- 537 名前:日本@名無史さん [2018/03/05(月) 22:25:46.42 .net]
- >>515
江戸初期の庄屋の実態 www.e-obs.com...heo/heodata/n332.htm ↓ 〈旧在地領主層を庄屋に任命〉 >>大分県下における近世大名は、すべて他国から入部してきた大名である。この大名が領主として領民を支配し、 >>年貢などを納入させることは、当初かなりの困難が伴った。 >>例えば、 中川氏 は文禄3年(1594)に 岡藩主 として入部したが、 >>入部の行列が 襲われたり(赤岩合戦)、領内の村々に古年貢帳の差し出しを命じた際も、 >>磔(はりつけ)木を持参するという強行手段を構じなければ提出させられなかったりしたのである。 >>このような困難な状況を打開するために近世大名がとった方法は、旧在地領主層を庄屋に登用し、特権を与えるという懐柔策であった。 >>岡藩 の場合、各村に庄屋を任命し、それを統轄し 郡奉行 と庄屋とのパイプ役として千石庄屋を任命している。 >> 千石庄屋 の名称は、1,000〜1,500石を統轄範囲単位として1人ずつ任命されていることによる。そして、これらの庄屋層には在地領主時代からの特権の一部を認めていたのである。 >>>>>>>>>このように諸藩では、旧在地領主層との妥協の上に藩政をスタ−トさせたのである
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