- 1 名前:日本@名無史さん [2011/05/21(土) 20:46:57.73 ]
- 南朝北朝
- 24 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2011/08/05(金) 06:00:33.97 ]
- 後醍醐天皇が兵庫の福厳寺に泊まられて置きながら、
わざわざ薬仙寺から水をとりよせたか? ご利益とかの理由ではなく、 福厳寺で頭が痛くなったことを、 何かを盛られたと考えたようです。 そしてわざわざ薬仙寺より水を取り寄せたのが真実です。福厳寺は鎌倉幕府の菩提寺建長寺の関連で大覚という坊さんの流れで、後醍醐天皇は信用していなかった節があります。 鎌倉幕府は後鳥羽・後醍醐と二人の天皇を隠岐に 流していますが、 後鳥羽天皇が毎夜夢見て果たせないまま崩御された 「帰京」を後醍醐天皇は僅か一年余で実現されたのでしたね。 かって皇位にあった身で流人生活を送ったのはこの他、 淳仁天皇、崇徳上皇、土御門上皇、順徳上皇ですが、 配流地から脱出したのは後醍醐天皇だけですものね。 すざましいまでの執念の天皇です。 倒幕を掲げる後醍醐天皇が鎌倉方の密命を受けた使者 によって毒を盛られると考えられたとおもわれます。 臨済宗南禅寺派の福厳寺は後醍醐天皇の史跡 として有名です。また神戸の港の歴史におい ても重要な地位をしめます。境内には塔頭二ヶ寺、 起雲庵、常牧庵がありましたが、明治後合併廃 寺されましたが、名目的に方丈〔内殿〕は起雲 庵と言う事になりました。また和田〔和田岬〕 にあった尼寺、円通寺〔円通庵〕も現在は福 厳寺に合併されています。
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