- 1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2025/05/02(金) 11:56:53.58 ID:s21opxK5.net]
- 語らなくていいよね?
- 8 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2025/05/02(金) 18:24:31.52 ID:QjVpc12w.net]
- 口先だけなのもバ姦西塵、特に大阪の連中な!
WW2の戦線では、 大阪出身の師団だけ全く使いものにならなかったのは有名な話 〔日本一弱かった師団〕 「伊藤正徳氏の『帝国陸軍の最後』や山岡荘八氏の『太平洋戦史』等を読むと、登場する日本軍は、必ず忠勇義烈、鬼神の如く勇ましい精鋭部隊に描かれているが、 果して日本陸軍は両氏の説くような強兵ばかりだったのだろうか? 勿論軍隊の強弱は、指揮官の優劣に大きく左右され、又色々複雑な条件から簡単に論ずることはできないが、旧日本陸軍の中で、日本一弱いと自他共に折紙付の師団が存在した。 その名を大阪第四師団という。 日露戦争で連戦連敗、『又も負けたか八連隊』の勇名(?)は、日本中に喧伝され、以来昭和十二年の日中戦争までの間に起きた、いくたの事変にも一度も出動せず、 わずかに昭和八年大阪市内盛り場の交叉点で、一兵士が信号無視して警官と衝突事件(ゴー・ストップ事件)を起し、大問題に発展して時の寺内師団長が皇軍の威信に関すると見当違いの大見得をきって世人の嘲笑を買った事件が大阪師団唯一の武勇伝である。 昭和十四年七月、満洲ノモンハンで日ソの衝突が重大危機に陥り、逆上した関東軍が、北満国境駐屯の仙台・大阪両師団に応急動員下令、出動を命じたとき、 仙台二師団は勇躍出発、ハイラルより徒歩行軍四日間で現地到着、先遣隊たる新発田十六連隊の如きは、直ちに戦闘加入勇戦奮闘したのに反して、大阪四師団は出動下令されるや、急病人激増、何とかして残留部隊に残ろうと将兵が右往左往し、怒った連隊長が医務室へ出向き、自ら軍医の診断に立会う仕末。 やっと出動部隊を編成したまではよいが、ハイラルから現地までの行軍では、二師団が四日間で強行進軍したのに大阪師団は一週間を要し、しかも落伍兵続出、 現地にやっと先遣隊が到着したら日ソ停戦協定成立。 とたんに元気が出た浪花ッ子の面々、口口に戦闘に間に合わざりしを残念がり、落伍した将兵は急にシャンとなって続々原隊復帰。 帰りの軍用列車では一番威勢がよかったというおとぼけ師団であった。 『兵隊たちの陸軍史 兵営と戦場生活』(番町書房)の二百四十一~二百四十二ページまで引用
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