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司馬遼太郎 Part13



1 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/17(土) 17:27:04.65 .net]
司馬遼太郎全集を重箱の隅をつつきながら読み進めてまいります。
現在「翔ぶが如く」が進行中です。

前スレ
司馬遼太郎 Part12
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1516287702/

227 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/25(日) 11:23:36.90 .net]
熊本鎮台が襲われたと言われても、実際に熊本鎮台を見たことがなければ、具体的なイメージがわかない。
対策もピンボケのものになる。陸軍卿は現地視察をしておかなければならないね。

228 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/25(日) 14:03:02.47 .net]
高校生の頃に司馬作品を読んだときは、山県有朋の悪口を書いてあるところは痛快だったけどな。
山県は権力者だったし、顔も好きじゃなかったから。
歳を取って読み直すと、山県のことなら何でも悪く書けばいい態度が鼻について嫌だな。
いまでも別に山県が好きなわけじゃないけど、何でも色眼鏡で見るというのは良くない。

229 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/25(日) 14:12:12.93 .net]
しかし『田原坂』の有川博は山縣有朋に見えなかったな。
もっとブサイクかつ頬の肉の削げ落ちた役者がやらないとダメだ。
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/3f568616e081520a9fcd9f51b5529a272bd90229.30.2.9.2.png
blog-imgs-46.fc2.com/n/e/z/nezu621/20120129110307350.jpg

230 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/25(日) 14:17:49.83 .net]
>>225
大久保が天皇の権威を使い、木戸と山県が額を寄せ合うようにして篠原を慰留させる手立てを考えているシーンを読んで、篠原国幹ってどれほどの人物なんだろうと期待したよな。
しばらくすると、司馬さんによってボロクソに言われ出します。

231 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/25(日) 14:23:06.70 .net]
>>219
連座辞職仲間に山県有朋がいたために、船越と山県は親戚になって、最終的には船越衛は勝ち組になったよ(・∀・)ニヤニヤ

232 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/25(日) 14:34:01.13 .net]
>>222
むかしから不思議に思っていたのだが、アンパンの上のツブツブは芥子の原料なのに、ちっとも辛くないんだよね。

233 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/25(日) 15:30:04.38 .net]
辛みをつけるためにケシの実を載せているじゃなくて、「こしあん」と「つぶあん」を見分けるために載せている。
「こしあん」の上に載っているのが、ケシの実。
kodomo-byouki-kakekomi.com/wp-content/uploads/2017/02/9c699b6ff9112577cb8209aef4ef1e9d_s.jpg
「つぶあん」の上にはゴマが載っている。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/b4/bde0ff81b2993b3e64e9ecbea9e83997.jpg

234 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/25(日) 15:32:09.23 .net]
誰もアンパンに辛みをつけろとは言っていない。

235 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/25(日) 15:37:51.32 .net]
>>168
「二百十日」と「野分」は、文庫で一冊にまとめれているな。
「二百十日」は会話しかでてこない変な小説だったけど、「野分」は良かったな。
内容はまったく覚えていないが、それを読んだ時間を思い出すと気分がいいから、きっと面白い小説だったんだわ。



236 名前:翔ぶが如く mailto:sage [2018/03/27(火) 04:01:14.11 .net]
第20章 陸軍卿

〔二〕鳥尾小弥太
山県にとってこの日の木戸家への訪問は欲と二人連れであった。
やがて近衛都督についての用件が不調におわったとき、鳥尾小弥太が、
「では、私は陸軍を辞めます」
と、木戸に噛みつくように言った。この二十代の陸軍少将はもともと圭角の多い男である上に、まだ年若く、感情が先に立った。火の粉をかぶろうとしない木戸に腹を立てたのである。
鳥尾が辞職について山県より先に発言したことは、山県にとって思う壺だった。山県は自分が先にそれを言いだすことは木戸に肚を見すかされるようでまずいと思っていた。

237 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 04:18:25.22 .net]
★文民統制

▼civilian control of the military
木戸のいう「軍人たる者はポリチックに喙を容れてはいけない」は、欧米の文民統制と同じ。
政治・政事という言葉は幕末期以来しきりに使われたが、古義における政治とは、天に仕えて民を牧するという皇帝や王の職分というニュアンスがあって、政治活動・政治状況といった風に使われる場合、どこか即しないという言語感覚が木戸にあって、わざと外来語をそのまま使っていた。

238 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 04:24:20.10 .net]
▼日本国憲法66条2項
「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」
自衛の為の軍隊の保持が想定されたことにより、いわゆる芦田修正によって導入された。
現職の自衛官は文民ではないが、退官した自衛官は文民にあたる。

239 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 04:35:24.83 .net]
★鳥尾小弥太

▽鳥尾小弥太
弘化4年(1848年)- 明治38年。Part12〔259-260〕に書いた。
鳥尾が陸軍少将に任命されたのは24歳のとき。現在26歳。
鳥尾小弥太は戊辰戦争後に和歌山藩に招聘され、同藩の軍制改革に戊営副都督次席として参与している。
この経験が基礎となって、薩摩藩出身の実力者たちが廃藩置県に慎重な姿勢を見せていた状況に対する危機感に駆られ、野村靖とともに山縣に対して廃藩置県の即時断行を提議した。
yugetuan.net/wp-content/uploads/2016/12/20140316_643017-192x300.png

240 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 04:44:22.21 .net]
明治14年政変は、開拓使官有物払下げ事件を契機に、これを糾弾した大隈重信が失脚した事件として有名であるが、失脚したのは、大隈重信ばかりではない。
陸軍部内の反主流派である鳥尾小弥太・三浦梧楼・谷干城・曾我祐準も払下げ反対の建白書を上奏し、結局、反主流派は陸軍を追われ、鳥尾も統計院長に左遷されている。

241 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 06:45:14.74 .net]
▽中村宇右衛門敬義
萩城下川島村で長州藩士。鳥尾小弥太の父。
小弥太ははじめ中村百太郎あるいは鳳輔と称しており、諱は照光、のち敬高。
乱暴者なので、親から勘当され、自ら鳥尾と名を改めた。

242 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 19:47:41.26 .net]
▽鳥尾隊
鳥尾が長州の壮丁20人をかき集めて組織した諸隊のひとつ。
鳥尾は健武隊参謀としても、戊辰戦争に参加している。

243 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 19:52:10.69 .net]
明治20年以降の鳥尾は、国教確立と反欧化主義を唱えて国家主義・国粋主義の興隆に努めた。
晩年は一切の職を辞し、仏教を信奉する参禅生活に入った。明治38年、静岡県熱海の別邸にて肺患のため死去した。享年58。

244 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 19:58:52.18 .net]
▽乃木希典
明治4年、23歳でいきなり陸軍少佐になる。洋式軍隊の教育は、2ヵ月しか受けていない。
乃木の栄達は、従兄の御堀耕助(太田市之進)が、死の直前に山県と黒田に頼んでいたからである。
現在は名古屋鎮台勤務、目下金沢分営に出張中。

245 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 20:00:18.28 .net]
乃木希典は、この時代の士官が、士官の制服を着せ辞令さえ出せば誰でも士官になれた例として挙げられている。



246 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 20:04:58.85 .net]
近衛の前身は御親兵であるため、薩長土肥以外の四藩以外の兵はいない。
その中でも、薩摩が最も多かった。警察も海軍も、薩摩が握っている。
山県は、大量辞職した薩摩系士官の補充は、すべて長州人で行おうと考えていた。

247 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 23:18:57.70 .net]
▽近衛都督
明治5年2月に近衛条例が制定され、親兵が近衛と改称された。各地の鎮台が陸軍卿の権内におかれた政府軍であるのとちがい、近衛の総指揮官である近衛都督は天皇に直隷した。また近衛兵は壮兵つまり職業兵制をとることになった。
西郷隆盛の辞任により、近衛都督は空席になった。近衛軍の動揺を抑えるために、山県と鳥尾は木戸孝允を後任の近衛都督に就けようと考えた。

248 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 23:20:34.54 .net]
★木戸邸

▽千代田区九段北2-2-1
現在は九段中等教育学校が建っている。このことはPart12〔653〕で述べた。
山県と鳥尾は、木戸邸を訪ねた。

249 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 23:22:02.90 .net]
近衛都督は、お断りします
   ハハ
   (゚ω゚)
  /  \
((⊂ )  ノ\つ))
   (_⌒ヽ
   ヽ ヘ |
εニ三 ノノ J

250 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 23:28:22.83 .net]
軍人はポリチックに関与してはならない〔>>237〕。
これは参議の兼任を求めている山県にとっては都合の悪い論であった。
留守内閣では、江藤新平が司法卿と参議を兼任し、大隈重信が大蔵総裁と参議を兼任していた。
明治6年政変後、伊藤博文が工部卿と参議を兼任している〔>>213〕。
文民統制の原則を木戸が持ち出さねば、山県陸軍卿が参議を兼任してもおかしいことではなかった。

251 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 23:32:22.76 .net]
▽明治六年政変
論争に敗れた征韓派の参議たちは一斉に下野した。西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎・副島種臣・江藤新平の5人である。
受験日本史の頻出事項。後藤象二郎に変えて大木喬任がひっかけで出題されることが多い。
大木喬任が含まれている肢は×です。

252 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 23:34:05.32 .net]
「私も、辞めます」
と、山県が言った。
(また例のくせがはじまったな)
木戸はうんざりした。

253 名前:解説 mailto:sage [2018/03/27(火) 23:45:11.66 .net]
谷沢永一『人間性を象徴する政治の力学』(全集第35巻)

【一】立場と人格と意識のにおい
「ちなみに明治維新は無数の異分子の参加によって成立した革命であったが、生き残って権力の座についた大久保一個の意識ではこれは厳密な意味での革命ではなく、徳川政権が太政官政権に移行しただけのものであるというにおいがあった。
つまりは将軍が天皇に変わっただけのことであり、だから旧幕時代の官僚用語どおりに〈御評定〉などとこの人物はいう」

254 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 23:51:37.62 .net]
▽服部之総〈しそう〉
明治34年 - 昭和31年。マルクス主義歴史学・歴史哲学・現代史。
島根県那賀郡旭村(現・浜田市)出身。
浄土宗正蓮寺に生れる。旧制浜田中学、第三高等学校卒業。1925年、東京帝国大学文学部社会学科卒業。大学在学中に志賀義雄、大宅壮一らと東大新人会で活躍。
昭和3年、三・一五事件の共産党弾圧の際、検挙されるが釈放され、唯物史観の立場で維新を論じた「明治維新史」を刊行。昭和7年刊行開始の「日本資本主義発達史講座」において講座派の代表的論客となる。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/34/Shiso_Hattori.JPG

255 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 23:53:54.77 .net]
司馬遼太郎は一貫して概念のもてあそびに、いささかの興味をも示さない。歴史の真実に近づく道は、その時期に生きたさまざまな人物の個別な視座にたちかえる想像力である。



256 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/27(火) 23:56:43.96 .net]
つい安易な大上段の構えをとって、明治維新は革命ではなく政権の移行であったと高みから見おろして定義すると、その途端に大久保利通も西郷隆盛も、単純なあやつり人形に化してしまう。

257 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/28(水) 00:00:02.36 .net]
歴史の波動にただよう一人ひとりの人物の限られた意識には、過去と現在しか与えられていない。かれらは未来から当時の自分を振り返り見る特権をもたない。
したがって意識と認定と模索と発想は、すべて試行錯誤のための断片にすぎない。

258 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/28(水) 00:02:09.57 .net]
▽陣僧
主に室町時代、軍陣に同道して、戦死者の供養をはじめ文書作成や敵方への使者を務めた僧。

259 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/28(水) 00:06:05.53 .net]
いつの世でも観察者であるなら、結論をひねり出しては自己満足を楽しめよう。しかし渦中の当事者にあっては、傍観者的な結論は不要であるのみならず、次に打つべき手を考えるには、有害な手かせ足かせとなる。
行動する者は、概念を必要としない。

260 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/28(水) 00:09:38.69 .net]
本稿の木戸孝允が、観察者の立場で、進歩的な思想を披歴するあたりは、陣僧に似たものがあるな。
西郷隆盛の征韓論も、しかり。自国の置かれた地位・立場をわきまえないと、すぐれた政策も愚策にしかならない。

261 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/28(水) 18:14:18.16 .net]
>>232
アンパンの上のツブツブはカラシの実ではなくてケシの実だから、辛くないのではありませんか?

262 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/28(水) 18:15:03.75 .net]
>>233さんも、>>232に釣られていませんか?

263 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/28(水) 18:17:27.43 .net]
>>247
西郷辞任の後は近衛都督はしばらく空席になっていたが、結局、陸軍卿の山県が近衛都督を兼任することになる。
本章にも書かれている通り、西郷の前の近衛都督も山県だった。

264 名前:coffee break mailto:sage [2018/03/28(水) 20:47:56.91 .net]
『謎の円盤UFO』を観て思ったのだが、UFOと戦うためには、エロい躰のねえさんにエロいコスチュームを着せなければならないのか?

265 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/28(水) 21:54:24.15 .net]
【二】革命ではない政権交代
ついでながら明治の大官の多くはじつに醜悪なもので、決して革命政府の官僚といえるようなものではなく、たとえば役所へ通うとき、書生と称する草履取りを連れている者が多かった。
政権を握った成功者は威張りかえった。だがもしそれだけであったなら、日本の近代化はいつまでも実現できなかったであろう。歴史の奇妙さはこの点をめぐって顕現するのだが、このじつに醜悪な明治の大官たちは、醜悪のままで同時に併行して、日本の国家形成を最も効果的に推進した。



266 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 06:11:15.68 .net]
▽「革命」の二義
1.易姓革命……孟子らの儒教に基づく五行思想から王朝の交代を説明した理論。天は己に成り代わって王朝に地上を治めさせるが、徳を失った現在の王朝に天が見切りをつけたとき、革命が起きる。革命とは、天命を革めるの意味。
2.レボリューションの訳語

267 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 06:16:22.45 .net]
明治の初期は、革命とは「易姓革命」の意義に用いられるのが一般であった。これによると、明治維新は政権の交代という認識になる。
しかし、外圧によって変革へのエネルギーが生じた明治維新には、歴史の段階を縦に上に昇るという意味合いが内在していた。これを表現する語彙は、当時の日本にはなかった。

268 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 06:22:54.46 .net]
▽「哲学辞彙」〈じい〉
哲学者のオナニーではない。明治14年に帝国大学が編纂刊行した哲学辞書。
この辞書は、レボリューションにふたつの訳語を付けた。革命と顛覆がそれである。
「按ズルニ、国ヲ興ス、之ヲ革命ト謂ヒ、国ヲ亡ボス、之ヲ顛覆ト謂フ」

269 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 06:26:17.30 .net]
明治維新は徳川政権を転覆したにとどまり(政権交代)、新たに国を興すという今後の課題にすぎなかった。
明治4年あたりまでの混沌とした状況を見ていると、まさにそのとおりだった。

270 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 06:31:40.74 .net]
前半生が極度の艱難にみちていた革命家は、かろうじて革命が一応の成就をみると、人間が変わったよいうに権勢欲のかたまりとなる。
明治維新においても、貪官?吏の集団が簇生した。
しかし彼らは醜悪さを保持しつつも、同時に新たな国家形成に邁進した。

271 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 06:34:47.24 .net]
革命家のもうひとつ類型は、清廉潔癖を保持しつつ、永久革命を目指して内外に惨禍をひきおこすタイプである。
西郷隆盛はこちらのタイプに近かった。

272 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 06:38:40.63 .net]
▽リゴリズム〈rigorism〉
道徳的厳格主義のこと。何事も道徳的善悪の判断で考えようとする杓子定規な考えの持ち主をリゴリストとも言います。
近代哲学でいえばカントがそうでした。
日本でも明治の20年代に儒教教育が国民に徹底して教え込まれた結果、道徳的にうるさい厳格な父親がたくさん現れ、その子供たちの世代は恐ろしい父親の目を逃れようと必死でした。

273 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 16:17:25.73 .net]
政治を道徳で律するリゴリズムは、結果としては木を見て森を見ざるの幣におちいる。

274 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 16:23:57.37 .net]
▽高橋亀吉
全集50巻の『ひとびとの跫音』の谷沢永一による解説「清冽で温柔な感情移入の極致」にも登場した。Part8〔959〕参照。
明治24年 - 昭和52年。経済評論家・経済史研究者。
石橋湛山と並ぶ日本の民間エコノミストの草分け的存在である。山口県徳山村(現・周南市)に、船大工の長男として生まれる。
家業の衰退から高等小学校卒業後に大阪の袋物問屋に丁稚奉公へ出るが、1年で辞めて朝鮮へ渡航。
日本人居留民相手の営業や販売、貿易実務・電信局の請負などに従事した。
corp.toyokeizai.net/wp-content/themes/toyokeizai2014/press-room/award/index/images/takahashi_image.jpg

275 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 16:28:16.75 .net]
高橋亀吉は、日本が近代経済の本格的発達の基礎を築きえたのは、明治18年頃である『日本近代経済の育成』で述べている。



276 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 16:36:13.41 .net]
【三】革命の結果がもたらすもの
革命というのは元来、支配・被支配階級のいかんをとわず、遠い将来は知らず、さしあたっての勘定からいえば失う利益のほうが大きい。
革命はかならず国力および生活水準の全国的に大幅な低下をもたらす。明治維新もまたいささかも例外でなく、武士階級にのみ焦点を絞ってみても、維新で政府のやったことといえば士族を山野に棄てただけのことであった。

277 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 16:44:48.97 .net]
・士族:既得権を奪われる
・農民:租税負担が重くなる。徴兵令により若い働き手を奪われる。

278 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 16:59:01.44 .net]
▽阿片戦争
1800年頃になると日本周辺に西洋列強の船が現れ始める。幕府は異国船打ち払い令を出すが(1825年)、1840年のアヘン戦争で清朝が負けたことが大きな原因で打ち払い令に代わって薪水給与令を出した(1842年)。
モリソン号事件(1837年)において外国船を攻撃したことで清朝のようになることを当時の幕府は予測したわけであるから、アヘン戦争の結果は大きな衝撃だったのである。アヘン戦争により東洋よりも西洋の軍事力が圧倒的に優位だと幕府は悟った。

279 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 17:00:54.32 .net]
なお、天保の薪水給与令(1842年)の前に、文化の薪水給与令(1806年)というのがある。
しかし、この法令は、翌年の文化露寇を受けてロシア船打払令が出され、わずか1年で撤回された。

280 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 17:04:42.75 .net]
なお、大村益次郎が西郷の乱にそなえて「四斤山砲をたくさん作って大阪に貯えておけ」と命じた部下は、『翔ぶが如く』では船越衛になっているが〔>>219〕、『花神』では山田顕義だった。

281 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 17:06:12.49 .net]
司馬さんは、もう少し『花神』を読んだほうがいい(・∀・)

282 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 17:14:30.88 .net]
【四】外交と内政の融合と混交
外交が常にただの外交におわることなく、かならず悪霊のような魔術性をもち、国内問題にむかって強烈な呪術力を発揮するという点で、日本はきわめて特異であり、世界の政治地理的分野のなかで特別な国であるとして見なければ、征韓論というものはわからない。

283 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 17:34:19.27 .net]
▽遣韓大使
西郷は自分が遣韓大使として韓都にゆくことにより、あたかも幕末の日本でそれが起こったように、韓国でも在野世論が沸騰し、国論の形成によって李朝が亡びると考えていた。
しかし谷沢永一は、李朝の場合、在野世論が沸騰する基盤もなければ、政権が変質する可能性も絶無であったに違いないと述べている。

284 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 17:38:52.02 .net]
革命を成功させた指導者は、フランス革命においてもロシア革命においても例外なく、革命を他国に輸出したがる。それは覇権の拡張を意味し、制圧による属国化をもたらすことも例外がない。
ただし、西郷の場合、理想主義的な「革命の輸出」ではない〔>>271〕。西郷の発想は、国内問題の現実判断を基礎にした外交論であった。

285 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 17:46:22.63 .net]
【五】政治を基底で動かすもの
征韓論は外交でもなく軍事でもなく、一挙にもっとも根の深い政治問題と化した。
政治がもし論理のみで動くものであるとすれば、人類の歴史ははるかに輝けるものであったろうと思われる。しかし政治においては論理という機械の作動する部分は不幸なことに僅かでしかない。
それよりも利害で動くということは大いにあるであろうが、維新早々の日本国家の運営者たちは、政商の利益を代表していない。
かれらはむしろ感情で動いた。感情が政治を動かす部分は、論理や利害よりも遥かに大きいといえるかもしれない。



286 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 17:47:55.44 .net]
政治が感情で動くことの例証として、江藤新平と大久保利通が相互に憎悪しあっていたことが述べられている。

287 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 17:53:13.89 .net]
西郷はその才略や機鋒を、鈍重な肉質の外被で包みこんで露さないことを心掛けていた。政治は才略よりも人格であるという考え方をとったのである。
それゆえに西郷は結局は敗れる。通常の次元で評価するなら、もとより西郷は敗者であった。しかし敗者であるゆえに、かえって西郷は偉大であった。それは果たしてなにゆえであろうか。

288 名前:月報35 mailto:sage [2018/03/29(木) 17:58:56.86 .net]
司馬遼太郎『声明と木遣と演歌』

『この国のかたち』〈第6巻〉の随想集に収載されている。そこでやる。

289 名前:月報35 mailto:sage [2018/03/29(木) 18:13:33.03 .net]
粕谷一希『編集者としての春と秋に』

昭和33年から35年にかけて、私は中央公論社の出版部に籍があった。そこには、現在、紀行作家として活躍中の宮脇俊三氏や直木賞作家綱淵謙定氏など、多士済々の連中がトグロを巻いていて、皆、若かった。

290 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 18:20:22.88 .net]
▽粕谷一希〈昭和5年 - 平成26年〉
日本の評論家、編集者、出版事業家。保守派の編集者として多くの書き手を送り出し、戦後日本の論壇に保守主義、現実主義の潮流を築いた。
東京雑司が谷に生まれる。東京府立第五中学校、一高を経て、東京大学法学部を卒業。昭和30年、中央公論社に入社。
books.bunshun.jp/mwimgs/e/6/-/img_e6cb2009bd462ee32bea02689c99aac3202065.jpg

291 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 18:28:43.95 .net]
▽宮脇俊三〈しゅんぞう〉
大正15年 - 平成15年。日本の編集者、紀行作家。元中央公論社常務取締役。
鉄道での旅を中心とした作品を数多く発表した。父は陸軍大佐で、後に衆議院議員となった宮脇長吉。娘に作家の宮脇灯子がいる。
埼玉県川越市で7人兄弟の末子(三男)として生まれる。東京府青山師範学校附属小学校、旧制成蹊高等学校卒業後の昭和20年、東京帝国大学理学部地質学科に入学。昭和26年、中央公論社に入社。
mktabi.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2013/04/07/2459.jpg

292 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 18:41:24.22 .net]
▽綱淵謙錠
全集50巻に『綱淵謙錠氏のこと』という随筆が収載されていて、本スレPart10〔456-〕で詳しくやっている。参照せよ。
大正13年 - 平成8年。樺太出身の小説家。

293 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 18:49:56.35 .net]
▽谷崎潤一郎〈明治19年 - 昭和40年〉
初期は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られることが少なくないが、その作風や題材、文体・表現は生涯にわたって様々に変遷した。
漢語や雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴。『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など、情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と、文体や形式における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって世評高く、「文豪」と称された。
https://jpreki.com/wp-content/uploads/2015/11/tanizaki.jpg

294 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 18:55:28.73 .net]
▽谷崎潤一郎全集
「谷崎潤一郎全集」は、これまで中央公論社から谷崎の生前に一度、没後に二度、合計三回編纂され刊行されている。以下はそのリスト。
「谷崎潤一郎全集」全三十巻(昭和32年12月〜昭和34年7月、中央公論社)
「谷崎潤一郎全集」全二十八巻(昭和41年11月〜昭和45年7月、中央公論社)
「谷崎潤一郎全集」全三十巻(昭和56年5月〜昭和58年11月、中央公論社)
綱淵謙錠が担当したのは、昭和30年代に刊行されたいわゆる「自選全集」。

295 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 19:01:25.61 .net]
▽尾崎士郎〈明治31年 - 昭和39年〉
愛知県幡豆郡横須賀村(現西尾市)生まれ。早稲田大学政治科在学中に社会主義運動にかかわり、大学を中退し、大逆事件真相解明の目的で売文社に拠る。同社を本拠に活動していた高畠素之を追って国家社会主義に身を投じる。
大正10年に時事新報の懸賞小説で、大逆事件を取材した『獄中より』が第二席で入選し、以後本格的に小説家として身を立てる様になる。昭和8年から都新聞に『人生劇場』を連載し、文芸懇話会賞を受賞。これが大ベストセラーとなって以後20年以上も執筆し続ける大長編となる。



296 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 19:05:04.31 .net]
早くに右傾し、軍国主義鼓吹の小説や著作を多く書いたため、戦後公職追放となるが、以後は文壇から距離を置き、実業家などとのつきあいが多かった。川端康成とは関東大震災の翌年(大正12年)に出会って以来からの変わらぬ親友であった。
川端康成を通じて伊豆湯ヶ島温泉で知り合った梶井基次郎とは、馬込文士村において、妻の宇野千代を巡って関係が険悪となり、その後尾崎と千代は離婚した。
夫婦の仲はすでにぎくしゃくしていたが、宇野に好意を寄せる梶井とそれを憎からず思う宇野との親しい関係に対してわだかまりを感じていた尾崎は、友人宅で開かれたパーティで偶然居合わせた梶井の態度が気に入らず、梶井の顔に火のついた煙草を叩きつけるという事件を起こしてしまったのである。
www.city.nishio.aichi.jp/images/content/14915/20110813-171038.jpg

297 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 19:09:26.16 .net]
▼宇野千代〈明治30年 - 平成8年〉
小説家、随筆家。多才で知られ、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持った。作家の尾崎士郎、梶井基次郎、画家の東郷青児、北原武夫など、多くの著名人との恋愛・結婚遍歴を持ち、その波乱に富んだ生涯はさまざまな作品の中で描かれている。
山口県玖珂郡(現・岩国市)出身。実家は酒造業を営む裕福な家だが、父親は生涯生業に就いたことはなく、博打好きだった。千代が幼いころに母親がなくなり、父親は千代と12歳しか違わない若い娘と再婚。千代は実母と思って育ち、大変慕っていた。この継母が「おはん」のモデルとされる。
www.designroomrune.com/magome/a-o/uno/uno4_big.jpg
e.kaigo110.co.jp/wp-content/uploads/2012/03/ccd4cb14bc8cfc2662e9589215f60cee.jpg

298 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 19:10:51.36 .net]
文士の下半身ときたら( *´艸`)クスッ♪

299 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 19:19:01.15 .net]
▽中山義秀〈ぎしゅう〉
明治33年 - 昭和44年。日本の小説家。昭和13年、『厚物咲』で第7回芥川賞受賞。
福島県西白河郡大屋村(現白河市)生まれ。旧制安積中学(現福島県立安積高等学校)、早稲田大学文学部英文科卒業。
戦後は『新剣豪伝』『信夫の鷹』などの時代小説を書き、昭和39年、明智光秀を描いた『咲庵』で野間文芸賞を受賞した。
www.kamakurabungaku.com/literature/imgs/7_photo06.jpg

300 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 19:50:18.68 .net]
みかんを入れている網袋に石鹸を入れて水道の蛇口に吊るしておくんだ。
手を洗うとき、すごく泡立ちがよくて、汚れがおちるよ。
https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20170930%2F18%2F1853258%2F6%2F1200x900x4646ac80cd3483058bb162a.jpg

301 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 19:52:38.62 .net]
>>300は吊るし方がおかしい。
正統派は、これだ。
www.yaslab.com/demeyboomlab/lemon/img_lemon/lemon-top1-1.jpg
livedoor.blogimg.jp/pyonko730/imgs/5/6/566f59b9-s.jpg

302 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 19:58:17.73 .net]
以上、余談である。

303 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 20:03:23.30 .net]
▽子母澤寛〈明治25年 - 昭和43年〉
小説家。北海道厚田郡厚田村(現・石狩市)出身。
祖父の梅谷十次郎(通称斉藤鉄太郎)は、幕府から切り米20俵の家禄を受けていた御家人で彰義隊に参加し、箱館戦争に敗れて捕虜となったが釈放され、札幌へ移り開墾に従事するが成功せず、札幌から10里ほど離れた石狩の漁村・厚田で漁場を持った。
新聞記者をするかたわらで、旧幕臣の聞き書きをまとめ、昭和3年『新選組始末記』を出す。その後、『新選組遺聞』『新選組物語』の「新選組三部作」を出版し、その後の作家ら(司馬遼太郎・池波正太郎など)に引用される。
https://cdn.amanaimages.com/cen3tzG4fTr7Gtw1PoeRer/23007004706.jpg

304 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 20:05:14.16 .net]
ずいぶん長くなったが、尾崎士郎、中山義秀、子母澤寛は、当時、綱淵謙錠が通っていた作家である。

305 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 20:09:34.65 .net]
▽子母沢寛全集
中央公論社版は全10巻で、昭和37年10月から翌年8月に刊行された。
綱淵謙錠は、「子母沢寛全集の次は、司馬遼太郎全集を出すべきだ」と、ある会議の席上、発言したそうだ。



306 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 20:15:35.55 .net]
▽昭和36年1月
綱淵謙錠と粕谷一希は、新編集長笹原金次郎の許、両次長として「中央公論」編集部に移った。
「風流夢譚」事件に対応する補強策であった。

307 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 20:24:29.47 .net]
▽風流夢譚事件〔嶋中事件〕
昭和36年2月1日に日本で起こった右翼による言論抑圧を目的としたテロ事件。
昭和35年11月上旬に雑誌『中央公論』に発表された深沢七郎の小説「風流夢譚」の中には、皇太子・皇太子妃が斬首される記述や、天皇・皇后の首のない胴体が登場したり、昭憲皇太后が野卑な言葉を語ったり面罵されたりする記述などがあった。
これを「不敬」であるとして右翼の抗議活動がすぐに起こったが、加熱する批判と擁護論争の中で、右翼団体大日本愛国党に所属していた少年Kが、中央公論社の社長嶋中鵬二宅に侵入して起こした殺傷事件。

308 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 20:31:13.94 .net]
この事件に関して第38回国会参議院で当局の警備の手落ちを指摘して緊急質問したのが西郷吉之助議員です。マジ。
西郷吉之助議員は、西郷隆盛と糸子の間に生まれた嫡男・寅太郎の三男。つまり、隆盛の孫。
https://cdn.snsimg.carview.co.jp/carlife/storage/1135053/plus/e9cccb4e88.jpg

309 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 20:34:50.25 .net]
右翼は「風流夢譚」のなかの皇族が処刑され冒涜される描写に憤慨したけど、「左慾」(サヨク)という皮肉を込めた漢字表記からも伺えるように、深沢は60年安保に見られた左翼運動で安易に語られた「革命」もパロディとしているんだよね。
小説の内容は、革命を煽動したり賛美したりするのではなく、むしろその愚かさと恐怖を書いたのであり、右翼が怒ったような内容ではなかった〔「よみがえる45年前の記憶 『風流夢譚』事件が私に教えた『言論の自由』より大切なもの インタビュー粕谷一希」〕。

310 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 20:36:20.80 .net]
深沢七郎は『楢山節考』も良かったな。
当時42歳の深沢の処女作である。

311 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 20:39:30.70 .net]
映画『楢山節考』の話だけど、左とん平は、「清川虹子のおっぱいは意外と張りがあった」とインタビューで答えていた。
image.space.rakuten.co.jp/lg01/69/0000409369/37/imgb8bc0862zik4zj.jpeg

312 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 20:46:04.67 .net]
▽笹原金次郎〈大正9年 - 平成16年〉
山形県出身。早稲田大学政経学部卒。昭和23年中央公論社入社。昭和36-41年『中央公論』編集長、取締役編集局長をへて退任。

313 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 20:50:22.32 .net]
▽当時連載中の司馬作品
週刊コウロン……「上方武士道」
小説中央公論……「新選組血風録」
週刊文春……「燃えよ剣」

314 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 20:56:35.20 .net]
▽空海の風景
中央公論の昭和48年1月号から、途中「長安から北京へ」のための休載を挟んで、昭和50年9月号まで掲載された。
連載開始時は笹原編集長であったが、その後は粕谷一希が編集長を務めた。
粕谷によると「空海の風景」は、司馬遼太郎の青春への追想だそうである。

315 名前:月報35 mailto:sage [2018/03/29(木) 21:11:03.38 .net]
芳賀徹『司馬さんと駒場』

司馬さんは、式典の日には忙中を上京、みごとな記念講演をして下さった。「アジア諸国との対比において見た日本社会の性格」という、まさに教養学科三十周年にふさわしい、中国・朝鮮・日本、そして貨幣と儒教と製鉄技術と役人道の問題をおおう、遠大で大胆で、しかも個人的見聞と見識とに裏打ちされた名講義であった。



316 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 21:16:06.76 .net]
▽芳賀徹〈昭和6年 - 〉
東京府生まれだが、本籍は山形県。父は中世日本史を専攻した歴史学者芳賀幸四郎で、父が左翼活動で東京高等師範学校を退学になった直後に生まれている。
昭和28年、東京大学教養学部教養学科フランス分科第一期生として卒業、続いて大学院比較文学比較文化専修課程第一期生。島田謹二に比較文学を学ぶ。
https://images.keizai.biz/img/gp/m0026584772.jpg

317 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 21:22:37.27 .net]
▽昭和56年
東大教養学部教養学科創設三十周年記念式典で司馬遼太郎が記念講演をした経緯が述べられている。

318 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 21:28:02.03 .net]
▽T・S・エリオット〈Thomas Stearns Eliot:1888年 - 1965年〉
イギリスの詩人、劇作家で文芸批評家である。
昭和56年には故人なんだが、ふざけすぎているぞ、東大教授。
https://www.poets.org/sites/default/files/styles/286x289/public/images/biographies/tseliot.jpg
shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/11/06/eliot.jpg

319 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 21:30:54.22 .net]
▽トインビー〈Arnold Joseph Toynbee:1889年 - 1975年〉
イギリスの歴史学者。
トインビーも昭和56年には故人なんだが、どういうつもりなんじゃ、東大教授?
https://i.ytimg.com/vi/giBeIMd4u7Y/hqdefault.jpg

320 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 21:35:43.33 .net]
▽ケネス・クラーク〈Kenneth McKenzie Clark:1903年 - 1983年〉
英国の美術史家。
筆者は、この時代の外国の学者には昏い。申し訳ない。
sugimatamihoko.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2013/06/14/kenneth_clark_historian.jpg

321 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 21:39:14.19 .net]
▽国際関係論
国際社会において生起するさまざまな事象についての分析を行う研究領域である。 政治学の一分野と考えられることが多い。
国際関係論でもっとも大きな部分を占めるのが戦争の原因・過程と影響に関する研究である。
戦争・紛争以外の領域でも、様々な側面から国家の行動を説明しようとする試みが続けられている。その中でも、代表的なものはウォルツによる勢力均衡論である。突出した勢力を持つ国が現れるとそれに対抗する連合体が形成される傾向があるという仮説。

322 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 21:42:29.12 .net]
▽文化人類学
人間の生活様式全体(生活や活動)の具体的なありかたを研究する人類学の一分野。
人間について「文化」という概念を中心に、経験的な調査法(=インタビューと参与観察)を動員して、〈他者〉と〈他者がおりなす社会〉を観察し、そのことを具体的に考察する。
文化人類学の名称はアメリカにおいて用いられ、イギリスおよび多くのヨーロッパ諸国では「社会人類学」の名称が用いられてきた。他のヨーロッパ諸国や日本においては民族学(英語圏での Ethnology、ドイツ語圏での Ethnologie)の名称も用いられている。

323 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 21:50:03.26 .net]
▽江藤淳〈昭和7年 - 平成11年〉
戦後日本の著名な文芸評論家で、小林秀雄の死後は文芸批評の第一人者とも評された。
「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳」という遺書を残して自殺した。
https://i.pinimg.com/originals/da/08/19/da081980ac5690c598c7d1e49a6a8725.jpg

324 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 22:08:29.36 .net]
▽島田謹二〈明治34年 - 平成5年〉
日本の比較文学者・英米文学者。芳賀徹の恩師。
廣瀬武夫とアリアズナの恋の顛末は、東京大学の著名な教授である島田謹二氏が初めて詳細に研究し、1960年代に著している。日本で彼は 「比較文学の父」 と呼ばれている。
島田謹二は 『ロシアにおける廣瀬武夫』 という研究論文 (モノグラフ) を書き上げた。この労作をもとに、司馬遼太郎が、長編小説 『坂の上の雲』 の一節でこれら二人の若者たちの愛の物語を鮮やかに描写している。
www.minervashobo.co.jp//images/book/251254.gif

325 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 22:12:42.35 .net]
国際関係論だの文化人類学だの総合文化研究科などというような鵺のような“すきま学問”の話は興味ない。
伝統文化を重んじる我々としては、法学部とか経済学部のようなスキっとした学問が好みである。



326 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/29(木) 22:14:15.42 .net]
大蔵省を財務省というようなくだらん名称に変えるから、文書改竄などをしよる。

327 名前:月報35 mailto:sage [2018/03/29(木) 22:20:50.15 .net]
【図表】主要登場人物のおもな経歴(明治元年〜六年)

以下の人物が載せられている。
三条実美、島津久光、岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、大隈重信
副島種臣、大木喬任、前原一誠、伊藤博文、山県有朋、井上馨、黒田清隆、西郷従道、大山巌、桐野利秋、川路利良、勝安芳






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