藩の上士9割が佐幕派。

板垣退助は上士に暗殺されます。

津藩が、大阪城を攻撃しても、大した戦果挙げられないでしょう。
逆に幕府軍に狙い撃ちにされるだけかも知れません。

津藩や淀藩は、もう当事者能力無いです。

それよりも大阪城を落とせず、長引いたら、
薩長の鳥羽伏見の戦いでの勝利の政治的意味がだいぶ無くなってしまいます。

そうなると新政府内の土佐、越前、尾張あたりが仲介に乗り出しますし、
新政府に参加していない、熊本藩・鍋島藩あたりも薩長主導の対幕府戦争に異議を言い出すでしょう。

広島藩ですら国元は、長州寄りですが、在京藩士は必ずしもそうではありませんから動揺し始めるでしょうね。

朝廷新政府内部でも12月中旬から三職会議では、皇族議定や公卿議定が、身分の低い藩士もいる
参与たちの積極的な発言や議事進行に不快の念を持ち、議定会議と参与会議に分ける建白書を三条総裁に提出。
そして、それが認められてしまい、藩士中心の参与の力が押えられてしまう。
鳥羽伏見の戦い直前には、議定会議は“上院”と呼ばれ、参与会議は“下院”と呼ばれ始めていたと言う。

これ以降、皇族議定の支持を受けた土佐、越前、尾張らの藩主議定による巻き返しが始まるのであり、
慶喜は、鳥羽伏見で負けた後も大阪城で篭城抗戦を続けて薩長の朝廷新政府内の政治的発言力を弱め、
議定会議における土佐、越前、尾張らの藩主議定の発言力の回復を促せばよい。

大阪城をすぐにでも落とせないと、薩長は軍事的にも政治的にも苦しくなる。
特に薩摩藩の更なる援軍は望めない。

508 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/16(月) 20:37:44.13 ID:geAqyuSv0]
>>505
だから無理だってば。
長州征伐の幕府海軍の体たらくをみればわかるように、
幕府海軍では制海権を握るなんて無理。
阿波沖の海戦にしても、薩摩に寄港する途中に襲い掛かったけど、
そのまま帰られている。そして逃げ切れずに自沈したんじゃなくて、
座礁して動けなくなったので自分で焼いたわけ。

509 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/16(月) 22:52:47.21 ID:SbyItMw60]
まあ結局は政治闘争なら旧幕府が有利、戦争なら薩長が有利という状況で
上手い事幕府軍と戦闘状態に持ち込んだ西郷大久保の戦略勝ちって事で良いんじゃね?

510 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/17(火) 12:11:21.44 ID:r+jvNVRyO]
春日は15ノットと最速ですから、淡路島より西から攻めたらまだしも追い付くのは、無理でしょうね。

511 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/17(火) 12:26:16.32 ID:oTURk2q3O]
どんなに性能が良くとも幕府じゃ使いこなせなかったんだから関係ないよねw

512 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/17(火) 21:22:19.46 ID:fW4fwJ0T0]
政争でも別に有利でも何でもないが。
領土を返還するなら、一つくらい席あげてもいいくらいで、
薩長などの雄藩を牽制したい勢力が都合よく利用しようとしたに過ぎないし。
そして押していた藩が何を言おうと、薩長がうんと言わなければどうせまとまらないわけなんだがら意味ないね。

513 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/17(火) 23:22:42.41 ID:t8Tw523W0]
>>508
座礁したのは幕府艦隊の砲撃や追撃を逃れる為なんだから、結局逃げ切れなかったという事。
逃げ切れたのなら、座礁なんかしなかったはず。

>薩長がうんと言わなければどうせまとまらないわけなんだがら意味ないね。

薩長抜きでまとまりそうだったよ慶喜の新政権参加問題は。
むしろ薩長の方が孤立気味だった。それなのに幕府軍が鳥羽伏見に進軍してきた。

薩摩藩の関東でのテロ活動やテロ支援活動の報を聞いて、
幕臣が頭に来てそれを慶喜が押えられなかった為に幕府軍が鳥羽伏見に進撃してきた。

12月12日に慶喜は二条城から撤退、14日には東西二箇所ある京都町奉行所が朝廷の命令で急に廃止。

その為に両京都町奉行所の与力・同心だった武士と見廻組は、新遊撃隊に再編され、
伏見奉行所の武士と共に同奉行所に配備された。大目付の永井尚志に従って下坂し
北野天満宮に陣取っていた新撰組だが、伏見鎮撫を命ぜられ、伏見奉行所に合流、
年末ぐらいまでは、京付近の幕府側の兵力はこの程度で、基本的には幕府軍は大阪に居た。

伏見では幕府の奉行所があるので、そこが鳥羽伏見の戦いの時も幕府側の拠点となったが、
奉行所は本来軍事施設ではなく、行政分署であり、幕府側もこの程度しか軍事拠点がなかった。

だから年末に大軍をそろえて大阪から出陣する事が無ければ、幕府と朝廷の武力衝突は避けられた。

伏見奉行所近辺で、見廻組や新撰組、新遊撃隊(旧京都町奉行所詰の武士で構成)あたりが
示威行為を盛んにしていた為に討幕派と小規模な衝突や狙撃事件は多発していた。
現にこの時期に伏見街道で近藤勇が伊東甲子太郎暗殺の報復として御陵衛士に狙撃され
被弾し大阪城で治療を受ける程の銃傷を負う。 その後、御陵衛士は解散状態になり
薩摩藩邸に逃込み戊辰戦争では赤報隊に加わっている。

この様に幕府や諸藩の藩兵は出動しておらず、年末に幕府軍と譜代佐幕派諸藩の藩兵が、
大挙鳥羽伏見に進軍しなければ、正規軍同士の大規模な戦闘は起きなかったであろう。

ただ、新撰組やら見廻組は、伏見奉行所付近で討幕派の諸組織との小競り合いを続けるだけ。



514 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/18(水) 10:32:33.37 ID:guWhcFWpO]
>>511
操艦技術をみにつけるためにオランダに榎本らを派遣したが、開陽や千代田形の有様をみれば、あなたの意見もわかりますよ。

限度があるが時間や金をかけてでも、開陽を鉄製にしたり装備を強化すべきでした

515 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/18(水) 17:09:44.78 ID:BliqPv8xO]
京都から大阪に移転する際、
会津と桑名に帰国命令を出していた方が、
結局は徳川慶喜にとっては有利だった。
会津と桑名の暴発が敗北の原因。

516 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/18(水) 18:08:11.90 ID:guWhcFWpO]
>>515
ききますかね

517 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/18(水) 20:23:51.34 ID:CHJ+jHLT0]
客観的に言えば、
・鳥羽伏見の戦いにあたって第一の好戦主義が松平容保
・戦闘し敗北した後も、「大阪城に籠もって交戦」と主張し、徳川慶喜に敗戦責任を問われ叱責を受けたのが松平容保
というわけで、会津や桑名が徳川慶喜の命令で帰国するとは考えにくい。

しかし、松平容保を愛護する作家などは
・容保候は地位にこだわらず逆に辞職を主張し、長州赦免問題などへの会議への出席を頑なに拒むお方であった

などと主張しているので、彼らの見解なら帰国してくれるかもしれない。
でもあの欠席って、長州赦免とか自らの辞職とかを拒否するための欠席だったと思うんだけど。
彼らの主張は筋が通らない。

518 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/18(水) 20:26:54.45 ID:CHJ+jHLT0]
他の問題を討議する際は、辞意表明で欠席。
辞職帰国を勧告された際は絶対拒否、が松平容保の当時の姿勢なので、
まず、徳川慶喜の命令を受けても松平容保は帰国することはないと思われます。

519 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/18(水) 20:34:53.13 ID:fdMEKBGP0]
12月12日夜に二条城から大阪城に慶喜は撤退したが、
その時に会津藩兵は、藩主ごと軍艦や輸送船に乗せて江戸に返しておくべきだった。

会津藩の兵力は3500名と言われるが、ちょうどその時期には、江戸市中では、
薩摩藩のテロ支援活動が活発化し、武蔵、相模では騒乱状態も始まっていた。

だったら慶喜は、会津藩に江戸や関東での治安維持活動の任務を与えて、返して置けばよかった。

会津藩士が出動すれば、関東で暴れている一揆勢を鎮圧するのも楽だっただろうし、薩摩藩邸焼討
も三田の上屋敷だけじゃなくて近くの蔵屋敷や日比谷の中屋敷、品川の下屋敷も全部攻撃出来たんじゃね?

天領内部での騒乱状態の鎮圧なら大政奉還した後でも問題ないし、そこで薩摩藩の
テロ支援活動の証拠を掴んだら、逆にそれを朝廷に提出し土佐、越前、尾張、熊本
の各藩主や藩士に議定会議や参与会議で取り上げてもらい薩摩のテロ工作を朝廷新
政府の三職会議で糾弾してもらえば良い。

朝廷新政府内部での薩摩藩の立場が悪くなるばかりだし、元々国元は対幕府戦争には反対の声が強い。
あまりにも露骨で酷い工作だったとなると、薩長に近かった広島藩も離反し始めるかもw

幕府や佐幕派は、薩長にとってジャンジャン不利な情報を朝廷新政府に上申し、薩長を朝廷新政府内部で孤立させる事が重要かと。

520 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/18(水) 20:51:48.32 ID:if40wbhz0]
でも思うのは鳥羽伏見が無かったとして慶喜の政権参画はあったとしても
首班ってのは無理だと思うんだよね。首班って言うと平たく言えば
今の総理ポストって事だろ?良くて今の衆議院議長悪けりゃ内大臣待遇の
一議定に留め置かれる気がする。しかもそれも数年限定みたいな感じで。
薩長土肥の殿様連中の維新後の扱い見てると(特に久光)とても慶喜が
実権握れたとは思えん。

521 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/18(水) 21:06:24.09 ID:fdMEKBGP0]
薩摩藩は大阪に藩邸を三ヶ所持っていた。

土佐堀2丁目に「上屋敷」、江戸堀5丁目に「中屋敷」、
立売堀西之町に「下屋敷」があり、蔵屋敷と称されていた。

この薩摩藩上屋敷は、鳥羽・伏見の戦いの時に自焼したとの事ですが、
むしろ鳥羽伏見に進撃する前にこちらを幕府軍や佐幕派諸藩で攻撃しておくべきだったのでは?

江戸薩摩上屋敷焼討ちの報が入ったら、大阪の三つの薩摩藩邸も攻撃した方が良かったのでは?

522 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/18(水) 21:17:03.84 ID:5evt6bdt0]
>>513
>座礁したのは幕府艦隊の砲撃や追撃を逃れる為なんだから、結局逃げ切れなかったという事。

座礁は操船技術の問題に過ぎない。当時の砲撃力で船を沈めるのは難しい。輸送船とはいえね。

>薩長抜きでまとまりそうだったよ慶喜の新政権参加問題は。

ありえません。その場合は薩長が自派の公卿使って潰すだけ。
そういう事態にならなかったし、そもそも薩長は武力で追い出すつもりだったのでする必要がなかっただけ。
それをもって新政権参加できたというのは薩長が何もしなかったらという過程に過ぎない。
もし失敗しても天皇拉致って広島かどっかに遷都だから問題なし。

523 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/18(水) 21:22:19.50 ID:if40wbhz0]
>>522既に慶喜の辞官納地は骨抜きにされてたし、状況的には慶喜の
新政権参画は内定していた状況だった。
まあ俺は参画しても>>520だったと思うけど。



524 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/18(水) 22:43:36.11 ID:TQKICkfI0]
>>513
>>522

燃料投下してんのか?w

525 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/19(木) 00:24:07.96 ID:+b8D6jN/0]
福井や土佐が頑張って薩長の思惑を骨抜きにしようとしていたのに
どこがまずかったのだろう?

526 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/19(木) 01:51:29.56 ID:kXrnd26i0]
会津桑名の暴発進軍が致命傷

527 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/19(木) 03:21:07.61 ID:KXDXH7r60]
>>520>>523
土佐、越前、尾張が工作していた内容は、三職のトップは総裁(皇族)であり、
その下に藩主と皇族、公卿が構成員の議定がおり、その下に公家と藩士クラスの参与がいる。

大久保利通も議定ではなく、参与でしかない。

大久保辺りが三職会議で、
かなり積極的に発言し三職会議を仕切ろうとした為に逆に皇族議定に嫌われてしまう。

下っ端の田舎侍が、参与となり朝廷の身分秩序をわきまえず
ギャーギャー騒ぐのを見て、これではいずれ朝廷の特権を剥奪されると皇族議定は思ったらしい。

しかし、これはある意味致命的な失敗だったかもしれない。
三職会議の議長は、総裁だが、皇族なんだよ。有栖川宮で和宮の元婚約者だ。
皇族議定には、仁和寺宮と山階宮がいる。有栖川宮が和宮の元婚約者なので大久保も大丈夫だと思い
積極的発言を繰り返していたのかも知れないが、どうも総裁の有栖川宮にも嫌われてしまった感あり。

こういう皇族議定の参与に対する反発が出てきたので、土佐、越前、尾張が、三職会議を議定会議と
参与会議に分割し別々に開催する体制に誘導する事に成功してしまう。さらに総裁と議定の間に副総裁職
(内大臣職)を設置し会議の運営を円滑にしましょう。副総裁(内大臣)は慶喜公に就いて頂き
大久保、西郷や岩倉を押えてもらいましょう。って事になった。

これを見ると大久保らは、慶喜の辞官納地の実現に躍起になり
三職会議での積極的発言になったが、それが逆にあだになった様に見える。

岩倉も当初は、議定でなく参与として三職会議に参加している。
岩倉は公家としては身分は中堅で公卿程ではないし、皇族議定が大久保や岩倉に反発しているのを見て
議定の中山忠能と中御門経之が揺れ始めてしまう。そうなると当初議定の定員は10名なので優に半数
以上の議定が、慶喜の辞官納地に反対!と言う事になってしまう。

議定会議は、上院と呼ばれ始めていたし、参与会議は下院と呼ばれ始めていたから、
下院の参与会議でいくら威勢のよい議決がされても上院の議定会議でハネられると、
手も足も出なくなる。副総裁(内大臣)として議定会議を上手く慶喜がまとめれば、
下の参与会議を押さえ込める。

それに慶喜には、奥の手もある。江戸城の和宮だ。
和宮を上京か上阪させて、有栖川宮と密会させて和宮から「慶喜公をよろしく」と言わせてば良い。
そうなれば有栖川宮も元婚約者の願いと成れば無下には出来ないし、薩長も皇族の和宮には手を出し難い。

慶喜は、和宮からみで有栖川宮をいじる事も可能で、
有栖川宮総裁-慶喜副総裁(内大臣)体制で朝廷新政府を運営出来ると思う。

528 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/19(木) 03:23:54.68 ID:KXDXH7r60]
土佐、越前、尾張が工作していた内容は、三職のトップは総裁(皇族)であり←×

土佐、越前、尾張が工作していたが、三職のトップは総裁(皇族)であり←○


529 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/20(金) 01:21:34.07 ID:vVaEAQeV0]
長州征伐や戊辰戦争での捕虜について質問。
捕虜交換など取引はおこなわれていたのでしょうか?

530 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/20(金) 04:11:05.71 ID:VhSS9ywj0]
7/8 中野剛志x柴山桂太 2011.12.22  (4分37秒ぐらいの会話)
www.youtube.com/watch?v=S4zXEv0o9w0&feature=related

中野 だいたいね〜維新とかね、幕末維新のアナロジーを使う奴って碌な奴いないですよね。
    坂本龍馬に憧れてる奴で面白い奴見た事無い!碌な奴がいない!


坂本龍馬に憧れている現在の有名な財界人って言うのは、ソフトバンクの孫正義の事だなw
反TPP官僚(今は京大出向中)の中野さんは、禿の事をボロクソに言ってんだろうなww


徳川幕府=NTT   薩摩藩=KDDI   長州藩=ソフトバンク  って感じかな?

531 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/20(金) 17:12:06.45 ID:srYscJwv0]
さすが中野さん、アジのある面白い事言うなw


NTT(持株会社)=徳川宗家

NTT社長=将軍

東西会社=幕府

ドコモ=尾張藩

コミュ=越前藩

KDDI=長州藩

SB=薩摩藩

禿=大久保

SB社長室長=小松

ティーガイア=坂本龍馬

総務省=朝廷

辞官納地=NTT分割

532 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/20(金) 17:23:42.98 ID:bSeJrYfEO]
会津と桑名と庄内で御用盗を、ぶちのめせ(怒)。
もちろん処刑しか選択肢は、存在しませんよ。

幕府陸軍も加えたら、訓練になってよいでしょう。

533 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/20(金) 18:18:41.44 ID:srYscJwv0]
400万石と幕府陸海軍を持ったまま、有栖川宮総裁-慶喜副総裁(内大臣)体制が
出来たら、改訂版徳川政権だワナw  事実上の新しい中央政権と言っても良い。

有栖川宮総裁-慶喜副総裁(内大臣)体制が出来たら、
慶喜が次にやることは、朝廷新政府の行政組織の乗っ取りである。

大政奉還を受けて、五摂家の連中が慶喜や諸大名に将来の政権構想を提出させ、
さらに自分達も太政官八省再興案を朝廷に提出した。これは王政復古のクーデター
まで朝廷を牛耳っていた二条摂政と中川宮が、慶喜に大政再委任や後任の摂政任官
を検討していた。それに対抗する為に薩摩に近い近衛家や一条家が、他に鷹司家を
巻き込んでニ条-中川宮ラインに対抗する意味で太政官八省再興案を朝廷に提出した。

この五摂家の太政官八省再興案は、王政復古のクーデター以後は俄然意味のある提案
となり、旧幕府の行政組織に換わる朝廷新政府の執行機関の創設の意味が出てきた。

三職会議の下に太政官八省を再興し、朝廷新政府の形作りを始める必要があるが、
もし慶喜が、慶喜副総裁(内大臣)に任官できていたのなら、旧幕府の幕閣や中堅官僚
を太政官八省の幹部に次々任命し事実上太政官八省の要職を旧幕府の人間で固める事が
出来るであろう。そうすれば旧幕府の人材で太政官八省の行政組織を乗っ取る事が出来る。

そうなれば、朝廷新政府は、完全なる改訂版徳川政権となり、徳川宗家の影響力は、朝廷
新政府内部でも残せる。特に問題になるのは、兵部省と大蔵省の人事だろうが、兵部省の
幹部には幕府陸海軍の要職を任命すればよいし、大蔵省ならモロに旧幕の勘定奉行の組織を
そっくり大蔵省に移して、小栗を大蔵大臣か大蔵卿に任命すればよい。

徳川宗家による富国強兵もこれで執行できる。



534 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/20(金) 21:25:45.52 ID:x/3tkWLw0]
>>533
だからありえねーって。
薩長が認めない政権がその時に樹立できるわけがない。
またそんなのは越前や土佐なども認めない。
小御所会議で幕府を庇っていたのは、あくまで薩長の発言力がこれ以上高くなると困るからであって、
幕府を復権させたいわけじゃないんだよ。

535 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/21(土) 04:51:21.84 ID:9eepN4a90]
>>534
バカじゃネーの?

慶喜副総裁(内大臣)案で多数派工作していたのは、土佐、越前、尾張なんだよ!
皇族議定が岩倉や大久保に反発して、それを認め始めていた。
議定の中山忠能と中御門経之ですら揺れ始めていた。

慶喜は、正月に進撃を開始しないで、もう少し我慢していれば良かった。

とりあえず江戸での薩摩藩邸焼討ちの報が入ったら、
鳥羽伏見に進撃するのではなく、大阪市内の三つの薩摩藩邸を攻撃していれば良かった。

536 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/21(土) 04:56:08.64 ID:9eepN4a90]
慶喜副総裁(内大臣)任官=徳川幕府復権  では無いんだよ。

もう幕藩体制は終りで、
朝廷一元化した新政府で郡県制の中央集権国家を作る事になっていた。

その朝廷新政府に幕閣や幕府の中堅官僚が、移る事を狙っていた。

時間が経過すればするほど幕府側が有利。

537 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/21(土) 05:41:47.43 ID:9eepN4a90]
鳥羽伏見の戦いで勝つまで、大久保と西郷は朝廷ではダッカのごとく嫌われていた。

大久保と西郷が、朝廷に参内すると公家や女官達が
遠巻きにしてチラチラ見たりコソコソささやき合ったりして、完全に煙たがられていた。

大久保も西郷も鳥羽伏見の戦いで勝つまでは、あんまり気分良くなかったらしい。

鳥羽伏見の戦いで買った後の状態が王政復古のクーデターから続いていた
なんて思わない方が良い。はっきり言って鳥羽伏見の戦いに勝つまでは
大久保と西郷は、針のむしろでむしろ徳川と仲介出来る立場の土佐・越前・尾張
の方が立場的には強かったし、12月中旬以降は彼らの主導で議定会議は運営されていた。

三職会議は、当初は、薩長の軍事力で発足し議定と参与の議論して話しを議事を進める
事になっていたが、次第に内部では以前からの粛然たる身分の差が出てきた。公卿議定と
大名議定の詰まる部屋が違うし、大名議定が立ち入り禁止の場所も多かった。
下級藩士出身の参与ならなお更であり、三職会議の身分的な差が次第に出てきた事も、
西郷や大久保の力を抑える方向に動いている。

538 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/21(土) 07:10:06.92 ID:sychixQ00]
官位任官でふとおもったのですが
明治以降はどこの家も爵位が用いられていましたが、
旧大名家の武家官位は全部取り上げられたのでしょうか?

539 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/21(土) 07:54:35.98 ID:Rq2+uYcy0]
岩倉は日和ったし大久保も日記に水泡画餅とか泣き言みたいな事
書いてるからなw


540 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/21(土) 10:16:47.58 ID:4+6n4uCy0]
もしかしてダカツをダッカと言っているのか

541 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/21(土) 16:15:40.42 ID:3wG98y3d0]
原発村を潰す為には平和的な手段では潰されるだけだ

暴動、ネガキャン、何でも良いから戦うしかない。


薩摩も平和的な路線で維新を進めていたら慶喜を始めとする公武合体派に潰されたことだろう。

542 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/21(土) 16:54:15.83 ID:/RRxE/hP0]
>>3
>>18

そうんなんだよ、どうして無警戒のまま進軍して待ち伏せを受けたんだよ

何故ナゼなぜ・・・

>>20
中間指揮官・現場指揮官が足りないのが理由じゃないかい?

つまり、例えば、大鳥圭介のようなの軍政畑がいる一方で
土方歳三のような現場指揮官が足りなかったと

無用な突撃が問題であって、突撃しなければ勝てるというもんじゃないなぁ

543 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/21(土) 20:02:05.87 ID:DatIwioz0]
>>535
馬鹿はおめえだ。
小御所会議というか新政府の総裁は有栖川宮熾仁親王
長州藩と縁戚で、長州藩の国学者に学び、婚約者を徳川に取られた。筋金入りの人物がやっているんだよ。
薩長が気に入らないものが成立する事はないんだよ。
薩摩藩主や中山、三条をはじめとして薩長の代弁者がいるわけ。
だからそういう事が成立する事は絶対にない。



544 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/21(土) 20:04:28.77 ID:DatIwioz0]
>>535
馬鹿はおめえだ。
小御所会議というか新政府の総裁は有栖川宮熾仁親王
長州藩と縁戚で、長州藩の国学者に学び、婚約者を徳川に取られた。筋金入りの人物がやっているんだよ。
薩長が気に入らないものが成立する事はないんだよ。
薩摩藩主や中山、三条をはじめとして薩長の代弁者がいるわけ。
だからそういう事が成立する事は絶対にない。

545 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/21(土) 20:38:33.15 ID:DatIwioz0]
>>537
そもそも徳川は必要とされていない。
薩長の影響力が非常に強かったので、それを嫌った諸侯派が抑える為に引っ張ってきたのがもう終わった徳川。
だが朝廷では尊号一件いらい幕府嫌いが非常に多かったわけで、むしろそれらを押す大名も嫌われて、
幕府が暴発したのを理由で、諸侯も追い出される結果となった。


546 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/22(日) 22:20:01.10 ID:6AIoIHhy0]
>婚約者を徳川に取られた。筋金入りの人物がやっているんだよ。
>薩摩藩主や中山、三条をはじめとして薩長の代弁者がいるわけ。

自分の都合の良い事ばかり信じる基地外がいるので、あまり相手にしたくも無いが…

薩長の思い通りと、思って有栖川宮を総裁に人選したが、大久保や西郷などの藩士参与が
身分差を無視して三職会議で騒ぐモンで有栖川宮を始め皇族議定が怒り出しアテがはずれw

有栖川宮も自分が得になる範囲しか薩長に協力しない。
皇族も公卿も見返り無く、朝廷内の特権を手放す訳無い。

その点を判っているから慶喜は山城一国25万石を丸ごと朝廷直轄領として献上するハラだった。

>そもそも徳川は必要とされていない。

薩長は邪魔でも、土佐、越前、尾張には必要。

皇族議定や公卿議定も何だかんだで徳川頼り、五摂家が二条摂政や中川宮に対抗して
提出した太政官八省再興案も、現実には、王政復古のクーデター以後も全く三職会議
の議題の遡上にも出なかった。

ようやく議題として三職会議に出てきたのは鳥羽伏見の戦い以後のこと。


慶喜は、江戸薩摩藩邸焼討ち事件の報を聞いても出兵すべきではなかった。
大阪の三つの薩摩藩邸を攻撃して強硬派幕臣の矛先をそちらに向けるべきだった。

薩摩藩は、参与会議でも議定会議でも、幕府の藩邸攻撃を材料に幕府に対する制裁を
求めるだろうが、土佐、越前、尾張の三藩に関東での薩摩藩のテロ支援活動の情報と
証拠を手渡して逆に薩摩藩を追い詰めればよい。

547 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/23(月) 00:37:55.01 ID:hj3KW27I0]
>自分の都合の良い事ばかり信じる基地外がいるので、あまり相手にしたくも無いが…

hhhhhhhhhhwwwwwwwwwww面白いギャクだなw
センスあるよ君。

>その点を判っているから慶喜は山城一国25万石を丸ごと朝廷直轄領として献上するハラだった。

ぜんぜん足りんな。幕府領全部献上して官位をかえして、やっと罪を免除だよ。
なんで山城程度で妥協するんだよアフォかw
そもそも大名連中も明治天皇を幼帝だからと馬鹿にして皇族や公卿から反発買いまくって、
下級藩士と同じように嫌われたってのにお前の脳内ではなかったことになっているようだなw
大名と公卿では歴然とした格差があったのに。朝廷序列もわきまえずでかい口叩くから、
むっちゃ嫌われていたのに。

548 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/23(月) 01:29:14.84 ID:8Gvt9K/10]
今更だけど、スレタイの旧幕府軍のくくりはどこまで?

549 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/23(月) 05:10:46.35 ID:OFSvhqRm0]
>>547
全部、妄想なw

>幕府領全部献上して官位をかえして、やっと罪を免除だよ。

特にこれ。

薩長と岩倉が最初にこれで押していたんだけど、土佐、越前、尾張が、皇族議定を
巻き込んでこの案もを封じてしまい、納地の件は、豊信候の全大名石高割案も棚上
げになり、いずれ「天下の公論をもって御確定遊ばさる…」と継続審議になってしまった。

慶喜の官位は前内大臣と称する事になり、軽武装での上洛も決定している。
この納地継続審議案は、議定の中山、中御門も飲んでしまった。

三条議定と参与の岩倉は、慶喜による自主的納地案を提出したが、
土佐、越前、尾張、皇族議定、中山、中御門らが、納地継続審議案を飲んでしまった為
この案で議定会議の大勢を制してしまった。

その直後の12月28日に岩倉は議定に昇格したが、納地継続審議案は揺らいでいない。


それに下級藩士がデカイ口たたいたら、大名より下級藩士の方が叩かれるに決まってだろうが。
下級藩士は、大名よりさらに下の身分なんだけどw

550 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/23(月) 08:08:08.00 ID:OrZLe8fi0]
だからさ幕府厨も薩長厨も議論のレベルが低過ぎるから噛みあわないんだよ。
鳥羽伏見の前段階では確かに辞官納地は骨抜きにされてたから
慶喜が会津と庄内を押さえこんでいれば慶喜の政権参加は可能だった。
というよりあの時点ではほとんど決定事項だったと言ってもいいかもしれない。
ただ慶喜の政権参加を主張してた中心人物の越尾土の殿様達は
あくまで薩長への牽制としての慶喜の政権参加を主張していただけに
過ぎないから一度慶喜の議定もしくは副総裁就任が決まったとしたら
今度は慶喜主導の政権作りに協力したか?と言われるとそれはそれで微妙だし
上にも書いてる人がいたが維新後の薩長土肥の殿様や明治天皇以外の皇族
岩倉以外の公卿の扱いを見ると普通に考えれば慶喜の扱いは
有栖川宮とか三条とか久光みたいな名誉職的な扱いしかしてもらえんだろう。
まあ小栗や大鳥榎本なんかは最初から新政府に関与できてた可能性はあるから
人事の面では多少変わった可能性はあるが大きな流れが変わったとは思えんな。

551 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/23(月) 10:37:18.46 ID:l/CbYno80]
>だからさ幕府厨も薩長厨も議論のレベルが低過ぎるから噛みあわないんだよ。

失礼な!
レベルが低いのは、薩長ビイキのアホの方だ!

>有栖川宮とか三条とか久光みたいな名誉職的な扱いしかしてもらえんだろう。

鳥羽伏見の戦い後に副総裁に就いた岩倉は、事実上三職会議を主導している。
有栖川宮は、あまり前面に出る人でもなかったし、江戸城総攻撃やら江戸城接収で
京に居なかったので、岩倉が事実上三職会議の首班となってしまう。

慶喜が、副総裁に就けば、彼の能力と四百万石の天領、徳川の陸海軍などの存在もあり
三職会議の首班は慶喜になるだろう。出来れば和宮から有栖川宮に「慶喜に任せるべき」
と言わせても良い。

豊信や慶勝、慶永にそれだけの能力と軍事力と領地があるか、と言う問題になる。

552 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/23(月) 13:32:01.47 ID:lK/18nrMO]
大阪城を拠点に海上閉鎖

京都の薩長は補給路を絶たれ敗戦必至

553 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/23(月) 18:40:56.80 ID:hj3KW27I0]
>>549
>いずれ「天下の公論をもって御確定遊ばさる…」と継続審議になってしまった。

これただの誰にとってもいいように聞こえる玉虫色の解釈に過ぎないよ。
薩長がどうせ認めないのだから、領土を全て献上するしかないのは明白。

>慶喜の官位は前内大臣と称する事になり、軽武装での上洛も決定している。

「前」ね。もう官職にはいないことの証。

>その直後の12月28日に岩倉は議定に昇格したが、納地継続審議案は揺らいでいない。
それ幕府が返上する方針のことだろ。



554 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/23(月) 20:12:48.04 ID:vyBqn20K0]
>>552
そういう事なんですよ。
西郷も「大阪城を包囲したら一ヶ月で薩摩の兵が死んでしまう。」と言っている。

大阪と西宮を幕府陸軍海軍に押えられたら、補給路も断たれるし
だいいち天皇を逃がす経路も遮断されてしまう。

陸路で長州から運ぶとなると大変だし量も運ぶ種類も制限されるし。

薩摩江戸藩邸焼討ちの報が、入ったら、大阪の三つの藩邸を攻撃するのと同時に
幕府艦隊を使って大阪湾を封鎖するのが効果的ですね。

京を包囲している間に幕府は、アームストロング砲35門とストーンウォール号の入手を急ぎ、
更に幕府陸軍の全軍“後装式”銃兵化の処置もあわせて急ぐべきでしょう。
幕府の関口製作所をフル稼働させ、横須賀製鉄所も稼動を始めれば、エミニー銃の後装式への
改造も進展する。

>>553
はいはい、症状が悪化していますよ、処方されているトランキライザー飲んでくださいね。

555 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/23(月) 20:54:15.78 ID:hj3KW27I0]
>>552
無理。長州征伐でも長州の渡航の阻止ができなかったのに。
幕府海軍が薩長の補給路を断つことは出来ない。
そもそも市場から買えばいいだけだったりする。
そもそも長州は山陰のほうから来てる。

556 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/23(月) 20:59:07.59 ID:vyBqn20K0]
ID:hj3KW27I0は、大至急入院して下さい。

557 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/23(月) 21:32:54.09 ID:hj3KW27I0]
>>554
長州の兵が万単位でくるから問題ないです。
大阪と西宮を押さえても無意味。元々の計画では山陰を通る予定。
実際鳥羽伏見の戦いの最中に山陰鎮撫の軍をだして平定している。
ちゃんと退路を確保しているんだよ。

558 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/23(月) 21:43:22.93 ID:hj3KW27I0]
>>554
内戦状態になっているのに旧幕府に武器売るとかないから。
そもそも支払いすらも出来ない状況だったし。
あと旧幕府軍が勝てない雑魚部隊だった最大の原因は兵器じゃなくて、兵士だから。

559 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/23(月) 21:49:28.32 ID:UxENOkuF0]
>>556
君の方が論理がおかしい。
徳川が勝つ要素が乏しい朝廷内の会議も、全て慶喜大勝利と断定しており、
しかも中国筋を押さえている薩長へ、幕府海軍があるから旧幕府大勝利、では話が通じない。

560 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/23(月) 21:52:17.69 ID:K0IpsFcNO]
確かに兵器の充実によって戦況が左右されるなら、
そもそも鳥羽伏見で、装備も数も下の薩長に負けるわけが無いわな

561 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/23(月) 22:08:09.59 ID:hj3KW27I0]
そもそも諸侯派がある程度盛り返せたのは慶喜は穏健派です!
ここで強気にでて強硬派を暴発させたら戦争になります。
慶喜は自主的に土地と官位を返還します。
とかいって公卿連中をだま蔵かしたからに過ぎないんだよ。
返さなければ当然揉める。そもそも薩長の影響下にある新政府がんなの認めるわけがない。
そして薩長の影響下になければその後幕府追討令などでない。

562 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/23(月) 22:18:53.95 ID:K0IpsFcNO]
幕府厨くんは相当ゲーム脳だなあw
まあifを語る時点でゲームっぽくなるのは仕方ないけどさ

563 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/23(月) 23:28:43.25 ID:rXATDuAm0]
久々にのぞいたら大荒れ?でワロタw
>>542です。最近に遅いながらも手にした『幕府歩兵隊』が面白っくてww

>>562
if歴史は同時代感覚の図上演習やらケーススタディになって
面白いというのはあるよなぁ



564 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/24(火) 01:59:22.54 ID:pCaIaAyV0]
どうでも良いけど、特定の奴が書き込んでいるだけだぞw

>徳川が勝つ要素が乏しい朝廷内の会議も、全て慶喜大勝利と断定しており、
>しかも中国筋を押さえている薩長へ、幕府海軍があるから旧幕府大勝利、では話が通じない。

話合い工作でも戦闘でも徳川有利だよ。

鳥羽伏見の戦いは、まさかの敗退だった。
普通は負けない戦で負けてしまったのが旧幕府軍。

ただし洋上では、幕府海軍の勝ち。

565 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/24(火) 02:32:53.47 ID:pCaIaAyV0]
>そして薩長の影響下になければその後幕府追討令などでない。

コレもおかしい。

幕府追討令でなくて徳川慶喜追討令だろ。

それに慶喜追討令が出たのは、鳥羽伏見に旧幕府側の大軍が押し寄せてきたからに他ならない。
しかも広島藩も土佐藩も出兵を拒否しているし、尾張と越前は議定の辞表を提出している。

正式に慶喜追討令が発令されたのは、大阪城を逃げ出した後の7日だぞ。
鳥羽伏見の戦いが完全に官軍サイドの勝利で決まった後だ。

それ以前にも薩摩藩が慶喜追討令を朝廷に提出していたのだが、反対多数で否決される。

伏見奉行所には12月中旬から新撰組、見廻組、京都町奉行所と伏見奉行所の与力と同心たちが
集結し、示威活動と偵察を兼ねて討幕側の諸隊諸組織と衝突しているが、別に朝廷はこの時点で伏見に
出動命令を出してはいない。近藤勇もこの時期に伏見奉行の近くで御陵衛士の残党に狙撃されている。

慶喜追討令は、薩長の朝廷支配とは全く関係なく、鳥羽伏見の戦闘の勝利の結果である。

566 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/24(火) 06:21:51.05 ID:cBGb2k6j0]
>正式に慶喜追討令が発令されたのは、大阪城を逃げ出した後の7日だぞ。
決着が付く前の翌日には官軍になっている。むしろ四日には官軍だ。
この日には錦の御旗と皇族が総大将として討伐に当たっている。
当然戦争の決着など付いていない。

567 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/24(火) 07:09:42.75 ID:cBGb2k6j0]
どうもわかってない奴がいるけど、慶喜が戦争を避けるために自主的に領地を返して、
官位も返すというのを主張する連中がいたわけ。
だからこのままいけば戦争もなく新政府を作れると主張したんだよ。
越前や尾張の藩主などもそれだが(まあ薩長の独裁を危険視したのもあるけど)
決して旧幕府の復権の手伝いをしたわけじゃない。内戦を恐れたに過ぎない。
佐幕派にはそれが幕府を庇っているように見えるようだがなW

568 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/24(火) 07:21:57.17 ID:aiMgLMx+O]
まさかの敗退と言ってるが、
天狗党を止められず第二次長州征伐はどの方面からも一歩も長州に攻め込めず、
更に鳥羽伏見の敗北だからなあ

大阪で篭城戦やったらすぐ内通者が出て内側から崩壊しそう

569 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/24(火) 07:59:26.50 ID:pCaIaAyV0]
>>566
>むしろ四日には官軍だ。 この日には錦の御旗と皇族が総大将として討伐に当たっている。

話がずれている。話しは慶喜追討令の事だ。官軍やら錦の御旗やら皇族総大将やらは別件。

>慶喜が戦争を避けるために自主的に領地を返して、官位も返すというのを主張する連中がいたわけ。

その話しすら、土佐、越前、尾張が皇族議定と結んだ時に押え込められている。

当初の薩長の過激な辞官納地論は全然通らないし、中途半端な自主的辞官納地論も
土佐、越前、尾張と皇族議定が潰し、豊信候の全大名石高割案も棚上げになり、
最終的には「天下の公論をもって御確定遊ばさる…」という継続審議案で辞官納地
は、議論そのものがウヤムヤになった。

>大阪で篭城戦やったらすぐ内通者が出て内側から崩壊しそう

だからアームストロング砲35門やストーンウォール号が手に入るまでは、開戦しない方が良かった。
アームストロング砲が、十数門大阪城に配備されていたら、官軍は近づけなかっただろう。

また、野戦よりも篭城戦の方が有利だし、薩長でも天下普請の大阪城はなかなか落とせない。
伝習隊が、土塀の銃口から元込式シャスポー銃で狙撃してくるので、官軍の大阪城攻めも大変
と言うか長期化し、官軍の方が不利になりかねない。
大阪城の包囲が長引いたら、官軍サイドの土佐、越前、尾張の各藩が離反し裏切らないとも限らない。
さらに紀州藩のプロイセン式農民徴兵部隊が、南から援軍としてやって来る。

そうなると大阪城の幕府軍と紀州藩兵の両方を薩長が相手にするのは大変だろう。
大阪湾はどの道幕府海軍の制圧下にあるので、官軍も下手に西宮や大阪城を迂回
して大阪市内に入ると幕府海軍から砲撃される可能性もある。

570 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/24(火) 09:06:19.10 ID:cBGb2k6j0]
>話がずれている。話しは慶喜追討令の事だ。官軍やら錦の御旗やら皇族総大将やらは別件。

一緒、新政府がもうすでに薩長の思い通りに動くことの証左だからね。諸侯は相手にされてない。

>最終的には「天下の公論をもって御確定遊ばさる…」

薩長が領地返上を取り下げることはないので、確定するのは領地がなくなることだけ。諸侯がなに言っても無駄。


571 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/24(火) 09:10:53.46 ID:cBGb2k6j0]
>だからアームストロング砲35門やストーンウォール号が手に入るまでは、開戦しない方が良かった。

そのころには薩長の武装と兵士の数が増えているから幕府は勝てないよ。
鳥羽伏見は薩長の先遣隊に過ぎない。それにすら勝てなかっただけなんだから。
長州征伐で戦った長州の主力と戦って勝てるわけないだろ。薩摩も戊辰には7000もの大軍送っているし。

>大阪城の包囲が長引いたら、官軍サイドの土佐、越前、尾張の各藩が離反し裏切らないとも限らない。
むしろ西日本、東海道や北陸の諸藩次々に下っているのが史実なんだが。
紀藩すらも裏切る可能性のほうが高い、また裏切るかも知れない状況下で篭城などできない。

572 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/24(火) 09:13:35.08 ID:cBGb2k6j0]
>大阪市内に入ると幕府海軍から砲撃される可能性もある。

長州征伐の広島方面は長州が海軍回す余裕なかったから、自由に砲撃できたけど、
長州軍にはさっぱり勝てなかったんだが。兵数は10分の一以下で。
それどころか逆に進行される始末。どうやって幕府軍が勝つんだよ。
お前自分の都合のいいように考えすぎ。篭城している間に紀州が裏切ったらどうするつもりなんだよW

573 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/24(火) 15:51:04.14 ID:JQfTk1AZ0]
俺も紀州が慶喜方として参戦することは無いと思う
鳥羽伏見にすら出兵していないのに、それより状況が悪化している状態で
不利な方に参戦するのは都合がよすぎるよ。
それに、家茂死亡時には慶喜が家茂を暗殺したという怪文書が回るぐらい
慶喜は旧幕府勢力から信頼を得てないわけだし。



574 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/24(火) 18:31:50.57 ID:qvmeFPx00]
じゃあ仮に田安亀之助は15代将軍になってたらどういう展開になってたと思う?

575 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/24(火) 19:00:33.80 ID:KNy7AAZv0]
徳川慶喜が朝廷から制東大将軍に任命されて進軍して、会津桑名が江戸放火占領だね。

576 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/24(火) 19:12:28.80 ID:KNy7AAZv0]
征東大将軍の誤りか。

徳川慶喜及び会津・桑名が幕末の土壇場で朝廷側から幕府へ立場を変えたのは、
対立していた14代将軍家茂の急死と、征夷大将軍位の相続が原因だ。

つまり、家茂の遺言の通りに田安亀之助が15代将軍に選ばれた場合は、
一会桑の幕府への態度は冷淡なものとなっていたと思われる。

諸侯としても、幕府から自らへ、外交権や政治に参加する権利を奪おうとする際、
徳川慶喜を中心に幕府へ対抗してゆく、という形式になるだろう。

となれば徳川慶喜の軍として先鋒は会津。目標は江戸幕府。
そして会津の関係した戦闘は放火が恒例。松平容保の指揮の下、江戸は炎上するだろう。

577 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/24(火) 20:08:41.26 ID:aiMgLMx+O]
>>569
アームストロング砲ってそんなに脅威なの?
威力はあっても精度は低いというし、
上野戦争と違って市街地に向けると街が焼けるといったリスクがあるし、
実際に上野戦争では着弾付近に関わらず突っ込むほど薩摩兵は強靭な訳で、
そんな相手に対して威圧効果があるかなあ

…そういや京都を焼き尽くした慶喜&会津なら大坂の街炎上の可能性なぞリスクでもないか

578 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/24(火) 20:22:05.84 ID:9GK3f0Ct0]
鳥羽伏見の戦い以降は、朝廷の薩長支配が強まるのは事実。
でもそれ以前は、薩長の方が、少数派で煙たがられているのが現実。
慶応3年12月に何を薩長が言っても相手にされない。鳥羽伏見以後と以前では薩長の力は全然別。

鳥羽伏見の戦い以前に、薩長が徳川宗家の辞官納地を言っても負け犬の遠咆状態。
圧倒的少数派で特に議定会議では、否決されるだけ、参与会議でも微妙。

時間が経てば経つほど、薩長軍が畿内に集結する、と言う話しだが、それも長州だけ。
薩摩藩は、家老の関山糺筆頭に薩長同盟と対幕府戦争には反対の声ばかり、既に1000人
以上の京駐在の薩摩藩士が居て、それに加勢する先遣隊の3000名を出すのにも大政奉還
で幼い天皇を警備する、と言う名目で半ば国元を騙しての出兵だった。もうこれ以上の
出兵は薩摩は無理。来るのは長州だけ、しかも瀬戸内海や大阪湾は下手をすると幕府海軍
からの攻撃がある状況下での進撃となる。

紀州藩は裏切らない。15代と16代将軍候補を抱えており、紀州藩は、11月に畿内周辺の
佐幕派諸藩と共に佐幕派クーデターを計画している。当然会津と桑名も入っている。
さらに同じ時期には江戸の紀尾井町の藩邸を根城に譜代大名に朝廷への官位の返上と
上洛令の拒絶、慶喜の江戸帰還を工作し前者2つに関しては成功している。
もし慶喜が、朝廷新政府の摂政や副総裁に選ばれるなら、紀州藩は後任に田安亀之助を
という話になるだろうし、紀州は戊辰戦争終了後も土佐藩と組んで薩長や東京の新政府
と対峙する姿勢を見せている。それが御親兵結成の理由の一つにもなっている。

それに家茂の遺言書には後任には田安亀之助、幼年でそれがダメなら紀州藩主の徳川茂承
と言う事になっていた。しかし幕閣と幕府中堅官僚が慶喜を支持し家茂遺言書をひっくり
返している。晩年の孝明天皇の意思でもある。それでも大奥と一部旗本の抵抗があり、
慶喜は徳川宗家相続は認めたが将軍職は中々就かなかった。その内に岩倉が宮将軍構想で
朝廷内をかき回し始めた事もあり、長州との戦争の後始末や薩摩の討幕姿勢を見て大奥も
次期将軍に亀之助と言う条件で慶喜の将軍任官を認めた。
岩倉の宮将軍工作と薩摩藩の討幕姿勢の明確化が、慶喜と幕権派(幕府近代化・集権派)
の結合を強め慶喜将軍任官を早めてしまう。この様に討幕派の政治的攻勢の中で慶喜以外
の選択肢は有り得ない。亀之助はまだ子供だし、徳川茂承は慶喜ほど頭良くない。

579 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/24(火) 21:33:52.99 ID:cBGb2k6j0]
鳥羽伏見前は薩長が少数派って時点でわかってないわあ。
総裁である有栖川からして長州ととても懇意にしている人物だぞ。
縁戚であり思想的にも長州の人から学んでいる。彼が薩長を裏切る事はないよ。
そもそもそんな事しても後ろ盾をなくすだけ。
鳥羽伏見の時に薩長になんで錦の御旗が降りたのかほんと分かってないね。
その前有利だったように言っているけど、あれは有利じゃなくて慶喜と旧幕府は穏健派です。
そのうち自主的に返還します。強気に出たら強硬派を勢いつかせて駄目になる。
と諸侯派の主張に理解を示していたからであって、従来の方針を変えたわけじゃないんだよ。


580 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/24(火) 22:06:57.32 ID:cBGb2k6j0]
そして長州がというかその長州に諸藩総出で勝てなかったのが幕府なんだけど。
それに幕府海軍が、と狂ったように主張しているけど、
幕府海軍なんて長州征伐から戊辰戦争にいたるまでいいとこなしじゃん。
少なくとも安定した戦力として期待できるものじゃないよ。運用できる人員も少ないし。

581 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/24(火) 22:14:16.96 ID:WzH9WVh50]
幕府側に西郷に匹敵するものがいたか?大久保のほどのものがいたか?吉井に拮抗しうるものがいたか?
いなきゃ勝てないし朝敵になるだけだよ。

582 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/25(水) 00:49:27.51 ID:M6gdUYgc0]
>縁戚であり思想的にも長州の人から学んでいる。彼が薩長を裏切る事はないよ。

それが、裏目に出ているんだな。

西郷や大久保らが騒ぐので、皇族議定は、反発して土佐、越前、尾張に組している。
長州系だと思い、大久保と西郷がヤリタイ放題していたら、皇族や公卿の特権を剥奪
されると思い、皇族議定は辞官納地反対に回ってしまった。

>従来の方針を変えたわけじゃないんだよ。

辞官納地の実行案は、変えマクリだよ。

@即時の辞官納地実行案

A自主的辞官納地案(しかも200万石で良くなっている)

B豊信の全大名割高案

C辞官納地、継続審議案

>少なくとも安定した戦力として期待できるものじゃないよ。運用できる人員も少ないし。

鳥羽伏見の時は、大阪湾を押えましたし、江戸から脱出する時は3000名近くの人員を乗せています。
幕府艦隊の江戸脱出は、官軍では止められませんでした。

>>581
色々居たでしょう。
小栗なんて蔵相は当たり前で、総理も出来たでしょう。

583 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/25(水) 00:54:15.56 ID:M6gdUYgc0]
辞官納地の実行案をコレだけ変えまくると言う事は、実行不可能だという事。
朝廷は、直轄領として山城一国をもらい、慶喜が副総裁任官へ。



584 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/25(水) 01:41:24.56 ID:5KXzDebMO]
>>582
581が言ってるのは朝廷工作の手腕や人望や軍事力や権謀術数に長けた人材と言う意味であって、
おぐりんはどれも勝てないと思うよ

実務者としてなら大久保や吉井より遥かに優れているけど、
その小栗を持ち上げてる大隈とか、江藤とか大村とか、
後は幕府や西日本諸藩の海外留学生たちもわらわらいるので別に抜きん出てる訳でもないだろう

585 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/25(水) 07:58:05.73 ID:NSd7O+LO0]
春嶽に「百の才知はあっても一つの胆力もない」って
言われた慶喜の責任逃れの妄言なんか真に受けなくてもいいのにw



586 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/25(水) 11:03:10.69 ID:M6gdUYgc0]
慶喜の政治力は、凄いけどね。

薩長は散々徳川宗家をやっつける事やったが全部失敗し、
結局、高等戦術では慶喜に歯が立たず、最後に戦争に持ち込むには、テロ活動しか方法が無かった。

その点を判っているから、紀州藩主徳川茂承は、15代将軍を辞退したんでしょうね。


江戸からの薩摩藩邸焼討ちの報を聞いて鳥羽伏見に進撃したのが間違いでした。
アームストロング砲35門とウォールストーン号を手に入れてから、薩長と開戦すべきでした。
(それと全軍後装式銃兵化の進展やガトリング砲も手に入れるべきかと)

鳥羽伏見ではなく大阪市内の三つの薩摩藩邸を攻撃し、
大阪湾内(西宮も含めて)の薩摩や長州の軍艦汽船を攻撃すべきでした。

また、紀州藩の出兵も待つべきでした。

587 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/25(水) 20:55:18.64 ID:ORpuflPh0]
>紀州藩は裏切らない。15代と16代将軍候補を抱えており、紀州藩は、11月に畿内周辺の

だから慶喜を嫌っていた。自分のところから出せると思っていたのに下位の水戸藩からだからな。
そして実際幕府につくか朝廷につくかで相当揉めている。
そしてさっさと朝廷に下っている。慶喜が篭城しようと下るのは変わらないよ。


588 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/25(水) 23:47:00.13 ID:+OCn8hkx0]
>だから慶喜を嫌っていた。

は〜?
徳川茂承は、慶喜と張り合った訳じゃないよw
家茂の遺言やら大奥から押されたけども、自ら15代将軍を辞退しているんだよ。

何言っているの?

戊辰戦争後も、紀州藩は、土佐藩と組んで薩長や東京新政府と対峙しているし、
徳川が勝たないと田安亀之助を将軍や朝廷新政府の首班格に出来ないじゃないか!



慶喜の将軍任官を嫌って譜代の佐幕派が討幕派に寝返ったのは彦根藩だろ、むしろ。


589 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/26(木) 01:33:40.01 ID:k4CKYfKm0]
>>582
小栗なんかダメだね。
あいつが勘定奉行として上州の商人の言うことを聞いて蚕種紙改印なんていうのをやったせいで
武州や信達で世直しだなんだっていって一揆がおきたじゃないか。
しかも朝廷から将軍後見職に加増しろって話が出た時にあいつは邪魔してきたんだ。朝廷もあいつを嫌ってるよ。
>>584
原市之進が生きてればそういうことを任せられたんだけどなあ。
>>585
間違っているとは言えないがあいつも似たようなもんだろう。
それに彼を知り己を知って状況を判断することこそ大将の責任だ。
無責任なのは板倉の方だよ。

590 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/26(木) 06:40:30.57 ID:S1+rOqnm0]
>しかも朝廷から将軍後見職に加増しろって話が出た時にあいつは
>邪魔してきたんだ。朝廷もあいつを嫌ってるよ。

朝廷の言う事ハイハイ聞く訳無いだろw まったく。


王政復古でさっさと大阪城まで撤退し、
会津も江戸に戻して、薩摩藩のテロ活動鎮圧に使うべき、
大阪城には紀州藩の兵力を集めて使うべきだったな、慶喜は。

591 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/26(木) 07:12:14.00 ID:S1+rOqnm0]
>小栗なんかダメだね。

お前の下らないケチのつけ方をしても、
横須賀製鉄所の建設と増築、武器や軍艦の国産化、郡県制の導入などの功績をみれば余りある。

誰も知らん細かい例持ち出して、あーだ、こーだグチグチ言うんじゃないよ、ボケナス!

592 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/26(木) 13:13:58.01 ID:2b0FB9+S0]
郡県制の導入って結局何もできてないじゃない。
武器や軍艦の国産化のできて無いし、横須賀製鉄所も借款だし
財政問題が解決できてないのに近代化を推し進めても、エジプトやオスマン帝国の
二の舞になるだけだよ。
それに小栗が薩摩藩邸襲撃しなければ、在坂の強硬派が
進撃する事も無かっただろうに。

593 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/26(木) 21:09:16.31 ID:Pw4dt7aU0]
>>582
>皇族議定は辞官納地反対に回ってしまった。

反対などしていません。嘘言わないように。
慶喜に自主的に返還させるか、命令で取り上げるかで揉めていただけ。
薩長は強引に命令して取り上げればよい、断れば戦争すればいいというもので。
諸侯派は今内戦するのは不味い、寛大な処置をすれば慶喜が強硬派を抑えて領地を返すだろう。
という二つの意見があっただけ。

>鳥羽伏見の時は、大阪湾を押えましたし、江戸から脱出する時は3000名近くの人員を乗せています。

何の役にも立ってないな。逃げる時だけは早いが。



594 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/26(木) 21:13:35.76 ID:Pw4dt7aU0]
つまりどちらの意見でも慶喜に領地を返させて、官位を返上させるという基本方針に変更は一切ないんだよ。
北風と太陽の違いに過ぎない。そして北風が正しかったという事。
>>584
そもそも大隈が持ち上げたのは新政府から追い出されてからだしな。
実際小栗なんて借金作っただけの無能宰相。
民主党とかわらんわ。

595 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/26(木) 21:25:51.65 ID:Pw4dt7aU0]
>>586
そもそも紀州ごときが来ても大阪の勝敗は変わらない、大阪城の周りの死体が増えるだけ。
そして紀州も馬鹿じゃないので慶喜を見捨てるだけ。
実際戊辰戦争でもすぐに幕府を裏切って、逆に新政府に金を献上して兵士もだしている。
慶喜が篭城してもこれはかわらんよ。

596 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/27(金) 05:22:10.95 ID:2RowhAQy0]
アームストロング砲やガトリング砲を手に入れてからの方が更に有利だが、
史実の慶喜の大阪城篭城でも薩長は中々落とせないぞ。

篭城論は、慶喜ではなく家臣からの意見でもあるし、
天下普請の城に砲兵隊や元込式銃を持った伝習隊も居るので、薩長も城を攻撃しても中々落とせない。

アームストロング砲があれば、そもそも薩長は近づけなかっただろう。

官軍が抗戦意欲のある旧幕軍が篭城する大阪城を包囲しても、
田安亀之助を抱える紀州は、すんなり官軍サイドにはなびかない。

史実では紀州藩の兵が大阪に到着する前に、旧幕府軍が出動してしまっただけだし、
もし会津藩の換わりに大阪城に兵を出していれば紀州藩兵も篭城する事になる。


大阪城で抗戦中の旧幕府軍が居た場合、紀州藩はそう簡単には官軍サイドには行けない。

下手をすると、佐幕派として官軍が大阪城を包囲している後を攻撃しかねない。
そうなると大阪城の旧幕軍と紀州藩兵力で官軍は挟み撃ちにされる。

大阪城の後背地である紀州藩が、佐幕派として参戦したら逆に官軍の負けであり、
官軍は、下手に大阪城を包囲出来ず、鳥羽伏見から旧幕府軍を追い払った時点で膠着状態。

下手をすると土佐、越前、尾張が裏切りかねない。

>反対などしていません。嘘言わないように。

辞官納地は、継続審議に成ったって事は、当初の即時実行案はもとより、
自主的辞官納地も全大名石高割案も無くなり、今後開かれる諸侯会議が
この三職会議で再度話し合いましょうって事。

年末の時点で辞官納地は、即時実行案も自主的辞官納地も全大名石高割案も採用されませんでした。

だから継続審議案になったんです。

597 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/27(金) 05:33:27.92 ID:2RowhAQy0]
>>592
>郡県制の導入って結局何もできてないじゃない。

先の話だから。

>財政問題が解決できてないのに近代化を推し進めても、
>エジプトやオスマン帝国の二の舞になるだけだよ。

エジプトやオスマン・トルコほど幕府財政が切迫していませんから。

>それに小栗が薩摩藩邸襲撃しなければ、

薩摩藩邸を攻撃しなかったら、薩摩藩のテロ攻撃は終了しなかったでしょう。
攻撃そのものが問題なのではなく、それを聞いた強硬派幕臣が鳥羽伏見に進撃
したのが間違いなのであり、江戸の薩摩藩邸攻撃の報を聞いても鳥羽伏見に進撃
しなければ良かっただけ。

大阪市内の3つの薩摩藩邸を攻撃するとか、大阪湾の薩摩海軍を攻撃するとか、
むしろ会津藩を大阪城から江戸に戻して江戸に四つある薩摩藩邸全部を攻撃すべきでした。

598 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/27(金) 05:39:02.42 ID:2RowhAQy0]
小栗の外債起債計画も薩摩の妨害で失敗し、
旗本の貢租収入半分を事実上幕府が接収してそれを武器や工場整備に当てている。

この様に幕府は、外国からの借入金を無制限に入れている訳でもない。

薩摩も幕府債券が、パリやロンドンで発売される事を嫌がっているのは、
幕府の軍事力増大を気にしているからでしょうね。

599 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/27(金) 07:40:19.38 ID:kHkq4FQ5O]
慶喜が籠城しなかったのはもう勝てないと悟ったからだよ。
朝敵になったら勝てない。諸藩も次々に降伏軍は連戦連敗

600 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/27(金) 10:26:21.10 ID:ljzJx3lnO]
>>555
海上閉鎖してる大阪湾に薩長の海軍が突撃出来る訳がありません

海軍でも幕軍圧倒的有利

尊王やらの宗教的思想が存在しなければ薩長に勝ち目はありません

601 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/27(金) 10:30:51.66 ID:ljzJx3lnO]
>>599
朝敵に成ったらでは無く、『朝敵に成りたくない』だから

そもそも兵力で圧倒的に劣る京都の薩長軍では大阪城包囲など非現実的であり不可能
つまり籠城では無く、大阪城は拠点です

602 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/27(金) 10:40:23.43 ID:ljzJx3lnO]
幕末は兵力やら軍事力だけで戦局を推し測るのはナンセンス
『尊王』の思想の下に成り立ち、極論を言えば『尊王』の下に帝の意志が正当化されたら一人で数万の敵をも撤退だって可能
長州征伐然り鳥羽伏見然り
幕軍が負けたのは極地戦だけで本来なら大局には影響されない部分

真珠湾にキリストが居て、日本海軍が正当な理由で身柄を確保出来てれば太平洋戦争も日本は十字軍となり勝てたかもしれません

603 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/27(金) 18:32:49.01 ID:2i7C0CTy0]
>>602
長州征伐で勝ったのは賊軍たる長州で、負けたのは官軍たる幕府軍なんだけど。

>>597
小栗は在坂の軍が進撃することを見越して薩摩藩邸を攻撃したんだよ。



604 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/27(金) 19:29:37.94 ID:2RowhAQy0]
>小栗は在坂の軍が進撃することを見越して薩摩藩邸を攻撃したんだよ。

いいや、慶喜が江戸に逃げ帰ってくるまで、
鳥羽伏見で薩長と戦闘になっている事や負け戦だった事も江戸の幕閣は、知らなかった。



605 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/27(金) 20:23:31.28 ID:1tWl6m+a0]
>>596
万単位の兵士が今日明日篭城しましょと決めて篭城できるわけないだろ。
食料と武器弾薬の備蓄が必要なんだから。
そもそも篭城なんてのはどこかから援軍が来る見込みがあってやるもの。
引きこもってて状況が良くなるなんて事はないんだよ。西日本と機内東海道の諸藩が次々に降伏してるのに。

606 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/27(金) 20:28:45.37 ID:6WUL1iWj0]
>>604
明治以降、江戸の幕臣の証言に「薩摩藩邸焼き討ちは、京都の旧幕府軍を決起させるための行動だった」というものがある。

607 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/27(金) 20:48:33.57 ID:1tWl6m+a0]
>紀州藩はそう簡単には官軍サイドには行けない。

根拠がない。機内の諸藩は殆ど下っている。機内の諸藩は朝廷との付き合いが深いからな。
嫁が皇族の紀州が朝敵になってまで反抗する事は考え難い。
紀州はほぼ完全に孤立している。西日本でもほぼ全ての藩が下っている。
ここで抵抗しても紀州に勝ち目はない。


608 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/27(金) 20:52:58.97 ID:1tWl6m+a0]
>佐幕派として参戦したら逆に官軍の負けであり、

負けることはありえない。紀州藩が参加した長州征伐の結果は酷いもんだったよ。
紀州がきても結果が覆るわけがない。そして紀州は朝廷が討伐に動くと即座に土下座外交と、
上納金と兵士まで差し出した所、幕府に付くほうがおかしいだろう。
また土佐やら尾張やらが幕府に着くこともない、尾張などは佐幕派を全員切腹させてまで忠誠をあらわしている。

609 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/27(金) 20:57:09.59 ID:1tWl6m+a0]
>だから継続審議案になったんです。

つまり辞官と領地の返上の方針は変わらなかったという事ですよ。
これからは皇族議定が反対したなどと嘘を言わないようにね。彼等が反対したのは即時領土の返納だけだよ。
領地を返させるという基本方針になんら変更はない。


610 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/27(金) 21:00:04.07 ID:1tWl6m+a0]
>>597
>郡県制 具体的な構想も何もない、実現性も皆無の妄想。
>幕府財政が切迫していませんから。
幕府は金に困って外国から数百万ドルの借款を申し込んでいる。
下関の賠償金も払えなくなっている、国内の商人からも莫大な御用金を取り立てて、
さらに借金までしている。破綻寸前だよ。

611 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/27(金) 21:11:17.41 ID:2i7C0CTy0]
>>604
朝比奈昌弘の回顧で、小栗ら強硬派が京都で今動かなければ時を逸する。在京の士は臆病だ
こちら兵を動かせば、向こうも進撃すると論じた記録がある

612 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/27(金) 22:50:58.61 ID:2RowhAQy0]
>機内の諸藩は殆ど下っている。機内の諸藩は朝廷との付き合いが深いからな。
>嫁が皇族の紀州が朝敵になってまで反抗する事は考え難い。

機内じゃなくて畿内だろ。

それに鳥羽伏見の戦い以前に勤王派になっている畿内の藩は12〜3藩でしかない。
その後の鳥羽伏見の戦いで官軍に寝返ったのは淀藩、津藩、亀山藩ぐらいなモノ。

畿内の藩は、それほど勤王派にはなっていない。
雪崩を打って勤王派になるのは、大阪城を脱出した事が判り始めてからで、順序が逆。

九州なので各地の奉行が逃げ出すのは、慶応4年の一月中旬ぐらい。
慶喜が大阪城で抗戦していたら、どうなっていたか判らない。

>そして紀州は朝廷が討伐に動くと即座に土下座外交と、
>上納金と兵士まで差し出した所、幕府に付くほうがおかしいだろう。

それも慶喜が大阪城を逃げ出して、大阪の旧幕府軍が解体してしまった後の話。

>尾張などは佐幕派を全員切腹させてまで忠誠をあらわしている

青松葉事件は、一月下旬の話。慶喜が江戸で抗戦の姿勢を表さない事を見定めた上での藩主の行動。

>また土佐やら尾張やらが幕府に着くこともない

土佐藩は裏切る気満々だからw 会津藩と土佐藩と話合いしている。

>領地を返させるという基本方針になんら変更はない。

継続審議なんだから、単にまた後に話し合うって事だけを決めている。

>破綻寸前だよ。

関税収入が、かなり潤っている。

>611
それは結果論だ!

613 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 00:25:57.90 ID:B/Gy7C9nO]
>>608
芸州口の紀州+幕府歩兵隊は西洋化してるだけあって、なかなか頑張ってるよ
彦根フルボッコの後は一進一退で膠着してるもの


まあ、5分の1以下の規模の相手にだけどねw



614 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 07:54:52.45 ID:0BZDGldX0]
>食料と武器弾薬の備蓄が必要なんだから。

大阪天王寺が、幕府軍の補給基地になっていて、
そこにある武器弾薬、食料と突貫で大阪城に搬入すればよい事。

>在京の士は臆病だ

これは、12月12日に慶喜が大阪城に撤退する前の話で、月末、年末の話ではないね。

それに月末、年末では、幕府の外国事務局は、神戸開港、新潟海市、横須賀鎖港の
対応で追われていた。そこに更に王政復古のクーデターで6ヶ国公使と大坂城で会談
となり、そのセッティングなどもあり色々忙しかった。特に神戸開港は、幕府への
関税収入への足しが大きくなる事などから慶喜側近で12月以降の対薩長強硬策の提
唱者でもある永井尚志を担当者に当てるなど、慶喜政権ではかなり重要視されていた。

江戸でも慶応の改革の施策は、続けられており、全軍銃兵化や先込式銃への転換、
フランス将校による幕府軍の訓練、新兵募集の継続や横須賀製鉄所の拡大、鋼鉄製
軍艦の買付など幕軍改革の仕掛過程の業務が沢山あり、その一方で薩摩のテロ活動
への対策も打たなくてはならない等江戸の陸軍局、海軍局、会計局(勘定奉行)は
結構忙しかった。
更に江戸の陸軍局、海軍局、外国事務局は、大政奉還や王政復古で朝廷新政府の三
職会議の決議内容次第では今後の日本の軍制度が決まるのでそれに対する準備まで
している。
67年5月以降は、幕府従来の奉行制や老中合議制は廃止し、西洋型の事務局制とその
トップに担当老中を当てる事実上の内閣制に移行している。
この様に個別政策に関しては担当部署以外の人間の発言では動かなくなり始めている。
また、それ以外の慶応の改革の施策でも忙しい。

この様に大政奉還〜王政復古時期の幕府上層部は、中々忙しくて、はっきり言って
京での討幕派への対応策や朝廷でのロビー活動まで頭に入っていない状態。フラン
ス大使のロッシュでさえも慶応の改革では部局ごとの改革の進捗度が違ったり、横
の連絡が取れていなかったりで、ロッシュの目には改革の進展は捗々しい物ではなかった。
その為に慶喜が江戸に帰還して自ら慶応の改革の先頭に立つように要請している位。

しかし京では、薩長の王政復古のクーデターなどがり、その対応策や畿内諸藩の動向、
朝廷新政府への内部工作等の難問が山積しており、とてもじゃないけど江戸に帰れる状況
でもなかったが、江戸では慶応の改革の途中であり、京への政変への対応工作よりも
幕府自らの改革作業や朝廷新政府への合流準備の方が忙しくて、幕閣はあまり京への政変
対応策まで目が行っていないのが実情。だから鳥羽伏見の戦い後にイキナリ慶喜が江戸に
軍艦で戻って来た事にも江戸での幕閣が驚いている。一々江戸の幕閣が薩長相手の施策ま
で判断していた訳でもない。

615 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 08:13:26.46 ID:AQ6obydZ0]
>>612
>淀藩、津藩、亀山藩ぐらいなモノ。
もう殆ど下っているじゃないか。
機内の雄藩なんて津、淀、亀山、郡山、宮津、膳所、桑名、姫路くらいしかないぞ。
宮津とか速攻で降っているし、敵対したのって姫路と桑名くらいのものだし。
藩主が抵抗しただけで、留守居役は速攻で降伏。

616 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 08:15:05.20 ID:0BZDGldX0]
だいたい薩長が、王政復古のクーデターを仕組んだり関東でのテロを仕組んでいるのは、
幕府の慶応の改革が進展するのを嫌がっているからこそ、そうやって改革作業を妨害している。

慶応の改革が進展すれば、薩長はもう幕府には手が出せず第三次長州征伐や第一次薩摩征伐
が日程に入ってくる。最終的には幕府による廃藩置県と郡県制の導入であり、慶喜大君制に
よる征韓論、植民地獲得論となる。

そうならないうちに、慶応の改革が進展しないうちに、幕府を倒そうというのが薩長の決定。
長州の木戸あたりが慶喜の慶応の改革を物凄く警戒しており、むしろ慶応の改革の実行が、
薩長の急進的な討幕姿勢を呼び寄せた面がある。

617 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 08:15:10.95 ID:nEyxZKxz0]
>>614
>これは、12月12日に慶喜が大阪城に撤退する前の話で、月末、年末の話ではないね。
根拠がありません。不可。

618 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 08:18:32.11 ID:0BZDGldX0]
>>617
>在京の士は臆病だ

12月12日以降は、大阪城に撤退して幕府の人間は京には居ないんですけどwww

619 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 08:19:53.93 ID:0BZDGldX0]
>>617
>根拠がありません。不可。

12月12日以降は、大阪城に撤退して幕府の人間は京には居ないんですけどwww

>>618は訂正。

620 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 08:27:52.21 ID:AQ6obydZ0]
>それも慶喜が大阪城を逃げ出して、
違う撫順隊がきたら速攻で降伏が流れ、朝敵にはみななりたくなかっただけ。
機内の藩は朝廷>幕府だから。九州とか中国とかでも速攻で降伏。
篭城してても彼等を助けに行けるわけがないから、降伏の流れは代わらない。
そして尾張は藩主が朝廷に忠誠を誓う為に起こしたことであって、慶喜が抵抗していても流れは代わらない。

621 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 08:32:04.21 ID:AQ6obydZ0]
>土佐藩は裏切る気満々だから
ありえんな、そもそもそんな事したら藩主が隠居させられるだけ。藩士は付いてこない。
>継続審議なんだから、
つまり方針は変わらなかったッてことだろ。何時何処で辞官納地が辞めになったんだよ。
>関税収入が、かなり潤っている。
幕府の借金に比べれば微々たるものだよ。余裕があるなら賠償金を支払えないで兵庫を開港したり、
借金の返済の待ってもらう為に、関税率を20%から5%に下げられる事もないよ。

622 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 08:37:29.50 ID:AQ6obydZ0]
>>613
いや10分の一くらいだろwあの方面は長州は1500程度だし。
紀州の洋式の武器もった連中だけで6000くらいはいる。
けど複数の街道や山などに分散しているから実際は数百程度の長州に数千で襲い掛かって返り討ち。
さらに海からは艦砲射撃もしているのにねw
>大阪天王寺が、幕府軍の補給基地になっていて、
篭城してんのにどうやってそんな事するんだよ。場外にいる作業中の連中なんて敵でもないぞ。

623 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 09:08:36.67 ID:0GBC1DgJ0]
>>591
>誰も知らん細かい例持ち出して、あーだ、こーだグチグチ言うんじゃないよ、ボケナス!
やっぱり小栗ヲタってこういうこと全然知らないんだな。
普通は小栗なんかよりも世直し一揆のほうが有名なのに。
だから大村とかのリップサービスを真に受ける事になる。
財政的な意味でもフランスとの提携という点でも
当時の小栗の要になっていたのは養蚕業だったのにそれを敵に回したんだから細かい例ですむわけないだろ。
しかも小栗は結局上州での世直し一揆勢に襲撃され
それを銃で撃退したことが上州の草莽に報告されて殺されてるんだよ。



624 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 11:19:18.74 ID:0LnulJL1O]
>>603
結局は薩長が勝つって当たり前だったって考えてる奴は馬鹿しかいない

第2次長州征伐では勅命は下りてないから幕軍は官軍ではありません
また第2長州征伐然り鳥羽伏見然り
幕府が弱いから負けたのでは無く、大将の気移りと言う想定不可能な理由での敗戦
戦局だけを見れば幕軍に負ける要素は皆無

625 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 11:22:25.32 ID:0LnulJL1O]
結果だけを見て『薩長勝って当たり前』って考える輩が、無謀な太平洋戦争をおっ始めたのは明らか


626 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 11:31:04.81 ID:AQ6obydZ0]
戊辰戦争で幕府が負けた理由を大将の移り気とか言っている時点でお前ダメだわw
その前の戦争で負けているんだよ。だから大将はもう勝てないと悟っただけの話。
そして薩長に勝てるとかありえん妄想を抱いている奴等が、アメリカにも勝てるとか変な妄想抱いて戦争始めただけの話。
幕府が薩長に勝てる可能性こそありえない。実際どの戦闘でも勝ったためしがない。

627 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 12:24:52.78 ID:B/Gy7C9nO]
>>624
いやいや勅命下りてるよ
大久保の「非義勅命は勅命にあらず」って結構有名だと思うんだか知らないの?
薩長同盟における坂本の動きを語る上でも必ず言及される

第二次長州征伐も鳥羽伏見もどうみても幕府が弱すぎるから負けたんだろ
薩長が強いから勝てたなんて誰も思ってないよ
小笠原が逃げたのは圧倒的に戦力が上の幕府海軍がやすやすと長州を小倉に3回も上陸させてしまった後、
慶喜が逃げたのは鳥羽伏見で3倍以上の戦力の旧幕府兵が薩長に撃退され撤退した後だ

628 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 13:33:15.53 ID:0BZDGldX0]
>>612
相変わらず、機内って書いているなw
バカだなww

鳥羽伏見の戦い以前に勤王派になっていた畿内とその近辺の藩は、

(近江)
彦根藩、西大路藩、膳所藩

(大和)
郡山藩、柳生藩、高取藩、小泉藩

(河内)
狭山藩

(摂津)
三田藩

(丹波)
園部藩、柏原藩、綾部藩

ぐらいなもの。

629 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 13:35:06.19 ID:0BZDGldX0]
>>628
>>615に修正。

630 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 14:35:28.22 ID:2HtiYk7U0]
>>614>>618
薩摩藩邸焼き討ちの直前の話だよ

>>624
慶応元年9月21日に出てるよ

631 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/28(土) 15:54:25.99 ID:0BZDGldX0]
>薩摩藩邸焼き討ちの直前の話だよ

その頃なら、京には幕府の人間居ない。

二条城は、水戸藩尊攘派に預けているし、
京都町奉行所は14日付で朝廷新政府の命令で廃止になっている。

伏見奉行所に新撰組と見廻組、
それに新遊撃隊「京都町奉行(東西二箇所)と伏見奉行の与力、同心で結成」が居るだけ。

632 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 16:34:47.83 ID:AQ6obydZ0]
>>628
石高で見れば残りの機内の諸藩など俺があげたもの以外は、自衛すらままならない小藩のみ。
機内で10万石を超えている藩で抵抗していた藩なんて、姫路と桑名くらいのもんで。
そこも即座に降伏。それが史実というもの。

633 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 16:55:30.33 ID:B/Gy7C9nO]
>>632
姫路は岡山に形だけ一発大砲打たせて即降伏だもんなw

しかし漢字は直してくれよ、畿くらいすぐ出るだろう



634 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/28(土) 17:57:13.97 ID:Zb0DR1030]
明治天皇「高松、松山征伐せよ」 土佐藩に命令

 明治天皇が土佐藩の第16代藩主山内豊範に「(幕府を助ける)高松藩や伊予松山藩を征伐すべし」と命令した御沙汰書=26日午後、高知市
 薩摩と長州に討幕の密勅が出された直後の慶応4(1868)年1月11日に、明治天皇が土佐藩の第16代藩主山内豊範に「(幕府を助ける)
高松藩や伊予松山藩を征伐すべし」と命令した御沙汰書が見つかり、26日、高知市の歴史研究会が発表した。

 所有していた高知県の男性が研究会に鑑定を依頼。鑑定した歴史研究家の松岡司さん(68)は「土佐藩にとって、明治維新の最重要文書。残っているとは驚きだ」と話している。
 書状は縦22センチ、横110センチの切り紙。文書の内容は山内家がまとめた資料集などで知られていたが、原本は所在が分からなくなっていた。
town.sanyo.oni.co.jp/news_k/d/2012012601001060
www.sanyo.oni.co.jp/news_k/images/2012/01/26/2012012601001094-256.jpg

635 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/29(日) 00:18:11.32 ID:n8rZl4380]
中国地方・山陰地方は、西から長州藩の軍勢が来ているので勤王藩が増えているが、
畿内では鳥羽伏見の戦いで負けた時点で尚且つ慶喜逃亡以前に勤王派に寝返った藩は、
淀、津、亀山、高槻などの諸藩で、それ以外は形勢を見ている。
大阪城のすぐ近くの尼崎藩や麻田藩などは、慶喜逃亡の報を聞くまで動きを取れなかった。

雪崩を打って勤王派になるのは慶喜の大阪城逃亡が公然化し、大阪の幕府軍の溶解が始まった以後。
慶喜が大阪城で抗戦を続ければ、畿内やその付近の藩は動けない。

鳥羽伏見の戦い以前に大和の四つの藩が、勤王藩に傾斜しているが、これもかなりリスキーな行動だった。
紀州藩が、佐幕派として参戦したら攻撃されかねない行動だった。丹波でも3つの外様が勤王藩に成っているが
これは西から長州が来るのでまだ判るが、近江や大和ので鳥羽伏見の戦い以前に勤王藩に傾斜していたのは、
かなりリスキーだったと思われる。

慶喜が大阪城で抗戦を続けた場合は、これら鳥羽伏見の戦い以前に勤王派に成っている藩や
鳥羽伏見の戦いで勤王派に寝返った藩は、旧幕軍の攻撃の対象にされるだろう。

636 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/29(日) 00:38:09.40 ID:b5IyGMNq0]
夜逃げ逃亡が全てよ
あれで新政府内の親慶喜の諸侯派は沈黙せざるを得なくなったし
日和見の藩は全て薩長についた
慶喜からしたら戦わないのがベストだったけど開戦に及んだんだから
腹くくって勝負すべきだった
春嶽の慶喜評「百の才知があっても一つの胆力もなかった」
は的を射ているわ

637 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/29(日) 01:47:47.40 ID:HabBhD41O]
慶喜がどんなに抵抗しようが、越前尾張が朝廷についているから畿内の藩が幕府に付くことはないよ。

638 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/29(日) 08:58:37.71 ID:/7d6agsB0]
もう慶喜厨は荒らしの領域に入り込んでる気がするがそれはさておき
客観的事実として一度決定した辞官納地は既に骨抜きにされていた事
慶喜の新政府参画は既に内定していた事は事実なので
会津庄内をもし慶喜が押さえられていたら鳥羽伏見のあった日に慶喜は
御所に参内して悪くても平議定普通に考えれば議定筆頭くらいにはなってたと思う。
ただ副総裁までは越尾土の連中も協力はしない(容堂は微妙だが)だろう。
ただ薩長土肥の維新後の扱いそれはお飾りの左大臣にされた久光に
代表される殿様個人の扱いもあるし、版籍奉還、廃藩置県に代表される藩としての
扱いもあるがそれを見るに三職制から太政官制に移行すれば慶喜が政治的実権を
有する可能性は零に等しい。
ただ太政官制下の参議のポストは史実では薩長土肥が独占していたが
この場合だと小栗榎本大鳥勝あたりの旧幕臣連中と由利公正に代表される
越前藩の連中あと状況によっては尾張宇和島水戸の連中も参議入りして
人事の面では大幅に変わって来る可能性は多少ある。
まあこれについても結局10年ちょっとで土佐肥前の連中は新政府から
追い出されたのでやっぱり史実通りだった可能性も高いがね。
ただ榎本や大鳥があんだけ活躍できたわけで小栗が新政府に参画すれば
全く違う展開になってたかもしれんとは思う。

639 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/29(日) 11:02:41.29 ID:49LoPbpLO]
>>638
戊辰戦争が起こらなければ廃藩置県で各方面からの反発が大きそうだなあ
西南戦争までいかなくとも士族反乱が早い段階で各地で起こるやも
もしくは緩やかに移行させて史実よりずっと後に実施するか

640 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/29(日) 11:52:23.77 ID:JcBLBNwx0]
>>636
>春嶽の慶喜評「百の才知があっても一つの胆力もなかった」

 それを書いた春嶽の回顧談では、「水戸の徳川斉昭は幕府を乗っ取って天下を取ろうとしていた」と断言しているのだが、
信じてるの?慶喜の評はその延長上に書かれたものだしw。これ信じてるなら、君はかなりイタいぞw。


641 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/29(日) 12:09:10.11 ID:/7d6agsB0]
>>639 その場合は多少遅れていた可能性はあるが要は史実の戊辰戦争の
替わりが廃藩置県戦争になってただけじゃないかな?
内乱はもちろんあったでしょうが不平士族の反乱とは別物だと思う。

642 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/29(日) 14:37:50.68 ID:JcBLBNwx0]
>>638
慶喜には上洛を、会津桑名両藩には帰国命令が朝廷から出ていたから、
会津桑名が慶喜と一緒に参内する事はありえん。
そういう意味では、朝廷の役は貰えまい。というか最初から彼らは幕府の役だけで朝廷から何らかの役目貰ってたわけじゃないし。

>>641
廃藩置県戦争で済めばまだ御の字だな。
自由民権思想が諸外国から流入するのは時間の問題な訳で、こちらが先なら市民革命戦争になる。
そうなれば武士階級どころか天皇や公家までも庶民の手でギロチンだ。


643 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/29(日) 15:18:28.31 ID:4IjpVV060]
>ただ副総裁までは越尾土の連中も協力はしない(容堂は微妙だが)だろう。

土佐も越前も尾張も副総裁の線で工作しているんだがね。

>慶喜がどんなに抵抗しようが、越前尾張が朝廷についているから畿内の藩が幕府に付くことはないよ。

開戦時に土佐も越前も尾張も議定の辞表出している。

>史実の戊辰戦争の替わりが廃藩置県戦争になってただけじゃないかな?

それも含めて慶喜は朝廷の摂政や新政府の副総裁になるつもりだったんだろう。
天皇の権威と徳川の西洋化した軍事力で諸藩を圧倒して実行する心算ではなかったのか?

それには第三次長州征伐や薩摩征伐での幕軍勝利が必要だった。



644 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/29(日) 15:46:50.36 ID:Cng1tb9N0]
>>643
第三次長州征伐や薩摩征伐をするには、何を口実に
しますか?

645 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/29(日) 16:37:14.73 ID:EvjDgfvs0]
>>631
正確に言えば「大坂の因循して時機を逸するは、在坂の有司孰れも臆病者なるが故なり、関東より端を
開きて其眼を覚まさしむるに若かず」だから焼き討ち直前だよ。

646 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/29(日) 22:57:05.13 ID:JcBLBNwx0]
>>643
慶喜は新政権の樹立に向かっていたが、幕臣の多くは幕府の継続を望み朝廷を中心とする新政府発足に反対しとるよ。
慶喜の思惑がどうであれ、徳川が二派に割れるから戦争になっても第二次同様に全力は出せまい。

647 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/30(月) 11:08:15.50 ID:k3/HQaoxO]
>>627
10万石削減&藩主隠居
これが勅命

武力討伐の勅命は皆無

648 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/31(火) 07:26:15.01 ID:edZfXRIrO]
>>646
その場合、新政府+旧幕臣の一部対旧幕府+会津桑名その他、の戊辰戦争が始まるかもな
そうなると江戸が焼けるのは不可避か…
長州は復権さえ出来たら新政府側に付くだろうからしばらくは征伐の心配は無さそうだが、
薩摩はどうなるか

649 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/01/31(火) 16:18:14.25 ID:NEALSGZ30]
>焼き討ち直前だよ。

なおさら京には幕府の人間居ないって。

>幕臣の多くは幕府の継続を望み朝廷を中心とする新政府発足に反対しとるよ。

史実では慶喜が説得して何とか納得させています。小栗も含めてね。

650 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/01/31(火) 19:43:48.53 ID:EfD1cL9D0]
>>638
小栗は会庄と同じカテゴリーであって新政府入りは無理。
小栗が慶喜に罷免された時に大久保一翁は越前に幕府の旧弊を改める好機と書状を送っているくらいで
越前・大久保・勝らと小栗では別だ。
榎本や大鳥は幕府が解体された後に登用されたんだし話が違う。

651 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/01(水) 09:29:07.35 ID:DrVHxZR90]
徳川家の私財を投じて国家運営しているようなもので
全国徴税の仕組みをつくらないと勝ってもいずれ息詰まるだろ。

652 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/01(水) 10:35:28.99 ID:HfsHslIP0]
>>651
勝たなければ何も始まらないですね。

第2次長州征伐に成功していれば余裕をもって、
幕政改革ができましたが・・・・・・。

紀州よりも長州のほうが武器の性能や能力が
すぐれていますから、撃退されて当然です。

653 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/01(水) 11:53:35.99 ID:G5xw8Pop0]
Ifを言うなら、慶喜が第14代将軍になってれば大分歴史が変わったんじゃないかな。
安政の大獄も起きないし。

>>650
小栗と共に慶応の改革に従事し、また勝海舟を蛇蝎の如く嫌ってた
栗本鋤雲のとこにも新政府から出仕の誘いが来た(けど断った)らしいから、
本人にやる気があれば不可能でもなかったんじゃないかな?
小栗のことだから、出仕の誘いが来ても断るだろうけど。
どちらにせよ、小栗も函館まで行けば良かったんだが。



654 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/01(水) 12:26:23.83 ID:O5gfzL6mO]
>>652
第二次長州征伐の時なら紀州の武器の性能は長州と同じくらいかむしろ上
そして芸州口における兵の数は紀州の方が圧倒的に上

しかし一歩も長州の地に攻めこめなかった
武器の性能のではなく組織体制や士気の問題だろう

655 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/01(水) 12:34:21.17 ID:QaAM1X4U0]
散兵戦術と戦列歩兵じゃなあ。
戦術が50年か100年は違うんじゃね?

656 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/01(水) 15:56:15.32 ID:UBlypi6E0]
芸州口に限れば、紀州藩兵の士気は高かったんじゃなかったっけ
総督が徳川茂承だし、支藩主が自ら出兵してたりもするし
粘り強く戦ってたと長州側の記録にもあった……気がするw
数で勝ってるのに苦戦した理由は、戦術か戦略、あと地形辺りじゃないかな

657 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/01(水) 17:06:49.79 ID:PPrmiFUlO]
だ・か・ら

幕軍1万5千で大阪城拠点に陸路閉鎖

海軍で海上閉鎖
京都の薩長軍5千はどうやって補給路作るの?
武器が優れてても弾薬切れたら鉄屑だよ


658 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/01(水) 19:33:28.24 ID:HfsHslIP0]
>>654
紀州は独自にプロシアから軍事顧問を、
招聘していましたからね。

組織体制や士気の問題でしょうね。

659 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/01(水) 20:21:35.65 ID:X1kU/9TE0]
紀州藩がプロイセンから軍事顧問を招いたのは、明治維新後だったと思われ

>>657
鳥羽伏見前ならそんなことせずに傍観してりゃ政治的に勝てるし、
強硬派は衆を恃んで余裕ブチかましてるから封鎖とか消極的な作戦は眼中にない

鳥羽伏見後だとしたら、その1万5千で惨敗したのに更に封鎖の為に分散させるとか正気なの?って
言いたくなるだろうな、慶喜の立場ならw
しかも橋本の戦いで幕府軍が壊走した後は、新政府軍内で軍需品の鹵獲競争が起きてる
あと当然ながら援軍も来るわけで、慶応4年1月9日には長州軍が備後福山藩を降伏させている

660 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/01(水) 21:54:38.34 ID:OGKLdaud0]
慶喜は、江戸から薩摩藩邸焼討ちの報が入った後は、
強硬派幕臣を鳥羽伏見に進撃させるのではなく、
大阪市内の三つの薩摩藩邸を攻撃する事で誤魔化すしかないね。

あと大阪湾で薩摩や長州の軍艦や船を攻撃するとか。

史実でも伏見奉行所に詰めている新撰組や見廻組、新遊撃隊が
それなりに示威行為で暴れてはいるのだが、西郷と大久保がこの事を
批判しているものの議定会議で土佐、越前、尾張が工作して伏見奉行所
への出兵話は無くなっている。
薩長への鳥羽伏見への出動命令は、あくまでも幕府軍接近の報があってから。

関東各地で行った薩摩藩のテロ活動の方がはるかに大規模で酷かった。
一揆や騒乱状態まで発展し伊豆代官の江川家は、伊豆で徴兵した農民兵を治安出動させている。

661 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/01(水) 22:26:25.77 ID:HfsHslIP0]
テロリストは打ち殺せ。

寛大なる処置に感謝している庄内はおかしい。

>>659
そうでしたか?

662 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/02(木) 12:15:48.46 ID:W0R8qFx/0]
幕府は、元込式銃に転換し始めた直後に大政奉還やら王政復古やらだから
もう少し時間があれば、武器の近代化をもっと整備できただろう。
幕府軍が大阪の幕府軍5000人だけでも先に元込式銃兵化を完了してから
鳥羽伏見の戦いを始めるべきだった。

しかし、ま〜ジャーディン・マセソンが、アームストロング砲を幕府に売却しなかった
背景を知りたいね、誰かが幕府軍の強化を邪魔している訳だ。長州の木戸も慶応の改革
の進展を気にしている訳だし。

結局、薩長は、慶応の改革を進めさせたくなかったんだろう。
ある意味、慶応の改革は「富国強兵」の第一歩と言っても良い。

663 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/02(木) 13:22:12.76 ID:PJQTfopbO]
>>659
惨敗?
初戦で敗走はしたが、大阪城及び港を押さえてる以上戦局は幕軍有利は変わってないよ




664 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/02(木) 13:25:36.13 ID:PJQTfopbO]
>>662
武器マニアは痛々しい…

初戦敗走は錦の御旗による物

大将に戦意が有れば3日で京都の薩長は追い詰められてたよ

665 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 15:53:34.59 ID:oz1Cygyc0]
そういう心構えがないから負けたんだし政治を任せられなくなった

666 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 18:08:09.20 ID:OH8u1PZH0]
>>656
他の幕府歩兵とかと一緒になって10分の一以下の長州軍に攻め込まれて、
一歩も長州の土地を踏めずに負けた。
>>663
薩長に攻め込まれたらどうせ守れないよ。戊辰で一度でも薩長に勝った事あったっけ?

667 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 18:17:49.28 ID:abgta0mF0]
指揮官を家柄で選んでる限り勝てないだろうね

668 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/02(木) 20:49:11.99 ID:1/4dPMM80]
>>664
慶喜は、土佐、越前、尾張の三藩の朝廷工作にかけていて、それは上手く行きかけていたのだから、
戦意が無いのは当たり前。むしろ伏見奉行所での挑発行為と徳島沖での海戦、関東での薩摩藩邸
焼討ちや関東各地への治安出動、大阪市内の薩摩藩邸への攻撃ぐらいで止めておくべき。

会津藩などは、東帰させて江戸での警備や関東各地への治安出動をさせておいた方が良かった。

薩摩藩邸焼討ちで薩摩藩が三職会議で文句を言って来ても関東でのテロ活動の件を逆に批判出来る。
この時点での戦意は、はっきり言って無駄な効率の悪い戦意。もっと開戦は先延ばしにするべき。
アームストロング砲35門とストーンウォール号の入手、元込式銃兵化の進展、この三つが揃ってからの開戦でも遅くない。

>薩長に攻め込まれたらどうせ守れないよ。戊辰で一度でも薩長に勝った事あったっけ?

徳島沖海戦では、薩摩藩海軍は見事に負けていますけどねw
天下普請の大阪城は一寸やそっとでは落とせない。アームストロング砲が十数門配備されていれば
官軍は近づく事も出来ない。下手に大阪市内に突入したら幕府海軍の艦砲射撃の的になるだけ。

669 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 21:15:44.34 ID:OH8u1PZH0]
阿波沖の海戦は兵士の輸送が終わって薩摩に帰る途中の船を襲ったもの。
そして薩摩は輸送船が一隻座礁しただけで、無事任務を全うして帰っている。
幕府は船二隻すら沈められない体たらくなんだが。
長州征伐でも少数の長州海軍にボコボコにまけて、関門海峡も制海権は長州が握っていた。

670 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 22:17:28.95 ID:7LN0TxSp0]
北越戦争では薩長側が寡兵の旧幕側に局地戦では度々負けてるな

671 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 23:01:24.74 ID:OH8u1PZH0]
負けたのは薩長の兵じゃないけどなそれ。

672 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 23:28:22.69 ID:X0Ouact10]
>>668
アームストロング砲を過大評価しすぎだろ。幕末時はまだ不安定ですぐ壊れるので
そんな超兵器と言われるほどの威力は無いぞ。
当時の英軍ですら四苦八苦していたのに、幕府軍に満足に運用できるとは思えん。

673 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/02(木) 23:34:56.70 ID:kKDp5FPXO]
>>668
何度も何度も同じこと書いてるようだけど、
つまりはあのタイミングで鳥羽伏見の戦いを起こしてしまった時点で幕府の負けは覆せないってことね



674 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 00:52:18.72 ID:Q7frZP2R0]
>何度も何度も同じこと書いてるようだけど

それが事実だから。

>鳥羽伏見の戦いを起こしてしまった時点で幕府の負けは覆せないってことね

慶喜は、それが判っているから二条城から撤退したし、
土佐、越前、尾張の三藩に朝廷工作を任せている。

それに幕府軍を鳥羽伏見に進撃さえさせなければ、朝廷は慶喜を朝敵にはしなかった。
江戸や大阪の薩摩藩邸や関東の一揆勢を鎮圧して、時間を稼いでいれば良かったのだ。

その間にアームストロング砲35門やウォールストーン号の入手、幕府陸軍の元込式銃兵化
を推進していればよかった。木戸が言う様に慶応の改革が進めば進むほど幕府軍は強くなる。

一度戦いを起こしたなら大阪城に篭城して抗戦を続けるべきだろう。
大阪の戦いが長期化すれば、薩長の力が弱まり、土佐、越前、尾張が仲介に乗り出すなり、
土佐が裏切るなりするだろう。

675 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/03(金) 01:38:37.10 ID:kOsU2UkM0]
それ無理。何故なら幕府には金がない。
下関の賠償金も払えなかったのが幕府。
だからフランスから追加借款を申し込んでいたけど、もう領土でも担保にしないと無理な状況になっている。

676 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/03(金) 07:18:49.83 ID:jalfgSLtO]
>>674
アームストロング砲だろうがストーンウォール号だろうが銃兵を鍛えようが、
指揮官が硬直した身分人事な時点でただの鉄屑だよ無理矢理


逆に、鳥羽伏見の指揮官を大鳥にするくらいの実力に促した人事が出来てたら、
(そして一番難しいことだが頑迷な会津兵らもその指揮官にちゃんと従ってたら)
幕府軍は勝ってたと思うよ
武器の性能と兵力なら勝ってたんだから

677 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/03(金) 08:06:43.07 ID:kOsU2UkM0]
んー違うなあ。指揮官も大事だが一番大切なのは戦術と士気だからね。
薩摩の立ち撃ち、長州の寝撃ち、土佐の膝撃ちというが。
この三藩はある程度散兵戦術を駆使して戦える。
薩摩や土佐の場合は敵が近づいたら即座に近接戦闘に切り替えて突撃する胆力を持つ。
長州はそこまでの胆力は持たないが、まず崩れる事がなく最後まで持ち場を死守する忍耐力を持つ。
幕府は散兵戦術が取れない。何故ならそうしたら軍が崩壊する。
かといって密集して攻撃しても的である。結果どうやっても勝てない。

678 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 10:45:38.11 ID:MhrNBbmxO]
>>666
痛々しい

679 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 10:50:18.91 ID:MhrNBbmxO]
>>668
いったい何の話を?
幕軍が戊辰戦争で勝つ可能性の話

つまり鳥羽伏見開戦以前の話は論外

一々さかのぼってたら『参勤交代を廃止しなければ良かった』って結論に成っちゃうがな

680 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 12:39:16.51 ID:I7lbfCNO0]
「鳥羽伏見の戦い」(幕府の命運を決した四日間)の著作者の野口武彦は、
慶喜のチキンぶりと大阪城放棄が最大の敗因では有るが、戦闘現場では、
連絡将校(采図役)の絶対数の不足と訓練不足が、敗因だ、としている。

また、一部元込式銃兵化を行っていた伝習隊は、総崩れの幕軍の中でも比較的
踏み止まって良く戦っており、薩長も伝習隊との対戦では苦戦している事を記している。

薩長の戦闘記録でも伝習隊は他の部隊とは異なって、
反撃が激しく、伝習隊の射撃で味方に被害が出ている事を記している。

681 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 12:48:14.72 ID:I7lbfCNO0]
>つまり鳥羽伏見開戦以前の話は論外

頭悪くない?
開戦し無い事が有利なら、それも検討すべき。

また正月の段階で開戦しないでも、どのみち年内中旬には開戦している可能性が大きい。

それに開戦して大阪城を薩長が中々落とせなかったら、
土佐、越前、尾張はどちらに転ぶか判らない。特に土佐は裏切る気満々。

682 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 16:11:35.08 ID:MhrNBbmxO]
>>681
開戦回避はスレ違い
スレタイ100回嫁

683 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 16:13:59.09 ID:2zNVRlA40]
通りすがりだけど、戦わずして勝つとか言うし
もしくはまた別のいくさの準備なのかもしれんし



684 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/03(金) 17:18:50.54 ID:jalfgSLtO]
>>681
>>683
戊辰戦争において旧幕府軍の勝利を考察するスレだから、
戦わないという選択肢はスレ違い
鳥羽伏見が起こらなかった場合の、
後々戊辰の年に起こりうる別の戦争に関してもスレ違い
鳥羽伏見後に大阪城に篭城したら、はここで語るべき内容

685 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/03(金) 19:27:25.40 ID:9wecEBnA0]
なあちょっとスレ違いかもしれんけど奥羽越列藩同盟の他にもう一つ
列藩同盟ってあったよね?
俺の記憶違いかな?ぐぐっても出てこない。

686 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 21:46:06.83 ID:Irbqc2WS0]
戊辰戦争は、年の事ではなく、幕朝戦争の意味を表している。
その勝利の為に開戦時期を見合わせるのは、ありうる事だ。

4月になればストーンウォール号も徳川家の手に入るしな。

西郷だって3〜4ヵ月後での
開戦だと思っていた位だから、正月開戦はむしろ偶発的要素が大きい。
ま〜正月に開戦しないでも戊辰の年内には、どのみち戦争の可能性が大きいが。

長州藩だって本国から山陰を通って援軍を京へ登らせようとしている。
長州藩の援軍が入京したら、どのみち戦争だよ。

もっとも幕府vs朝廷の構図ではなく、
朝廷内部の“副総裁vs議定”の戦いになるのかも知れないが。

慶喜も開戦するなら、準備万端で開戦すべきなんだ。
慶応の改革の途中で開戦する方がおかしい。

>鳥羽伏見後に大阪城に篭城したら、はここで語るべき内容

結局、薩長では落とせません。
ハイ終了。

687 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/03(金) 21:57:33.70 ID:9wecEBnA0]
>>686やたら慶喜副総裁就任を推すが議定にはなれても副総裁になるのは
無理だと思うぞ。総裁が皇族なのに副総裁を慶喜にしたら新体制も
事実上徳川中心でやっていきますよって言ってるのに等しい。
薩長はもとより公家連中だってそんな話簡単にOKするわけないと思う。

688 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 22:24:01.00 ID:cftt1l5v0]
ところで幕府軍の戦術の拙さ(散兵戦術vs戦列歩兵)を指摘する
声がいくつかあるんでふと思ったんだけど

・松平定信(林子平の「海国兵談」発禁処分)
・鳥居耀蔵(高島秋帆を謀略で排除)

↑これが幕府(や佐幕派の藩)の兵制改革の遅れの原因の一つになってる
気がするんだけどどうだろう?

689 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/03(金) 22:31:48.25 ID:Irbqc2WS0]
>総裁が皇族なのに副総裁を慶喜にしたら新体制も
>事実上徳川中心でやっていきますよって言ってるのに等しい。

土佐、越前、尾張は、慶喜副総裁の線で工作し、かなりの賛同を得ている。

辞官納地が継続審議で事実上棚上げ状態で、しばらくは徳川家は400万石
を維持しそうだし、しかも旧幕の陸軍や軍艦、全国各地の城や奉行所、陣屋
などを考えると、行政執行は徳川宗家がやるしかない。

まあ〜議定になった岩倉や薩摩、それに慶喜の副総裁就任と同時に長州も
議定に任命されるだろうから、これら三者が、慶喜副総裁に反抗するんだろうな。

慶喜も議定会議で薩摩の関東でのテロ活動の件を持ち出して批判するだろうから、
そうなると結局年内に徳川宗家vs薩長で戦争になるかもな。

>薩長はもとより公家連中だってそんな話簡単にOKするわけないと思う。

皇族議定は了解済み、
皇族が了解しているのに、公卿が断るのは難しい。

鳥羽伏見の戦い直前には、
中山と中御門はもとより、岩倉でさえ動揺しまくっているが。

690 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/04(土) 01:31:30.62 ID:1Nqew55cO]
嘘も百編言えばなんとやらだな、諸侯が期待したのは薩長の牽制で合って慶喜の復権ではない。

691 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/04(土) 02:30:50.86 ID:CFpwL5PG0]
薩長の牽制=慶喜の復権=慶喜の副総裁任官

692 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/04(土) 02:35:01.13 ID:t98Zzaug0]
>>688
松平定信の時期に幕府の財政は急激に悪化しているので、
その意味で、幕末に幕府に余裕がない原因を作った無能政治家であることは確か。

また、政敵を抹殺するにあたり、政敵の行政的な業績を踏みにじるために
意図的に経済を困窮させ、政敵に罪をかぶせた傾向も否めない。

これは新井白石にも伊東正義にも見られる。
正義を名乗る人間はよほど気をつけないと、そいつが悪と名指しする人間よりも数段邪悪であることが多い。


鳥居耀蔵もろくな人間ではないが、奴というよりはその上の水野忠邦が評価できない。幕府を混乱させただけだった。



軍制に関しては、高島秋帆の時代はゲベール銃による集団突撃戦法で、当に鳥羽伏見の旧幕府軍の戦法そのものであった。

これが近代散兵術に取って代わるのが大砲の発達で、これによって、密集歩兵の中心を砲撃することが可能になったため、
歩兵の密集突撃戦術は急速に廃れていった。鳥羽伏見でも瀧川の馬が最初に吹っ飛んだね。

これと同時に銃の進化、ライフルと元込めによる長距離狙撃が可能になり、司令官の前線指揮は目立つことを避けるようになってゆく。
鳥羽伏見ではこの状況を考えずに旧幕府歩兵は突撃を繰り返し、司令官を多数失うことになる。

693 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/04(土) 02:38:22.08 ID:t98Zzaug0]
>>691
それはおかしい。
慶喜の完全な復権を諸侯は望んでいない。
諸侯が望んでいたのは、京都に幕府に代わる自らの意見の通る政権を立てること。

慶喜が領土も権威も完全に復権しては、諸侯の願いは果たせない。
将来の領地差出と官位制限は当然残る。



694 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/04(土) 06:45:29.82 ID:fC57686Y0]
>>663
大坂城は戦略的には重要だし、鳥羽伏見前は慶喜がまさにそれを最大限活用して
京都の政局に無言の圧力を掛けていたわけだが、戦局として考えるなら
旧幕府軍が鳥羽伏見から敗走してきた後である以上、とても有利とは言えないよ。

まず新政府軍は少なくとも橋本まで進出してるから、これと山陽道を上る最中にある
増援軍を遮断するには大坂城から淀川の北へ進出する必要がある。
だがそちらへ進出したらしたで、その両軍を止められるかっつーと、そこで止められるんなら
少なくとも橋本の戦いでは負けてないんじゃねーのって話だわな。
しかも敵軍の数が増える分不利になってるし。
更に籠城策を取るには、すでに裏切った藩が二つ出たという事実が重い。
また、港も保持するなら大坂城とは別に堺などの港へも軍を割かなければならないが、
まともに対抗できる幕府歩兵隊をそんなんに割り振っていいのか?

戦局を考えるなら、慶喜がこれは無理だと判断しても頷けるよ。

695 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/04(土) 07:00:00.64 ID:fC57686Y0]
>>677
いやいや、指揮は古今東西、戦術と兵器に勝るとも劣らず重要だよ。
鳥羽伏見での幕府陸軍は戦術・兵器ともに薩長と互角かそれ以上だったし、
軍の数では幕府歩兵隊だけでも薩長の軍より多く、また粘り強く戦った。
もちろんそれ以外には装備が旧式、近代戦を知らないで役に立たない連中も
居たが、そいつらを後方に回してもまだ数では勝ってる。
それでも勝てなかったのは、上層司令部に戦略性が欠如してたから。

緒戦の鳥羽伏見からの撤退は仕方ないとしても、伏見奉行所から脱出した軍が
その後の命令すら受けられず、一晩経ってから三々五々自主的に撤退した様に、
敗北後の兵力の収容と再編って基本的なことすら出来てないから、その後もグダグダと負け続けたんだよ。
だから総兵力では勝っているにも関わらず、戦略的な迂回攻撃どころか富ノ森で勝った後の追撃も行えずに
敗走後の敵軍に再編の余裕を与えてしまった。
軍の指揮官としては評価されてない観のある山縣有朋ですら、長岡城で河井の奇襲を受けて敗走した時は
後方陣地への集結と収容指示、軍の再編ぐらいは迅速に行ってるぞ。

司令級の人材についても門地石高に囚われず、大鳥のような下から伸びてきた人材を充てられていれば、
鳥羽伏見での旧幕府軍の勝利も十分あり得たと考えられる。

696 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/04(土) 08:11:35.49 ID:60R9618k0]
>>695
幕府陸軍は戦列歩兵の訓練を受けていたから、散兵戦術をとってくる相手には対処できてないよ。
幕府の中には伝習隊のように同等の武器を持っていた隊もいたけど、
戦術がさっぱりだったのは変わらない。
砲や射程と命中力の高いライフルが出てくると、戦列歩兵は的でしかない。
だから勝てない。

697 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/04(土) 11:09:38.01 ID:4yKeWqO8O]
>>694
ん?
私の意見は鳥羽伏見に於いて大阪城拠点に陸路と海路閉鎖

京都の薩長軍は補給路を絶たれ敗戦必至

尊王なんて宗教的思想が無ければ幕軍に負ける要素は皆無

故に武器がなんちゃらとか言ってる輩も論外だと思ってます


698 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/04(土) 11:19:42.51 ID:0yHOIxFzO]
>>697
陸路も海路も幕府軍にゃ閉鎖は到底無理
長州からは援軍
ハイ終了。

699 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/04(土) 11:25:22.22 ID:OC3j9ACn0]
クラウゼヴィッツは「戦争は違った形で行う外交であり政治だ」という。
思想無き政治はなく、故に思想無き戦争もありえん。
「尊王なんて宗教的思想が無ければ……」
故にこの論理は非常識に過ぎるだろう。
そもそも天皇の家臣たる征夷大将軍たる徳川幕府の正当性は尊王思想に根座しているのだから。


700 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/05(日) 03:36:57.87 ID:Ir6T2/DL0]

とりあえずアームストロング砲35門とストーンウォール号を手に入れてから開戦だ。

701 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/05(日) 04:04:56.67 ID:dVMdHo050]
>>696
素人なんだけどさ、自然発生的に散兵戦術を体得する可能性ってある?
本職じゃないから分からないけど

702 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/05(日) 09:07:24.24 ID:bmyY18Rf0]
>>696
鳥羽の緒戦では竹林とかに散開して交戦してるよ幕府歩兵
戦列歩兵なら散開なんてせずに、戦列を維持するか後方に引いて戦列を再構築するよね。
それに大鳥が指揮を執るようになってからは積極的に散兵戦術を活用してるが、
たった2,3ヶ月で習得したってことになるが
まー幕府歩兵隊の全軍が散兵戦術を使えたとは限らないし、そもそもフランスの歩兵操典が
戦列と散兵を併用するナポレオン時代引き摺ってた可能性はあると思うが

富ノ森などでの野戦築城などを見ると、南北戦争の教訓は既に取り入れられているようだが

703 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/05(日) 10:15:26.90 ID:lLZqxcON0]
>>702
結果脱走兵逃亡兵がでまくり



704 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/05(日) 13:15:03.65 ID:oAkTzHCl0]
その意味で、方言だらけで言葉も聞き取りにくい薩摩歩兵は逃亡が無かった。
逃亡したら即孤立だから。

705 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/05(日) 13:46:45.93 ID:ZIA3MOwG0]
散兵って下手すると逃亡する兵がでてくるんだっけ?

706 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/05(日) 16:15:30.21 ID:S8s/oPK+0]
散兵戦術とは、単にバラバラになっている状態じゃないぞ
散開し、かつ離れた位置から統一指揮され、部隊として射撃戦闘を行う。
指揮官と離れているだけに、一人で逃げ出そうと思えば簡単にできるし、
轟音響く戦場で、指揮官の合図や信号を見て指揮される訳だから、事前に訓練していなけりゃ無理。
自然に覚えることはありえんよ。


707 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/06(月) 16:57:18.40 ID:ohfRF4Wj0]
そらまぁ逃げるチャンスは無限にできるからなw
でも幕府歩兵隊ですら散兵戦術を使えないなら、>>697の言う陸路封鎖なんて
夢のまた夢じゃね?

>>703
負け戦だし当然逃亡兵が出たことは考えられるが、
しかしそんなに凄い数の逃亡兵が出たん?

708 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/07(火) 16:31:42.13 ID:LvuNnUYgO]
>>698
全く論理的でないですね

言った者勝ちですか?

709 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/07(火) 16:36:25.45 ID:LvuNnUYgO]
>>699
『尊王なんて宗教的思想がなければ』
ってのは、戦力的にも戦局的にもマトモにぶつかれば幕軍が負ける戦では無いって意味

つまり武器がなんちゃら…第二次長州征伐がなんちゃら…
全て論外って事


710 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/07(火) 16:56:28.55 ID:LvuNnUYgO]
因みに第二次長州征伐を持ち出して、『幕軍ヘタレやら』『洋式軍隊』云々を語る輩も無知
何れの局面も国力・軍事力で圧倒してたのは幕府である。
にもかかわらず結果だけを見て『第二次長州征伐の結果』に固執する輩は無知
第二次世界大戦の、開戦当初の快進撃や米軍の逃走劇を持ち上げて『米軍はヘタレ』とでも言うのかな?
明治維新と第二次世界大戦の違いは『相手に菊の紋章が通用するか否か?』であり、大局を見れば国力・軍事力で圧倒していた幕軍が勝って当たり前の筈ですよ

711 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/07(火) 17:02:22.60 ID:LvuNnUYgO]
>>707
幕軍1万5千
薩長5千
錦旗の登場により逃走者は出たが、大阪城拠点にした幕軍を京の薩長が退けて補給路確保など不可能
そもそも肝心要の港が幕府海軍に占拠されてる以上、京の薩長が陸戦を戦うメリットは皆無
薩長は港を奪還しない限り、何も出来ません



712 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/07(火) 19:03:59.81 ID:3WCcgwu50]
西国街道無視かよ

713 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/07(火) 19:08:58.67 ID:iQJQFntM0]
薩摩は兵が優秀で指揮官の伊地知正治が平凡
長州は兵が平凡で指揮官の大村益次郎が優秀

薩摩はともかく、大村不在の長州兵はそれほど脅威ではないはず



714 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/07(火) 20:24:57.52 ID:3WCcgwu50]
伊地知が平凡って
白河口の戦いを知らんのか

715 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/07(火) 22:44:23.27 ID:8UEQBVcH0]
>>713
兵が平凡ってw幕末で最も強力な兵士だぞ。
>>710
長州征伐鳥羽伏見戊辰と幕府軍にはいいところは一つもないぞ。

716 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/08(水) 01:01:12.41 ID:EuWvo9cwO]
>>713
小倉口とか芸州口とか鳥羽伏見など、
大村不在で脅威ではない長州兵にさえ負けるほど
幕府は弱いということですか

717 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/08(水) 10:22:34.81 ID:qmKxMm+RO]
>>715
ミッドウェイ開戦まで米軍も良いとこ無しでしたよね

勿論『米軍=幕軍』なんて言うつもりは更々ありません

んが、国力・軍事力…ましてや海軍なんか赤子と大人ぐらいの差がありました

『第二次長州征伐では〇〇〇だったから』なんて非論理的な見解は盲目的過ぎます
タラレバスレなのでタラレバを言うなら
大将に戦意があれば・尊王なんて宗教的思想が無ければ幕府に負ける要素は皆無です

718 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/08(水) 10:23:38.47 ID:2XejkhC70]
>>716
小倉は高杉の指揮も大きいのでは?いなくなったら小倉のゲリラに苦戦しているじゃん

719 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/08(水) 11:38:54.82 ID:EuWvo9cwO]
>>717
なんかこの人って、本土決戦に持ち込んで、
かつソ連が攻めてこなければ日本は負けなかった!
て言ってるのと同じだね

>>718
高杉不在も大きいかもしれんが、
対ゲリラ戦になったからこそ苦戦したんだろう

720 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/08(水) 14:58:27.40 ID:USKkeUEHO]
少ない数で白河城を陥落させたり、会津若松城を攻略したのは、伊地知の功績ですからね。

板垣は自由民権運動に転身したとはいえ、どうして軍職につかなかったのでしょうか。

721 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/08(水) 15:19:05.95 ID:NGaXglCe0]
尊王思想がなかったらとか、そこまで前提を無視していいならもう幕末日本が舞台じゃなくても良くないか?
幕府軍とか薩長軍じゃなくて甲軍、乙軍でいいじゃん。

722 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/08(水) 19:23:15.88 ID:k+mg6OLs0]
>>718
兵力が少ないしからな。それにゲリラ兵に対処する為に、
村ごと焼き尽くすわけにもいかんだろ。
潜伏する長州兵を追い出すために、京都を火の海にした幕府じゃあるまいし。

723 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/08(水) 22:42:53.39 ID:Dy4coSDa0]
>>713
大村益次郎が異常なだけで伊地知正治は平凡ではない
アインシュタインと比較すれば
どの大学の教授や天才だって平凡になってしまうのと同じ



724 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/09(木) 03:06:40.20 ID:easOgyJa0]
NTT持株=徳川宗家
NTT社長=慶喜
東西会社=幕府
ドコモ=尾張藩
コミュ=越前藩
データ=土佐藩

KDDI=長州藩
SBM=薩摩藩
禿=大久保
SB社長室長=西郷
ティーガイア=坂本龍馬

総務省=朝廷
辞官納地=NTT分割

725 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/09(木) 14:09:02.28 ID:8BQaiP08O]
>>719
屁理屈で絡むなよ


726 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/09(木) 14:15:03.85 ID:8BQaiP08O]
>>721
言いたい事の意味が解らんらしいな
第二次長州征伐やら最新式武器やら
幕府ヘタレやら
マトモにぶつかっても薩長が勝って至って盲目的な輩が多いから、それを否定する為の意見
てか先にも書いたがタラレバスレ
『幕軍敗戦』って揺るぎ無い歴史がある以上『勝ってた可能性』を語るにはタラレバしかありませんから
史実通りにナゾって行けば『幕軍敗戦』って結論にしかなりませんよ

727 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/09(木) 15:29:54.48 ID:N6TZkI7B0]
国力や正面戦力だけを比較して、数字が上だから「こっちが勝つ」とするのが論理的で、
史実を基に各勢力の政治的な立場や、兵や指揮官の質、武装や戦術を比較して「こっちが勝つ」とするのは非論理的ということか?

歴史では非論理的なことがよく起こりますなぁ

728 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/09(木) 17:23:36.76 ID:8BQaiP08O]
>>727
全て過密した上で国力・軍事力共に幕府が圧倒的有利なのは揺るぎ無いですよね?
2ちゃん脳に侵された方は屁理屈並べて反論の為の反論をしてくるから話にならない…
勝手に2択に摩り替えるなっつーの

大阪城拠点に陸路閉鎖

海軍を持って港閉鎖
補給路を絶たれ京の薩長軍が如何にして勝つのか?

未だに具体的な策すら出てきてませんよ


729 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/09(木) 17:31:03.80 ID:xTEO1dvM0]
大阪城拠点で陸路封鎖しても山陰ががら空きなんて問題なし。
そもそも長州の増援はそっちからくるし。官軍は鳥羽伏見と同時に撫順隊をだして降伏させている。
んで当時の幕府海軍で海上封鎖とか閉港とか無理だから。長州征伐でも無理だった。
また長州海軍に追い回されて逃げ回るのが落ち。むしろ幕府が海上封鎖を受けかねない状況。


730 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/09(木) 18:37:40.12 ID:N6TZkI7B0]
どうも幕府軍の実力評価にいかんともしがたい差異があるっぽい。

俺は史実をかんがみるに、大阪城を拠点とした機動防御や海軍を有効に利用できる指揮官が、当時の在阪幕府軍には居ないと思ってるんだが、
728は大所帯の幕府軍の圧倒的戦力を完全に掌握し、士気を保ち、縦横に采配しうる、家柄も実力も兼ね備えたスーパー指揮官がいると思ってるんだろ?
そんな奴いたらそもそも鳥羽伏見で負けないんじゃないの?とは思うが、過去の戦いを持ち出すのは非論理的らしいし・・・

731 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/09(木) 21:31:47.96 ID:Em1OpsIR0]
質問。
戊辰戦争後期になって佐幕勢力でめざましい活躍をした庄内藩や長岡藩は
鳥羽伏見ではなにをしていたのでしょうか?

732 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/09(木) 23:05:07.89 ID:AsfBiJ4BO]
庄内は江戸警備

寛大なる処置に感謝とは、テロに屈した。



733 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/09(木) 23:22:43.34 ID:JhK1agZ70]
>>728
史実でも鳥羽伏見直後の長州の援軍は姫路経由で着てるし
大阪城に篭るなら西国街道封鎖できないし



734 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 00:04:54.58 ID:TYIlEcR70]
>>731 長岡は河合継介が過大評価され過ぎてる。
確かに長岡城奪回は戦術的には奇跡的な勝利だったがそれ以外は
勝ったり負けたりで小藩にしては頑張ったねって感じ。
庄内はほとんど新政府軍とは戦わずに主に戦ったのは気候の関係で飢饉が
頻発して破綻寸前しかも周囲敵だらけの秋田藩と自分とこの半分以下の
図体しかない新庄藩であまりにも会津と仙台の両藩が弱過ぎたんで
クローズアップされるだけでじゃあ薩長とやりあえるか?と言われると
疑問符が付く。

735 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/10(金) 01:38:45.18 ID:JDAVJyr00]
ソフトバンクの禿、“大政奉還”の意味取り違えてない?

◆禿「NTTは大政奉還すべき」 光回線の分社主張◆
logsoku.com/thread/hato.2ch.net/news/1289387314/

1 : なまはげ君(東京都) : 2010/11/10(水) 20:08:34.40 ID:kSAER+xx0● BE:1138423436-PLT(12000) ポイント特典 [1/1回発言]

孫社長「NTTは大政奉還すべき」 光回線の分社主張 2010/11/10 17:33

 ソフトバンクの孫正義社長は10日午後、民主党の情報通信議員連盟総会で講演した。
2015年までにブロードバンド通信の完全普及を目指す「光の道」構想について、
NTTの光ファイバー回線接続事業を分社化する案の優位性を改めて示し「いまこそ大政奉還をすべきだ」と強調した。
NTT東西が一体管理・運営する案と比べ「普及する時期が早く、税金を1円も使わずに成長できる」と訴えた。

 NTT側がソフトバンクの提案に対して「収支試算が間違っており、非現実的だ」と批判していることに関しては
「(試算をやり直しても)結論は変わらない。成功するのは小学生でも分かることだ」と反論した。

 世界有数のIT(情報技術)先進国を目指すために、教育機関での電子教科書の導入や、
医療機関向けに電子カルテの展開を急ぐべきだとの政策提案も示した。

 総会の冒頭あいさつで、会長の原口一博前総務相は
「日本の成長に向けて、最後の望みをかけるのはここ(光の道構想)しかない」と語った。〔日経QUICKニュース〕

www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381949EE3E2E2EBEA8DE3E2E3E3E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2

736 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/10(金) 10:37:24.92 ID:gC0Edj4rO]
>>729
長州は陸路で援軍に向かう準備なんかしてないよ

>>730 も同じだが一方の穴だけを見つけるだけで大局をみれないのが問題
指揮官云々を見つけだすのは良いが、んじゃ薩長はどんな優秀な指揮官の下に、どんな艦隊で幕府海軍を蹴散らすのよ?
薩長にはマトモな軍艦は皆無
幕府海軍と薩長海軍とでは歴然たる火力の差があるのだよ

737 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/10(金) 10:45:09.71 ID:gC0Edj4rO]
>>733


陸路閉鎖&海路閉鎖は兵糧攻めではないから

端的な話だ。大阪城拠点に海路を使える幕軍

と君が言う姫路経由やら西国街道やらの陸路しか使えない薩長

どちらが有利ですか?
君も大局を考えられない輩みたいだね

大阪城拠点に陸路&海路閉鎖された時点で薩長の負けは確定

幼帝を連れて逃走するしか術はありません

738 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/10(金) 11:21:12.52 ID:gC0Edj4rO]
>>730
それと過去の戦の一部だけを持ち出して『〇〇でも勝ったからココでも勝つ』ってのが非論理的だと言ってんだよ
本当に読解力ないね…
第二次長州征伐だって地の利を生かした長州が局地戦で勝ったに過ぎず、鳥羽伏見に当て嵌まる部分は皆無
結果だけを見て『幕軍ヘタレ』『薩長無敵』的思考が多すぎ
第二次長州征伐で〇〇だっから幕府海軍は弱いって思考も然り
真珠湾は成功したからミッドウェイもって盲目的な思考と同じ
くどいようだが薩長が勝ったのは尊王って宗教的思想を上手く利用したからで、軍事力では明らかに劣っていた
つまり政治の部分で幕府が出し抜かれたのであり、慶喜はそれに見事に嵌まった
これまたシツコイが、このスレはタラレバスレ
故にタラレバの結論を言えば慶喜に戦意が有レバ負ける戦では無い

739 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 11:40:26.20 ID:1nISeWQ30]
軍事的に薩長>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>幕府というのが基礎なんだよ。
だから幕府がどう足掻こうが幕府は負けるんだよ。
つまり何をどうやっても負けるわけ。それを認めたくないだけだろ。
一度も勝っておらず装備的にもゴミ、貧弱戦術的にも無能。兵士はクズ、指揮官はアホ。司令官はチキン。
勝てるわけねーだろw

740 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 11:42:49.13 ID:1nISeWQ30]
薩長は運や偶然で勝ったわけではない、勝つべきして勝っただけであり、
幕府は負けるべくして負けただけ、海上封鎖は必ず失敗して、幕府海軍は壊滅するし、
大阪城はあっさり陥落する。IFなど一切起きない。慶喜が何をどうやろうと歴史は変わらないんだよ。
その事をいい加減認めろ、理解していないのはお前だけだ。

741 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 13:04:32.67 ID:TYIlEcR70]
>>740 慶喜厨を擁護するわけじゃないがあの時点ではまだ幕府は勝てないが
強硬派を抑えれば議定には慣れてたわけでそれでしばらく時間を稼いで
慶應の改革の完成を待つっていう選択肢もなかったわけではない。

742 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 14:18:18.43 ID:5cFFS+DI0]
>>740
運や偶然はあった。
長州征伐の大島口の松山藩なんかたまたま水浴びしてて敗走しているし
家茂の病死も運では?

743 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 14:36:23.52 ID:TYIlEcR70]
>>742 家茂将軍だったら大政奉還してなくてそのまま朝敵になってオワタ
じゃないの?



744 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 16:20:03.02 ID:xoCK58nyO]
家茂死去の報がなくても小笠原は既に逃げてたし、
浜田は落ちてるし、芸州は膠着してるし、
家茂生きてても第二次長州征伐の幕府不利は変わらないだろう
むしろ死んだおかげで慶喜の改革が進んだんじゃないか?

745 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/10(金) 16:46:07.41 ID:gC0Edj4rO]
>>740←根拠が無い代表的な書き込み

746 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/10(金) 16:49:17.34 ID:gC0Edj4rO]
>>744
幕軍10万

長州2500だっけ?

不利なのは長州だよ
電撃作戦で勝利しても全く無意味

747 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 17:04:35.89 ID:TYIlEcR70]
いや慶喜は政治家としては失格だが官僚としては優秀だった。
14代が慶喜なら幕政改革もっと早く終わって薩長とも普通にやりあえた
可能性はある。
ただ清の洋務運動みたいになってた可能性もあるけど。

748 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 17:52:33.48 ID:1nISeWQ30]
>>742
家茂が生きてても全方面大敗という結果は何一つ変わらない。
そして幕府には金が一切ない。戦争継続は出来ない結果は何一つ変わらない。
>>746
それを覆せる戦力があったから結果は変わらないと言っている。

749 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 19:07:39.90 ID:TYIlEcR70]
まあ取り敢えずやれる事はやっぱり鳥羽伏見の起こった日に
会津桑名の連中に京じゃなく大阪の薩長拠点を叩かせて自分は御所に参内して
議定になる事。交渉次第で前内大臣の議定筆頭を目指す。
その状況でできるだけ時間を稼いで早急に慶応の改革を
完成させる事。史実でも一応譜代大名の雄藩である大垣藩長岡藩庄内藩との
連携を深める事。
譜代ではないが一応薩長よりは幕府よりである越前藩宇和島藩土佐藩を
きっちり幕府側に引き込む事。御三家も同様。
これくらいかな?

750 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 19:35:07.47 ID:TYIlEcR70]
幕府は慶喜が戦意なくしたからあれだけど雄藩同士で戦争したらどうなると思う?
具体的には薩長対宇和島土佐肥前越前大垣長岡庄内みたいな感じで。
国力とか戦力とかで考えてみてくれ。

751 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 21:10:56.76 ID:kalxMG9xO]
薩長と肥前が潰し合いを始めたら幕府としては願ったり叶ったりだろうが
そういう「夷をもって夷を制す」が機能しなくなって幕末の情勢を作りだしたわけで
どうやってそのシチュエーションまでもっていくのかが難しい

752 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 21:45:58.86 ID:TYIlEcR70]
>>751 潰し合うというより薩長対幕府肥前越前宇和島土佐という構図に
持ってく方法ですね。

753 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 22:19:47.58 ID:TYIlEcR70]
連レスになるけど鍋島や宇和島伊達、山内や松平慶永辺りも
このまま薩長の思惑通りになるならまだ慶喜の方がマシだとも
思ってるだろうし、薩長除外した方が自分たちの政治力が上がるという条件で
彼らを連れば味方になってくれる可能性は高いと思うんですけど。
あと慶應の改革の完成までの期間とか。



754 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 22:29:20.88 ID:3P1fHlBm0]
>鍋島や宇和伊達、山内
この辺りの大名と組むとしても
外様ごときと轡を並べて戦えるか、なんて言いだしそうな連中が親藩譜代に多すぎな感がある

755 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 22:45:29.29 ID:TYIlEcR70]
というわけで俺はいつもの慶喜厨じゃないけど
旧幕府勝利のシナリオだけどまず鳥羽伏見の起こった日に
会津桑名の藩兵に大阪の薩長拠点を叩くよう命令する。
両藩の蔵屋敷を襲って米を接収するとかね。その隙に必要最低限の軍備で
上洛する。すでにこの時点で朝廷では慶喜の新政権参加は決まっている。
これは史実。恐らく最低でも議定だ。ただし副総裁はおそらく無理。
前内大臣待遇という事だから多分武家議定筆頭みたいな地位だと思う。
岩倉が副総裁だったから公家議定筆頭が三条みたいな感じになると思うの。
就任したら今度は全力で時間を稼ぐ。最悪薩長に頭を下げてでもね。
最低1年。できれば2年欲しい。その間に慶応の改革を全力で進める。
もう一つは雄藩を味方に引き込む事。
最低やらねばならないのが御三家。尾張は会津藩主と桑名藩主に。
紀伊は藩主に徳川宗家の家督の座。水戸は実家だから慶喜が自分でどうにかする。
あとは新政府参与に就任してる小原鉄心。これも譜代大名だし最低条件だね。
あとは当然越前の慶永これも親藩だ必要最低条件。
ここまでは難しくはない。
問題は山内容堂と宇和島藩だ。彼らはどちかというと親幕府だから
出来れば味方にしたい。
佐賀鍋島は中立に近いのでできればで良い。
広島辺りは無理だろうから最初から諦める。
この状況で薩長との戦争に持ち込む。動機は征韓論か版籍奉還。
これでどうだ?

756 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 22:55:04.42 ID:TYIlEcR70]
あと味方に出来そうなのは熊本藩くらいか。
徳島藩は中立だから佐賀藩同様敵に行かないようにすればいい。
岡山藩辺りはまあ薩長側だろうなあ。
ただこれなら勝率50パーセントは超えると思うが俺だけか?

757 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 23:01:23.72 ID:WZsb5O+E0]
>>737
その程度の有利は大した差にならないのは
史実の鳥羽伏見が証明してるじゃない

758 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/10(金) 23:15:26.04 ID:TYIlEcR70]
俺の意見が完璧なんでこれで決着がついたらしいなw

759 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/11(土) 00:30:27.68 ID:FTBTKWAD0]
希望的観測によって立てられた戦略は必ず失敗することは、
古今東西の戦史から明らか。鳥羽伏見の戦いからして然り。
故に>>758の意見は見るべき価値なし。


760 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/11(土) 00:54:35.76 ID:qRjPaFuT0]
>>755
>会津桑名の藩兵に大阪の薩長拠点を叩くよう命令する。

意味なし。というか鳥羽伏見の緒戦を本当に鳥羽・伏見だと勘違いしている。

実際は、大阪湾内に停泊していた薩摩船を中立とされていた港内に退却させ、
大阪の薩摩藩邸を焼き払ってから旧幕府軍は京都へ進軍を始めている。
鳥羽・伏見での問答と阿波沖海戦はその後のお話。

つまり、旧幕府軍は在大阪薩摩藩邸を焼き払っておきながら鳥羽伏見では通行入京できると考えていたわけで
酷い誤認をしたものだと思う。

>その隙に必要最低限の軍備で
>上洛する。すでにこの時点で朝廷では慶喜の新政権参加は決まっている。

上記の史実から考えると、大阪で開戦した時点で、慶喜朝敵論で尾張・越前・土佐なども一致せざるを得ない。

>これは史実。恐らく最低でも議定だ。ただし副総裁はおそらく無理。
>前内大臣待遇という事だから多分武家議定筆頭みたいな地位だと思う。

妄想お疲れ様。

残りは妄想に妄想を重ねるだけで意味なし。

761 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/11(土) 01:54:40.61 ID:e0QJxdWG0]
たとえば幕府軍の上洛する経路を鳥羽伏見だけでなくもっと分散させるだけでも、
史実とは大分違う展開になったんじゃないかと思うけどねぇ。

>>737
1.大坂城を拠点にしてるから負けないという論理が不明。
  大坂城を落とすなら時間はかかるが、山陽道を遮断するには大坂城から出て淀川の北へ進出する必要がある。
  大坂城から出ても負けないと考えるのであれば、なぜ鳥羽伏見から橋本の戦いで負けたのか理由が不明。
  ちなみに、当時は陸路で糧食を補給するのは困難だが、弾薬については当時の陸路のみでも十分可能。
  白河口で半孤立状態だった官軍が連日の攻撃を退けながら、なぜ弾薬欠乏に陥らなかったか考えるべき。

2.また食糧の補給については当時は現地調達が基本だが、その駐屯地だけでなく、その周辺地域全てから
  徴収するのが当然だが基本。
  有力な勤皇藩である岡山や畿内の帰順した藩から大坂近郊までの補給を行う場合は、陸路としても短距離であり、
  街道も整備されており、また新政府軍も小規模であることから何を以って不可能と断じているのかが不明。

3.港=大坂城ではないので、大坂城が保持できれば港も保持できるという論理が不明。
  港を保持するためには大坂城から兵を割く必要があり、また保持すべき港も一つではない。
  たとえば幕府海軍は、完全な海上封鎖を目指す場合は大坂・兵庫から岡山までの広範な海域を監視しつづける必要がある一方、
  輸送を試みる側は、陸上から制圧している沿岸の小規模水運を使用することができる。
  ナポレオン戦争の頃も、海上封鎖中のイギリス海軍はフランス〜スペイン沿岸のこうした水運の遮断に骨を折っている。
  蒸気機関は特に内海であることから大きなイニシアチブを発揮できるだろうが、それには石炭の補給が必要になることも考慮してしかるべき。

>>736
1月9日には備後福山藩が長州軍に降伏しているのだが、何を以って援軍の準備がないとしているのかが不明。
そもそも鳥羽伏見に参加した長州軍は朝敵解除後に急ぎ上洛してきた先兵に過ぎず、自前の砲すら持って来ていない。

762 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/11(土) 01:56:52.55 ID:e0QJxdWG0]
また追記だが、補給路の遮断については山陰道も考慮すべき。

763 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/11(土) 02:30:54.12 ID:SvtXBHGv0]
天皇家公家関係者を全員確保して殺害して簒奪し、
擁立する対象をなくしてしまうというのは無理?



764 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/11(土) 04:30:35.91 ID:VmrmYJJmO]
それはまずいことになるでしょうね



765 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/11(土) 08:29:12.52 ID:kYG+OZA90]
>>760
>大阪の薩摩藩邸を焼き払ってから旧幕府軍は京都へ進軍を始めている。

ウソつくな!
大阪の三つの薩摩藩屋敷は、鳥羽伏見の戦い直前に薩摩藩の役人が自分で
藩邸に火をつけたんだ。幕府軍は大阪では薩摩藩邸の焼討ちはしていない。

>>761
>1月9日には備後福山藩が長州軍に降伏しているのだが

先に上京して鳥羽伏見の戦いに参加した長州藩兵は約1500人。
薩摩藩兵は鳥羽伏見の戦いの為に3000人を上京させたが、以前より京には約1000人近い薩摩藩兵が居る。

鳥羽伏見の後に来るとされている長州藩の援軍はどの程度の援軍なのか不明。

766 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/11(土) 13:46:26.08 ID:qRjPaFuT0]
>>765
>ウソつくな!
調べたところ、君の方が嘘つきじゃないか。

>幕府軍は大阪では薩摩藩邸の焼討ちはしていない。
これも嘘判明。旧幕府は大阪薩摩藩邸を焼き払ってから進軍している。

767 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/11(土) 13:51:50.34 ID:qRjPaFuT0]
>>765
>自分で 藩邸に火をつけたんだ。幕府軍は大阪では薩摩藩邸の焼討ちはしていない。

これは誤りで、徳川慶喜は、薩摩藩と戦闘に至ったと条約諸国に通知し大阪薩摩藩邸に夜襲を行っている。
この際の炎上であり、焼き討ちといえる。

768 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/11(土) 18:04:28.94 ID:mafoaD9G0]
大阪薩摩藩邸は、薩摩藩士(役人)による自焼。

769 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/11(土) 21:20:25.85 ID:yOp9R2+80]
つーか大坂城に籠城して幕府海軍が援護射撃すれば勝つる、って作戦は
薩長軍の司令官が城と艦隊の両方の砲撃の的になるようなところに
布陣するような無能でないと成り立たないと思うけど

仮にそうだとして今度は幕府艦隊の背後から来るであろう薩長艦隊を
ノーマークにするわけにもいかず攻城部隊と艦隊に火線を振り分ける
必要があるわけで

幕府艦隊にハープーンSSMでもあれば交戦状態になる前に
薩長艦隊一掃も可能だろうけど・・

770 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/12(日) 04:16:22.85 ID:7oCWcijV0]
>>768
旧幕府軍の夜襲の結果です。

771 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/12(日) 08:38:46.10 ID:xIIx196n0]
夜襲の前にそれをキャッチして薩摩藩邸に火を付けている。
自焼だよ。

772 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/12(日) 09:57:17.60 ID:ZtspQbo90]
なんたって不手際で鷹司邸だけでなく京都一帯を焼いた慶喜だからなあ
薩摩藩邸だけで済んだってことは慶喜の仕業じゃないとおもうね
慶喜なら大阪一帯が焼けているはずだ

773 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/12(日) 19:02:53.93 ID:xIIx196n0]
会津藩が攻撃予定だったらしいけど、大阪の薩摩藩邸には
当直の藩士しか居らず、とても防ぎ切れないので自ら藩邸に火をつけた。

個人的には地上戦は、江戸と大阪の薩摩藩邸焼討ちだけして、
後は様子を見ながら、議定会議に任せておくべきだと思うけどね。

大阪湾や瀬戸内海、徳島沖では幕府海軍に好きにやらせておいても良いけど。



774 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/12(日) 20:09:52.84 ID:IpNaQ7vu0]
>>772
潜伏している長州藩士を燻りだす為なら、京都が火の海になって10万人くらい被害者がでても気にしない連中だからな。
会津史家は長州藩邸からの火で京都が火の海になったと主張するのが笑えるw

775 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/12(日) 21:24:16.55 ID:wrRm9GmrO]
>>761
@他の街道を使って何をするのですか?京都から遠く離れた長州からの陸路補給vs海路補給の幕府
どちらが有利?
A幕軍の1/3の軍勢で長期戦を戦うメリットは?君が言う補給路は長いですよ
B港は既に幕府海軍が占拠してますよ。
閉鎖云々は海路を閉鎖では無く、港閉鎖。
幕府海軍を如何にして追い払うの?
てか君の意見読んでも結局具体的な打開策は皆無

〇〇街道やら〇〇の補給やら…
具体的大阪城拠点にした幕軍及び海軍を如何にして打ち負かすと言うのかな?
粗探ししてるだけで全く大局に影響しない事ばかり


776 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/12(日) 21:28:42.22 ID:wrRm9GmrO]
>>769
布陣しない
つまり薩長は勝てないのだよ

大阪城拠点にした幕軍に手も足も出せない
故に幼帝を連れて陸路逃走しか術はありません


777 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/12(日) 21:29:33.34 ID:wrRm9GmrO]
>>769
薩長艦隊どはどんな艦隊?
ありもしない艦隊を持ち出さないでね

778 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/12(日) 22:35:20.25 ID:ZtspQbo90]
>>774
本当に長州が原因なら民衆に恨まれるはずなのに依然として長州びいきの声が高かった。
当時の民衆は火災が誰のせいなのかわかっていたんだな。

779 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/13(月) 02:54:55.60 ID:fHtfziSJ0]
せめて妄想の中では勝たせてあげたいという気持ちは分かる

780 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/13(月) 17:53:24.29 ID:4oJsfh4F0]
>>775
@当時の弾薬消費量は激戦地でも機関砲登場以後ほど多くないんですよ。
 消費量のデータについては日本では乏しいですが、ほぼ同時期の普仏戦争などのものが
 補給戦という本にあるので参考にして頂きたい。
 また、旧幕府軍が薩長軍を弾薬欠乏に陥らせるためには、積極的に野戦を行う必要があるのですが。
 イニシアチブを攻城側に与えたままだと、いつまで経っても欠乏してはくれませんよ。

A旧幕府軍を大坂城まで押し戻しましたし、援軍も東上中です。
 数は多くとも野戦では恐れるに足らず、むしろ退く要素がありませんが。
 旧幕府軍は確かに大軍ですが、だからこそ淀城や橋本で何が起こったのか考えた方がいいでしょう。
 大軍だからこそ、相互の信頼や士気の維持が難しいんです。籠城戦で内応が起きたら一巻の終わりですよ。
 慶喜公はその点も勘案して、大坂城を脱出されたのでしょう。

B旧幕府軍はそれぞれの港を”維持”する必要があるということですよ。
 まぁ旧幕府艦隊が洋上にある以上、新政府軍がそれらを使用することは非常に困難ですが。
 岡山から隙を見て兵庫などに運ぶ程度でしょう。

>>776
アームストロング砲でも射程は5km程度、しかも丘陵や山林に遮蔽されている位置に布陣されたら手を出せませんよ。
メクラ撃ちでもいいなら別ですが。

781 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/13(月) 19:54:09.03 ID:BrOJ7OEI0]
>>775
そもそも長州はいざとなれば天皇拉致ってかえるつもりで前もって山陰の方面を制圧している。
なのでそっち方面ががら空き。
また補給なんて当時は武器と弾薬くらいのもので、(武器弾薬も買える場合がある)
それ以外は現地調達が基本なので、補給路とか関係ないんだよ。水や食料を後方から送って戦争なんてしないんだよ。


782 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/13(月) 21:35:06.69 ID:BrOJ7OEI0]
>>775
港を幕府が維持できないと幕府軍は孤立して戦闘にもならないんだが。
そして戦闘で勝てるわけがないので、幕府は港を維持できない。
沖合いに船がいても問題なし。

783 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/13(月) 23:23:34.74 ID:2uzbnz9U0]
>アームストロング砲でも射程は5km程度、しかも丘陵や山林に
>遮蔽されている位置に布陣されたら手を出せませんよ。

当時の大砲の技術で5キロも飛ぶのは凄い事で、
城を包囲する兵站や陣地は、城から5キロも離れていないですよ。

それに5キロも射程距離があるなら丘陵や山越えの砲撃も可能なので、
命中率はともかく、大阪城にアームストロング砲が十数門有れば、大阪城を
包囲している官軍の後方の補給路まで砲撃範囲内になりますよ。

>>782
江戸城開城に反発した脱走兵を見ると、
鳥羽伏見の戦い以後の方が全然近代的な戦闘になれている。

旧幕府軍は、むしろ鳥羽伏見の戦いで負けた事で、強くなっている。



784 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/14(火) 00:33:13.14 ID:uTahQzUF0]
滝川播磨や竹中丹後を解任して大鳥圭介を歩兵奉行に就任させていればということか。
つーか滝川は薩摩藩邸焼き討ちの報を伝えて大坂の兵を激高させて、
京都に進撃して拙い指揮で敗北って戦犯筆頭だろ。

785 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/14(火) 05:05:53.14 ID:/wdeapz70]
>>783
五キロとか戦国時代でもありえんくらい間近に陣地作るわけないし、
五キロとか走ったら何分で付くよ、そんなところ作って奇襲されたらどうするんだよ。
ましてや後方の補給路とかw馬鹿じゃないのw
そして強くなったってwその後も連戦連敗だろ。

786 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/14(火) 10:27:30.70 ID:ZLpL9vGv0]
長岡藩てそれなりに近代化された兵力があって西軍に被害も与えたけど戦略的には全く役に立ちそうにないんだよな
トップの性格が難点か


787 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/14(火) 10:48:46.21 ID:xZ1u7TW3O]
>>780
@無理に弾薬を減らす必要は皆無
補給線が長い薩長はじり貧。
なにか勘違いしてませんか?
薩長に取って鳥羽伏見で大事なのは『帝を奪還されない事』
戦で敵を崩壊させる事でも、京都を守る事でもありませんから
A野戦で恐れるに足らず?これまた根拠が皆無
Bなんか補給路を全く理解してない

貴方は根本的に鳥羽伏見の戦いを理解されて無い
双方に取って何の為の戦か?
何度も書きますが補給線の長い薩長に取って長期戦を行うメリットは皆無

幼帝を連れて逃走がベストです

788 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/14(火) 10:56:06.76 ID:xZ1u7TW3O]
>>781
貴方の補給線軽視は 牟田口中将クラスですね
数で劣り補給線も長い薩長に勝機はありません
以前にも書きましたが海路が使える幕軍と陸路しか使えない薩長
貴方は薩長の補給路ばかり拘ってますが、長期戦なら幕軍だって援軍&補給はするのですよ


789 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/14(火) 10:56:51.04 ID:xZ1u7TW3O]
>>782
どんな理由で維持ができなくてなるのよ?


790 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/14(火) 10:58:56.71 ID:xZ1u7TW3O]
因みに鳥羽伏見と同時期に安房沖開戦で幕府海軍は圧勝してますから


791 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/14(火) 11:02:07.09 ID:xZ1u7TW3O]
因みに薩長が使う陸路は平坦では無く山道



792 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/14(火) 14:33:31.66 ID:DrTxLMz90]
>>781
山陰といえば山陰の雄である鳥取藩池田家がやけにやけに長州に肩入れしていますが
禁門の変から長州征伐までは別として、
鳥取藩が長州に味方していたのはなにか理由があるのでしょうか?

793 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/14(火) 17:00:03.77 ID:W4i86LbO0]
>>785
長篠の戦いでは、勝頼が敵からす数百メートルに陣取っていた。



794 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/14(火) 20:36:43.12 ID:/wdeapz70]
>>787
戦闘は現地調達が基本だよ。後方から輸送するものなんて兵士くらいのもの。
補給線が長いからってのはほんとお前が戦争を理解していない事の証。
後方から前線まで食料とか全部輸送するとか思ってないか?
消費地に陣取って、市場から買うのが軍隊の基本。

795 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/15(水) 02:28:23.92 ID:UI1yuL82O]
>>792
へー、そうなんだ

安藝の何とかという家老が長州を裏から支援する算段に加わってから中国地方は比較的薩長支援の姿勢になってたみたいだが

796 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/15(水) 06:43:57.47 ID:UbZyNKwqO]
>>792
因州藩は斉昭の子を藩主として迎えたことからガチガチの尊皇派
だから長州が朝敵になるまでは何かと協力してた

ついでに中国地方は岡山藩も浜田藩も斉昭の子だね

797 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/15(水) 10:38:57.33 ID:flhTOMEMO]
>>794
言ったもの勝ちみたいだねw

798 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/15(水) 10:51:01.00 ID:BQ3lW5p60]
>>794
三十年戦争の傭兵とかならまぁそうなんだが、この内戦ではどうなんだい?

799 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/15(水) 22:10:32.58 ID:etWdVtMF0]
>>798
戦争しているなら現地調達だよ。
長州征伐でも広島では長州の軍と幕府軍が現地調達やっている。
現地調達でも略奪か対価を払うという違いはあるがね。
奥羽列藩同盟も現地調達。会津軍は長岡で略奪と徴用(村人とかを強制的に働かせる)
させている。新政府軍の場合は基本対価を払うが相手が断れば強制徴収だろう。
戦争で補給が大事とか言うのは、フィクションの読みすぎだな。
戦争は綺麗事じゃない。現地調達が不可能なジャングルの奥地に行くとか以外は現地でまかなうんだよ。

800 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/16(木) 08:50:02.92 ID:AuiXn6tP0]
>>796
徳川斉昭の兼ね合いなんですね。
同じ兄弟の徳川慶喜が不憫だなあ。

801 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/16(木) 12:57:11.15 ID:EIuMPzpdO]
>>799
現地調達など最低限の補給であり、現地調達だけで戦線維持など不可能
ましてや港閉鎖で京都には物資が入りません
兵力で圧倒的に劣る薩長は、幕軍より有効的な補給路が無ければ絶望的
幼帝を連れて逃走しか術はありませんから
貴方は大局を無失して一点の打開策ばかり掲げてますが、無謀な現地調達を繰り返してまで薩長が戦線維持をする理由ありますか?

802 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/16(木) 13:17:09.06 ID:tZdmulus0]
>>799
幕末、後先考えないで見栄はって超貧乏だった会津とは違い
長岡藩は財テクの神様がいたから豊かだったのだよ
(ただこの神様が近代兵器スキーだったせいでエラい目にもあった)

米百俵が美談にされてるけど実際そこまで飢えてなかったのも事実
戊辰直後に優秀な人材をどんどん慶應義塾に送り込んでるくらい

803 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/16(木) 19:18:08.24 ID:D2cufj3n0]
>>801
逆現地調達が殆どなんだよ。後方からいちいち食料とか送ることはない。
現地で調達できない武器や弾薬のみ後方から送られる。
日中戦争でも軍の食料を本土から送っていたとでも思っているのか?
当然幕府軍や新政府軍も同じ事をしている。長州征伐の為に大阪に滞在していたわけだが。
その結果大阪の穀物が高騰したのは何でだと思っているんだよ。



804 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/16(木) 20:05:39.08 ID:yaxE9EMcO]
>>802
河合継之助



805 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/16(木) 20:54:49.34 ID:yvzVkTsL0]
やっぱ兵員と銃砲弾薬は現地調達ムリだな

日中戦争と太平洋戦争にかけて軍票を刷りまくったから占領地でヒンシュクかったなw

806 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/16(木) 20:58:17.06 ID:/S0kQwR60]
>>804
ガトリング撃ちまくりはさぞ楽しかっただろう
戦争にはやっぱりこういう変人がいないとなあ

807 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/16(木) 21:56:45.06 ID:yaxE9EMcO]
>>806
会津に向けて打っていた可能性が、ありました

808 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/16(木) 23:06:24.35 ID:8bPmu2rU0]
長岡人は戊辰戦争はやりきった感があって
終わったら「はい次、次」て感じだったんだよなあ
その辺は河合のキャラの影響も大きかったんだろう

河合って真面目で古臭い会津人とは致命的に合わなさそうな気がする

809 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/17(金) 10:41:42.09 ID:9UsEdo2zO]
>>803
日中戦争ってw

メイン補強は勿論本土&満州ですよ

正し、中国って資源豊富で広大な土地と京都って土地を一緒にしないでね

海上閉鎖され庶民への物資すら入らない京都で、5000の兵が現地調達だけで戦線維持など不可能
てかそれを行うメリットは薩長に皆無

810 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/17(金) 10:44:12.18 ID:9UsEdo2zO]
>>803
やっぱり君は牟田口中将ばりだね
資源が無い土地でも補給路無失して現地調達とか言いそう

日中戦争を持ち出すなら、ガダルカナルも現地調達で戦線維持出来たのですか?

811 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/17(金) 12:32:09.04 ID:zXvCSlmgO]
幕府軍は現地調達が基本だが?それで会津は長岡で略奪暴行しまくった

812 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/17(金) 13:12:47.34 ID:+Z/ankXJ0]
会津は邪魔だった
長岡だけで戦いたかった by河合

813 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/17(金) 13:32:10.65 ID:rp8wQxxn0]
長岡は会津の佐川官兵衛に陥れられたという説もあるしなあ



814 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/17(金) 14:13:12.19 ID:vlQoENT+0]
>>809
民間の物資まで封鎖とかやったら確実に反幕府で暴動が起こるな。
薩長は弄せず人心を掌握する。
数十万の人間が生活する大都市で5000人が養えないわけがないと。
>>810
ガダルカナルが中国にあったとは知らなかったなw

815 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/17(金) 15:16:58.35 ID:N+NoQPdbO]
>>812
長岡は戦いたくなかった
会津が旗を落として新政府を騙し、長岡を無理矢理巻き込んだ

816 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/17(金) 16:20:29.32 ID:9UsEdo2zO]
>>814
んで?

817 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/17(金) 16:23:51.80 ID:9UsEdo2zO]
>>811
全く異なる事例ばかり上げて意味あるの?
薩長が略奪してまで鳥羽伏見で戦線維持するメリットはなによ?

818 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/17(金) 16:31:28.99 ID:vlQoENT+0]
>>817
薩長がする事は米問屋にいって米を買うだけ。


819 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/17(金) 22:07:27.92 ID:pT05vIGO0]
>>788,809,810
中国はむしろ村落の間隔が日本に比べて広く、日本軍は現地調達に苦労したのですが……

他のスレで御持論を披露される前に、まず上でも紹介しましたマーチン・ヴァン・クレヴェルトの補給戦を一度お読みになられては如何でしょうか。
欧州戦史に偏ってはいますが、詳細なデータを元に兵站史とその現実を分析を施した佳作です。

まずこれはよく勘違いされていることですが、WW2においても、食料を含めた完璧な補給を常に行えたのはアメリカ軍だけです。
日本軍は元より、ドイツ軍、ソ連軍においても補給を行うための兵站能力が不足しており、食糧の不足分は現地調達で補っています。

現地調達ですが、これは最前線よりその後背地で主に行われます。
旧日本軍は東南アジアや中国で軍票を濫発していましたが、これこそが現地調達の対価として使用されたものです。
ではなぜ牟田口中将が当時から現在に至るまで非難されているかといいますと、食糧の現地調達は現地で人が生産活動を行っていなければ不可能だからです。
人が居なければ当然食糧の備蓄などあろう筈がなく、略奪も市場による調達もできません。
また、現地における街、村、集落が軍の規模に比して小さすぎれば、当然ながら早々に調達すべき食糧は尽きるでしょう。
ビルマ-インド国境は、あえて言うまでもなく、生産性の著しく劣るジャングルと山岳に隔てられた人口過疎地域でした。
それに対して牟田口中将は、牛で部隊を編成し連れて行くという斜め上な方策を考案し、案の定失敗したため、今でも非難されている訳です。
上のレスで名前の挙がっているガダルカナルでの失敗も、上記の要因によるものです。
ちなみに、ドイツ軍においても鉄道網から現地へ輸送するための自動車が足りず、旧態依然とした馬匹まで使用しています
これらを踏まえて、幕末に戻ります。

まず京都-大坂ですが、上記の”人の生産活動が行われていない、或いは小規模な地域”に当然ながら当てはまりません。
また、畿内および中国地方東部には大小の藩があり、これらが全く兵糧米の備蓄を行っていないとはまず考えられません。
兵站線についても、山陽道の他に、越前藩が大阪へ米を輸出していた際に使用していた琵琶湖−淀川の水運とその周辺地域が利用可能です。
例えば、早々に新政府軍に転向していた彦根藩などはこれを即座に活用することが十分可能でしょう。
確かに大阪湾に旧幕府海軍がいることは新政府軍にとって大きな阻害要因となりますが、それを以って食糧の補給が不可能ということは非論理的です。

三十年戦争でもそうであったように、長期に渡る大規模な軍の駐屯は地域を疲弊させ、いずれ食糧の欠乏を招きます。
しかし、食糧を調達する後背地が広ければ広い程、そこでの生産活動が活発であればあるほど、その破局に至るまでの期間は伸ばせます。
糧食の調達において本国からの補給というのは、その『食糧を調達する後背地を広げ』かつ安定させるという行為であるという認識が必要です。

ちなみに、軍の兵員数はそのまま養う口の数に直結するため兵站にとっても重要な要素ですが、幕末と徴兵制採用後ではこれが大きく違います。
鳥羽伏見においては、多く見積もっても旧幕府軍15,000名、新政府軍5,000名です。
一方帝国陸軍ですが、1個師団で25,000名から15,000名になります。
たとえばお気に入りの牟田口中将によるインパール作戦を例にとりますと、参加兵力は第15軍3個師団を中心に約86,000名に上ります。
幕末の兵員規模と比較すれば、1日当たりで必要となる食糧の量が全く違うということがご理解頂けると思います。
これを欧州の戦史上で比較しますと、三十年戦争でのリュッツェンの戦いは、スウェーデン軍16,000名、皇帝軍26,000名です。
ちなみにこの時皇帝軍を率いたヴァレンシュタインは、皇帝の勅許の下、街や村に軍税として金銭および食糧の調達を義務付け
現地調達を効率的に行うシステムを構築しています。

820 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/17(金) 22:27:10.19 ID:pT05vIGO0]
>>817
新政府の威信を維持し、彦根藩や淀藩などの勤皇諸藩を見捨てないというのは非常に大きな政治的メリットですが……

そもそも、大坂城の放棄を発見してそのまま受け渡し交渉を行ったのは、敵情視察に来た長州軍の一部隊なのですが。
京都から撤退するつもりならそんな無駄なことはせず、旧幕府軍が体制を立て直す前に京へ引き上げ、山陰へ撤退すべきでは?

821 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/18(土) 00:00:54.68 ID:3jEpYdD20]
>>815
でもやっぱガトリング砲は使いたかったんだよね
買ってから皆wktkだったし by河合

822 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/18(土) 00:51:01.99 ID:Hs64hZOzO]
官軍と朝敵の違いで目に見えるぞw

823 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/18(土) 10:54:12.96 ID:aszav88aO]
>>819 結果的に線では無く、点で占領したんだろ

だからなんだ?鳥羽伏見に何か類似する点が日中戦争にあるのか?



824 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/18(土) 11:05:05.81 ID:aszav88aO]
>>820
全く論外
幕府が大政奉還してる以上、政権が朝廷にあることは承知の事実
薩長がすべき事はその朝廷を徳川に渡さない事
何度も書く

幕軍15000対薩長5000
補給路も薩長は長く険しい

つまり増援だって武器弾薬や食料調達も全て幕軍有利

この現状で薩長が戦うメリットを考えろ
不利な状況で戦って朝廷失う可能性と、朝廷を従えて山口へ帰還
どちらが薩長に取ってベストか?
君はこれまた何度も書くが大局を見れず一点だけしか見れないから支離滅裂する
薩長の補給路の話しをしたら、補給路の事しか見えてない

兵力で劣り補給路でも幕軍に負けている薩長
この客観的事実を踏まえて考えてください
でないと堂々巡りだよ

825 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/18(土) 13:06:02.32 ID:IFG5sDbdO]
幕軍が勝ってるのは穀潰し兵の数だけ

826 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/18(土) 13:36:56.64 ID:HC0m8+Xy0]
>>825
数は大事
特に近代戦ではとっても大事

827 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/18(土) 13:43:08.63 ID:k7who6/mO]
薩長軍千と幕府軍一万でやっと五分なので戦力で負けているのは幕府軍。補給も大阪の幕府軍を追い出せばいいだけなので問題ない。

828 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/18(土) 14:03:35.59 ID:Gj1x/a+g0]
近代になればなるほど数より質のほうが重要になると思うが

829 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/18(土) 15:36:07.41 ID:CnxkfVjJ0]
>>824
西国街道を封鎖できない以上補給は薩長に不利ではない。
むしろ幕軍の方がその大軍を維持するのに膨大な費用、具体的に一日に8000両以上かかって
補給を圧迫してる。

830 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/18(土) 20:04:20.78 ID:wE0TIpJrO]
費用が圧迫するから、薩長と妥協すべきですね。

831 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/18(土) 21:24:41.42 ID:mLpyjgoN0]
>>826
>>828

戦闘やその方法にも依るよね。

832 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/19(日) 09:16:12.61 ID:EdT0gcVcO]
>>829
なんか勘違いしてるね
戦争とは相手合っての物
補給路も含め相手より優れてなければ不利になるのだよ
可能か不可能か?の問題では無いから
んで困った時のお約束の財政問題(笑)
幕府に維持費が掛かるなら当然薩長にも掛かりますよ
国力でも徳川の天領の方が薩長よりも圧倒的に多く国力も幕府が圧勝
何れにしろ、大阪城を拠点に海路&陸路閉鎖された時点で薩長は帝を従えて撤退
早期決着ですから

833 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/19(日) 10:25:40.16 ID:i5nNWnrw0]
>>832
鴻池財閥が幕府に献金するでしょう。



834 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/19(日) 15:33:53.29 ID:Z2PUYRx00]
長州征伐時に関門海峡が封鎖されて米価が高騰したのって鳥羽伏見の時はもう解消されてるんだっけ?

835 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/19(日) 18:31:15.08 ID:LAj6Osvn0]
>>832
当時の幕府は財政難。下関事件の賠償金も払えなかった。
長州はそれに比べて財政に余裕があった。長州は2万近い兵を戊辰戦争に送っておきながら、
藩を潰した時は100万両の金があった。
幕府という無駄の塊を維持するには莫大な金がかかるのを忘れている。

836 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/19(日) 18:43:39.69 ID:EdT0gcVcO]
>>835
幕府体制は大政奉還で無くなってますよ
撤退抗戦なら後先考えて金策なんかしないし
まぁ何れにしろ撤退抗戦なら財政難が出るなんて話しも史料も見たことない
勝ってな妄想は辞めてください
てかくどいね
鳥羽伏見に関しては薩長は帝を従えて早期撤退が妥当だから
長期戦の可能性など皆無

837 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/19(日) 19:10:35.59 ID:LAj6Osvn0]
>>836
幕藩体制がなくなろうと、幕府には無駄飯食らいの武士が何万とおり、
大奥という無駄な消費をする人間が何千とおり、
つか貧乏人には徹底抗戦すら出来ないって事が分かってないね。

838 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/20(月) 01:01:21.10 ID:vSvfdzsG0]
>>837
旗本八万騎は労働対価ではなく待機していても禄を要求するからなあ。

839 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/20(月) 09:24:21.28 ID:xjkG55kEO]
>>838
問答無用とリストラだ


840 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/20(月) 11:49:25.43 ID:tJS4zS4DO]
>>837
貧乏人?結局は先入観だけで騒ぐ君。
もう相手してられないから勝手に勝利宣言でもしてくれ

因み幕府は軍艦買う時に一緒に軍も洋式化してますよ

金が無ければ出来ませんよね

841 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/20(月) 11:57:46.14 ID:tJS4zS4DO]
因みに撤退抗戦とは長期戦の事では無いから

てか何度も書いてるのに都合が良いように解釈し、なんの根拠も無く反論の為の反論の為に思いつきや先入観だけで、さも史実の用に永遠と絡んでくるヲタ
後は勝手に宜しくやってください
んで脳内理論で勝手に騒いで勝手に勝利宣言してください
んじゃ

842 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/20(月) 13:55:38.27 ID:kfAMTiGHO]
オマエガナー
久しぶりに言ったぞこれ

843 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/20(月) 17:24:24.30 ID:8yYskPgH0]
勝利宣言してろと勝利宣言してるw
ゲームみたいに幕軍が大坂に駐留したら封鎖コマンドがでて、実行すれば
薩長軍の士気ゲージ低下して撤退するなんて単純なものでは無いと言われてるのにw



844 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/20(月) 21:02:02.38 ID:+30Ywi7D0]
>>840
それ全部借金でやっているんだよ。フランスからその借款の為に。
生糸の独占購入件とか(相場の半額で叩き売りしていた)
関税率の引き下げとか、色々利権を欧米に売り渡して借金の返済に回していたんだよ。
そんな事も知らないで幕府に金があったとかw馬鹿も休み休み言えよ。

845 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/21(火) 10:15:39.36 ID:qK/ZCN3IO]
会津の小説家に洗脳されたんだろうな。

846 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/21(火) 10:30:46.57 ID:lgkHJcAd0]
私は広島がルーツですが、
原爆は会津攻めの報いだといわれました



847 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/21(火) 11:22:01.57 ID:RfXESYq1O]
また来たw
>>844
だからなんだ?徳川政権が勝利した場合の日本はどうなっていたか?
なんてスレではないよ
鳥羽伏見から始まった戊辰戦争で徳川勝利の可能性の話し
君が言ってる話はスレ違い
幕府勝利と言えば幕府ヲタやら会津ヲタやらのレッテル貼らなきゃ語れない輩ばかり
因みに私は明治維新は立派な革命であり、徳川政権下では国体維持は不可能だったと思ってます
しかし明治維新に至るまでの過程に於いて、『薩長が勝って当たり前だった』なんて盲目的な考えではありません
鳥羽伏見を取っても薩長は敗戦必至だった
故にその鳥羽伏見での徳川圧倒的有利を説いてるだけ
んじゃアディオス

848 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/21(火) 12:57:24.02 ID:DKvXKxjKO]
うん、少なくとも会津オタは慶喜を高く評価しないから
君が会津オタではないことは分かる

849 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/21(火) 14:25:49.27 ID:Bnjvcbp80]
たしか幕府は軍役の代わりに金銭を納付させたことがあったよな?
長州征伐の前だっけ?

850 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/21(火) 16:46:11.62 ID:v1apg0g+0]
>>848
15代を高く評価する奴なんかいるのか
どっちにも嫌われてると思ってた

851 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/21(火) 17:46:17.16 ID:NElo57F90]
そんないい作戦があったとしてそれを実行できる人材がいなかったのならやはり
「幕府に西郷や大久保に匹敵するものがいるか?」だな。
その点でやっぱり慶喜はすごい。

852 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/21(火) 19:05:25.75 ID:J/VhNDHq0]
大阪城で強硬派を鎮撫できなかったことを除けば致命的な失敗もなく、
政治的には有能な人だったと思いますよ、慶喜公。

>>849
旗本の軍役金納であれば、文久の改革と慶応の改革の2回行われています。
文久の改革における金納は部分的なもので、より徹底したのは長州征伐後の慶応の改革になるかと。
その後でも旗本により編成された奥詰銃隊などが残っていますが。

>>823,824
>819などでは、あなたの提示された戦略条件の一つである「補給路も薩長は長く険しい」という点に疑義を呈したのですが、
特に具体的な反論もなく、ご理解もいただけなかったようで残念です。
ちなみに旧幕府軍の増援ですが、幕府陸軍の過半数を大阪城へ連れてきていますので、装備・戦術で優秀な部隊は余り期待できません。

>兵力で劣り補給路でも幕軍に負けている薩長
>この客観的事実を踏まえて考えてください

ではなぜ兵力で劣っている鳥羽伏見で戦い、またその間に朝廷の疎開を行わなかったのでしょうか。
また、鳥羽伏見での勝利後も、なぜ京から撤退することなく、大阪へ偵察隊を繰り出したのでしょうか?
まず事実を土台に置いて、当時の政治・戦略を分析されることをお勧めします。

>>832
>戦争とは相手合っての物
>補給路も含め相手より優れてなければ不利になるのだよ
>可能か不可能か?の問題では無いから

横レスですが、兵站が敵より優れていて有利になる点は、より大量の軍を動員できる、
或いはより長い期間活動できるということです。
第2次長州征伐などのように、敵より大軍を動員できるという点において利がなければ余り意味はありません。
一点だけで判断をせず、当時の戦略状況を総合的に把握されることをお勧めします。

853 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/21(火) 21:19:30.65 ID:gV5RvgnS0]
>>847
つまり幕府には金がさっぱり無かったという話なんだが。
欧米からの借款や商人からの御用金で財政をまかなっており、
天領が薩長より広いからとか関係ないよ。GMはトヨタよりでかいけどトヨタより貧乏だろって話だよ。
欧米相手にどうやって工面するのやら。



854 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/22(水) 00:59:32.99 ID:m65OZRBq0]
いや、有能でも性格に難があり過ぎて好かれないタイプじゃん
味方より敵から評価が高い典型例w

855 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/22(水) 08:03:13.68 ID:mztpN5uK0]
>>854
小栗ですか。

856 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/22(水) 09:05:26.76 ID:rjOJ2wBQO]
>>852 まともに話せそう
薩長の補給路が長く険しいのは客観的事実。
また日中戦争と鳥羽伏見
全く類似する部分が無いのに『日中戦争では大丈夫だった』なんてのが貴方の根拠なのですか?
敢えて日中戦争に触れるなら、点ではなく線で占領してたのは中国も同じ
中国には制空権も無く線で防衛してたのではありませんから
また異なる事例を掲げるなら、補給路を無失したガダルカナルやインパール等々
貴方はどう説明すると言うなか…
何れにしろ類似しない戦争を掲げて比較する意味はありませんよ

857 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/22(水) 09:13:29.45 ID:rjOJ2wBQO]
>>852
また疎開云々・偵察云々
それは『勝機があったから疎開させなかった』『勝機があったから兵力で劣ってても戦った』『勝機があったから鳥羽伏見後も偵察した』
って意見とか?(汗)
だとしたら実に幼稚な意見であり、客観的に物事を見れないのですね
んじゃ幕府も鳥羽伏見で戦いました。それは勝機があったからではないですか?
また戊辰戦争に於ける会津は勝機無くても戦ってますよ
貴方の言う土台とやらは表面だけの薄っぺらい土台
全く話す価値が無さそうで残念です


858 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/22(水) 09:14:45.89 ID:rjOJ2wBQO]
>>853
だから?戦線維持出来るか否か?
幕府は戦線維持出来ます
そこから先の話はスレ違い

859 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/22(水) 09:21:16.33 ID:rjOJ2wBQO]
大阪城を拠点に陸路閉鎖(京阪陸路)
海軍で海上閉鎖
孤立した薩長がどうするか
具体的に書いてください
有りもしない薩長艦隊やら、陸戦なら恐れるに足らずやら、日中戦争やら根拠無き妄想は聞き飽きた
挙げ句は『勝機があったから兵力で劣ってるのに戦った』
こんな話しで『はい。そうですね』なんかなるのかと…
因みに西郷自身も敗戦必至と手紙に書いてますよ

860 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/22(水) 11:29:00.96 ID:G7kzGqPTO]
陸路封鎖、海上封鎖という前提からして不可能なのに
しつこく何書いてるんだろう、この人

861 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/22(水) 13:30:26.40 ID:Pkqd/wVQ0]
幕軍が負けてほんと良かった。

幕軍が勝ってたら日本はどうなってただろうかね?
どの場面で勝つかによるけど、鳥羽伏見だとして・・・

1.薩長兵は帝を擁して薩摩に退却
2.慶喜が全国に討薩の大号令をかけて、軍団招集。
  これに半年ほどかかる。
3.薩摩に侵攻するも、徹底抗戦にあい失敗
4.薩長がまた勢いを盛り返して京・江戸を目指して進軍

やはり繰り返しではないか。

862 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/22(水) 18:14:10.04 ID:TcWbViFh0]
日中戦争の反論は第二次大戦時でも基本的には補給は現地調達だったという証左だろ。
そもそも、阿波沖海戦後の長州軍の活動、戊辰戦争での幕軍の活動から
封鎖は無理と根拠だして主張してるのに反論として人跡未踏のビルマやガ島と畿内を同一視し
挙句の果てに牟田口呼ばわりする。どちらが『具体的』でどちらが『根拠無き妄想』なんだか。

863 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/22(水) 18:17:21.72 ID:Pkqd/wVQ0]
しかし、慶喜と薩摩とは将軍継嗣争いでは仲間であったのに、
どうしてこうも食い違ってしまったのか。

島津斉彬と徳川斉昭が生きていれば、こうはならなかっただろうが。。
久光や春嶽とは相性があわなかったのか、将軍になって人が変わったのか・・・
権力を持つと人はかわるものだね。

やっぱり有力諸侯を排除して一会桑で牛耳ったのが失敗だね。



864 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/22(水) 18:22:49.97 ID:YdbMOsJC0]
>>861
これもアリかと・・

4’.幕府と薩長両方が疲弊して無政府状態化

865 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/22(水) 18:31:24.34 ID:Pkqd/wVQ0]
>864
それは列強が食い込む最悪のパターンでごわすな。

866 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/22(水) 20:02:46.03 ID:U/pm9DiV0]
薩長以外の雄藩は内心そうなるのを期待していた節がある

867 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/22(水) 23:04:04.52 ID:Pkqd/wVQ0]
初耳だわ。
雄藩といってもたくさんあるけど、どこ?

868 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/23(木) 07:35:17.97 ID:p/+oP13h0]
>>856
そもそも薩長の補給路が長く険しく幕府が楽という客観的事実とやらが間違っている。
畿内の諸藩の多くが薩長に靡いている時点である程度補給は受けられる。
逆に幕府は実質畿内に孤立しており補給が困難。
大阪城に篭城すれば完全に干上がるだけ。だから慶喜は逃げたんだよ。


869 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/23(木) 07:45:12.43 ID:p/+oP13h0]
そして孤島やジャングルと畿内を一緒にするのはなんなんだよ。
何十万という人間が暮らしている京都、数百万の人間が生活している畿内で、
5000人が養えないわけがないだろうが。
餓死なんてものは人が生活していないところに大量の兵士を送るから起こる事であって、
人が生活しているところで兵士が餓死するわけねーだろ。住民が餓死する事はあってもな。

870 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/23(木) 10:54:20.39 ID:GScEQN0dO]
>>862
第二次世界大戦での補給路無視で現地調達。インパールやガダルカナルはどう説明する?って何度も聞いてますよ
また類似無き戦を比較しても無意味ってのも何度も何度も
また安房沖開戦後の長州の動き?具体的に書いてくれ
それと鳥羽伏見以降なんか論外
以前にも書いたが幕軍敗戦って結果が出てるのだから、慶喜の戦意喪失を含めた史実を遡れば『幕軍は負ける』って結論しかならないから
このスレはタラレバスレ
幕軍勝利の可能性のスレで『慶喜に戦意があっタラ』『撤退抗戦してレバ』
出直して来なさい

871 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/23(木) 10:57:42.67 ID:GScEQN0dO]
>>868 鳥羽伏見時点での話し
しかも籠城なんかしません
何故なら薩長は包囲など不可能
西郷曰く『1ヶ月で兵は死ぬ』

872 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/02/23(木) 10:59:32.88 ID:GScEQN0dO]
>>869
比べてません
第二次世界大戦を持ち出して『補給路は関係無い』『現地調達が基本』と騒ぐ輩に聞いてくれ

873 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/23(木) 15:22:39.55 ID:p/+oP13h0]
>>872
補給路なんて必要ない、現地調達が基本。これは戦争にとって常識だ。
それに対してお前が牟田口がどうとか言うからそういう流れになったんだろうが。
第二次大戦でも現地調達が基本だったとね。
孫氏も言っているだろ、現地でまかなえと。自国から輸送する将軍は馬鹿だと言っている。
ゲームじゃねーんだから、後方から物資なんか輸送しねーんだよ。
戦国時代の上杉が遠征していたのは口減らしが理由の一つだ。関東で略奪すれば冬の新潟で餓死する人が減るだろ。




874 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/23(木) 15:31:32.34 ID:p/+oP13h0]
>>871
鳥羽伏見で戦えば薩長が確実に勝つ。だから畿内の諸藩は確実に降伏する。
よって薩長が補給に苦しむことはありえない。


875 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/02/24(金) 00:07:30.90 ID:D1v4u3dL0]
>>870
>>第二次世界大戦での補給路無視で現地調達。インパールやガダルカナルはどう説明する?って何度も聞いてますよ
北アフリカ戦線やインパールやガ島見たいな人のいない場所では糧秣も持っていくが
そうでない場合糧秣は現地調達、例外はアメリカぐらい、第二次大戦時でさえほとんどの国がそれほどの
輸送力を有して無い。
>>また安房沖開戦後の長州の動き?具体的に書いてくれ
733でも書いたように阿波沖海戦後に幕府海軍は姫路経由できた長州部隊を阻止できてない
気づいてもいない。大坂だけならともかく湾一帯を封鎖するには艦数が少なすぎる。
>>それと鳥羽伏見以降なんか論外
>>以前にも書いたが幕軍敗戦って結果が出てるのだから、慶喜の戦意喪失を含めた史実を遡れば『幕軍は負ける』って結論しかならないから
>>このスレはタラレバスレ
イフならなおのこと、実際の戊辰での動向からそれぞれの行動を予想すべきだろ
でないと何でもアリになってしまうぞ。
>>幕軍勝利の可能性のスレで『慶喜に戦意があっタラ』『撤退抗戦してレバ』
慶喜に戦意があったとしても京都封鎖は下策。封鎖しても得られる結果は糧秣の調達の
値段が上がるぐらいで決定的では無い。それより親慶喜派の尾越土と天皇が京にいるのに
封鎖なんてしたら尾越土を親慶喜で無くしてしまう。尾越土は金吾中納言では無い。
上策はそもそも政治的に有利なのは慶喜なのだから戦わないこと。
中策は西国街道や竹田街道にも兵を派遣して、会敵次第戦闘せよとでも命じておくことだろうけど
それを指揮する人材が幕府陸軍にいないからな。新政府で旧幕府の人材が登用された時も
陸軍は他の部門と比べて少ない。

876 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2012/03/11(日) 09:51:10.24 ID:emDdc5Ms0]
承久の乱のことを、思い出したら
良かったのに。

877 名前:時の勢い [2012/03/14(水) 03:03:34.03 ID:0BZMzx2S0]
原発村が山本太郎に
勝てないのと同じだよ。






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