- 124 名前:名前は開発中のものです。 mailto:sage [2010/05/21(金) 20:37:39 ID:CpcCDi3Y]
- 「見かけ倒しの映像」が「何もしていないが実際の印象」になるなら、全ての映像作品が成立しない。
しかし少なくとも映画では娯楽として存在・実現しているので 議論の余地なく確実に「1カット程度の映像でも印象を与えることは可能」だが、 ゲームにおいて「映像で印象操作」ができないorしてはいけない理由がない。 (主観的に否定してるようだが、まったく立証できてない) それより、これ以上相手にしたり案に口出ししないと言っておいて心苦しいが、 121の話を反面教師に一つだけ有益なポイントがあったので書いておく。 それは敵への反撃を主軸にしない、純粋恐怖ものを目指す作品においては、 主人公にとって大事な者や近しい者を危害の対象としてはならない、というセオリー。 (最後の結末としてそれらを失ったり、自身への危機は可) これをやってしまうと受け手の半分は憎しみや復讐心、敵対心を抱いてしまい 恐怖よりそっちの気持ちが強くなってしまい「ホラー<スリル」な作品となってしまう。 代表的な映画でけっこう当てはまると思う。 例えば13日の金曜日やジョーズの1作目みたいなステロタイプ作品でありがちな 「DQNは被害に遭う」というのも「真面目な主人公」とは縁遠いから殺ってOK、みたいな解釈。 逆にバタリアンやバイオハザードみたいな「恐怖風味だが殺戮が主体」の作品では特に関係ない。
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