- 901 名前:ひゝらぎ篤胤 ◆lCOmECNm16 mailto:sage [2011/06/23(木) 12:55:28.91 0]
- >>899
「ら拔き言葉」の本質は、「ら」を拔く事ではな無く、「ら」を拔く事に依る今迠の尊敬と受身とは區別しようとする自然な變化に「過ぎない。 亦、必ずしも「觀れる」が「觀られる」から「ら」が脱落した物であるとは云ひ切れず、語幹「觀(み)」に「れる(reru)」が膠着した物と解するのが妥當。 「讀める」も本來は「讀まれる」であり、「yom-u」→「yom-eru」が可能であれば、「mir-u」→「mir-eru」及び「mi-ru」→「mi-reru」と解した何も矛盾は生じない。 要は四段活用動詞に限つて使はれてゐた可能動詞の獨立が、外の動詞にも波及したと考へるのが妥當。 御前みたいに、現在の文法形態が犯し難い神聖不可侵な物だとは頑冥に思つてゐない。
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