- 150 名前:日本@名無史さん [2021/01/23(土) 19:45:45.71 .net]
- >>990
>神武が奈良の勢力を武力制圧して橿原に都を置いたというのは、大河ドラマ。 神武とされる人物は崇神・応神がモデルだが、その崇神・応神は奈良の政権の招請により、 南九州阿多から瀬戸内海を経て、難波、河内、龍田、橿原へと入り、大歓迎されて最高祭祀者の座についた大シャーマン。 崇神が南九州阿多から戴いて来た日神は火とつながっており、 崇神が橿原に宮を置いたのは畝傍山が火の神の聖地だったから。これが歴史の真実。 歴史の真実は、おそらく、 倭奴國の筑紫城の阿毎氏の神武らが東征して、 九州倭國の別種分家として、紀元前91年頃に、大和へ拠点を造り、 九州倭國の地方の市を監督する「大倭」職の旧小国を造った、という事。
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