- 177 名前:名無し象は鼻がウナギだ! mailto:sage [2010/11/27(土) 09:58:27 0]
- >>171で言いたかった事
GHQはカタカナ表記をひらがな表記に変えてしまったが、 それは返って日本語の本来の美しさを取り戻す上で有利に働いたのではないか? 何故然う思うのかと云うと、カタカナは元々漢字の発音記号に過ぎないから。 戦前のカタカナ表記が流行った理由はひとえに「画数が少なく書き言葉として便利」「意思の伝達手段に便利」 という側面があった事が大きいと思う。当時の時代背景を考えれば其れも納得がいく話だ。 だが、カタカナは便利な反面、日本語の文章の美しさを損なってしまったことは否定できない。 戦前の日本は偉大だったが、全てにおいて偉大だったと考えるのは愚か。 然う云う意味で、戦前のカタカナ主体の文体が美しかったとは思えない。 文字の美しさと言うのは「丸み」「曲線」でかもし出されるものだと思う。 ラテン文字や漢字や平仮名を例にとっても、この三者は「曲線の美」という点で包括される。 よって、曲線美の無いカタカナで日本語を書き表すよりも、 曲線美の有る平仮名で日本語を綴る方が正しいと思うわけだ。 日本語の文章の美を追求するならば、GHQに強制されずとも、自然に平仮名主体の文章を肯定できるようになる。 然し、だからといって俺はカタカナを否定しているわけではない。 カタカナは漢字の発音記号という側面を持って進化した文字な訳だから、とことん発音記号や口語体の為の文字として進化して欲しい。 平仮名で「しょー」と書くことは堅く禁じ「せう」と書かせ、カタカナで「ショー」と書くことは許していく。 今の日本語の乱れの原因は文語体を廃し、標準語が無くなってしまった事に起因すると思う。 だから、将来的には平仮名主体の文語体教育を推進し、カタカナでは何を書いても良いという方向に分化していくべきと考える。
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