- 575 名前:nk.or.jp/cda/tanbou/kurume/houreki/houreki/no5.htm
一揆後の大弾圧で、農民側は第54表に示すような多数の犠牲者を出した。 この中には死刑になった御原郡井上組の大庄屋高松八郎兵衛が入っているが、 彼については「大庄屋にて勧め候由の咎故、死刑」(吉田喜太夫筆記)とも、 「連々私曲の仕形これあり、当春百姓共申し出候に付き吟味を遂げ候処、 其の紛れこれ無く、役儀をも相勤む、右体の儀、重々不届の至り候。 これに依り死刑」(宝暦4甲戌歳騒動御制詞)とも記されている。 庄屋では竹野郡野中村庄屋八郎右衛門は、 一揆発頭村でありながら対処ふじゅうぶんで死刑になっているが、 御原郡干潟村(現小郡市)庄屋三郎右衛門と竹野郡門上村(現田主丸町)庄屋忠助は、 一揆に加担したとしてそれぞれ梟首、刎首に処せられている。 [] - [ここ壊れてます]
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