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河井継之助



1 名前:日本@名無史さん [2005/12/27(火) 06:52:57 ]
つぐのすけだろ

日テレきもい

418 名前:日本@名無史さん [2008/02/28(木) 23:15:33 ]
勝田氏は新潟出身なんですね。まさかとは思うが新潟繋がりでは…。

419 名前:日本@名無史さん [2008/02/29(金) 15:47:36 ]
あ、本当だ。大学の教員紹介見たけど
出身地なんて書いてあったのを見逃していた。
・・・それだ!!
ってことは専門分野より出身地つながりを重視か?

420 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/03/01(土) 00:39:48 ]
それもあるのだろうけど、勝田氏はかつて、新潟県史の編纂に携わっていた事がある。
ある意味、幕末の越後は専門分野であり、出身地新潟を語る上では、適任といえば、適任といえるのかも・・・・・


421 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/03/04(火) 23:27:12 ]
いよいよ明日になりました。
どのような切り口になるのでしょうか?
楽しみです。

422 名前:日本@名無史さん [2008/03/05(水) 12:06:53 ]
『その時歴史が動いた』第317回
北越の蒼龍 ”明治”に屈せず 〜河井継之助 地方自立への闘い〜

放送日 平成20年3月5日(水)22:00〜22:43 総合

スタジオゲスト 勝田政治(かつたまさはる)さん(国士舘大学教授)
ttp://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html

423 名前:日本@名無史さん [2008/03/05(水) 14:49:10 ]
長岡共和国

424 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/03/05(水) 22:45:23 ]
ええ話だったと思います。
随所随所に原文を織り込んで、それなりに分かりやすいと思います。
時間の制約があるので、内容は省略されても、仕方ないのかな。


425 名前:日本@名無史さん [2008/03/06(木) 03:12:15 ]
当時日本にあったガトリング砲三つのうち二つ持ってたの知らなかった。
残りのもう一つは官軍の甲鉄艦に搭載してたやつ?

426 名前:日本@名無史さん [2008/03/06(木) 03:14:57 ]
勝田曰く、新潟では「つぎのすけ」で統一されてます。



427 名前:日本@名無史さん [2008/03/06(木) 03:27:06 ]
>>425
熊本じゃね

428 名前:テレビは怖い [2008/03/06(木) 05:01:51 ]
あくまで薩長は正義なんだね。さすがNHKのテレビ番組
徳川家に力がなくなったから長岡藩は江戸藩邸を引き払ったとか・・・
当時は薩長の軍勢が江戸侵略の進軍を進めていたので、各藩は
江戸を引き払った、退去したと言うのが真実だろうに


429 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/03/09(日) 09:54:12 ]
違いますよ。NHKの解釈なんて、その時の都合でいくらでも変わりますから。
今年の大河が島津家がらみだから、下手に叩くと、大河を自己否定するから。
大河を批判しない程度に、地方の時代とマスコミが持ち上げているから、
それに合わせて番組を作っただけですよ。


430 名前:捏造 mailto:キチガイ [2008/03/21(金) 19:56:23 ]
山本勘助の生誕地を捏造した卑しい豊橋市。北越軍談に本国三州賀茂郡に帰り、豊田市寺部の鈴木日向守重辰が叔父で、剣術修行したとあるのを、

その後に、牛窪密談記という軍記を捏造して、この賀茂は豊橋市の八名郡賀茂郷のことだと言い出した。そして、NHK大河ドラマに怒って、NHKを襲撃して、ドラマを改ざんした。

恥ずかしくないのでしょうか?こんなことをして。

431 名前:日本@名無史さん [2008/03/21(金) 20:29:13 ]
それは河井継之助関連ではありません。
しかし、愛知県周辺は、「武功夜話」(「墨俣一夜城」「伝説と「蜂須賀工人衆」の捏造)など、
嘘話を歴史に仕立てる自称歴史ファンが多い地域です。

432 名前:日本@名無史さん [2008/04/21(月) 21:34:05 ]
【ガトリング家老】河井継之助の大河なじらね?
live27.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1208781034/

433 名前:日本@名無史さん [2008/05/12(月) 21:48:47 ]
>>432
大河になるの?

434 名前:日本@名無史さん [2008/05/12(月) 22:32:09 ]
関原

435 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/05/24(土) 09:23:20 ]
ほす。


436 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/05/24(土) 18:17:07 ]
ttp://www2.hokurikutei.or.jp/backnum/07apr/mikaku/
桜飯って見た目がみかんご飯みたいだな。



437 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/06/08(日) 05:53:26 ]
河井のこと調べてたら高田に着陣したときの黒田が鵜殿団次郎に向けて、戦争の回避を促す手紙を送ったって載ってた
経済誌の記事だから信憑性に欠ける部分もあるけど、小千谷会談にもし黒田が出席してたら中立路線は成功していたのかも分からんね

438 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/06/28(土) 13:45:57 ]
継サ の読みは
つぎさ?つぐさ?

439 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/06/29(日) 08:31:12 ]
>>438
どちらでも可。

440 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/06/29(日) 14:40:47 ]
良運さんあたりはつぐサって言ってたのかな。

441 名前:日本レンタカー [2008/07/09(水) 13:03:10 ]
河井継之助についておしえてください(^−^)//


442 名前:日本@名無史さん [2008/08/16(土) 13:49:49 ]
今日は命日(現在の暦では10月1日だが)
黙祷

443 名前:私も河井です [2008/09/17(水) 00:46:57 ]
三河の河井家の子孫です。親からは河井継之助の血縁って教えられたけど、
Wikipediaでは、全く関係なく、おまけに気が狂ってお家断絶って書いてあったけど、
家の文献には1600年から続いている証拠がありました。真偽のほどは
誰か教えてください。

444 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/09/21(日) 17:06:18 ]
>>368
遅レスだけど、
以前、八幡と同じような言いっぷりで兼続を扱き下ろしてた奴がいたのを覚えてる。
確か物書き。誰だったかな。「負け戦に引きずり込んだからダメ」なんだってさ。

445 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/09/21(日) 20:02:45 ]
>>443

河井継之助の先祖は近江国膳所藩本多家の家臣です

446 名前:日本@名無史さん [2008/10/07(火) 15:54:33 ]
本多家って三河以来の家柄なんで河井家も三河以来家臣かもしれないですね



447 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/10/08(水) 23:43:06 ]
>>444
田中芳樹氏です。
「中国武将列伝」のあとがきで述べています。


448 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/10/13(月) 05:27:14 ]
継サが火を盛んにせよと命じてからちょうど140年
もし継サが現代に生きてたら
反対する米下院を一喝して公的資金を即座に注入してたはず


449 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/07(日) 19:41:08 ]
ほす。


450 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/08(月) 21:22:37 ]
河井さんと小栗さんと橋本さんには生き延びて欲しかった。


451 名前:日本@名無史さん [2008/12/17(水) 20:10:28 ]
河井さんのご子孫は活躍されているのでしょうね

452 名前:日本@名無史さん [2008/12/18(木) 08:17:18 ]
子供居ません…

453 名前:日本@名無史さん [2008/12/18(木) 12:43:04 ]
こういう自負心も能力もある人物に全てをまかせたらダメになる見本だよ。
日本は協調性がないと。
どう考えてもやる気まんまんじゃん

454 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2009/02/13(金) 23:16:41 ]
さて、NHKの「その時歴史が動いた」も今年の3月で終わるのです。
結局、継之助は一度取り上げられたわけです。
さて、4月からの新企画で継之助は日の目を見る事が出来るのでしょうか。
まぁ、個人的な見解では、4〜5年に一度の周期で企画される人なので、
多分ないと思いますが。
www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html

455 名前:日本@名無史さん [2009/02/23(月) 00:32:59 ]


456 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2009/03/04(水) 10:06:32 ]
>>454
もっと取り上げるべきだったな・・・



457 名前:日本@名無史さん [2009/03/14(土) 01:42:00 ]
>>454
え?
その時ではやってなかったのか。。。

堂々日本史ではあったような気がするが。

458 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2009/03/15(日) 08:58:05 ]
>>457
2008年3月5日に放送されましたよ。
堂々日本史では、一度放送されましたよ。
ゲストの解説が半藤一利氏。
番組は10年ぐらい前だったような気がする。


459 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2009/03/28(土) 07:10:25 ]
さて、次にNHKで放送されるのは「歴史秘話ヒストリア」という番組です。
なんとなく、番組のタイトルとその構成上、継之助が取り上げられる確率は?
というか、望みが薄い気がするのです。
www.nhk.or.jp/historia/


460 名前:日本@名無史さん [2009/05/05(火) 18:47:15 ]
そうやね

461 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2009/07/11(土) 01:45:35 ]
長岡藩って総兵力1000人足らずだったんだって
それを抜けない官軍ってのもそうとう弱いね
もっともやる気あるのは薩長だけだろうけど
でも列藩のほう会津だけだから
似たようなものだな
それにつけても会津の弱さよ

ところで会津万歳の早乙女貢さん亡くなったんだってね、合掌。

462 名前:日本@名無史さん [2009/07/22(水) 14:47:33 ]
ガトリングガン

463 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2009/09/14(月) 06:56:44 ]
峠はおもしろいよな

464 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2009/09/19(土) 16:43:02 ]
生き残ったら、榎本くらい出世したかな?

465 名前:日本@名無史さん [2009/09/29(火) 03:18:05 ]
案外、適当な官僚どまりかも。
福地や栗本みたいに新聞のほうにいったりとか。

466 名前:日本@名無史さん [2009/09/29(火) 03:36:21 ]
かわいかわいと今朝まで思い
今は愛想も虎三郎



467 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2009/09/30(水) 04:48:17 ]
いや横浜の生糸相場や松方デフレで投機やって帰りに大好きな吉原で遊ぶだろ
損しても遊ぶかも知れないけどw
どう考えても参事→事業、地方銀行とかに行くタイプ

468 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2009/10/02(金) 22:42:42 ]
今回の文藝春秋の特集の中に「司馬遼太郎が愛した日本人」というのがあります。
www.bunshun.co.jp/
その中の悲運の侍という欄の中に継之助、小栗忠順、正岡子規の三人の名が有ります。
松本健一は運が巡れば、「英雄」、そうでなければ、「風雲児」という司馬の言葉を残している。
あのコラムの中では、語られていないけど、庄内酒井家だって、継之助と同じ見通しで大暴れして、
薩摩島津家とうまく折り合いをつけて、明治10年頃まで士族勢力を温存したからね。
そこから行けば、継之助は運が無かった、ともいえる。
>>467
案外、同じ越後出身の大倉喜八郎のように世間の誤解を受けても、財閥を作り、学校を作り人を残すか、
勝海舟や会津松平家出身の山川浩、米沢上杉家出身の宮嶋誠一郎のように、官職に就いてそのコネで、
旧家臣団を養っていく立場を引き受けていくか・・・・・




469 名前:日本@名無史さん [2009/11/07(土) 01:18:59 ]
八幡和郎ってキモい

470 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2009/11/07(土) 07:49:09 ]
八幡、河合酷評してたね

471 名前:470 mailto:sage [2009/11/07(土) 09:08:31 ]
河井の間違いだったスマン

472 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2009/11/08(日) 06:50:55 ]
「還暦以後」の後書きで松浦怜が30〜40代に書いた文章を60代になって読んでみると、
気持ちや文章に余裕が無く、せっかちに結果ばかりを求めていた。
とあります。
八幡の文章にもそれを感じるけど。八幡も60代まで生きていたら、わかるでしょ。
松浦氏は正確に文献を当たるけど、八幡は適当なうえに文献を提示しないし、
批評も的外れであることがかなり多い。
徳川日本が鎖国をしてけしからんというのであれば、同じ頃に小さい領土で貿易国家として存続しながら、
ヴェネチア共和国のように、環境破壊や伝染病から来る国力の疲弊、戦争の連続から来る大衆の厭戦気分、
外交努力に応じてくれない近隣諸国などで結果ナポレオン1世の頃に滅亡した国家を持ってきて、小さい
領土の国は鎖国をしても、国を開いて戦い続けても、疲れるだけですよ。
というようなことを述べれば、良かったのだけど。
明治維新を絶対視するけど、タイの王政復古やイタリアの祖国復興運動、オーストリア=ハンガリーの
同君二重帝国、プロイセンのドイツ統一戦争など、答えは幾重にもあるのに、明治維新という答えだけ
を押し付けるのが余裕の無い証拠だね。
八幡が留学していたフランスにしたって、1950年代〜65年ごろにかけてアフリカの植民地で何をしていたか、
(特にアルジェリア)だよ。
日本国内でそこまで言うのなら、八幡の宗主国ともいうべき、フランスの植民地の歴史についてもぜひ論評
してもらいたい。
善政を行っていたのか、本国の国民と同じように植民地の住民にも選挙権を与えていたのか、政府が反対勢力
を虐殺していないかとか。



473 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2009/11/13(金) 21:41:24 ]
>>472
まぁ、宗主国から分離独立したいということが、悪政の裏返しだね。
フランスにしても、ベトナムやアルジェリアで大失敗をしたからね。
八幡君はその大失敗をした国に留学をして、何を学んだのかな。
日本の出来損ないエリート崩れが、大失敗した国の行政院のエリート教育を受けて、
キャリア競争に敗れて、官職を辞し、反論の無さそうな、あるいは影響力の無い末裔のいる、
歴史上の人物を叩いていい気になっている訳だ。
歴史研究家の大久保利兼氏と比較すると、新雪と下水の汚泥位の差があるね。



474 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2009/11/27(金) 05:48:56 ]
 あいつのブログ、相変わらず上から目線だな。昔、拉致問題で読者から脅迫めいたメールだかブログだか来たから告訴したと、この2ちゃんでも祭りになったらしいな。
 エリート気どりは良いが、関西人の役人のおちこぼれ特有の、東京コンプレックス丸出しの東京批判はやめてほしいよな。
 江戸幕府嫌いで物議をかもしてるが、要は関東が感情的に嫌いなだけでしょ。
 あれで地元の首長になろうとするんだから有権者を馬鹿にしてるぜ。橋下なんて下らねえ奴を推してるし。

475 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2009/12/23(水) 04:46:24 ]
12/16発売のSapio1/4号には日本史上最強の戦争指揮官は誰だ!という特集があります。
skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/sol_magcode?sha=1&zname=2300&keitai=0
個人的には継之助は好きですけど、最終的には敗軍の将なので入らないのは分かっています。
一応、柴五郎や立見尚文がベスト10に入っているのでいいのです。
まぁ、立見やその兄町田武須計は継之助を高く評価していましたが。
余計な事を言えば、北条義時や板垣退助が入っていないのは不思議かな?と、感じました。





476 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/01/01(金) 07:05:40 ]
あけまして、おめでとうございます。




477 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/01/09(土) 18:05:02 ]
さて、今年の大河は坂本竜馬。
継之助と直接関係はありませんが、海援隊に参加した人物に鵜殿団次郎の弟、
白峰駿馬がいます。
彼は果たして出番はあるのでしょうか。

478 名前:スネル兄弟 mailto:sage [2010/01/16(土) 04:00:17 ]

        _______
       ./_______\
  ゞ;ゝゞヾ .|;;;;;;:::::       | |
ゝゞヾヽゝゞゝゞ∠⌒\ ∠⌒\ |#.|
 ヾゞ/;ヾ ゝ;ヾ _(*゚∀゚):: (*゚∀゚) | |ババババババ
  ゞゞ;ヾゝ# |;;| ̄_|つ∈[](((===@゙´゙,:
 //ゞゝ,,,,,,,,,,,|;;;;;;;|::: ̄|/`\ :::;;| |゙`゙
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479 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/01/16(土) 04:44:04 ]
シュネル兄弟の兄の方は、アメリカで
日本人(会津人)と結婚してたのか?
子供は日系一世だな

480 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/01/24(日) 09:02:55 ]
外国人のお友達紹介(笑)
 ジェームス・ファブル・ブラント 1841年(天保11年)9月23日〜1923年(大正12年)8月7日
 スイス人。貿易(横浜外国人商人、時計輸入)。
1841年(天保11年)9月23日、スイスのルロックルで生まれる。
1862年(文久2年)、日本との修好条約締結の為、時計組合総裁・元参議院議員A・アンベールを団長としたスイス特派使節団の一行16名の一員として来日した。
1864年(元治1年)、条約は日本スイス両国間で締結されたが彼はそのまま日本に留まり、横浜居留地52番で時計宝石商を開業した。
1866年(慶応2年)、横浜大火の際この店は焼失したが、彼は居留地175番に新規の営業所を開設し、スイス時計の輸入商として日本各地にスイス時計の販売促進を行った。
1874年(明治7年)、横浜に出来た町会所に時計台を設置し、また横浜の名所でもあった高島町岩亀楼の建築は彼の工夫によるもので、何れも幕末・明治初期の横浜名所として浮世絵などに描かれた。
1923年(大正12年)8月7日、避暑先の長野県軽井沢の別荘で心臓発作の為死去。享年82歳。遺体は横浜山手の外人墓地に埋葬された。
 なお、彼は戊辰戦争の際には、薩摩島津家、長岡牧野家などに武器・弾薬等を供給したほどの商売上手であった。


481 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/02/13(土) 07:23:40 ]
昨日は平成8年(1996)2月12日に亡くなられた司馬遼太郎先生の命日です。
玄人好みの継之助を世に出してくれた、大功労者なのです。
それまであまり騒がれなかった継之助が注目されるようになったのです。
賛否両論有りましょうが、司馬先生に感謝しましょう。




482 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/02/19(金) 21:14:25 ]
最近、龍馬=幕末ブームなのでこのような本が出ています。
『オフサイド・ブックス55
幕末明治の「戦争」全部解説します!』
中村一郎著、成田毅著 彩流社
www.hanmoto.com/bd/ISBN978-4-7791-1063-4.html
著者はあまり聞かないけど、個人的には、いい本だなぁと思っています。


483 名前:日本@名無史さん [2010/02/20(土) 10:41:26 ]
『藤沢周平が書ききれなかった歴史』-『義民が駆ける』を読む‐
青木美智男著 柏書房 
www.kashiwashobo.co.jp/cgi-bin/bookisbn.cgi?cmd=d&isbn=978-4-7601-3248-5&backlist=1
庄内酒井家、長岡牧野家、川越松平家の三家を巻き込んだ天保11年(1840)の三方領地替え。
庄内農民の義挙といわれる、この騒動。本当のところはどこにあったのか。
実は、長岡牧野家が新潟港で行われている薩摩島津家の密貿易を見逃すばかりか、
その上前を撥ねていることを調べ上げた徳川幕府が長岡牧野家に対する懲罰として、
川越に転封しようというのが話の始まりであるという。
川越松平家は、財政難でどこか良い転封先はないかと、幕府に掛け合った結果、
当時の老中水野忠邦が個人的に折り合いの悪い庄内酒井家を長岡に転封させ、
川越に牧野家を、松平家を庄内に転封させようとした、というのである。
さらに付け加えると、新潟港と酒田港を直轄地にしたうえである。
19世紀中盤の東アジア情勢と絡めて説明しています。
三方領地替えが挫折した後、牧野家は新潟港を越後国内の別の土地と交換されます。
事実上の召し上げですね。
これでいったら、三方領地替えを挫折させたのは庄内農民ですが、
きっかけを提供したのは、長岡牧野家なのですね。





484 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/02/20(土) 11:25:23 ]
この三方領地替え騒動時、継之助は少年期だよね。
どういう受け止め方をしたのだろうか。


485 名前:日本@名無史さん [2010/03/03(水) 00:51:52 ]
峠をドラマ化してほしい

486 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/03/03(水) 02:38:57 ]
主役は誰が良い?



487 名前:日本@名無史さん [2010/03/03(水) 02:59:50 ]
>483川越の大和守が大御所にねだったのが発端じゃないの?

>486中村雅俊か原田大二郎がよい。肖像画に似ている。


488 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/03/04(木) 03:12:47 ]
>>486
織田さんで

489 名前:日本@名無史さん [2010/03/13(土) 11:54:31 ]
2009年12月の出来事です。

新潟
5分の1「ガトリング砲」が完成
長岡の製造業者有志、継之助記念館に寄贈

 戊辰戦争時に長岡藩家老、河井継之助が撃ったとされる手動機関銃「ガトリング砲」の5分の1サイズの模型を、
長岡市の製造業者有志が作った。
「長岡の歴史を広く伝えたい」との思いで、27日に同市のホテルで開かれる河井継之助記念館の開館3周年記念講演会で、同館に寄贈する。
ガトリング砲は、1862年に米国で発明され、継之助が日本で最初に使ったといわれている。
模型を作ったのは、同市南陽2の精密産業機械メーカー「旭精機」など同市の製造業3社。
同社は、同館に展示されている原寸大模型の製作に協力しており、その際に使った図面を活用して、縮小版を作った。
模型は鉄製で長さ約40センチ、幅約20センチ、高さ約30センチ。1カ月掛けて製作した。
6本の銃身を回転させるハンドルや、銃身の角度を調節するダイヤルなど、実物と同様に動かせるよう精密に作った。
同社の中村康夫専務(55)は「小さいと組み立て作業が細かく、逆に作るのが大変だった」というが「出来はかなりいい」と自信をみせる。
模型は5台製作しており、寄贈する1台以外は希望があれば15万円で販売する。
中村専務は「ガトリング砲は長岡のシンボルだと思う。継之助や幕末に興味のある人に広めたい」と話した。




490 名前:日本@名無史さん [2010/03/15(月) 15:32:58 ]
>>489
これ何処のニュース?
全国ニュース?

491 名前:日本@名無史さん [2010/03/20(土) 07:28:40 ]
3月18日付けの産経新聞、文化・学術のコラムに継之助が掲載されています。
東京大学教授、山内昌之氏の連載記事で表題は『幕末から見た現在(いま)』
54回目の連載で取り上げられることになりました。
過去には、維新三傑、徳川慶喜、から山川兄弟、立見尚文まで多彩な人物が掲載。
興味のある方はどうぞ。
sankei.jp.msn.com/culture/academic/100318/acd1003180738001-n1.htm


492 名前:日本@名無史さん [2010/03/20(土) 07:40:22 ]
>>490
2009年12月18日付け新潟日報の記事です。
興味のある方はどうぞ。
74.125.153.132/search?q=cache:5K2X3dqJaJ8J:www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/7203.
html+2009%E5%B9%B412%E6%9C%88+%E9%95%B7%E5%B2%A1+%E6%B2%B3%E4%BA%95%E7%B6%99%E4%B9%8B%E5%
8A%A9+%E3%82%AC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E7%A0%B2&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


493 名前:日本@名無史さん [2010/03/28(日) 21:14:25 ]
ほほー

494 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/04/05(月) 02:49:47 ]
>>492
へー、新潟日報か
ありがと

495 名前:日本@名無史さん [2010/04/10(土) 15:09:44 ]
【元気のでる歴史人物講座】(46)山田方谷 経済と人心の再建は両輪
sankei.jp.msn.com/culture/academic/091118/acd0911180738002-n1.htm
興味のある方はどうぞ。


496 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/04/11(日) 01:52:43 ]
新吉原稲本楼のお職花魁 小稲大夫



497 名前:日本@名無史さん [2010/04/12(月) 06:17:42 ]
戦闘指揮官の河井が、ガトリング砲なんか使うなよな。
そんな威力のある砲なら、敵も狙撃するだろ。
防御板が付いてないなら欠陥商品じゃないのか、しかし西部劇なんかでも
付いてなかった気がする。


498 名前:日本@名無史さん [2010/04/13(火) 06:56:01 ]
会津の佐川官兵衛と何回か接触してるが、それぞれの人物評は残ってないの
だろうか?
英雄同士のエピを期待したいのだが、両者ともよい印象を持たなかったのかな。

499 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/04/16(金) 17:36:59 ]
河井と佐川なら間違いなく対立してるでしょ。
まあ、佐川は軍議では対立しても、それ以外では評価してたかも知れないが

500 名前:日本@名無史さん [2010/04/18(日) 04:41:04 ]
長岡藩程度の戦力で、あの局面での中立は無理だろう、官軍側の交渉相手が
岩村よりましな一線級であっても交渉が成立できたと思えない。
ただ河井が負傷せずに、戦闘が長岡藩有利な状況で和解して官軍に参加、列藩
同盟への交渉役などで影響力を発揮し、新政府でのいいポスト獲得ならあり
えたかもな。



501 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/04/19(月) 13:41:31 ]
無理と思うのは後世の発想が多分にあって、当事者は事態を自分に都合よく解釈しがち

米沢藩の宮島への広沢真臣の忠告が示すように、
事前情勢的には新政府側が折れる可能性に望みを託しても不思議ではない

502 名前:日本@名無史さん [2010/04/19(月) 14:42:58 ]
>>500-501
勉強になりました。

503 名前:日本@名無史さん [2010/04/24(土) 14:35:33 ]
河井に「もし戦国に生まれていれば、素手で百万石くらいとれるかもしれない」
と言わしめたのが安田鉚蔵、ところが安田は強硬な恭順派で河井に蟄居させられる。

自分は河井にシビレルが、長岡の人たちにとっては安田ら恭順派の方がよかった
だろな。

504 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/04/24(土) 17:23:13 ]
稲垣さんたちの体制ならそれで良かったかも知れないけど、山本家も含めたら、
藩政改革を行った牧野忠恭の下では抗戦派が実務の中枢だったんじゃない?

505 名前:日本@名無史さん [2010/04/24(土) 19:01:55 ]
河井と勝海舟に共通点を感じるが、表舞台に出るのが遅かったから、勝に比べて
使える手駒が少なくてちょっと気の毒。

506 名前:日本@名無史さん [2010/04/25(日) 11:29:10 ]
直参の勝は島津斉彬とも親しかったから、西郷も初対面から一目おいていた。
河井とは背景がかなり違う、むしろ己を誇り過ぎるきらいのあった佐久間象山
の方が近いとおもう。
ガトリング砲を自分で操作したのは、郷土の英雄の謙信の司令長官なのに
前線で戦う姿を重ねて藩士たちに印象づけたかったのかも、官軍との交渉も
腹心をやって成立しなければ腹を切らせて、それを政治利用するくらいの事
をやれよ。
みんな自分でやりすぎる。
戦後の長岡の人は、河井を戦争犯罪人としその遺族を居ずらくして石もて追い
恭順派の安田らには逆に不忠の腰抜け武士と罵っているな。



507 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/05/02(日) 17:31:58 ]
>>498
佐川官兵衛は長岡で一緒に戦ったでしょ
河井が居る本陣隣の農家に泊まってた記録もある
皆それぞれ分宿なのでこれは相当に良い扱い
>>506
長岡市内じゃそうかもな焼け野原になって維新後に県都も奪われた訳だから
ただ長岡は長岡藩の領地より天領地の方が広かったので領民は
徳川に江戸時代通じてずっと豊かに暮せた恩もあったので
意地を通した河井はそれなりに尊敬されたろう

508 名前:日本@名無史さん [2010/05/03(月) 20:28:47 ]
安田鉚蔵もサムライなら河井に蟄居させられてても、開戦したら戦闘指揮官と
して参戦すべきだろう、関ヶ原の大谷刑部みたいな死に方の方選べよな。
官軍に投降なんて腰抜けめ。

509 名前:日本@名無史さん [2010/05/08(土) 14:01:51 ]
遅れましたが、5月1日の産経新聞、学術・文化コラム「名作まち歩き」にて、
司馬遼太郎の「峠」が取り上げられました。
sankei.jp.msn.com/culture/books/100501/bks1005011800007-n1.htm
興味のある方はどうぞ。
>>508
庄内酒井家の名将と謳われた、「鬼玄蕃」こと酒井了恒。
彼の父親は慶応3年に起きた「丁卯の大獄」の際、主犯として蟄居・謹慎させられ、
家禄も1500石から700石に減知。
それでも、父の政敵であった松平親懐、菅実秀とは敵対せず、彼らの下で戦っている。
安田が頑固者なのか、酒井が変わり者なのか?

510 名前:日本@名無史さん [2010/05/10(月) 09:29:32 ]
関ヶ原の大谷刑部もいいが、西南の役の貴島清もカッコいい。
死に方が武士らしい、それにつけても安田の腰抜けめ、河井の人物眼もあてに
ならんわい。

511 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/05/14(金) 13:11:27 ]
河井は戦友である会津、米沢は警戒してたが、庄内は信用してたらしいね。

512 名前:日本@名無史さん [2010/05/15(土) 10:19:34 ]
越後長岡・米百俵塾 入門編を開塾します
人材育成の重要性を説く「米百俵の精神」を、長岡の歴史や文化を通じて学びます。
今回の入門編では、『ノモンハンの夏』、『昭和史』、『幕末史』等で有名な作家の半藤一利氏、
河井継之助記念館館長 稲川明雄氏、長岡郷土史研究会の今井雄介氏が講師・ガイドを務め、
「米百俵の精神」と長岡の歴史について、わかりやすく解説します。
初めての方にも配慮した内容となっておりますので、
「米百俵」や長岡の歴史に興味をお持ちの方はぜひご参加ください。
実施日 平成22年6月15日(火)、16日(水)
対 象 18歳以上で、原則として2日間参加できる方
受講料 10,000円(宿泊料、15日夕食、16日朝食、16日昼食、講師料、教材費含む)
※宿泊、食事が不要の場合は1,500円となります。
※上記金額には現地までの往復交通費は含まれていません。
受付期間 4月26(月)〜5月25日(火)
申込方法 所定の申込書に必要事項を記入のうえ、
郵送、FAXまたはメールでお申し込みください。電話での受付も可能です。
お問い合わせ
申込先 〒940-8501 新潟県長岡市幸町2−1−1
越後長岡・米百俵塾実行委員会 事務局(地域振興戦略部)
 電話:0258-39-2260 FAX:0258-39-2254  
 E-Mail:gnagaoka@city.nagaoka.lg.jp
長岡市ホームページはこちら
www.city.nagaoka.niigata.jp/shisei/kome100-jyuku.html
>>511
単純に庄内酒井家が強いということと、領地が海に面しているということ。
会津松平家・米沢上杉家とも、領地が内陸部で海に面していない。
庄内酒井家は酒田港という東日本随一の港を有しており、
そこから船で海外亡命という選択肢を実行する事も可能。
実際、牧野家家臣団は仙台でスネル兄弟に海外亡命の可能性を打診したが、
お金が足りないとの理由で、亡命を断念した話が残っている。



513 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/05/15(土) 11:14:59 ]
大村が長岡に来れば、3日で河合を倒せるでしょ。

514 名前:日本@名無史さん [2010/05/15(土) 13:36:19 ]
>>513
薩摩版大村益次郎とも言うべき、中原猶介の記事です。
歴史作家桐野作人さんのブログに詳細が記されています。
dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-84.html
薩摩軍団の軍制改革を実務面で引っ張ってきた人です。
伊地知正治と共に、薩摩の双璧というべき存在です。
伊地知と比べると扱いが地味なのは、戊辰戦争で戦傷死されているからです。


515 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/05/20(木) 11:28:19 ]
大村が長岡に来ても、
酒の肴の豆腐を隠しておけば発狂するから3日で江戸に帰っちゃうよ。

516 名前:日本@名無史さん [2010/05/22(土) 13:35:20 ]
われこそは、継之助信者という方はいかかですか?
書道吟の夕べ 〜河井継之助を偲ぶ 漢詩の心を感じて〜 開催のお知らせ
詩吟の流れに合わせ、 詩の内容を書き表していく書道吟。
視覚と聴覚の両方で詩の世界を味わうことができます。
今回は、越後長岡藩幕末の三傑、河井継之助、小林虎三郎、三島億二郎にまつわる漢詩を吟じます。
詳しい詳細は、こちらへ。
tsuginosuke.net/tomo_event.html#senbei

河井継之助記念館ガイドボランティアの会について
河井継之助記念館ガイドボランティアの会は、来館者と記念館の架け橋となるよう願って設立されたものです。
主に、土・日・祝日を中心にガイド活動をしています。
来館してくださる方へ「おもてなしの心」で対応していますので、ぜひご利用ください。
また、会員も随時募集中です!「河井継之助や長岡の歴史について興味がある」
「歴史はよく分からないけれど、生涯学習のつもりで勉強したい」という方は、
ぜひご入会ください。年会費は1,000円です。
詳しい詳細は、こちらへ
www.city.nagaoka.niigata.jp/kankou/miru/siryou/gv.html



517 名前:日本@名無史さん [2010/05/22(土) 18:44:41 ]
>>513
大村って、山縣が援軍の要請をしても無視していて、
木戸や岩倉や西郷や大久保が越後に大軍の派遣を決定すると嫌な顔をしたとあるね。
大村的には、仙台や米沢を倒してから、会津を倒せば、世の中丸く収まると考えていたから、
越後は眼中になかったのでは。
むしろ、久保田を離反させて戦力を分断して、共食いによって、
越後や会津に戦力が来ないようにしていたのでは。



518 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2010/05/23(日) 11:20:24 ]
>>498
ちなみに、会津軍は略奪放火等の乱暴が多く、
佐川官兵衛がその指揮官であったことから、
河井継之助が彼によい印象を持っていたとは思えない。






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